第2話 三年前

 三年前、私はキャバクラで働いていた。当時二十歳。


 短大時代はライブハウスに通っていた。バンドとライブにのめり込んでいた。単位はぎりぎりだったし就職活動も手を抜いていた。

 そんなわけで短大卒業後も就職が決まらず、バンドの人の紹介でキャバクラで働くことになった。自分がキャバ嬢になるなんて、少し意外だった。

 お触り禁止の店だったしママは知っているバンドマンの彼女だったし女の子たちは仲良いし、不満は特になかった。あ、私は指名があんまり入らなかったな。


 確かあれは……同級生たちがグループメールで初めてのボーナスの話をしていたから六月だったと思う。

 夜はまだ寒いので私はストールが手放せなかった。キャバクラではよく胸元が開いているドレスを着ていたけれども、寒い時は薄手のストールを羽織っていた。

 ボーナス前の時期で、そんなに店は混んでいなかった。


「髪の長さが肩くらいの子」

 そういう指名が入った。髪が肩くらいの長さの子は私ともう一人いたけれども、もう一人の子はすでに指名が入っていた。待機席で暇を持て余していた私が選ばれた。



寧々ねねです」

 私は本名で店に出ていた。たぶんそんなに長くキャバ嬢をやろうとも思っていなかったので、源氏名を考えるのも面倒だった。

 私を指名した男を見て少しぎょっとした。白いTシャツに黒のジャージ、マスクと帽子と眼鏡をしている。顔を隠しているのだろうか、まさか犯罪者……?


「あっすいません」

 私の視線を感じたのか、男はそう言い帽子とマスクをとった。黒髪のぼっちゃん刈りがよく似合っていた。よく見ると綺麗な顔をしている。お客の顔を覚えるため凝視するのは日常茶飯事だった。それにしても若いな、未成年じゃないでしょうね?


 さりげなく年齢を聞くと二十歳と答えた。私と同じ年だった。

 そしてこの男の正体はアイドルだった。深田ふかだ健吾けんごと言った。

 友達がアイドルオタクなのでなんとなく聞いたことがある気がする名前だった。


 深田くんは最初の一杯はウーロン茶で、と言った。

 今日は市内で先輩のツアーがあってバックダンサーを務めたと言っている。深田くんはまだデビューをしていないらしい。

 どうなんだろう、こういう立ち位置の人って仕事のことを深く聞かれるのは好きじゃないかな。そう思って私は深田くんの趣味を尋ねた。音楽やダンスという答えが返ってきた。アイドルなんだから、そりゃそうかと思った。

 けれどもチャンスだった。共通の趣味があると会話が弾む。


 私の好きな人はバンドマンだった。小林こばやしさん。地元のライブハウスでよくライブをやっているバンド。知名度は県内レベルだけれども、ライブハウスによく来る人はみんな小林さんの実力を知っていた。

 小林さんは音楽に詳しくて古今東西の音楽を知っているんじゃないかと思うほどだった。


 私は小林さんに追いつきたくて必死で彼が好きだと言った音楽を聴いていた。小林さんのSNSをチェックして、小林さんが薦めるバンドや歌手を聴いていた。

 けれども小林さんが好きな曲は難しかった。どこが良いのか分からなかった。聴いていればいつか分かると思って何度も聴いた。それが義務だと思っていた。

 そうしているうちに新しいバンド名が投稿される。私はまた新しいバンドの曲を聴く。ただの作業になっていた。全然愉しくなかった。


 いけない、深田くんとトークをしなくちゃ。共通の音楽の趣味で。


「どんな音楽を聴くの?」

 私は無難な質問から始めた。

「最近は海外の〇〇っていうミュージシャンを聴いている」

 よくランキングに入っているミュージシャンの名前がでた。私は職業柄、一応流行はチェックしていた。〇〇は特に好きなわけでもないけれども。


「今すごい人気あるよね」

 私はまたしても無難な発言をした。深田くんも「そうだね」と特に食いつく様子もなかった。これはたぶん、お互いにさぐっている。


 どんな音楽を聞くのか。これは難しい質問だ。いきなりマニアックな答えを出して相手が知らなかった場合、しらけるだけではなく妙な罪悪感が生じてしまう。

 かと言って「多分知らないと思うよ」という前置きは相手に失礼極まりない。もし相手が自分よりも詳しい人だった場合、赤面どころではすまない恥ずかしさが沸き起こるだろう。

 まず最初は有名な歌手名を挙げるのが一番平和的だと思う。深田くんはそう思って有名な歌手名を出したのか、本当に好きなのかは分からない。

 その前に、私が今聴いている音楽はほぼ小林さんのお薦めだった。自分が好きな音楽ってなんだろう。すぐには出てこなかった。他の共通項を探そうと思い、深田くんを観察する。


「外、寒かった?」

「ライブ後だからなー、冷たい風がちょうど良かったよ」

 深田くんは、ライブ後にシャワーを浴びたけれども楽屋やスタッフルームに大勢人がいて、またすぐに汗をかきそうなくらい暑かったと言っている。一気飲みしたかったので一杯目はウーロン茶にしたと言った。

 二杯目はウーロンハイを頼んだ。チーズ盛り合わせも注文した。お酒が入り、少しずつ口調がくだけてきた。

 深田くんは意外と普通だった。話しながら私の足をチラ見したりそらしたりしていた。

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