第九話 城郭都市へ
城郭都市ヘリオ。
城塞都市、科学都市とも呼ばれるそこは、森と壁に囲まれた空間に存在する。立地の悪い森にそこそこ大きな都が出来たのは、昔の大きな戦争の名残だと言う。
サキヤノとゲルトルードは、淡々とケイシーが語る「ヘリオ」という都市について耳を傾けていた。
ケイシーは身体が大きく、笑顔を見せない。それは、不器用なだけだろうか。もしくは自分と同じ人見知りなのか。
色々彼について思うことはあったが、文句はない。むしろこんなにも物知りな人に着いてもらえるだけで心強く感じる。
「……ヘリオは、まだ異界人に寛大だ。サキヤノもゲルトルードも、緊張し過ぎない方が良い。それよりも——その鞄、貸してくれないか?」
不意にケイシーが言葉を切り、サキヤノの持つバッグを指差した。
「鞄?」サキヤノは肩の紐を引っ張る。「えと、鞄ってこれですか?」
「それ以外に鞄はないと思うが」
「ですよね!失礼します……」
口調の強いケイシーに押され、サキヤノは素早く彼の前に、献上するような形で手渡す。ケイシーはサキヤノから奪うようにそれを取ると、中身を漁り、ディックが印をつけた地図を取り出した。
そういえば貰っていたな、とサキヤノは思い出す。
肝心なものを忘れてどうするんだ、
ショックに打ちひしがれているサキヤノとは対照的に、ケイシーは地図を掲げて「とても良いものだな」と声を弾ませている。
「良いものですか、それ」
「もちろんだ!」
ゲルトルードの素朴な疑問にケイシーは鼻息荒く答えた。
「行き先をこう……設定すると」話しながらケイシーがコンパスに似た赤い針を『聖都』と書かれた位置に、青い針を『ヘリオ』に突き刺す。すると、針と針が光線を結び、平行上に矢印が現れた。
その矢印はゲルトルードの後方にある、極小の物体を指している。
サキヤノは目を細めた。緑色の塊が僅かに見える。
「あれって、森か?」
「あぁ、こっちの方角だったか」
「えっ、森なんて見えます?」
サキヤノ達は口々に呟き、ようやく城郭都市方面への道を把握した。
方角は分かったが。
「えー、っと。結構歩きそうですね!」
元気良く言わないと嫌になってしまうくらい、遠くに見えた。
歩くのは嫌いではないが、いくらなんでも遠過ぎないか?
サキヤノはふと気になって、辺りを見渡した。
ここら一帯は平野で、建物一つ見当たらない。自然の中にある不自然なものは、ここにある聖都くらいだろうか。反対側も見てみたい、と場違いな好奇心が
「まぁ、俺は歩けると思う」
「私は見えないんですけど……すごく、遠そうです」
サキヤノは頷いて見せたが、ゲルトルードは声のトーンを落とし、顔を曇らせた。
「……ゲルトルードは、歩くのが嫌いなのか?」
「いえ、違います!別に、良いんですけど」
ケイシーの質問に答えかけたゲルトルードが、聖都の城壁を意味ありげに見上げる。サキヤノとケイシーを
平野に風が横切る。
ゲルトルードの言葉の続きを待つも、彼女は一向に声を発さない。
サキヤノはこの静寂をなんとかしようと話題を考える。自己紹介はした、城郭都市とやらについてもケイシーに聞いて質問もした。頭を回転させても、良い話題はさっぱり思い浮かばない。話して「やっぱり何でもない」と、いつものように誤魔化してしまっては、大切な話があった時に聞いてもらえなくなるだろう。
「忘れてたが」
文字通り頭を抱えたサキヤノの横で、ケイシーが呟いた。
「馬を持っているから、それを使おう」
誰の反応も待つことなく、ケイシーは鎧の隙間に手を突っ込み、丸まった紙を放り投げる。
地面に当たった瞬間にそれは広がり、煙と共に半透明の馬二頭と車輪の付いた荷台が現れた。緩やかな波を描いた屋根に、面積の三分の一を占める窓と、彼が出したのはさながら
「おお……っ!」
雷に打たれたような衝撃が走る。
ゲルトルードも目を輝かせて馬車を眺めていた。サキヤノとゲルトルードは目が合うと、お互いに頷いてからケイシーを見上げる。
「ケイシーさん、ありがとうございます!」
奇跡的に声が重なった。
それから森と平原を馬車で突っ切り——。
日が暮れた頃には、城郭都市に辿り着くことができた。一日も経っていないのは、聖都と城郭都市が近いからか、ケイシーの馬車がとても速かったからか。景色の流れが速かったから、後者の可能性が高いだろう。
何はともあれ、城郭都市には着けた。まだ何もしていないのに、妙な達成感を感じてしまう。
サキヤノは改めて気を引き締め、聖都よりも厚そうな城壁を見上げた。聖都のような煉瓦ではなく、コンクリートのような灰色の壁が直立しており、堂々たるその様相は「城郭都市」という名を表しているようだった。
馬車を降り、しばらく歩くとようやく壁の終わりが見えた。壁と壁の間に樹の門があったのだが、人が誰もいない。
「誰もいませんね」
ゲルトルードの呟きに、サキヤノは「うん」と答える。
まさに絶壁。
人も入り口も見当たらない壁を眺め、サキヤノは何度も唸る。悄然として立ち去ろうとすると「何者だ!!」と突然大きな声が響いた。
何者だ、何者だ、とこだまする森の中で、サキヤノは驚きで高鳴る心臓を押さえつける。
「聖都の遣いの者だ!この扉を開けて頂きたい!」
立ち止まるサキヤノを横目に、ケイシーが負けないくらいの声量で答えた。
また驚いたサキヤノの隣で、ゲルトルードも苦い表情で耳を塞いでいる。互いに苦笑しながら相手側からの返答を待っていると、相手は「聖都から?」と素っ頓狂な声を上げた。
「分かった、とりあえず開けてやろう」
言うや否、扉は地響きを轟かせ、ゆっくりと上に持ち上がっていった。
扉が上がるにつれ、都市の一部が見えてくる。そして扉と都市の間に立つ形で、大勢の人間がサキヤノ達と相対した。あまりの人の多さに
列の中心に立つ男性はサキヤノ達を軽く見据え、
「お前らが聖王が送った勅使とやらか?」
と鼻を鳴らした。
もうそのことは知っていたのか。サキヤノはその勅使という役職に疑問を持ちながらも「はい」と頷いた。
「はあ、お前らみたいのがねぇ。で、何かねえの」
「あ、こちらが聖王から頂いた書簡になります」
「おう」
ゲルトルードはバッグから流れるような手つきで紙束を取り出すと、リーダー格の男性に手渡す。男性は黙々と読み進めていたが、ある一文でピタリと動きを止めた。
「おい、異界人ってのは」書簡から顔を上げ、男性はサキヤノ達のことを睨みつける。「……どいつだ?」
嘘を吐く理由なんてない。サキヤノはそっと手を上げるも「あぁ!?」と威圧的な声に押されて手を下げた。
「お前か!?」
「……あの、いや」
「お前かって聞いてるだけじゃねえか!はっきりしろ!」
「すみま、すみません。すみません」
サキヤノは後退りする。こうやって怒鳴り散らしたり、理由も聞かずに責める人は昔っから嫌なんだ。自分みたいな臆病な奴に怒鳴っても、すぐには言葉が出てこないのに気付いてほしい——勝手な意見だと分かってはいるが。
サキヤノが言い返せずにいると、ゲルトルードが俺と男性の間に入り込み、強気な声を上げた。
「この方です。見れば……分かるでしょう!?」
ゲルトルードがサキヤノの帽子を引っ張ると、目前の人々がざわつく。サキヤノは彼女の手に帽子があるのを目にし、そっと頭に触れた。
間違いない、自分はこの髪を晒している。
目の前にいる人々は、好奇と嫌悪、驚愕といった様々な表情でサキヤノを見ている。あまり向けられたことのない多くの視線を避けるために、自覚の少ない白髪と場違いな恥じらいを申し訳程度に隠す。
「お前が異界人……」
男性が怒気を含んだ声を洩らした。
「……異界人が勅使ってか」溜め息の後、打って変わって声色が変わる。「別に良いんじゃねえの。聖王は変わり者だからな」
男性が片手を上げて何処かに手を振ると、門は呆気なく閉まった。彼は後ろの集団にも合図を送り、一瞬にして解散させた。
しばらくして、男性一人がサキヤノ達の前に残ってくれた訳だが。
「大変だな、まだ若いのに仕事任されて」
「……そんなこと、ないですよ」
「俺なんてもう今年で35だぜ?恋人もいたことねえしさぁ……あんたの彼女かい?この可愛い子」
「彼女なんてそんな……」
「そーだよなー、異界人と付き合うとか
「……」
「あっ、そんなことより聖都からってことは森抜けてきたかんじ?あの森深かったでしょ、確かに戦争にはもってこいな立地だよな!」
「まぁ」
——と、こんな具合でずっと話し続けている。
入れてもらった手前、話を遮るのは大変申し訳ない。若干流す形でサキヤノは頷いていたが、とうとう痺れを切らしたゲルトルードが話を
「すみません、この都市で一番偉い方って何処にいるんです?」
「ん?この都市で?この『国』じゃなくて?」
ゲルトルードに心底ナイスと思った矢先のことだった。
「ここは国だぜ?【ヴィリジット王国】。それから、ここは首都であって王都じゃない」
城郭都市、という名前なので国のことなんて全く考えていなかった。それに国名なんて聞いてない。……と思うのちゲルトルードもケイシーも自分と違ってもう納得した様子。そういえば、手紙には隣国だって書いてあった気がする。それでも王都と首都の違いがちょっとも分からないから、納得は出来ないのだが。
当然の格差を感じてサキヤノは「マジか」と肩を落とした。
「マジ?ああ、マジって奴。でもここに来たってことは、室長に用事があるんだろ?さっきの書簡にも書いてあったしな。よし!暇だし案内してやる」
割とウキウキで男性は歩き始め、それに続こうとしたが、ゲルトルードに袖を引っ張られて歩みを止めた。
「どうしたの、ゲルトルード」
「あの……サキヤノさん、耳を」
「えっ!!耳!?」
「しっ、です」
思いがけない状況に声を荒げたが、なんとか堪える。
屈んであげると、周りを気にしながら恥ずかしそうにゲルトルードは囁いた。
「お腹が、空きました」
*****
未だ名も知らぬ男性に店の外で待ってもらい、サキヤノとゲルトルード、ケイシーは机を囲っていた。
確かに数日何も食べていない。
そう言われるとお腹も空いてくるような気がするが、気がするだけで——正直、何も食べなくても大丈夫そうだ。
それにお金もない。今は本当に有難いことにケイシーが奢ってくれるらしいが、今後の食事はとても不安になる。お金も、移動する手段も……それに、ケイシーにお金の稼ぎ方について聞くのを忘れていた。いつか聞こうと思う。
悩むサキヤノの横では、並べられていく料理に目を輝かせる少女がいた。お礼を言うなり、食べ物を口に運んで「美味しい」と一言。一度食べると止まらないのか、それともそれほどお腹が空いていたのか、ゲルトルードは上品にかつ素早く料理をさらえてゆく。
「はぁ、美味しい……サキヤノさんも、食べましょ?」
ゲルトルードはフォークを握りながら感動に浸っている。
「う、うん。いただきます」
「奢ってもらう」というのは遠慮してしまう。もしくは、全然遠慮しないでむしろ甘えてしまう。もちろんサキヤノは前者で、遠慮しながら食材が全く分からない料理を口に含む。
「ん、美味い……」
「ですよね!止まらないですよね!」
意外といける、とサキヤノは咀嚼する。失礼極まりないのだが、正体不明の料理を口に入れてすごく美味しいとはお世辞にも言い難い。やはり何の食べ物か知らないのに口にした自分の警戒心の薄さというか、危機感のなさはこの世界の立場的に危険なのでは。そう、やっぱり食べないのが正しいのか。「大変申し訳ないのだが要らないです」とか言うべきなのか。でも美味しいのは変わらないしどうすれば。
何故か頭の中で早口に弁明。
サキヤノは急に恥ずかしくなって、店員さん——には話し掛けられるはずもなく、ケイシーに声を掛けた。
「これって何の食べ物ですか?」
「これ、とは」
「えっと」サキヤノは目の前の肉らしきものを指差した。「これ、です」
「食べないと分からないが多分肉だろう。警戒するのは分かるが、別に誰でも食べれる」
肉なのは分かってるんです。なんて言えるわけもなく、俺は再度ナイフでちぎって食べた。
「美味しい、んだよなぁ」
味的には鶏肉っぽい。味音痴なので結局何肉かは不明だが、美味しいことに変わりはない。謎の葛藤を疑問に思いながら、サキヤノは咀嚼を続ける。
——うん、噛み応えがあって美味い。
黙々と食事する中、ケイシーが前触れなく「聞きたいことがあるんだが」と呟いた。「サキヤノ」
「あっ、はい」
「お前、神託はもらったのか?」
サキヤノはごくん、と肉の塊を飲み込む。
「……名前、のことですかね?」
ケイシーは頷く。「そうだ。どんなものだったか、聞いても良いか?」
神託というのは、そんなにも大切なのだろうか。占いを信じないサキヤノにはあまり実感が湧かず、つい顔を顰めてしまう。
「聞く……意味は、別にないが。少し、気になってな」
サキヤノの表情を見て、ケイシーは歯切れの悪い付け足しをした。彼が気を遣っていると思い「しまった」とサキヤノは慌てて笑顔を浮かべる。この空気を悪くしてはいけないと頭の中で何度も繰り返し、
「頂いた名前はサキヤノ・パルマコンです」
と答えた。流れで「本名は……」と聞かれていないことまで口にしたところ、ケイシーに「結構だ」とバッサリ遮られる。
はい、と短く返事をし、視線を感じてゲルトルードを見る。案の定、彼女は食べ物を頬張りながら、苦い顔で俺のことを見つめていた。その表情にどんな意味があるのか、顔を見て話すのが苦手な俺には分からないが——うん、多分ドンマイとかそんなところだろう。別に恥ずかしいとか思わないから、うん、大丈夫。
サキヤノは自分で自分を慰めた。
「パルマコン、か」ケイシーは食べる手を止め「良い名前だな」と頷いた。
「はは、ありがとうございます」
「別にお礼を言われることはしてない。思ったことを勝手に言っただけだ」
「まぁ、それでも、どうもです」
また食卓は静かになって、サキヤノは無言で目の前の料理を食べ進めるが、ふと思い出した。そういえば、連絡していない——とバッグの中から手鏡らしき機械を取り出してみる。通信機はこれだろうか。
ボタンが一箇所しかないため、すぐに使い方は分かった。サキヤノがボタンを押すと、手紙に書かれていた通り赤いランプが点灯し、数秒で消えた。
「これで良いか……」
正解は知らん、と悩むサキヤノ。
不安に思いながら顔を上げると、机の料理が全て空になっていた。不安は吹き飛び「ん?」と目の前の光景を疑う。
「んー、美味しかった!」と口元を拭くゲルトルード。
「満足した、会計してくる」と立ち上がるケイシー。
「……えーーーっと」
「あっ、ごめんなさいサキヤノさん。私、すごくお腹空いてて……サキヤノさん下向いて何かしているから、もう良いのかなってケイシーさんと一緒に全部食べちゃいました!」
「いや、全然問題ないよ、ちょっと驚いただけで」
——大変丁寧な説明である。
実際そんなにお腹が空いていた訳ではないため、全然良いのだが、食欲旺盛な二人に今後の食費が一層恐ろしくなった。
店を出て男性と合流してからも、サキヤノはどうやってお金を貯めるかだけを考えていた。しかもまだ貨幣価値が分からない。ディックからもらったバッグを漁っても、入っているのは銀貨っぽいものが数枚。これは一体何が買えて何が買えないのか。
頂いた武器らしきものはサキヤノとゲルトルードで分けたが、短剣と杖にしか見えない。ゲルトルードの腰に刺さった杖と、俺のベルトにぶら下げた短剣、それからケイシーの背負う槍らしきもの。武器とか防具とか、まだ足りないものがたくさんありそうだ。
——先にお金を稼がないとまずいのでは?
ディックは急がなくて良いと言っていた。勅使なんて言う格好良い職をこなす前に、どこかで働かなければ。いや待て、そもそも自分は雇ってもらえるのか。異界人ってのは——。
「わぷっ」
「おいおい、前見て歩けよ」
「すみませ……って、ええ!!」
考え込み、下を向いていたサキヤノを真っ白な景色が包んでいた。少ししてから周りの白い物体が建物であることに気付き、サキヤノは驚愕した。サキヤノの故郷より、日本よりもずっと近未来的だ。
緊張しながら都市全体を見渡す。
橋が架かった二つの巨大なビルらしきものの下には、箱のような形をした建物がずらりと並んでいた。聖都とはまた違った現実味のなさに、口角が上がる。
「これは感動ものだな……」
ゲルトルードに腕を引かれても、サキヤノはまだ周りを見渡していた。歩く人々が白衣を着ており「科学都市」という二つ名を思い出す。これなら城郭都市と言うより、確かに科学都市と呼ばれるべきだろう。
「この大陸でも貴重な街なんだぜ、ここ。こんなに科学が発展するなんてそうそうねえからな」男性は半ば呆れた声で言った。「だって魔法の方が楽だし」
「いや、でもホントこれ凄いですよ。すごく発展してるじゃないですか」
「まー、んー、まあ」
男性は「それでも魔法が楽だろ……分かった。もう黙ってついて来い」と吐き捨てて歩き始めた。
科学を褒めるとまずいのかな、とつい男性の顔色を
「サキヤノさん、楽しみですね」
ゲルトルードはそっとサキヤノに囁きかける。
彼女にとっては何もかもが新しくて楽しいのだろう。不安が勝った自分から見れば、その姿は少し羨ましくもある。
だから。
「そうだな、俺も……楽しみだよ」
サキヤノはとりあえず口にする言葉だけは、楽しくあろうとするのだった。
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