第六話 幸運の殻を被った無知者




 モニカがアジトと呼ぶ建物は、まさに秘密基地と呼べそうなところだった。


「暗っ」


 目を細めて、サキヤノは暗中をうかがう。床に敷かれた大量の絨毯と座布団、壁にどっしりともたれ掛かる武器の数々。脱ぎ捨てられた服や武器の多さから、このアジトにはたくさんの人間が寝泊まりしていることが分かった。


「もう、夜なんだな……」


 既に夜はやってきている。ここに来て、サキヤノは三度目の夜を目撃するのだ。小窓から洩れる淡い月光が、部屋の中を明確に形作ってゆく。

 神秘的な光に感動していると、一際服の多い部屋の真ん中に、女性の影が写った。

 モニカが誰もいない、と言っていたから少し驚いてしまう。モニカ達と同じ部隊の人だろうか、と特に怪しむことなくサキヤノはゲルトルードの顔を見た。しかし、ゲルトルードは何か言いたげだ。「あの」と戸惑う彼女が声を掛けると、女性は気怠げに首を回した。


「私に文句でもあるの」


「め、めめ滅相も無いです!すみません!」


 負けを認めた動物のように、ゲルトルードではなくサキヤノが反射的に返事をした。

 こういう時は、とにかく謝るのが一番だ。


 女性はサキヤノをいぶかしげに一瞥し、


「異界人じゃん」


 と、鼻を鳴らして立ち上がった。


 背筋を曲げた女性の、青葉色の法衣ほうえが揺れる。女性は頭に乗せていた眼鏡を掛け、今度は俺達のことを舐め回すように見ている。赤縁眼鏡の奥で、目尻の吊り上がった瞳が大きく見開かれた。

 態度とは対照的に、明らかな敵意を持つ視線にサキヤノはおののいた。息を呑み、顔を覗いてくる相手から目を逸らす。


「ちょっと、こっち見ろよ」


「ふぁい……」


 顔に女性の手が伸びると、両頬が引っ張られた。

 

「良いね、異界人。とても綺麗な瞳してるよ」


 ぐいぐいと頬を引っ張り、女性は愉快に微笑む。

 

「宝石みたいな瞳、平々凡々な顔立ち、正直な表情……うんうん、貴方なら認められそう」


 そこまで呟いた女性の口角が徐々に引き締められ、目から光が消えた。青丹あおにの髪を肩から流し、憂いを帯びた表情で、女性は再度呟く。


 「貴方なら認められそうだ、ガンバレ異界人」女性はサキヤノの頬から指を離した。「じゃ、お邪魔したね、後は二人仲良くお話しな」


 一言添えると、それ以降サキヤノやゲルトルードに目もくれないで早足で消えた。

 電気をつけていない暗黒の空間に、サキヤノ達は取り残される。窓から射し込む僅かばかりの光が、申し訳程度にサキヤノとゲルトルードの顔を照らした。ゲルトルードは眉間に皺を寄せ、整った顔を歪めている。


 とても不思議な人だった。

 モニカ達と同じ保護部隊、というわけでもなさそうだ。素人がこう言っても何だが、雰囲気が違った気がする。それに、誰かに似てるとするなら——。


 パチン。


「サキヤノさん!」


「はい!!」


 ゲルトルードの悲鳴に近い声に、サキヤノは背筋を伸ばした。

 心臓の音が耳元で聞こえる。

 彼女が叫んですぐ、二、三度明暗して電気がついた。今の音は電気のスイッチを押したものだったらしい。

 妙に身体が熱くなったのを感じながら、サキヤノは振り向いた。声のトーンから怒っているのかと思ったが、ゲルトルードの赤面して俯いている様子からは怒りが感じ取れない。と言うより、恥ずかしがっているように見える。

 謎の沈黙の後、先にゲルトルードが口を開いた。


「お、大きい声出して……ごめんなさい、サキヤノさん」


 耳まで真っ赤に染め上がった少女は、無垢むくな瞳でサキヤノを見つめる。

 愛らしい仕草は変わっていない。むしろ成長した見た目が同い年に見えて、サキヤノの心を鷲掴んだ。何度でも言うが、女子と話した経験が少ない自分からしたら、仮初めの名前でも呼ばれたら嬉しい。「桜庭」と苗字ではなくて「清斗」と名前で呼ばれているようなものだ。個人的にはサキヤノではなく清斗と呼んでほしいが、それは口にはするまい。

 サキヤノはひくひくと痙攣けいれんする口元に、何とか笑みを浮かばせながら「うん」と辛うじて返す。互いに緊張してるのが、会話の間を通して痛いほど伝わってくる。

 「と、とりあえず……す、座ろうか?」とどもるサキヤノ。

 「そうですね、ハイ、是非そうしまひょ……そうしましょう」と噛むゲルトルード。


 チカチカと電球が瞬く。


 羞恥心ではなかったのか、入り口付近で座り込むゲルトルードは何か言いたげだ。影の落ちた表情から、中々目が離せない。

 サキヤノはこの異様な空気を払うため、距離を置いたゲルトルードに声を掛けた。


「なあ、ゲルトルードってさ」


「気になりますか」


 サキヤノの言葉をさえぎるように、ゲルトルードが鋭い目を向けた。不自然な無表情と尖った声とは裏腹に、肩が震えている。

 何が、とは聞けない。彼女の質問は、確信は持てないが予想は出来た。きっと体型が変わったことについてだろう。このまま会話を止めても、きっと得はしないし——空気の流れを変えてくれたのには、感謝しないといけない。


 ——果たして言葉にして良いのだろうか。

 間違ったことを言えば、みたいになるのでは?俺はもう、誰からも嫌われたくないのに?

 自信はないが、言うしかないのか。


「うん、気になるね。とっても」


 在り来たりな返事。まだ質問内容が分かっていないみたいな、変な返事にサキヤノは言い直しを考える。

 しかし「そうですよね」とゲルトルードは頷いた。


「分かり、ますか?」


「俺のが合ってるのか、自信ないです」


 「変な会話」とゲルトルードが笑うが、はっきり言ってこっちの台詞である。


 何故こうなった、どうしてこうなった。

 普通に「アジトって良いね」とか「疲れたね」とかそういうので良いのに。

 陰鬱いんうつな考えを振り払って、サキヤノは素直に彼女の話を聞くことに決めた。

 

「私の魔法について、お話ししても?」


 先程の女性には触れもしないで、彼女は静かに話始める。


「おう」


「ありがとうございます、じゃあ、えっと」


 ゲルトルードは入り口の布をまくって、人がいないことを確認した。次いで部屋の中を見渡す。

 誰もいないことが分かると、涼しげな顔でゆっくりと続けた。


「私は『共鳴師』。少し変わった魔導師、と思っていただければ幸いです」


 今までの人生で聞いたことのない職業——だが、まさしく「異世界」という感じだ。


「檻の中で反発心を生ませたり……変に安心させてしまったり……勝手に私の気持ちを共有させてしまって、本当にごめんなさい」


「ゲルトルードの気持ちを共有?」


「……はい。恥ずかしながら、私の魔法は自分の思いを共有させたり、相手の思いを共有したり、遠くに気持ちを発信したり……へ、変な魔法なんです」


 謎の反抗と謎の自信、謎の安心感は彼女の所為せいなのか。

 なんであんなことしたんだろう、などの後悔はこの魔法が原因らしい。

 

 ……体型の話はしないのかな?

 疑問より感動が優って、その謎は結局聞かなかった。頭の中はファンタジーでいっぱいになる。


 異世界と言えば、剣と魔法のファンタジーの世界。色んな国と種族が混じり合った、子供心をくすぐる理想の世界。

 そんな世界で、サキヤノは二度も魔法を体験した。信託者と呼ばれるような人がいるように、また異界人という言葉があるように、すぐには家に帰れないかもしれない。でも、もしかしたら簡単に家に帰れるかもしれない。

 「じゃあ、折角なら魔法を見てみたい」と思う自分は傲慢ごうまんだろうか。しかし、とにかく——二度目でも感動してしまったわけで。


 不自然なタイミングでニヤついてしまう。ああ、これが魔法なんだな——。

 予想通り、ゲルトルードは眉を寄せている。なんとか場違いな笑顔を隠し、サキヤノは「なんか上手く言えないけど……すごいね」と空気を変えるべく正直な意見を述べた。

 

「……怒ってないんですか?」


 ゲルトルードの反応は思っていたのとかなり違った。怯えたように目を泳がせて、


「すごいって、怒ってないんですか?」


 と再び言った。

 覚悟を決めて話すゲルトルードに不意を突かれ、サキヤノは面食らった。

 怒るも何も、今はそれどころじゃない。それに、良い返事が思い浮かばない。

 長い睫毛を伏せ、ゲルトルードはしばらく黙り込む。続けて長く息を吐き、サキヤノを凝視した。


「な、何か問題、ありま……あったかな?」

 

 サキヤノは上着の金具を握り締め、散らかった服に視線を落とした。


 冷や汗が止まらない。

 まさか拾われるなんて思っていなかった。特に深い意味もなかったから、聞き返されるのは困る。

 サキヤノが無言でいると、ゲルトルードが


「あの、サキヤノさん」


 躊躇いながら名前を呼び、ぎこちない笑顔で「私、敬語が苦手なの。図々しいかもしれないけど、敬語じゃなくても大丈夫かしら」と早口で言った。


「は、はあ」


「私、初めて!初めて怒られなかったわ!なんて寛大!似ているようで、でも違う……異界人って、とても素敵。その綺麗な髪も、貴方の性格も、全てが素敵に見えるわ」


 人が変わったみたいに、ゲルトルードの表情は満面の笑みに切り替わる。理解が追い付かず、サキヤノはとりあえずうんうんと頷く。しかし、褒められたのは分かったため、意図せずも頬は緩んでしまう。

 顔には笑顔が浮かんだが、あまりの驚きに「女子は話の切り替えが早いのだろうか、もしくはこの世界の人は一方的に話すのが好きなのだろうか」と失礼な考え方をしてしまった。


「それで、その……招待しますね。それから、それから……」


 饒舌じょうぜつな少女はふと話を止め、入り口を眺めた。「失礼します」と目を細め、ゲルトルードはサキヤノの横に座り直す。


 その数秒後、出入り口の布が大きく揺れ、爽やかな声が静寂なアジト内にこだました。


「よお!!!異界人がいるって本当か!?」


 まず入ってきたのは、白銀の鎧を身に付けた男性。次いでモニカとディックの計三人が俺達の前に並んだ。

 モニカとディックは初めて会った時と同じマントを羽織り、緊張した面持おももちで男性を見つめている。

 ゲルトルードが話を止めたのは人が来たからかと、改めて便利な魔法に感嘆する。


「なるほどな、お前が異界人か」


 ハッとして、サキヤノはよく通る声で話す男性を見上げた。オールバックの濃緑のうりょくの髪、銀色に輝く鎧、穏やかなたたずまいと——ギフトとはまた違った、爽やかな印象を受ける騎士だ。

 男性は顎に手を当て、サキヤノの目の前で胡座あぐらをかき、モニカ達が同時に正座する。

 みすぼらしい二人と整然たる三人が向かい合うという変な組み合わせに、サキヤノは苦笑した。

 しん、と静まり返る室内。

 

「……中々賢そうな少年じゃねえの」


 沈黙が続いたが、まず男性が第一声を放った。

 意外と高くて、見た目には似つかない声だった。ぼんやりしていたサキヤノは、数秒後に自分のことを言われていると気付く。

 初めて言われて「あっ、ハイ!あの、えっと」といつも以上に焦った。男性が顔をしかめたため、更に慌てる。


「ありがとうございます……!」


 なんとかお礼を言ったもの、声が裏返ってしまった。

 ——ああ、性格は中々変えられないのか。

 というか、まだ騎士とかそういう空想的な人に慣れなくて、緊張しているのか。


 「怯えんなよ」男性はにこやかに言った。「俺はステファンってんだ。モニカとディックより少し先輩の保護部隊員!いきなりだが、その一員としてお前に色々教えてやる」


「……色々ですか?」


「そ、色々」


 驚くほど話が早く進む。最低限に自己紹介を終え、話題をキレ良く持ってきたステファンという名の男性に、コミュニュケーション能力とトークりょくの高さを見た。サキヤノは性格の合わなさそうな彼に一瞬たじろぐも、この世界で好き嫌いを言うのは贅沢だと、自分に言い聞かせる。


「まず国名。とりあえずこの地域だけは詳しく知っておけ。見たところ——お前の『始まりの街』はここ、聖都らしいからな。異界人としてのお前の出身地は聖都になるっつーわけだ」


 始まりの街?

 出身地?

 サキヤノの胸中の疑問は、すぐに顔に出たようだ。即座にステファンが付け足す。


「始まりの街ってのは、異界人が一番初めにいる場所で特に深い意味はないから気にすんな」


「はぁ……」


「ま、それは置いといて。この聖都は【ファロン】という都市名があるのは知ってるか?近くにはだな……えーっと、北には帝国【エンヌ】が……南と東と西は、まっ今は良いっしょ。聖都ファロンは覚えておけよー?聖都名がファロンな?」


 ステファンは名前の部分だけゆっくりと話し、人差し指を立てた。

 自分の会話が低レベルだと、当人に思わせるくらい話の展開が早い。情報量が一気に増え、内心悲鳴を上げながら頭の中を整理する。

 少しだけ出てきた帝国という響き、はちょっぴり……いやいや、かなり格好良い。王国とか聖都とかと違って、インパクトがある。是が非でも名前は覚えてみせる、と一人決心する。


「じゃ、復唱してみぃ」


 決心してすぐに、ステファンは試すように薄ら笑いを浮かべた。

 今ですか、と言いたくなる衝動を押さえ「帝国の名前がエンヌ、聖都の名前がファロンです」とサキヤノは割とスムーズにこの世界の専門用語を口にする。


「帝国名は別に言わんで良い。近いっつっても大きい国がそこなだけで、その間には無数の村と国がある。俺は詳しく知らねえ」


 鼻を鳴らし、ステファンは足を組み直した。


「じゃあ次は貿易面な。聖都はどこの国とも割かし仲良しだ。聖王が良い奴で、お人好しだからな。まっ国間は仲良いけど、最近人民が暴れてるね、聖都なのに」


「えっと、それは……治安が悪いということで?」


 失礼を承知で聞き返すも「おう!」とステファンは屈託無い笑顔で頷いた。


「二、三日前に変な連中が来てからずっと。それまではこの辺りでは一番平和だった」


 遠い昔を思い出すように、彼は目を細めた。


 これで合点がてんがいった。ローノラが比較的安全と言っていたのは嘘ではなかった。ローノラの小屋から飛ばされて、すぐに変な人に襲われたのは、最近の出来事が原因らしい。つまり——つまり自分は運が悪かったのか。


 納得した理由を呑み込むと、サキヤノはステファンに尋ねた。


「この世界って、魔法が当たり前にあって、異界人とかも当たり前にいるんですか?」


「魔法は結構馴染んでる。魔法使いは十人に一人くらい。異界人はかなり少ないが、それは表に出てくる奴が少ねえだけだろうな」


 即答し「他は?」と首を傾げる騎士。

 相手のコミュニュケーション能力がひしひしと感じられる。

 話し始めとまとめ方が上手いから、話題を振ってもすぐ終わる。誰とでも話せそうな性格と的確な返答は、地球でも通じそうだ。


「いや、ここって地球……あの、ここって地球ですか?」


 独り言と質問が混じって、ステファンは答えるのを躊躇ったように見えた。しかし笑顔を崩さずに、


「ちきゅー?変な国名だな、そんなのは知らねえ。俺は地理が嫌いだから、異国のことなんか知るか」


 そう言って頭を掻く。


 『異世界』が現実味を帯びてきた。自分の夢かと思ったが、それにしては覚めないし、痛みもしっかりあった。

 よく見るなかでも、異世界転移に近い状況だ。身体能力と顔はそのままで、変な能力と変な髪が追加されただけで——最強も英雄も程遠い、理想とかけ離れた世界。


 下を向いていると、ステファンがサキヤノの顔を覗き込み「大丈夫か?」と眉を寄せる。


「まぁ、その……はい」


「無理すんなよ?……じゃ、気を取り直してお前の今後について話そう」


 その後もずっとステファンのペースで、色々なことを教えてくれた。ほとんどの国には騎士団がいるが「保護部隊」は少ないこと、表に出ている異界人はあまりいないこと、最近様々な国で『叛逆軍』が続出していること。他にも、この辺りには解放軍と呼ばれる、異界人保護部隊と似た組織がいることなど——異界人サキヤノに有益な情報ばかりを話してくれた。


 そして、少し話して思った。

 初めは爽やかな陽気キャラだと感じたが、違う。

 ——ステファンは若干不真面目な男性だ。お調子者とかそういう、自分みたいなオタクとは住んでる世界が違う感じの人だった。


「って事で、テメェは早く着替えろ」


 話が一区切りつくと、ステファンはサキヤノの服装を指摘した。サキヤノ含む異界人とやらは、とりあえずこの世界の服を着るらしい。そうしないと、服が高値で売られてしまい、かつこの世界に来たばかりだと思われて捕まってしまうのだとか。

 共感しかなかった。

 出来れば独りになる前にその知識が欲しかったのだが、そうも言っていられない。

 売られる前に助けられて、それでいて今後の生活も保証される異界人はとても幸運だと言われた。


 ——俺は上手くやっていけるのだろうか。

 ——家に帰るまでに、生きていられるのだろうか。


 拭えぬ不安を抱いたまま、サキヤノは異世界に染まってゆくのだった。





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