第3話 トーク

 程よく酔いが回ってきた辺りに、業界あるある話になった。

 メイクルームは、アイドルもキャバ嬢も似たようなものだった。新人は先にメイクを済ませるため、早く入らないといけない。

 深田くんも活動歴が浅くて早く現場に入るけれども先輩のスケジュールが優先されるので待ち時間は多いらしい。私は、お客がつかないから待ち時間はスマホ頼りだった。

 けれども深田くんは違った。台本を読んだり曲の歌詞を覚えたりしていると言った。


「イヤホンで耳をふさいじゃうと呼ばれた時に困るから、待機中は音楽は聴かない。じっくり聴きたいし。寧々さんはいつ聴いてるの?」

「うーん、メイク中とか雑誌読みながらかな」

 音楽をいつ聴いているかなんていざ聞かれると即答できなかった。

 私は基本、ながら聴きをしている。深田くんはじっくり聴く派だと言った。すでに確かな差があった。


 そうだ、深田くんは関東から来ている子だ。聞いたことがないであろう、地元のバンドの曲を聞かせたい。

 私は小林さんのバンドのMVを見せた。少し前に公開されたもので、私はすぐにスマホに保存した。いつでも見るために。


 ちょっと哀しそうなギターから始まるイントロ。抑揚した小林さんのボーカルがこっそりと入り、サビに向けて感情が高まってゆく。日本語の歌詞で小林さんの正直な気持ちと感情が伝わる。

 MVは小林さんの頭の中が具現化されたようだった。メンバーが水面で演奏している場面から始まる。過去の恋人との回想シーン、途中で教師のような人が出てきたりして落ち着かない映像になっている。


「きれいにしている人だね」

 深田くんは小林さんのことを、そう言った。小林さんの魅力は男の子にも通じるのだと思うと嬉しくなった。


「私、この人のこと好きなんだよね」

 キャバ嬢といえば色恋営業。いきなり好きな人をさらすなんてちょっと珍しいというよりご法度はっとかもしれない。けれども相手はアイドル。色恋営業が通じないと分かるので、まあいいでしょう。

 それに深田くんは「普通」だった。今も息抜きにこの店に来たのだと思う。だったら「普通」の会話をするのが一番の接客なんじゃないかと思った。


「好きな人? このMVに映っている彼が本当で真実の姿だと思ってる?」

 深田くんは意外な台詞を吐いた。けれども私は瞬時に理解した。

 私がアイドルではない「深田くん」と対等に話そうと思ったのを、彼は受け止めたのだ。


 キャバ嬢とアイドル。お客とファンが疑似恋愛をする。どちらも相手の求めるものを察知して最高の対応を提供する。私たちは同じ仕事を経験している。

 私も「キャバ嬢」の仮面は外して「浅川あさかわ寧々ねね」として深田くんと話すことにした。

 MVに映っている小林さんが本当の姿か? 少しどきっとした。

 確かに私の中では、ステージ上やMVの中のかっこよく綺麗にしている小林さんの記憶が強い。


「部屋着だったらどう? 彼のこと好きだった?」

 深田くんの質問は続く。部屋着? それは萌えポイントというやつだろうか。けれども……。


「最初に見たのが部屋着だったら好きにはなってないかも」

 私は思ったことを正直に言った。深田くんはそっかー、そうだよねと真顔でうなずいていた。


「僕たちもステージ上ではキラキラした衣装を着るからさ、なんとなく通じるものがあったんだよね」

 確かにそうだ。テレビでも雑誌でもアイドルは衣装が用意されている。それが「いつものアイドルの姿」だと思ってしまう。


 いつだったかアイドルオタクの友達が切り抜きを見せてきたことがある。

 ファッション雑誌でアイドルの私服、みたいなテーマだった。多分八割がた私服ではないと思うが。設定上の「私服」だろう。私服で素肌にレザージャケットを着ることがあるのだろうか。つっこんだら友達は怒っていた。

 週刊誌なんかでスキャンダルが載った時にガチの私服だとまずアイドルだと分からない。意外に普通なんだなって思ってしまう。そりゃそうだ、アイドルだって人間だ。



「ドラマ見てるとさ、キャバ嬢って通勤する時もスーツ着てたりするよね。寧々さんもそうなの?」

「いや、あれはたぶん、売れている人だけ。私はなんとなくキャバ嬢やってるだけだし、そこまで意識高くないんだよね」

 私って、そう思っていたんだ。言葉が先だった。なんとなくやっているのは最初から知っていた。意識が高くないのは今知った。


 水商売は接客の最高峰だと誰かが言っていた。相手の欲しい反応や言葉を瞬時に理解して体現するから。心地良い時間と空間を提供する仕事だと思っている。

 心地良さを求めて、高い料金を払ってお客は店に来るのだと思っていた。頭ではそう思っていた、理解しているつもりだった。

 けれども私は意識が高くなかった。接客だけをすればいいと思っていた。相手を見て、そのつど相手の欲しい言葉を発すればいいと思っていた。

 

 けれども売れている人は違った。家を出る時にはすでに「キャバ嬢」だったのだ。

 飲み屋街を抜けてこの店に出勤する。どこに常連客がいるか分からない。まだ会わない新規のお客がいるかもしれない。店の看板を背負せおっている。ライバル店に圧をかける。そこまで考えて、出勤時のファッションを決めていたのだ。


「そっか、僕たちもレッスンに行く時はジャージのまま電車に乗ったりするんだよね。先輩たちは車で送迎があるからいいんだけど」

「電車の中でファンに見られることを意識しない?」

「するよ、だからちょっと高いジャージ着てる」

 笑ってしまった。アイドルもそういうこと、考えるんだ。ああ違う、アイドルじゃなくて、深田くんだ。

 二人して笑ったあと、少しの沈黙が訪れた。私は作り笑いを少し保っていたけれど深田くんは真顔になって私を見た。


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