取り出す絵本

熊山賢二

本編

 取り出す絵本


 そこからはなんでも取り出せた。描かれているものはなんでも。それに気づいたのは十二の時だった。自分の部屋の大掃除をしている時に、昔読んでいた絵本がでてきて、ふと気になってページを開いてみると中から金貨がこぼれ落ちてきたのだ。最初は金貨の形をした包装のチョコレートかと思ったが、いくら爪を立てても剥がれないし噛んでみても少しも変形しなかったのだ。おもちゃかとも思ったがそんなチープな造りには見えなかったし、なんだか重みが違った。それでもしばらくは本物の金貨だとは思っていなかった。


 それから数年経ってあの絵本が気になり、本棚から取り出して改めてよく見た。それは金貨が出てくる話だった。宝の地図をもとに、冒険を重ねて金銀財宝を手にする物語だ。その宝の中に金貨は最も多く描かれている。最後のページをめくると、ちょうど宝を見つけたシーンだった。金の延べ棒や宝剣、たくさんの宝石が埋め込まれた装飾品が描かれていた。もちろん金貨も大量に。本の真ん中のくぼみに金貨が刺さっていた。本棚から取り出した時はなにかが挟まっている感覚はなかったはずなのに。ページを開いた瞬間に現れたとしか考えられない。


 この本だけがおかしいのか。そんな好奇心がよぎった。この前の大掃除でだいぶ捨ててしまったが、懐かしくて捨てられなかったものがいくつかあったはずだ。この絵本のとなりに収納されていた絵本を取った。内容は桃太郎だ。誰もが知っている昔話。適当にページを開くと、今度は大きなものが現れた。きび団子だ。拳くらい大きなきび団子。ページは、ちょうど鬼退治の餞別にきび団子もらうシーンだった。おそるおそる一口かじってみると、普通のきび団子だった。だいぶ大きいが、岡山のお土産でもらったものと同じ味だ。残りのきび団子を口に詰め込んで、別の絵本を取り出す。


 次はかぐや姫だ。少し期待して本を開く。開いたページは竹取の翁が竹を切ってかぐや姫と出会うシーンだった。そして出てきたのは竹だ。多分、かぐや姫が入っていた竹の上の部分だ。葉もついているうえに、かなりでかい。あまり大きくない部屋が圧迫される。なんだか、ちょっとずつ出てくるものが大きいものになってきている。開く絵本とページは選ばなくては。


 とりあえず竹は部屋の隅にどけておいて、絵本をもう一度開いてみよう。本棚を上から順にめぼしい物がなかったか見ていく。マンガに参考書、小説と教科書が並んで、下の隅っこに絵本が並ぶ。ここで、絵本以外でも取り出せるのか気になった。いつも読んでいるものだ。絵本以外はなんの変哲もないもののはずだ。それなのにはっきりと否定できなかった。確かめるにしても、バトルもののマンガはだめだ。物騒なものばかりが描かれている。かといって、参考書や小説は活字ばかりでなにか取り出せるとは思えない。マンガでも、ギャグや日常ものなら大丈夫だろう。そうなると、選択肢は一つだ。この本棚には、そういったジャンルのマンガは、一つしかない。長編になっているそのマンガを、大丈夫そうなあたりの巻を手に取る。開いたページになにが描かれているのかわからないし、わかっても狙って開くのは不可能だろう。故に運を天に任せることにした。意を決して開くと、ねと書かれたハンカチが滑り落ちた。


 さらにほかの本も開いてみるとしよう。マンガで安全そうなものはもうないから、再び絵本が並んだところから一冊目に着いたものを抜き取る。一寸法師だ。お椀がでてくるだろうか。それとも針か。もしかしたら打ち出の小槌がでてくるかもしれない。現実ではありえない、魔法のような道具を取り出すことができればなにをしよう。いや、それよりもそんな空想のものが、現実に実在するという事実に価値がある。それを手にできなくとも、それがどこかにあるというだけでワクワクするものだ。開くページは最後の方。打ち出の小槌が出てくるのはラスト付近のはずだ。この絵本を読んだのがもうずいぶんと昔のことだから、どこのページがあのシーンだなんて覚えていない。だからあとは自分の勘を信じるのみ。


 ここだ。


 ページを開くと、するりとなにか落ちた。床とぶつかった音からすると、固くてそれなりに重い物だ。持っていた絵本を視界からずらしてそれを確認すると、落ちていたものは和風のハンマーみたいなもの。つまりは、打ち出の小槌。やった。鳥肌が立ってきた。空想上のアイテムが今目の前にあるのだ。男の子じゃなくても、これは興奮を禁じ得ないだろう。


 手に取ってみた感じは、意外とどっしりとした重みがあり、重心のせいか釘を打ち付けるのには向かないといったものだ。さっそく適当に振り下ろすと、絵本が少し大きくなった。重みも増して、片手じゃ持っているのがしんどい。


 たしか、打ち出の小槌には振るうと宝が出たり、願いが叶ったりする力もあったはずだ。宝を出してくれと願って振ってみると、また絵本が大きくなった。重さに耐えきれず、たまらず落してしまう。この打ち出の小槌はものを大きくすることしかできないらしい。一寸法師の話の中では、小槌は一寸法師を大きくすることにしか使われていないからだろうか。それしかできないにしてもとんでもないものだ。まさしく魔法の道具だ。


 いくつかいろんなものを大きくして遊んでみた。ラジコンカーやプラモデルを大きくしてスケールを拡大したり、もう使っていないスマホをテレビくらいに大きくして大画面でゲームアプリで遊んでみた。大きくしたものは元の大きさには戻せないので、バラバラにして捨てるか倉庫に放り込んだ。


 いつのまにか遅い時間になってきた。もうすぐ日付もかわってしまう。早く片付けて眠ろうと、部屋に戻ると絵本が一つぱっかり開いた状態でそこにあった。


 開いた絵本はその都度閉じていたのに変だなと思ったが、特に気にしなかった。しかし、後片付けをしていると違和感に気づいた。そういえば、さっき開いていたページにはなが描かれていただろうか。気になって、いまだ部屋の真ん中で開いたままの絵本をみたところ、なにも描かれていなかった。厳密にいえば、風景はあるもののメインとなる絵がなかった。一寸法師がお椀で川を下るページなら一寸法師が、娘が登場するページなら娘がそのページにあるように、どのページにもあるはずのメインの絵が開いていたページにはなかった。


 絵本のタイトルは一寸法師。このページから一寸法師に退治される前の鬼だ。打ち出の小づちを持っていた場面の鬼がいなくなっていた。小づちを取り出した時、一緒に出てしまったのだ。姿が見えなかったのは、出る直前に絵本の中につかまって潜んでいたのだろう。家の中にいるのか? 幸い今日は親は留守で自分一人だ。今のうちになんとかそなければ。たしか、金属バットが倉庫の隅にあったはずだ。慎重に、足音立てずに倉庫へはたどり着けた。その道中、リビングのほうで物音がしていた。遠慮のない物音だった。冷蔵庫の食料でもあさっているのだろうか。


 リビングをそーっと覗いてみると、思っていた通り冷蔵庫の中の食べ物をあさっていた。


 あ、それは母さんの好きなチーズ。今度は父さんがちょびちょび飲んでた高いお酒をラッパ飲みしやがった。それは僕のプリンだぞ! なんてやつだ。生かしてはおけない。まずはこのバットで頭をフルスイングして、ひるんでいる間に倉庫に眠っていた熊を撃退する催涙スプレーを顔面に噴射してやる。そのあとは徹底的に急所を攻撃してやる。


 鬼の体は大きく、座っていてもかなり高い。するりとリビングに入り込み、ソファの影に隠れて様子を伺う。まだ一心不乱に食べているようだ。


 さらに滑り込んで鬼の背後まで距離を大きく詰める。まだこちらに気づいている様子はない。


 一気に決めよう。時間が経てば食事が終わってしまうかもしれない。


 衣擦れをたてないように、ゆっくり立ち上がってバット振りかぶる。頭に最も衝撃を与えられるように横ではなく縦に、頭の後ろにまでバットの先がくるくらいに大きく体もしならせる。


 振り落とす。頭のてっぺんに直撃した。手には衝撃が返ってきた。びりびりと痺れてバットが手から零れ落ちる。鬼の頭はものすごく硬かったが、金属バットで思い切り殴られればただではすまなかったようで、ふらふらと揺れながらこちら側に倒れてきた。金属バットの鬼の頭が当たった部分は大きくへこんでいた。


 やった、やったぞ。鬼を倒したのだ。おとぎ話に出てくる怪物の代表格である恐ろしい物の象徴的な存在である鬼を倒したのだ。これは年甲斐もなく小躍りしそうなほど胸が躍った。


 そうして達成感にふけっていると、鬼がまた動き出した。


 しまった。この程度では足りなかったか。


 今度は腰のベルトの間に差し込んだ催涙スプレーとすぐさま取り出して、鬼の顔面付近にやたらめったら吹きかけた。


 鬼は野太い声で叫び転げまわった。大きく、腹の底に響くような怪物のように恐ろしい声だ。大きな体がやたらめったら動き回って家具にぶつかっている。食器棚が倒れて中にしまってあった食器がグチャグチャだ。


 こんな巨体にぶつかってしまってはたまったものではない。すぐに逃げ出した。リビングのドア付近で体を半分隠して様子を伺う。鬼はソファや冷蔵庫を倒してようやく落ち着いたようだった。それでも目は開けられず、しきりに目を手でこすっている。ここからでもわかるほど鬼は滂沱の涙を流していた。その程度では催涙スプレーの効果はちっとも薄れない。


 早く、今のうちに気絶でもさせてもとの絵本の中に戻さなくては。倒れたソファを乗り越え、食器の破片に注意しながら素早く鬼の元へ駆け寄る。歪んでしまったバットを拾い上げ、再び鬼の頭へ振り落とそうと持ち上げた。


 鬼は突如、怒りに染まった顔をこちらに向けた。青筋を浮かべて、眉間にしわを寄せた凄まじい剣幕だ。あまりの恐怖に体が硬直してしまい、大きな隙ができてしまった。


 鬼が肉薄する。筋肉の塊の丸太のような腕が大きく振るわれる。初めて明確に襲い掛かる鬼を目の当たりにして、その強大さがわかった。本物の怪物だ。絵本の中ではそれほど恐ろしく描かれていないが、こいつは本物の空想上の怪物なんだ。不意をつくことができたが、それまでだ。よく見れば、バットで思い切り殴っても目立った傷が見当たらない。さっきのようなことはもう一度はできない。まさしく千載一遇のチャンスだったんだ。


 もう死を待つばかりか。諦めて、恐怖で目を閉じていても一向に死は訪れなかった。そっと瞼を開けば、そこには巨大な刃物に貫かれた鬼の姿だった。目を疑った。さっきまで恐ろしく強大な怪物だと思っていた生き物が、少しの間目を閉じていただけでその命が消えかけているのだ。


 刃物は自分の後ろのほうから飛び出ていた。視線を刃物に沿わせて辿っていくと、刃物がなんなのかはっきりした。包丁だ。キッチンに置いてあったごく普通の包丁だ。大きさだけが違っていた。包丁の柄には打ち出の小づちが打ちつかれていた。ポケットにしまっていた打ち出の小づちが包丁の上に落ちて、その衝撃で打ち上がりさらにその効果により巨大化して偶然刃先が鬼を貫いたのだ。あと少しずれていれば、こちらの体を貫いたであろうそれに、背筋に氷柱をあてられた感じがした。これまたしばらく立ち上がれそうにない。完全に腰が抜けてしまった。


 気づけば、鬼は空気に溶けるように消えかかっていた。形が崩れたことにより、こっちの世界で存在が保てなくなったのだろうか。ともあれ、自分の撒いた種はなんとか処理することができた。安心した。そこで意識が途切れた。


 気がつけば外は明るく、スズメがさえずる朝となっていた。あれからしっかり一晩寝ていたようだ。固いフローリングの床で寝てしまったせいで体がバキバキで痛い。眠気がさめないおぼろげな視界を見せる目をこすった。すっかり散らかってしまったリビングが姿を見せるものだと、少し憂鬱な気分でいたがそれは杞憂だった。目に飛び込んできたのはいつもの整えられた家具の配置の、傷一つ見当たらないリビングだった。あんなにたくさん割れて使いものになりそうになかった食器たちも、みんなそろって一つも欠片も傷もなく食器棚に並んでいた。


 一体どういうことだろう。昨日あんなにめちゃくちゃになったのに。


 もしや夢だったのか。そんな考えも浮かんだが、正気の状態でリビングのフローリングで寝るのはおかしい。昨日の痕跡ををたどってみる。倉庫には打ち出の小づちで大きくしたものをしまっておいたはずだから、すぐわかるはずだ。倉庫を見渡して見てもそれらしいものは見つからなかった。


 大きなスマホもラジコン見当たらない。あれほど大きなものなら一目でわかるものなのに。よく探して見れば元の大きさに戻ったスマホとラジコンが見つかった。やはりあれは夢だったのだろうか。自分の部屋も昨日の痕跡は見つからなかった。金貨も竹も、ねと書かれたハンカチや打ち出の小づちもなかった。一寸法師の絵本の中には鬼が何事もなかったように描かれていた。


 喉の渇きを感じて、水を一杯飲もうとリビングに下りてそれを見つけた。目が覚めた時には気がつかなかったもの。鬼に立ち向かうために武器にした金属バットだ。それが冷蔵庫の前に転がっていた。それも、真ん中あたりが少し凹んだ状態で。昨夜の勇気の証はたった一つだけそこに落ちていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

取り出す絵本 熊山賢二 @kumayamakenji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説