第6話 初めての

 小林さんとはまず、今日は暑かったねとか、そんな話をした。

 どうしよう、彼女がいるか確認したい。

 今まで小林さんはライブハウスに彼女らしき人物を連れてきたことはない。だからいないと思っていた。せっかく話せたんだから確かめたい。けれども初めて話していきなり彼女いますか、はさすがに聞けない。


 ライブハウスに知り合いはそこそこいるけれど、小林さんへの想いを打ち明けたのは深田くんだけだった。

 私が小林さんを好きだと誰かに言ったとして、気をつかわせたくなかった。

 それに小林さんはモテる人だ。うっかり自分の気持ちを話して相手がライバルだったなんてこともありえなくない。そんなわけで私はずっと一人で小林さんを想ってきた。


「今日はもう帰るの?」

 私と比較的仲の良い子が小林さんに聞いた。えっもう帰るの?


「まぁ、誕生日だからな。たまには早く帰ってやらなきゃ」

 小林さんは少しテンションが下がっていた。誰? 誰の誕生日? 私の疑問が顔に出ていたのだろう。仲の良い子が教えてくれた。


「小林さんの奥さん、今日誕生日なんだって」

 私の心臓は一気に跳ね上がった。奥さん? 結婚? 既婚者?

 頭の中にはそんな単語が並んだ。小林さんは少し、照れくさそうな表情をした。



 お疲れ様でした。右にならってそんな台詞を言った。小林さんは他のメンバーより一足先に帰っていった。なぜか私も見送っていた。


「小林さん、結婚してたんだね。知らなかったからびっくりしたよ」

 私は比較的仲の良い子に、冷静を保ちつつ正直な気持ちを述べた。


「ああ、指輪してないしね。ライブに来ても遅くまで残っているし、よほど理解のある奥さんなんだろうね」

 私より小林さんのことを知っている、というような言い方に少し腹が立ったがそれどころではない。もうそんな小さなことに腹を立てても仕方がないのだ。私はかなりのショックを受けた。


 小林さんを想っていた期間は一年くらいだろうか。今までなんだったのだろう。

 ライブハウスに行って小林さんがいると嬉しくて、でも話しかけられなくて横目でチラチラと見ていた。だから横目で小林さんが視界に入る位置に立った。話しかけられたくて近くに行った。小林さんは人気者なので私には目もくれない。それでもいつかは……そう思っていた。思い込んでいた。


 もうどうでもよくなり私はキャバ嬢をやめた。

 思い出した、女子力が上がると思っていたんだ。それがキャバ嬢を始めた理由の一つだった。最後の最後に、それは叶ったのかな。


    〇〇〇


 新しい仕事は工場を選んだ。

 もう接客は面倒だし、人を相手にしたくなかった。

 工場で部品や材料を相手に仕事をしてみたかった。それでも仕事を教わるのは人だ。仕事ができるようになったら一人になれる。そう思って頑張った。

 

 工場には色々な人がいる。キャバクラにも色々な人がいたけれど、人数がその比じゃなかった。

 ここの製造ラインだけでも五十人以上いる。間接かんせつ部門や物流ぶつりゅう部門や管理課など、会社全体の人数は千人くらいらしい。それが三棟ある。

 キャバクラは若い女の子ばかりだったけれども、ここはもちろん違う。老若男女、本当に人がいる。

 新しく入った私に気さくに声をかけてくれるおばちゃん。対抗意識を燃やす若いギャル。下心丸出しで近づいてくる男。


 キャバクラで色々な人を見てきたけれども、あそこは半分飾った自分しか出さない。お客もキャストも。

 けれどもここの職場は、リアルだった。毎日八時間、同じ人たちと過ごす。

 毎日同じ時間に同じ仕事をして、同じ時間に休憩をとる。

 毎日同じ流れで過ごしていた。夜に寝て朝に起きる。

 ずっと夜行性だった私は、朝の光を浴びることが贅沢ぜいたくに思えた。


 数ヶ月すると、私は職場に馴染んできた。

 時々ラインに訪れる間接部門の人のなかにイケメンを探したり、嫌な人の悪口大会に加担したり。その他大勢になれた。

 仕事は辛いしつまらなかった。

 一つの製造ラインで二十人が流れ作業をこなす。全員が同じ時間内に作業を終えなくてはリズムが狂ってしまう。〇秒間でワンサイクル作業を終えること、それが必須条件だった。

 一日に二千回近く同じ作業をこなす。体の同じ箇所かしょばかりを酷使こくしする。同時にそれは、負担のかかる箇所だった。毎日仕事終わりに「疲れた」と思わない日はなかったし、言わない人はいなかった。


 作業に慣れてくると眠くなる。今度は眠気との戦いになる。外回そとまわり業務の人をつかまえて、話しかける。眠気ねむけましになってくれと。

 メイクや髪型は自由だったけれども、仕事中は帽子とマスクを着用する。目元だけが見えるのでアイメイクに力を入れるギャルは私への対抗意識はなくなったのか、どの化粧品を使っているのか聞いてくる。


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