第二話 ファンタジーとの出会い





 俺は一人が嫌いだ。

 授業で移動する時も、学食を食べに行く時も、一人で行動したくない。だけど友達が多いとは言えなくて、特に仲良しだという人もいなくて。話せたり仲が良かったりしても、移動まで共にする人がいない。

 つまり、だ。ぼっちではないにしろ、実際は本当の事を話せる友達がいない。努力して喋っても、ソイツには一緒に行動する俺以上の友人が既にいる。友達はいても親友や恋人はいない、家族には姉がいるから両親の愛を独り占めした事がない——結局、俺は誰の一番にもなれない。

 俺はいつも、平気な顔して独りに耐えていた。








 その場所は静寂から一転し、騒がしい話し声が飛びっていた。本で見た事のあるドレスやローブなどのカラフルな配色に、目が釘付けになる。よく見なくても、サキヤノが住んでいた所とは全く異なるファンタジーの世界が、目の前には存在していた。

 慌てて振り返ると、後ろには扉に「CLOSED」と看板が掛かっている古びた家があった。家の高さ、幅、見た目からしてギフトに案内された家ではない事が分かる。そもそもこんな街中にあるわけがない、自分がいたのは確かに森だったのだから。

 サキヤノは理解しきれないまま、街を眺める。全体的に赤茶けた、地味な色合いの家と道が偏在へんざいしていた。サキヤノがいる直線上には、塔や砦に似た建物がある。

 すん、と匂いを嗅ぐと香ばしいような、焦げ臭いような微臭びしゅうが鼻をつく。

 サキヤノはしばらく辺りを見渡していたが、道行く人々が時には珍しそうに目を丸めて、時には不快感を露わにして、時には笑顔でささやいていて、身体が強張こわばった。


 ——せいぜい売られない事だね。


 頭の中で警鐘けいしょうが鳴り響く。

 このままここにいたら危険なんじゃないか?早く誰かにここの事を尋ねるべきだろうか?

 急に恐怖に襲われたサキヤノは震える手足に力を入れて、ゆっくりと立ち上がる。誰かの視線が自分を刺す度、怖くなってうつむいた。

 服も靴も髪の色も、サキヤノの全てが場違いである。サキヤノはここから立ち去ろうと思っているのに、行き先がなくてどうにも動けない。この世界の名前や街名だって知らないのに、一体どこに行けば?


 孤独に打ちひしがれていると、サキヤノの斜め前でずっと話し込んでいた二人組が近付いてきた。勘違いだろう、とサキヤノは思ったが、視界の隅で動く人影は確かに自分の所に寄ってきている。「あの」と爽やかな女性の声。勢いよく顔を上げると、女性の隣で微笑む男性と目が合った。

 ——そこからはもう必死だった。

 頭が真っ白になって「すみません」を連呼し、走り去ろうとしたら無様ぶざまに転んで、さめざめと泣きながら起き上がる。その間も周りの人は自分を見下ろしていて「ね、アレってまさか」やら「嘘っ、ホンモノ?」やら興味津々な声が聞こえた。

 膝と掌が若干痛んだが、とにかく一人にしてほしかった。こんなにも一人を望んだのは、生まれて初めてかもしれない。

 「待ってくれ!」と今度はよく通る男性の声。俺じゃない、俺じゃないと言い聞かせてサキヤノは走り出した。幸いにも人通りがそんなに多くなくて、ぶつからずに路地裏へと急行出来た。ゴミ箱のようなものをひっくり返したり、水溜まりを踏んだりしても足は止めない。

 息が上がるまで走って、路地裏を抜けたところは行き止まりだった。


「嘘だろ……」

 

 他に道はないのか。辺りを見渡していると、どこからか「トッポラ!!」と男性の声が聞こえた。

 サキヤノが後ろを振り返っても誰もいないが、追いつかれたのではないかと尻込みする。走り出そうと右足を上げた時、左足が固まったように動かず、サキヤノは右膝を強く地面に打ち付けた。


「っ、うううぅ……!!」


 激痛に声が洩れる。

 すねをぶつけた時より痛い。右膝を見るとジーンズが破れており、血塗ちまみれで痛々しい。自分の足なのに気持ち悪く見えて、すぐさま目線を左足に向けると、ボヤけた光の輪が巻かれている。輪は足に触れていないのに、足はピクリとも動かなかった。


「くっそ、なんだよコレ……!」


 手で外そうとするも、すり抜けて触る事が出来ない。まるで雲のようだ。

 焦るサキヤノの頭上から、


「ごめんね、汚い手使って」


 と女性の声が降った瞬間、彼の目の前に二人の人物が音もなく舞い降りた。

 フードのせいで顔が見えないが、すぐに先程追いかけてきた二人だと気付き、サキヤノは必死に足を動かそうとした。


「無駄だよ、僕の魔法は君のような人に解除出来るものじゃない」


「お、俺をどうするんですかっ。こ、殺すんですか?売るんですか!?」


 男性と左足を交互に見て、サキヤノは子供のようにわめいた。

 女性と男性が顔を見合わせ、互いにフードを脱いだ。晴天に映えるオレンジ色の髪と、背景に溶け込んだ茶髪が揺れ、


「やっぱり何も持ってない方が安心出来るかな」


 そう言って二人の男女は首元のリボンを解くと、身体を覆っていたマントを放り投げた。

 まず目についたのは女性の服装。あまりの露出の多さに、サキヤノは目を逸らした。モノトーンを基調とした服は、胸元と腰周りの最低限しか包んでいなかった。そんな服を着ているなら、マントを羽織はおったままでいてほしいと素直に思ってしまう。

 一方男性の方は魔法使いのような長衣ながきぬを着ていた。女性とお揃いの髪留めには、青い小さな宝石から黄色の紐が垂れている。


 女性は徐に腰にした短剣を抜いて地面に突き刺し、男性は袖口から取り出した小型の杖をサキヤノの前に静かに置いた。


「さ、これで武器は何も持っていないよ。んっと……アタシはモニカ。で、こっちはディック。貴方達のような異界人を保護する騎士団の一員よ」


「……モ、モニカさんと、ディックさん?」


 地面に垂直に立つ剣は、光を反射して輝いている。本物だったら——本物だろうけど、刺された時が怖い。

 それはともかく——騎士団と言えば、ファンタジーの世界では勇敢で力強い憧れの存在である。実際に目にしたのは当然初めてだが、鎧で統一しているわけではないのか。サキヤノが自分の想像とかけ離れた騎士達を見つめていると、彼女らは朗らかに微笑んだ。


「と言っても、僕らは新人中の新人でね。たまたま君に会えたから声を掛けたんだよ」


「は、はい……」


「っと、ごめんよコレ」


 不意にディックは申し訳なさそうに眉を下げてしゃがみ、サキヤノの右足に手をかざした。彼の手から細かな粒子が線香花火のようにほとばしり、淡い光を放って弾けると、一瞬で足からは痛みが引いた。

 唖然あぜんとしていると、次にディックは「解除」と一言呟く。呟いて間もなく左足が軽くなり、光の輪が消え失せた。


「ふぅ、こんなもんかな」


 腰に手を当て、吐息に似たか細い声を出したディック。

 すごい、と心底思った。これが魔法……やはり医者要らずではないか。サキヤノはこんな状況であるのに、口角が上がってしまうのを止められなかった。ローノラが見せてくれた水晶よりも、ずっと美しくてずっと見ていられるものだった。

 サキヤノは感銘かんめいを受けながらも、ふと頭に浮かんだ疑問について尋ねる。


「その、今のって魔法ですよね」


「うん。初めて見た?」


「まぁ……その、魔法の詠唱とかってないんですか?」


 興奮し切ったサキヤノは、警戒する事を忘れてチラチラとディックの顔を窺った。


 サキヤノが剣と魔法のファンタジーで期待するのは、いかにもな服装と魔法の詠唱だ。ギフトやローノラ、奇異な目を向けられた街で、服装についてはおおむね満足した。武器もモニカの剣でもうお腹いっぱいだ。

 残りは魔法だけだったのだが、ディックの使った魔法は俗に言う無詠唱だった。もしかしたらアレか、より強い人ほど詠唱の必要性がなくなるっていうアレなのか。つまりディックは魔法において最強プロフェッショナルなのか?

 そうやって高鳴る胸に手を当てて期待していたサキヤノだったが、ディックは微妙な表情で頬を掻いた。


「よ、よくそうやって言うんだよねぇ異界人って。詠唱の有無について聞かれるんだけど、その、うん……詠唱のある魔法はいわゆる古代魔法なんだよ。で、僕はそんなに優秀じゃないから強化バフとか回復ヒーリングとかしか使わなくて。ああでも唯一使える古代魔法があって、君に掛けた『ライティウムトゥラッポラ』はとても重宝してるんだ。でもこの魔法には欠点があって、夜になるとガクッと拘束力が下がる……んだけど、今みたいな朝だとすっごく強いんだよね!強い魔法にはその分短所があるから、戦い方とか使い方には注意する必要あるよね。それに一度魔法の名前聞かれちゃうと、下手したら真似されちゃうかもしれないから早口で言うのがポイントだよ。あれっ、もしかしてコレって詠唱じゃない?いやでもあるんだよ、長文の詠唱!古代魔法の中でもかなり強くて欠点もなくて……ってこれだと僕が唯一使える古代魔法って強くないのかな?下の下の方の魔法だったりするかも?……ひ、悲観は良くないね!だって……」


 ディックは早口で噛まずに話し続けたが、サキヤノの耳には古代魔法がなんちゃらまでしか入ってこなかった。とりあえず先程の「トッポラ」は自分の聞き間違えらしいと頷く。


「ストップストップストップ!!!ディック、話が超長い!もう良いから!」


 モニカがディックの口を無理に塞ぎ、苛立いらだちを押し殺した表情で


「ごめんねー、コイツ一方的な長話好きなんだよ」


 貼り付けた笑みで俺を見る。

 「け、結構ですね」とサキヤノはとりあえず何度も頷き、素早く立ち上がる。「びっ、ビックリしましたけど」

 モニカはサキヤノを一瞥いちべつし、ディックと共に立ち上がると、握手を求めるように血色の良い腕を伸ばしてきた。


「名前、教えてほしいな」


「あっと、さく……」


 モニカの手を取ろうとして、サキヤノはこの人達に追われた事を思い出した。


 果たして彼女らを信じて良いのだろうか。

 偏見へんけんかもしれないが、はっきり言って二人は騎士に見えない。怪我を治してくれたものの、それは彼のせいであって——信じられる要素がどこにもないわけだ。もしかしたら騎士団という慈善団体の名をかたるだけの悪人かもしれない。逆に彼女らが言っている事は本当で自分が疑い過ぎかもしれないが。

 どうやら自分はこの世界に来て、かなりの疑心暗鬼になってしまったようだ。素直に喜べないし、信じられない。

 彼女らが偽物だったら、自分はローノラの言っていたように。本物だったら、俺はただの嫌な奴だ。


 モニカが首を傾げる。胸の前で微動だにしないサキヤノの手を見て「大丈夫?」と心配そうに言った。


 信じるべき、だろう。

 どうせ行く当てもない。


 サキヤノは頭を振って、モニカの戸惑った片手を両手で包んだ。


「俺はサキヤノ・パルマコンです。異世界こっちに来てから名前をつけてもらいました。実名を桜庭清斗と申します、気軽に何とでも呼んでください」


 モニカは目を見開き「へぇ」と驚嘆と関心の声を零した。


「じゃあ、サキ君ね」


「ん!?」


「あれ、良いよねディック?」


 ローノラは「サキだと女っぽいから」とこの名前にしてくれたのに、モニカは迷いなくサキ君と呼んだ。

 ディックもきょとんとして「サキ君は変じゃないと思うけど」とサキヤノの反応を不思議そうに見た。


 これはアレだ。別にこんな名前じゃなくても問題なかったってヤツだ。ローノラの心配は杞憂に終わったのだ——だけど自分自身もサキは女性っぽいかなと思っていた。


「い、いえ!良いです、ハイ!よろしくお願いします、モニカさん、ディックさん!」


 開き直ってサキヤノは軽くお辞儀をした。

 嬉しそうに微笑んで、愛称あいしょうで呼ぼうとしてくれる二人はきっと悪い人じゃない。こんな場所にまで追いかけてきてくれた騎士団の人達なんだから、大人しく着いていこう。

 モニカは雲一つない空に拳を突き上げた。


「よぉし!じゃあ、ここはおさらばして一旦サキ君を拠点に連れてかないとね!」


 地面の短剣と杖を拾い上げた後、ディックは「おー」と控えめに拳を上げる。サキヤノは照れくさいのを堪えて、小さく拳を作った。



 これで安心して異世界について学べる——そう思った矢先だった。


 誰かに着いて行く昔からの癖で、モニカとディックの数歩後ろに続いたサキヤノは安心しきって気が抜けていたのだろう。広い道に出ようと路地裏を横切った時、何かに腕を引っ張られ、サキヤノは声も上げぬ間に暗闇へ引きずり込まれた。

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