第三話 誰もが通る道





 燦々さんさんと大地を照らしていた太陽が、全く見えない。

 陽光届かぬ薄暗い小道。上には家屋かおくに隣接した緩やかな屋根が、左右には窮屈な石壁が、無理矢理動かされる足の下にはぬかるんだ泥が、三方向から俺を囲んでいた。走るのを拒むサキヤノの手首には、骨ばった男の手が握られている。


「ちょっ、は、離して……っ」


 サキヤノが両足で踏ん張ると、前を走っていた男はつんのめって彼の手首を離した。サキヤノは痛む手首を庇い「や、やめてください」と裏返った声で後退する。

 男は後退するも、すぐにサキヤノを睨んだ。

 怪しい人とはこういう人の事を言うのだろう。恐怖で震えた足に喝を入れ、頭を動かした瞬間——側頭部に衝撃が走った。


 頬と手にぬるりとした不快な感触が伝わってようやく、サキヤノは自分が地面に突っ伏しているのだと気付いた。

 状況が飲み込めなかったが、頭を中心に拡散する痛みで事の深刻さを把握した。どうやら自分は殴られて、知らぬ間に倒れたようだ。しぱしぱと明暗するサキヤノの視界には汚れた石壁しか映っていない。


 頭を殴られても気絶するわけではないらしかった。サキヤノの頭は冷静に物事を考え、他人事ひとごとのように感じているのに、痛みは本物である。痛覚が鋭敏えいびんに反応し、サキヤノは我慢出来なくて悲鳴を上げた。


「いっっ、だぁ……!!!うっ……——んっ!?」


 しかし何かを口に詰められて、声がもれると、喉元まで出た言葉を呑み込まざるを得なくなった。

 混乱している。

 整頓出来ない情報に溺れる。

 逃げ出したくて起き上がろうとしても、力が上手く腕に伝わらない。

 ——どうしよう、どうしよう。


 涙ぐんで視線を彷徨さまよわせるサキヤノの耳に、微かに男達の声が届いた。


「聖都に異界人なんて珍しいな」


「そういえば服も高く売れるんだっけ?」


「儲けもんだな」


 珍しい?

 儲けもん?

 記憶を巡ってローノラとの会話を懸命に思い出す——売られるな。確かそう、そう言ってた気がする。


「さて、どうする?」


「ちょっと待て」


 誰かが手足をバタつかせてもがくサキヤノのフードを引っ張ると、彼の頭も持ち上がった。口から綿のようなものが抜かれ、サキヤノは口内に溜まっていた唾液を飲み込む。両頬を掴まれ上を向かされると、ぼやける視界に初めて男の顔が映った。

 数人の男性が見えたが、目が合った眼帯の男はいかにもな悪人面あくにんづらだった。頬や唇に痛々しい傷痕が残っており、耳には派手なピアスが垂れ下がっている。


「オイ異界人、お前もう神託者しんたくしゃに会ったか?」


 感情が読み取れない言葉。

 冷徹な声に身体が身震いした。背中が粟立あわだち、奥歯が鳴った。神託者という単語は確かローノラが言っていたが思い通りに声が出ず、答えられない。

 男が更にフードを引っ張った。反った背骨が軋み、首が締められて息苦しい。


「面倒くせぇなぁ。もうこんな街にいるのに、無警戒な挙句、神託者にも会ってねえとは」


「名無しで売りますか?」


「いや、良い。それは後でだ。まずは本拠地に戻るぞ」


 本拠地?

 本拠地と口にした男の顔を追った途端、フードを離され顔面をしたたかに打った——のに、顔より頭が痛んだ。


「早く行きましょう。さっきの奴らに追いつかれます」


 ようやく分かったが、声から判断して三人組の男らしい。

 丸太のような腕が、サキヤノの脇を通る。抵抗しようにも力が抜け、されるがままに背負われた。痛みに襲われる側頭部が男の背に押さえつけられ、サキヤノは堪らずうなる。

 しかし、男達は無言のまま歩みを止めない。彼らは右へ左へ、複雑な道を躊躇ためらいなく進んでいき、光の途絶えた道で足を止めた。警戒するように視線をわせた眼帯の男と目が合い、サキヤノは息を吸った。

 

「おっ、俺をどうするんですか」


 やっと声を出せたが、勢いが物足りない。若干眉を上げ「ふぅん」と鼻を鳴らした眼帯の男は、サキヤノの顔を覗き込んだ。ぎょろりとした小さな瞳でサキヤノの小さな勇気を貫く。暗い路地に相まって、影のかかった顔は青白く見えた。


「お前の想像通りだよ」


 驚いたり怖かったりする時、声が出ないというのは本当らしい。聞いたのは自分なのに、口内は乾いていてサキヤノの手足は震えた。


 ——誰か、助けてくれ。



 そう願った途端、一閃が男を襲った。暗闇に輝く光が、流星のようにを描く。

 突然現れた正体不明のモノを、サキヤノはもちろん男達も目で追えていないようで、叫び声も悲鳴も上げずに倒れてゆく。実際に倒れたのかどうかは分からないが、自分を抱えていた男も前のめりに倒れ、サキヤノは地面に投げ出された。

 大柄な男の上で、サキヤノは顔を上げた。


「もー、ドジしちゃった。大丈夫?」


「あっ、う……」


 全身が脱力した。

 先程出会ったばかりの、橙色の髪をもつ快活な女性——モニカはそこに立っていた。短剣を回して腰の鞘に収めると、モニカは女神の微笑を浮かべた。


「この街は治安悪くないから驚いたよ、まさかこんなところに罪人がいるなんて……ん」


 モニカは髪をかきあげ、サキヤノに手を差し伸べた。泥に塗れた手で握るのを躊躇ためらい、また手を掴む気力もないサキヤノは見つめる事しか出来ない。安心しきって「あー」やら「うー」やら乳児のような拙い声しか出なかったが、彼女はそれを笑わなかった。

 迷いなく汚れた腕を掴み、モニカはサキヤノを軽々と持ち上げた。上がった反動で浮かんだ両足を地面に着地させるが、膝から下の自由がかなくてそのままヘタリ込む。


「す、すみま……立て……はい」


「うん、怖かったね、ごめんね」


 無理に立たせようとせず、モニカは優しい言葉を投げかけてくれた。

 泣いてしまう、と思った時にはすでに頬が濡れていた。涙が流れた原因は、安心か喜びか痛みか恐れか、もしかしたら全部か——もう自分には分からない。


「サキ君、行ける?」


「はい……」


 モニカがサキヤノの肩を支えたところで、パリンと硝子がらすの割れる音が耳の奥に響いた。不思議な音の出所でどころは、薄汚れた側面の壁からだ。

 たった一瞬。

 音の原因を突き止めようとも、驚いて確認しようしたわけではない。反射的にただ見てしまっただけで——モニカがサキヤノから目を離しただけで、彼は再び絶望のふちに立たされる。

 サキヤノが首を振った時、背後から蛇のような縄が腹部に巻き付いた。鱗に覆われた爬虫類はちゅうるい独特の湿り気が肌を刺激し、不快感に襲われる。同時に恐怖もせり上がってきて、サキヤノはモニカの名を呼ぼうとした。


「モ……!」


 くん、と腰が曲がりモニカとの距離が一気に離れる。速過ぎるスピードにサキヤノの身体は追い付かず、停止した瞬間吐き気をもよおした。

 

「……っぶねぇ。せっかくのチャンスを逃すとこだったぜ」


 乾いた地面に空からそそがれる陽光。狭苦しかった路地裏を抜けて、サキヤノは開けた場所に座り込んでいた。

 力の加減を知らないのか、男は絡めた腕でサキヤノの身体を締め付けてゆく。ゆっくりだが確実に食い込んでゆく腕を掴み、息苦しさに空気をあえいだ。

 恐らく、いやきっと、目まぐるしい現状と背後で呟く男の声で身体の自由は奪われていただろう。男の腕が伸びていた事に気付けないほど、サキヤノにはもう思考力と体力が残っていない。


「あばよ」


「っ待て!!」


 サキヤノは非現実的過ぎて、あり得ない映像を特等席で眺める。


 眼帯をした男はひょいと身体を捻ると、モニカの短剣はくうを切った。サキヤノを横抱きした男は、重力に逆らって壁を駆け上る。

 すると、ふわりとまた独特な浮遊感。

 石造りの屋根と、赤褐色せきかっしょくの置物が遥か真下に見える。十字に区切られた道にはモニカとおぼしき人影が悔しげに唇を噛んでいた。


 強風に煽られて、ようやく頭が追いついた。助けてもらったはずなのに、どうして俺はコイツに捕まっているんだ、どうして身体が動かないんだ。

 「助けて」と他人任せな思考と無力感に追われながら、サキヤノは意識を失った。




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 まだ不慣れで、機能を把握しきれていませんが、フォローありがとうございます!



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