第四話 檻の中の少女
天窓から、
頭上を見上げると、
体感で、三時間前くらいのこと。
サキヤノは顔に違和感を感じて、薄暗い部屋で目を覚ました。初めは「ここはどこだろう」と楽観的に考えていたが、物理的な頭痛で自分が捕まったことに気が付いた。
部屋だと思っていたのは勘違いらしい。暗闇に目が慣れてくると、実際はどこかの洞窟だと場所と分かる。ゴツゴツとした岩肌に
……泣きたくなる。
そっと痛む頭に触れると、
いや、とサキヤノは膝を抱えた。
何故殴られた?異世界転移しただけの俺……つまり異界人というだけで何故こんな目に合うのだろう。よく訳の分からない能力があるだけの、いわば
いわゆるぼっち予備軍だったサキヤノは、盗み聞きをよくしていた。したかったとか、好きだったとかじゃない。聞こえてしまったら仕方ないだろう?
姉にこれを言うと「まるで乙女だね」と馬鹿にされるが、治らないものは治らない。
悪口を言われていないか、自分の噂を誰かが話していないか、大変気になるのである。もし自分のことじゃなくても、悪口だったら自分のことのように聞こえてしまう。中学から高校にかけて行ってきたこの盗み聞きは、こんな場所で
だから、街の人の会話もしっかりと聞こえていた。サキヤノはギフトも街の人も「珍しい」と言っていたのがかなり気になっていた。
「異界人という存在は珍しいのかもしれない、だから保護対象にもなっている」と仮説を立ててみる。
しかし、どうしてそんな珍しい存在になるのだろう。孤独が嫌だからと、特徴のない自分が特別な存在になった夢か?もしくはあの時事故にあって頭を打ったか?
異世界という都合の良い解釈をしただけで、ここは意外に妄想の世界かもしれない。
——考えれば考えるほど
まるで
触れた青銅の冷たさが、サキヤノに現実を突きつける。これは檻だ、牢屋だ。捕まって逃げられないんだ。
悲しみに暮れて頭を下げると、ふと髪に風を感じた。隙間風か脱出口か、後者であってほしかったが、残念ながらこの辺りには隙間がない。じっと目を細めて周りを見渡すと、頭上にも鉄格子があることに気付いた。
どうやら風はあそこから吹いてくるらしい。
不自然な板で塞がれた天窓は、サキヤノの身長を含めなくても五メートルはありそうだ。無論手を伸ばしたって届くはずはないし、机と椅子を
諦めて椅子に座るが、パキンと軽い音を立てて椅子が
一人寝転がって
あっ、とサキヤノは
「鏡だ」
そう口にして恥ずかしくなる。鏡に驚くなんて、まるで幼児である。
見慣れぬ男の、涙で
サキヤノは改めて自分の姿を見た。
周りに言われた通り、髪は雪のように白い。青やら赤やら見慣れぬ髪色は見てきたのに、正直自分の髪色が一番気持ち悪い。他の人は適しているような見えた、けど自分の髪には白は絶望的に似合わない。いや、そもそも若い人が白髪なのはファンタジーならでは、だ。
つまり自分はファンタジーを満喫している——などと変なことを思っていないと、精神的に追い詰められて胸が痛い。
気を取り直して、再度鏡に向き直った。肌の色や顔の輪郭、パーツは変わらないようだが、黄味を帯びた瞳が自身の顔を射抜いている。
サキヤノは頬に触れて、違和感に眉を寄せた。
「っても、やっぱキモいな……。これ染めるとか出来るのかよ。この世界にカラコンとか……ねえよな」
「ねぇ」
「……っうおぅ!?」
前髪を
完全に一人だと思っていたため、振り返るのが数秒遅くなってしまう。
「貴方、異界人ですか?」
ビクビクしながら、サキヤノは地面に見えた足先から徐々に、声の主の顔へと目線を上げる。身長は低く、白ワンピースの相手とはすぐにご対面した。
言うなれば、美少女。少女の格好と不釣り合いな長髪は、黄みを帯びた白色——クリーム色に近い。くりっとした翡翠色の眼は、彼女の笑顔に伴って細くなっている。
少女は適度な距離を保って、声の出ないサキヤノに近寄った。よいしょ、と
「え、あ……はい」
「あ……っと、やっぱりそうでしたか。いきなり話しかけてすみません、綺麗な白髪だなって思いまして」
少女の見た目は十代に達したか達してないか程度。まだ幼いはずなのに、敬語が
一体この少女は誰だろう。
いつからこの牢屋にいるのだろう。
疑問が
「ふふ、敬語苦手だけれど……なんか緊張するわ。えと、私は昨日
ゲルトルードの言葉が右から左に流れる。
「こ、こんばんは。俺はきよ……サキヤノです、よろしく」
返しは合っているだろうか。
というか、こんな小さな女の子と話したことない。
何を考えているのか全く分からない。
「ふぅん、キヨ・サキヤノさんって言うんですね」
「いえっ、サキヤノです……っ」
「あっ、ごめんなさい」
「い、いえ……」
「……」
「……」
……沈黙。
どうして黙ってしまうのか。
サキヤノは横目でゲルトルードを
身体を揺らしていたゲルトルードは、ピタリと動きを止め「サキヤノさんかぁ」と呟くと、サキヤノの横に腰を下ろした。
その時、クリーム色の髪が微かに肩に触れ、驚いてサキヤノは思わず離れてしまう。
「えっ」
「ご、ごめん!」
気まずい空気を作ってしまった。
年齢が
混乱のせいか、サキヤノの今の思考回路はおかしくなっているのだろう。自分でもおかしいと分かるんだから結構重症かもしれない。
「べ、別に良いんです。すみません、その……よく兄とこうやってたので、安心しちゃって。ごめんなさい、離れるわ」
サキヤノのせいで眉を下げ、ゲルトルードは申し訳なさそうに笑った。
罪悪感が胸を刺す。
そしてサキヤノは無意識に、立ち上がった彼女の手を引いていた。
「あの、俺……さ、寂しいんだよね!今!だから、その、別に気にしないから、ってかマジごめんよ……その……」
十代に緊張するなんて俺は馬鹿か。
しかし、寂しいのは本当だ。家族に会いたいし、新しい友達が出来る予定の大学にだって行きたい。なんでいきなりこんな仕打ちを、なんで俺が。
サキヤノは視線を泳がせながら、喉に詰まった唾液を飲み込んだ。
——そう考えると、異世界って、良くないのか?
それは違う、違うだろ清斗。
サキヤノは一人
違う、それも違う。
「どうしたんだろ、もう俺……ヤバい」
急に色んな感情が込み上げてくる。この気持ちを、どこにぶつけたら良いのだろう。
雫が岩に弾かれ、不規則なリズムを刻む。耳を
不意に天窓が開け放たれた。
視界が一瞬
無言だが、ゲルトルードはサキヤノから目を離さない。雫にも光にも、目をくれない。そっと近寄ってきて、サキヤノに体重を預ける。
ゲルトルードもサキヤノも寂しくて怖いのは変わらないのか。少なくともサキヤノは、少女が寄ってくれたこの瞬間だけは、心が空っぽになった。
——ええと、なんとかルードちゃん。
名前が難しかったけど覚えておくべきだった。俺は失礼な奴だ。
この世界または夢のこと、これからの自分の行き先など考えることはたくさんあったが、サキヤノは疲れていたのかすぐに眠ってしまった。
*****
おそらく翌日、凍えるような寒さで目を覚ました。
「さっ……む!」
二の腕を
鼻をすすり、隣を見るとゲルトルードはいない。
「夢、じゃないよな」
サキヤノはゆっくりと立ち、昨日までは見えなかった格子の向こう側を眺めた。洞窟の中なのは確かだが、太陽の明かりらしき光が漏れている。
手を伸ばせば届きそうで、でも届かない外。何も出来ない自分に悲しくなって、壊れた椅子の横で膝を抱える。寒さと痛み、惨めさと寂しさに包まれて身を縮めた。
しばらくして、コツコツと足音が聞こえてきた。母がよく
「やっと起きたわね、異界人」
カツ、と一際高い音を鳴らして、女性が格子の前に現れた。腕を組んだ女の顔は、光に反射して見えない。
「気分はどう?」
癖っ毛の黒髪を
女は灰色のケープを羽織り、露出の多い脚をベルトで覆っていた。今まで見てきた人の中で一番自分の着ている服に近く、違和感や恐怖は薄れたが、サキヤノは答えられず唇を硬く結んだ。
今の状況で分かる。
この女は自分を捕まえた奴らの仲間だろう。
「あの街にいたからかしら、貴方警戒心が薄いのね。その特徴的な髪は仕方ないけど、服を変えないなんて……それに無抵抗だったなんて
くくく、と不愉快な笑い声を漏らし、女は
「な、なに、するんですか……!」
ようやく身体が命令を聞き、サキヤノは岩肌に沿って立ち上がった。「座ったままでは逃げられない」という本能が働いたのか、身体と頭が真逆の動きをしている。
口から出た
女は「もう」と口を
「……えっ」
「なにって、この通り出してあげるのよ。感謝なさい」
鈍い音を立てて開いた扉、途端に穏やかに聞こえる女の声——サキヤノは呆然と立ち尽くし、絶句した。
あからさまに戸惑っていると、女は細い身体を滑り込ませ檻の中に入った。顔に反射していた光が消え、化粧をした女の表情が露わになる。
「さっ、出るのよ異界人」女は片側の口角を上げ、器用に笑った。「今動かなきゃ、貴方飢え死にするわよ」
サキヤノは怪しいと思いながらも、微かな希望を信じて震える足でゆっくり女に近付いた。
本当に出られるのだろうか。
この女は、信じて良いのだろうか。
サキヤノは女の手前で立ち止まり、相手を見上げた。サキヤノより背が高くスタイルの良い女の顔には、
「っ、やっぱり……出ま、せん」
——ああ、やっぱり。
安全の確認のために言ったが、女の顔が分かりやすく歪み、腰が引けた。
「そう、ならもう良いわ」
素人なのに空気が変わったのに気付けた……いや、気付いた。それほどまでに女から
緊張と不安で奥歯が鳴るも、座り込まないように耐える。
笑みが消え、無表情になった女の手がサキヤノの頭に伸びる。驚きで肩を揺らした時には、女の手はもうサキヤノの頭上にあった。
「っあ、いった……!」
突如脈打った痛みに、思わず目を閉じた。
女の指が、ピンポイントにサキヤノの怪我に触れる。
痛がるサキヤノを気にも留めず、女は怪我の上から髪を引っ張った。強くなる指圧に負け、サキヤノは女の指を掴んだ。
「離せ……!っうう、この……!」
締め付けられ、じわじわと涙が滲んでくる。おまけに髪を引っ張って檻の外に出すものだから、足が格子や地面に当たって痛む。
「い、痛いって!うぐっ!」
「うっさいわねえ、だから異界人は嫌なのよ」
女はサキヤノを
「もう、こいつ!」
女がヒステリックに叫んだ瞬間、脇腹に熱い衝撃が広がる。次に腕、背中、
「あっ……!!」
「顔はやめてあげたわ、大事な商品だものね。あとは折れてても関係ない……抵抗した貴方が悪いんだからね」
まるで自分に言い聞かせるように女は呟き、足を
サキヤノは吐きそうなくらい回る頭と、蹴られた痛みに身体を曲げた。
暴力を振るわれたのは、小学校以来だ。
いつも自分を見下していて、何もかもを押し付けてきたアイツ。ムカつくアイツと、最初で最後の殴り合いの喧嘩をした時の怪我と同じくらいの痛み。
少し大人になったからだろうか。あの時よりも身体が窮屈で重い。
手首に手錠に似た金属が付けられた。女はぶつぶつと呟きながら、サキヤノを洞窟の外まで引っ張り出した。
突如明るいところに出たからか、サキヤノの視界が揺らぐ。しばらくして慣れた目前に広がっていたのは、ここに来て二度目の
太陽が木々の境界を抜け、その
普通だったらきっと、この絶景に感動するだろう。普通ではない今の状況だから「すごい」、「美しい」なんて、言葉には出来ても心の底からは考えられなかった。
——時に。痛過ぎると声が出ないっていうのも本当らしい。今はお飾りの言葉が出なかったから良いと言えば良いのだが、これが他人に助けを求める場合だと、非常に厳しい状況に
「よっ、と……ああもう、なんでアタシが力仕事なんか……もう!」
文句を言いながら、女はサキヤノを運ぼうとする。実際には脇下に手を入れ、ずるずると
もう痛い思いはしたくない。
ふとサキヤノの正面に小柄なシルエットが浮かび上がった。いつのまに立っていたのだろう、その影は朝焼けに照らされているが、誰なのかはっきり分かった。
「サキヤノ、さん」
口元を覆い、鈴を転がすようなか細い声で——ゲルトルードは、サキヤノを
女はサキヤノを床に下ろし、ゲルトルードを見て、
「あら、やっと戻ってきたのね。さっさっとこっちに来なさいな」
ゲルトルードを手招きし、ケープの紐を結び直すと
「貴方は抵抗しないわよね?知ってるから、早く乗って」
そう言って再度顎を引いた。
ゲルトルードは「今行きます、ごめんなさいバネッサさん」と呟いて女に近付く。
あどけない表情に浮かんだ、
サキヤノは
「俺、自分で歩きますから……」
少女に笑みを返しながら、サキヤノは勇気を振り絞ってバネッサと呼ばれた女を見上げた。バネッサが短髪の隙間から見下ろす鋭い目に威圧されて、すぐに視線を落としてしまう。
掌に
その返答は思ったより早く返ってきた。
「そう、貴方歩けるのね。分かったわ、その怪我で歩けるのなら……あの
早口で喋ると、バネッサは駆け出して崖を飛び降りた。
女の滑らかな動作に目が行ったが、サキヤノの頬はひくりと痙攣する。
「またかよ……」
「歩けますか、サキヤノさん」不安そうに胸に手を当て、ゲルトルードは薄らと笑った。「辛いでしょうけど、あと少しです。頑張りましょう」
——頑張った先には崖と暗い未来しかなさそうだけれど。
サキヤノは黙って両手首に掛けられた手錠を見た。
いわば誘拐。王道だとこのまま売られて奴隷になる、もしくは主人に気に入られて安寧の道を進むか。
どちらにしろ、しばらくの間は自由を奪われるだろう。あんな場所に自分を送ったローノラと、自分を放置したギフトに、八つ当たりと知りながらもふつふつと怒りが湧き上がる。
蹴られた箇所に力を加えると痛んだため、サキヤノは片足で踏ん張ろうと身体を起こした。
「いっっ、てぇ……!」
息を上げながらも立つことには成功し、片足重心で呼吸を整える。隣のか弱い少女に「あの、私の肩使ってくださいな」と、さり気ない優しさを提供していただき、サキヤノはなんとか進むことが出来た。
「大丈夫ですか、サキヤノさん」
「大丈夫……って言えたら良いんだけど。でも思ったより身体が動いて助かった、少しでも運動してると違うのかもな。運動は嫌々でやっていても、損はないのかもしれないよ」
自分でも驚くほど
クスクスと少女は笑いを
「大丈夫ですよ、私達はきっと助かります。怖がらないでください」
「いやっ、怖がってるわけじゃ」
「良いの、無理なさらないで」
少し駆け足になった少女に歩幅を合わせ、崖からギリギリの位置で停止する。
強風に
また落ちるのか、とサキヤノは文字通り天を
「平気ですか?」
「俺はこないだ経験したから、君は大丈夫?」
「君って」ゲルトルードは苦笑しながら、宙に一歩踏み出した。「気軽に、ゲルトルードと呼んでください」
——ああ、今逃げれば良かったかな。
考えるのも時すでに遅く、浮遊感を全身で感じた時には、俺とゲルトルードは小さな落下地点に降下していった。
——————
評価なるものをいただきました!初めてで本当に嬉しいです!ありがとうございます!
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