第七話 存在意義





 歴史ある建物の隙間を通り抜け、長い階段を下りた先にある木製扉の前にサキヤノ達はいた。


「お前……あー、名前なんだっけ?」


「えっと、サキヤノです」


 保護部隊かれらのアジトから少し離れたこの場所は、ステファンのお気に入りの場所だと言う。



 「まずはこの世界をよく見ろ」というステファンのはからいで、サキヤノとステファン、ゲルトルードとモニカ、そしてディックの二手に分かれて聖都内を探訪たんぼうすることになった——「朝の方が良いんじゃない?」というディックの提案を無視して。


 ゲルトルードは東に、サキヤノはステファンに腕を引かれて西に走った。

 暗闇の中、反響する足音に鳥肌が立った。こんな深夜に物音を立てて走ったことなんて、一度もない。ご近所迷惑きわまりないから、しようとも思わなかった。

 サキヤノが罪悪感を感じながらも走ると、目的地は思ったよりも近く、すぐに到着した。


 その場所は、壁が大理石のごとき輝きを放っていた。狭い石壁が続いている中では異質な輝きだ。また、地面に敷き詰められた煉瓦れんがから、この辺りだけ雑草一つ生えていない。

 突出して綺麗な場所だと思った。


「ここ、結構好きなんだよな。俺が異界人を案内する時は絶対見せてやるところさ」


 ステファンは嬉々として髪をき上げる。そしてサキヤノの着替えた服を見て

 

「サキヤノ、中々似合ってるぜ。自分ではどんな感じだ?」


 と指差した。

 似合っている、とは家族からもあまり言われたことのない褒め言葉だ。サキヤノは改めて、自分の服を観察した。

 白いYシャツに黒いズボンと、シンプルでいつもとと似た服に、黒い外套がいとう。全ての素材は知らないが、動きやすくて着心地がとても良い。


「暗くて見えねえが、髪も帽子で隠れてるんじゃねえの」


「はい、結構深めに被ってます……そ、その、不審者扱いされたら困っちゃうんですけど」


 帽子のツバを下げ、なるべく髪の毛を見せないように気をつける。少ないが、人通りはあったため、サキヤノは自覚症状のない白髪を隠した。


 別に異界人だからといって、襲われるわけじゃないらしい。異界人と呼ばれていても、騎士団に所属したり仕事を持っていたりする。問題なのは怯えていて、全くこの世界に馴染んでいなくて、さも「異国」という服を着ていること。つまり、さっきまでの自分だ。格好の的なんて、さっきの自分にぴったりの言葉だ。


「おーい?サキヤノ、中入るぞ」


 いつのまにか、数メートル先に進んでいたステファンに呼ばれ、サキヤノは慌てて着いて行った。


「っ、おお……!」


 電気がついていないのに眩しい。四方八方を見渡し、整頓された部屋中を堪能たんのうした。天井は全て窓ガラスになっており、自然の灯りを作り出している。床は大理石で隙間なく覆われており、外の壁の不自然さに納得した。

 この家はそもそもの造りが大理石らしい。

 突っかかりのない滑らかな壁を触っていると「滅茶苦茶感動してるじゃん」とステファンが吹き出した。


「だ、だってすごく綺麗で……!」


「はいはい、分かったって」


 ステファンは僅かな段差に腰掛けて腕を組んだ。ギフトといいステファンといい、ファンタジーの騎士は本当に鎧が似合う。

 しばらく見惚れていると、ステファンは右手の腕当てガントレットを鬱陶しそうに投げ「こっち座れよ」と生身の腕でサキヤノに手招きをした。

 失礼します、とお辞儀をしてサキヤノは彼の隣に座る。身体の大きさが一回り違って、自分が小さく見えた。


「あの、どうしましたか」


 物憂ものうげなステファンに目配せすると、彼はぽつりと呟いた。


「聖都の案内は明るい時にやる。今はお前と一対一で話してえのさ」


「えっと」


 「勝手に話してるだけだから、気にすんな」ステファンは入り口を見つめたまま続ける。「こんなところまで来てるのに、お前は世間知らずだな。今までで一番異界人って感じで、正直気持ち悪い。ほんっと、何にも知らねえ無知で怖ェ」


 いきなりの罵倒ばとう

 本当のことで言い返せない。


「服はそのまま、髪も隠す気のない真っ白、始まりの街も知らねえなんて……なんて奴だ。しかもモニカ達が助けなけりゃ、一番異界人が辿る道を進んでたなんてさぁ。幸運中の幸運。意外にお前の特殊能力は『幸運』だったりなぁ!……まっ、そんなことは良い。そんなことより、俺が異界人に最も聞きたいことだ——って、聞いてるか?」


「……もちろんです!」


 隅々まで掃除された部屋なのに、全く使われていないここが勿体ない。一瞬上の空になったが、すぐに頭を切り替えた。


「ホントかよ?信じられんなぁ?っと、いけねえ悪い癖が出ちまった。あー、あー……んん!改めて聞くぞ。サキヤノ、お前どうして聖都に来たんだ?」


「……?」


「どうせ始まりの街は別のとこだろ?だから聖都に来た目的を聞きたいんだよ。分かんなけりゃ、今から何がしたいのかでも良いぜ」


「あ、ああ……目的……ですか」

 

 ————————。


 ——————。


 ————目的。


 ——目的ってなんだ?

 突然のことで、頭が回らない。

 何も知らずにこんな異世界に来て、最強の座も英雄という勲章も得られない、この世界での目的。異世界に来たら「俺だけがルールだ」って格好良く世界制覇を目指そうとしていたのか?それとも、苦手な異性と仲良くなって冒険したいのか?それとも——?

 思っていたのと違う異世界は、突然叶った異世界転移は、サキヤノの理想ゆめを壊した。そもそも具体的な目的は無かったのだが、それでも理想通りの世界なら、少しでもやりたいことが見つかったかもしれない。


 分からない。俺はなんでここにいるのだろう?


「?……目的ないのか?」


 ステファンの素朴な疑問が、サキヤノの耳を突き抜ける。

 身体に衝撃が走った。

 理不尽だ、なんでこんな世界なんだと文句しか出てこないから、自分のいる意味は無駄だと思ってしまう。


 だけど、とサキヤノは首を傾げたステファンを見つめる。

 意味じゃなくて、目的だ。

 俺はこの世界で何がしたい?俺はこの先どうしたい?

 考えて悩んでも答えが出ない。「俺は」と数多くの異界人同類を導いてきたであろう彼に、意見を聞いてみようと思った。


「ステファンさん、俺の」


 ——目的はまだ分からないです。

 そう続けようとした瞬間。


 破砕音はさいおんが耳をつんざいた。反射的に音が鳴った方に目を向けると、空から降ってきたであろう大量のガラスが視界を覆う。ガラスの雨の中に、黒い「何か」も見えた。


 一瞬しか見えなかったが、破片の中の黒いものは、おそらく人だ。

 何故空中から人が降りてきたのか、何故ガラスが割れたのかなど、考える余地はない。恐怖に固まるサキヤノの前に、ステファンが颯爽さっそうと躍り出た。

 ステファンは背中のマントを掴むも、ふとたじろぐように動きを止める。

 

「まさか……」


 彼は切迫せっぱくした声を上げ、マントではなく何故か剣の柄に手を伸ばす。


 彼の行動の答えはすぐに出た。


「残念」


 笑いを含む声が聞こえるや否、ステファンの背中から鋭いものが現れた。それは俺の目頭直前で止まり、躊躇なく斬り上げられた。

 目の前が真紅に染まる。

 ステファンの背から鋭いもの——剣が消えると、雨のように彼の血液が俺に降り掛かった。


「サキ……はやく、逃げ」


 瞬きが出来ない。剣を突き立てた人物から目を離せず、崩れ落ちるステファンを視界の隅に捉えた。息をするのも忘れ、状況を理解しきれなくて思考が停止する。


 ステファンの身体を引き裂いた血濡ちぬれの剣が、サキヤノの胸にも届く。逃げたいのに、少しも動けない。不思議とゆっくりに見えたが、迷いのない切っ先は、サキヤノを今際いまわの時まで貫こうとする。

 「死ぬんだ」と諦めた。

 いざこういう場に自分が立つと、意外に諦めが早いのだと実感する。正直、助かりようがないから、肩の力が抜けてしまうのだけれども。


 諦めてただ剣先を見ていた時、不意にどん、と地面が揺れた。

 衝撃で相手の標準がズレる。それはサキヤノの胸ではなく、脇下をえぐっていった。


「っ、うぉ」


 当たった感覚の後に、熱が広がる。じんわりと剣が当たったところが熱くなる。まだ、痛みはない。

 固まっていた身体が動いて、地面に転がる。割れた窓ガラスがあったが、頭の中には「斬られた」という恐怖しかない。横向きにうずくまり、なんとか謎の人物を目で追う。

 フードの相手は、また剣を構えた。

 今度こそ死ぬ——と歯を食いしばった時、フードの下で浅葱色あさぎいろの目が見開かれた。剣先を床に向け、その人物はおもむろに武器を投げ捨てる。次いでサキヤノを見下ろし、足でボールのように蹴り上げた。


「っあ!」


 喉の奥から悲鳴が上がる。

 地面に倒れ込んだことで、ガラスが再度突き刺さった。しかし剣で斬られた箇所の激痛で、ガラスによる痛みはほぼない。脇下を押さえ、唇を噛んで悶絶もんぜつする。

 これは、耐えられない——!

 この世界に来てからの痛みが、全て襲い掛かってきたみたいだ。両目から、止めどなく涙が零れる。


 泣きながらうめくサキヤノの横に、何者かが近付いて一言発した。


「君……なの?」


 若い男の、のんびりした声。

 痛みの我慢に集中しており、大事な部分が聞き取れなかった。もだえながら、男であろう人のフードを見つめる。

 男性はサキヤノの様子に気付いたのか、もう一度言った。


「君、異界人なの?」


 異界人なのか?

 と、次ははっきりと聞き取れた。

 もちろん言葉は返せなくて、口を開閉だけして身体を丸める。これでもかと言う程、傷口辺りの服を握り締め、ひたすら耐えていると「ねえ」とまた男性が話し始めた。


「おっかしいなぁ、聖都まで来てるくせに変な服。もっとこの世界にあった服着ないの?……ああっ、もしかしてお金なかったりー?ふはっ、それは笑えるけどー」


 返り血を浴びたその人物は、クスクスと、大きな独り言とともに笑い出す。

 サキヤノの耳には、話の半分も入ってこなかった。こんなにも痛いのに、普通に聞いて話していられるか。そんな思いを込めて男性を見遣ると、微かに見える口元がキツく結ばれた。


 「もしかして無視?」男性はワントーン下げて呟くも、サキヤノの顔を見て二度頷く。「なるほど……そんな痛みに耐えらんないのね。一応話せる?声は出せるよね?ほら、少しだけ話してみて」


 話せないに決まっているだろう。


「……ぁ、う」


 しかし、口からは苦痛の声が無意識に洩れる。痛みで気を失うなんて、本当に出来るのだろうか。痛みは、徐々に酷くなっているように感じる。目を開けているのも辛くて、ぎゅっと強くつむった。

 それでも男性は話をやめない。


「遅くなったけど、ごめん!まさかお仲間だったとは!いきなりだけど、君さ、おれらと来ない?君のそれらの怪我だってすぐ治してあげるしー」


 謝罪と何かへの勧誘。


「見たところまだ特殊能力が開花してないようだから、その辺りも手伝うよ」


 『特殊能力』とローノラと同じ単語を口にする。


「おれの名前は……ま、いっか。とりあえずおれは比較的温厚おんこうな集団の解放軍の一人さ。叛逆軍はんぎゃくぐんとは違うからね?怪しいかもしれないけど、おれらの目標は……いや、リーダーである異界人かれらの夢は異界人だけの国を作ることなんだ。異界人の君にお得の情報だよね」


 勧誘する組織名。

 解放軍は確かステファンが言っていた。あと、叛逆軍——ああ、なんの反逆なんだろう、聞いていなかったな。

 まあ異界人だけの国ってのも、悪くないんじゃないか。


「お、もう死にそうだね。コレは困った困った」


 死にそう?……やっぱり死んでしまうのか。

 少しでもあらがうべく薄目を開けると、男性は入り口を目視していた。


「……誰か来たね」


 男性はぽつりと呟き、フードの中の顔を俺の耳に近付けた。


「それじゃあ、気が向いたら……帝国までいらっしゃい。目印はあるし、都市部でおれらの噂も聞けるだろう。地理が分かんないなら、誰かとおいで」


 深く息を吸う音。


「待ってるよ……琥珀の異界人」


 耳元で囁いていたハイトーンの男の声が遠退とおのく。

 琥珀の異界人だなんて、そんな洒落しゃれた呼び方される程じゃない。俺はもっと地味で、目立たない脇役モブなんだから。


 涙が原因か、視界がぼんやりとかすむ。転倒したサキヤノの前には、うつ伏せでピクリとも動かないステファンの姿がある——俺を、守ろうとして、さっきまでは、あんなにも元気だったのに。


 こんなにも呆気ないのか。

 ——こんなに、命を奪うことに抵抗のない世界なのか。


 魔法も使えない自分は、何の為にこの世界を生きれば良いのか。

 いざこういう目にうと、ファンタジーだの異世界だのと喜んでいた自分が馬鹿馬鹿しく感じる。身近に死があって、危険は増えるのに、自衛の策は何もない。


「悲しい、なぁ」


 こんな一言でも、今のサキヤノには辛い。

 せめて——せめて異世界には夢が欲しかった。



 解放軍の男が言った通り、それからすぐに扉が開いた。

 扉の先に見えた三つのシルエットは確実にモニカ達だ。俯瞰ふかんすることは出来ないが、きっと入りたくもない部屋になっているに違いない。

 しかし、扉を開け、真っ先にサキヤノに駆け寄る長髪の少女がいた。


 「サキヤノさん」か細い声で名を呼ばれる。「ごめんなさい……魔法が切れて、おかしいなって思ったのに……間に合いませんでした」


 瞳を濡らしたゲルトルードは、サキヤノの頬に触れた。


 こんなにも心配されるのはいつ振りだろう。

 心身ともに痛くて、気分は最悪なのに。は誰も助けてくれなかったのに、今はこんなに恵まれて——場違いな気持ちだけど、少し嬉しかった。





*****




 それから意識が飛ぶなんて都合の良いことは起きず、尋常じゃない痛みに耐えながらその場を離れた。サキヤノはよく覚えていないのだが、おそらくモニカ達に運ばれてアジトに戻ったのだろう。


 現に今、木組みの天井と点滅する電灯が見えている。

 横にはディックとゲルトルードも見える。二人ともふさぎ込んだような暗い表情で、サキヤノは今までで一番申し訳ない気持ちに襲われた。

 不思議と痛みはない。手足も自由に動かせたため、ゆっくりと身体を起こした。


「サキ君!」


「サキヤノさん!」


 二人の思い詰めた表情と震えた声に、喉が詰まった。謝罪か感謝か、どちらを伝えれば良いのだろうか。

 何も言えず「あの、その……」と繰り返していると、ディックがサキヤノの口元に手を出した。喋らなくて良いと動作で示され、サキヤノは口を閉じる。


「簡単な怪我は治したし、痛み止めの魔法もかけたけど無理はしないで」


 ディックは手を下ろして、腕を組んだ。


「魔法使いは万能じゃない。通常は、一種類の魔法しか極められないんだよ。攻撃だけの魔法使い、強化バフだけの魔法使い、弱体化デバフだけの魔法使い、回復だけの魔法使い……みたいなね。僕は強化六割、回復三割、他一割しか使えないから、怪我だって簡単のしか治せない。だから、魔力が多くて許容値の高い魔導師や——いや、まあ魔導師は強いんだよ。働き口も、職も——いや、これも良いや。つまり君のその切り傷は完璧には治せないってこと」


 その説明に納得出来なかったのは、漫画の見過ぎだろうか。今のサキヤノに話を理解する程の余裕はなかったが、とりあえず痛みのない、怪我をした脇下を見遣る。


 赤い何かが見えた。恐る恐る見ると、布から微かに血液がにじんでいる。すごく現実的リアルで、生々しくてゾッとした。ついさっきまで、ごく普通の日常を過ごしていたサキヤノには刺激が強過ぎて、すぐに布団に目を移す。


「ガラス程度の怪我は治せたけどね。痛みはないだろうけど、じきにそれも薄れるから頑張れ。……と、前置きはこの辺にして」


 明らかにディックの声色が変わり、次にサキヤノは彼に視線を移した。目線を合わせるのが怖く、首元までしか上げられない。

 それでも、ディックの冷たい声は反響する。


「君のこれからについての本題だ——君は異界人だから、確かな生活と幸福は保障出来ない」


 彼は目を閉じ、黙考もっこうしながら続けた。


「サキ君。僕達は保護部隊が運営する地下の宿泊施設での生活をオススメするよ。少なくとも、怪我はしないし危ないことがあったらすぐに誰かが駆け付けるし」


 せっかくの異世界なのにただ過ごすだけ……?

 ディックが言ってることは間違いないのに、どうしてもサキヤノは「はい」と言えなかった。無力で何もできないくせに、まだ異世界に憧れをもつ自分に腹が立つ。


 ディックは肩をすくめ、サキヤノの気持ちを察したかのように呟いた。


「でも異界人だって、ただ世界に呑まれてるわけじゃないよ。努力して活躍してる人だっている」


 ——俺は、出会って間もない人に慰められているのだ。現実では信じられない出来事で、ディックがどれだけ良い人なのか、俺が恵まれているかなんてハッキリ分かる。


「俺、は」


 しかし、精神的に限界だ。心が折れそうで、優柔不断な自分が這い出てくる。


「もう、こんな痛い思いしたくないです。だって……」


 大きく息を吸う。


「だって特に理由もなくこんな場所に来て、別に来たいとかそんなんじゃなくて!全然思ったのと違ってて、理想からかけ離れてて……とにかく変な世界に来ちゃって。その……漫画、じゃなくて本みたいのに憧れてたのに。目の前で、あんな、人が刺されるなんて、そんなの……見たくなかった」


 支離滅裂しりめつれつでまとめきれない。サキヤノは自分でも何を言ってるのか分からないが、とにかく不満を口にした。


 この世界にいる人は誰も悪くない。

 好奇心で変な光に近付いた、自分が悪いのは分かってる。それでも——。


「それに俺の目的って、俺がいる意味って何かあるんですか……っ」


 そう言わずにはいられなかった。

 『目的がある異界人』というのは、ほんの一握りに違いない。自分みたいに絶望して、潰れてしまう人もいるのではないか。


 ディックもゲルトルードも、黙って俯く。もし自分が逆の立場だったら、非はないのに意味も分からない八つ当たりを受けたら何も言えない。

 状況は驚くほど冷静に分析出来るのに、どうしてこうも抑えられないのだろう。


「アタシ達は何も言えない。君が異界人だろうが何だろうが、アタシ達と同じ人。だけどやっぱりね、考え方が違うんだよ」


 少し尖った女性の声で、サキヤノは我に返った。

 日光をバックにモニカが姿を見せる。髪や服に反射して、顔に影がかかっていた。


「モニカさん」


「ステファンは平気、だからちょっと落ち着いて」


 モニカは間髪入れずに話し始める。


「とりあえず目的とかは良いよ。今は君に話を聞いて、あの惨状を説明してもらわないと。ディックの魔法がまだ切れてないなら、話すことは可能でしょ?」


 怒ったような口調。まるで……いや、サキヤノは責められている。


「新人風情がこうやって口に出すのは良くないかもだけど、コレって聖都に喧嘩売ってるとしか思えないんだよね。確かに最近は変な集団が多くて危ないけど……もしかしたら保護部隊に喧嘩売ってるかもしれないから、怖いよね。例えば狙いは異界人だとか——」


「モニカ」


 ディックが冷静に制止をし、ゲルトルードに視線を遣った。

 サキヤノ達はそれに釣られて彼女を見る。正座をして、俯いていたゲルトルードは顔を上げた。


 「サキヤノさん……」モニカを一瞥いちべつしながら、ゲルトルードは囁いた。「とても、とてもおこがましいと思うのだけれど……!」


 彼女が発した意外な言葉は、サキヤノの不安な気持ちを吹き飛ばした。


「私を、故郷まで連れて行ってくれないかしら!……っ私、この魔法が素敵だって言われたの初めてで……すごく嬉しかったの。だから、そんな貴方と……その、私もこの世界について知らないの。だから、一緒にたくさんの街に行きたいなって」


 早口でまくし立て、耳まで真っ赤にした少女はそこで言葉を切る。保護部隊の二人に目配せし、サキヤノと視線を交わして「あぁ」と頬を押さえた。羞恥心を必死に隠し、もごもごと口を動かしたゲルトルードは「それで!」と一際大きな声を出す。


「無理を承知でお願いしてるの。異界人に魔法使いなんて、変な組み合わせです!でも、その……」


 何度目だろうか、また二人の顔色を窺う。


「サキヤノさん、私……色んな世界が見たいです。貴方の『目的』は、我儘わがままな私のために、その……私と共有してくれませんかっ!」


 最後はしっかりサキヤノの目を見て、ゲルトルードは伝え終える。

 

 目的も、行く当てもなく彷徨さまよった異世界。数々の理不尽を体感して、理想が打ち砕かれた異世界。異世界——この世界では異物と化した自分。ファンタジーは経験するのではなく、見るものだと悟ったサキヤノの心に、僅かながらの期待が生まれる。


「俺なんかで、良いのかな?」


 自分自身で判断するのは嫌いだ。

 こんな大事なことだって聞いてしまう……だから友達が少なかったのかと実感する。

 「遊びに行った方が良い?」とか「遊びに行って迷惑じゃない?」とか、女々しい返事をしていたからだろうな。


「サキヤノさんなんか、じゃなくてサキヤノさんが良いんです」


 嘘だ、とサキヤノは心の奥で叫んだ。

 誰かの為に尽くすなんて不可能だ、誰かの一番になるのは不可能だって思っていたのに、目の前の少女は、いとも簡単に「サキヤノが良い」と言った。

 彼女の一番なんてのは美化し過ぎで、勘違いかもしれない。

 しかし、それでもサキヤノの心はこの世界で救われた。視界が歪み、涙がにじんだ。


「お、俺こそ……そんな大切な、その、相棒みたいな立場にいて良いの?」


 ゲルトルードは笑って、二度頷く。


「そっか、マジかぁ……なんか今すごく……嫌な目にあったのに、幸せって……思っちゃうよ」


 ぐすっ、と子供のようにサキヤノは鼻をすすった。無邪気で曇りのないゲルトルードが何か言いかけたところで「あのー」と申し訳なさそうな青年の声が響く。


「空気壊しちゃって申し訳ないんだけど、僕達からのお願いがあるんだ」


 眉を下げ、苦笑したディックが長衣ながぎぬの中から紙束と紙包みを取り出した。慣れた手つきで束から数枚の紙を引き抜いて、一緒に取り出した紐でまとめると床の上に静かに置く。

 次いで服の後ろ側から地図のようなものを取り出し、緩やかに紐を解いて広げた。見たこともない字と見たこともない大陸に驚いていると、ディックは不規則に、ペンで色鮮やかな印をつけてゆく。

 しばらく待つと、彼は一通り作業を終えたらしく、地図をサキヤノの前に差し出した。


「色々な街に行くんでしょ?だったらこの手紙を赤で丸した【ヘリオ】っていう城郭都市に、この包みをこの……緑で丸した【ライノス】って軍事都市に送り届けてくれないか」


 地図をとんとんと叩きながら、日本語で国名を書いていくディック。サキヤノが驚くより早く「ある人に教えてもらってさ」と微笑んだ。


「じゃあ、これとかいつ届けても良いから、寄り道がてらよろしく」


 地図を巻き、紙と包みをサキヤノの手の平に置いた。

 軽いもののはずなのに、ずっしりとした重みを感じる。自分自身、少し浮き足立っている気もする。


「ありがとう……ございます」


 お礼を言って、ふと思った。

 上手く出来過ぎじゃないか、あまりにもスムーズに進み過ぎじゃないか、と。


「うん、良いよ良いよ。じゃ、書簡しょかんと一緒にカバンに入れとくね」


 サキヤノの手から半ば奪うように取り上げると、ディックは茶色のバッグに色々なものを詰め込んだ。一瞬でぎった不安は頭から離れ「書簡?」と怪しい単語に疑問を抱く。


「うん、書簡。パルマコン君には異界人代表の聖王の勅使ちょくしとして、色んなところ行ってもらうから」


「……えっ?」


 ちょくし、とは?

 慌てて漢字変換をすると「異界人代表の聖王の勅使」という言葉の重さに気付き、血の気が引く。


「ちょっ、待ってください!?勅使って、特使みたいなのですよね!?そんなだいそれたこと出来ないですって!!け、敬語も上手に使えないですし!」


 「コレ持ってれば、普通の人は君に手は出さないはず」話題から逸れた、満面の笑みの「大丈夫大丈夫、聖王の許可はもらってるから」が信じられない。


「ディ、ディック……私そんなの聞いてない!」


 モニカもサキヤノと同じように、驚愕した声を上げた。どうやら二人、もしくは部隊中で決めた事柄ではないらしい。ディックはわざとらしい溜め息を吐いて、


「もー面倒だなぁ、別に良いでしょ言わなくて」


 と、本当に面倒くさそうに鼻筋を掻いた。


 モニカの顔が引きったのをサキヤノは見逃せなかった。罪悪感に埋もれていると、ディックが大層な中身のバッグをサキヤノの膝上に投げて「とにかく」と人差し指を立てる。


「何故君かって言うと……まぁ単純に『始まりの街』が聖都だったのは君が初めてだ。だから聖王に許可もらって、そういう役目を渡すわけさ」


 出てきて何度目かの単語『始まりの街』とは、ゲームに言い換えると、旅の出発地点や出身地のようなものだろう。

 正直な話、サキヤノはその『始まりの街』とやらはここじゃない。だから「俺はここが出発地じゃないんです」と伝えるが、ディックは首を振る。


「もう決まったことだから無理。それにここが始まりの街じゃなかったとしても、君があの格好でここに来るには無理があるんだよ。もう分かったから、早く休んで」


 説明が面倒、と言わんばかりにディックは欠伸あくびを洩らした。


 に落ちないもの、両肩を押されてサキヤノは呆気なく寝かせられる。そんな重大な役割を教えられて、簡単に寝られるかと目をカッと見開く。しかし、パチンとディックが指を鳴らすと途端に眠気に襲われた。

 眠い、寝てしまうとまぶたが閉じていくところで、ディックの穏やかな声が微かに聞こえた。


「良かったね、役割が出来て。目的も大切だけど、君にしか出来ないことが出来たから、この世界にいる意味はあるよ」


 眠る直前に言われたその言葉は、子守唄こもりうたのように流れ、それでもせることなく耳の奥に残った。



——————



 星をいただきました……!読んでいただけるのが、とても嬉しいです。ありがとうございます!


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