第5章 屍の花
第22話 death
陽は落ちて、辺りは夕闇に染まっていた。
佐木との電話のあと、近藤はラストサンクチュアリの書き込みの件は部下に託し、鳥居と共に出島柊人の住むアパートへと向かった。
花師が会員たちに殺人を使嗾しているという、佐木の推測は不穏なものであり、放っておける案件ではない。だが、おそらくdeathであろう出島は、ラストサンクチュアリひいては花師につながる可能性がある貴重な人物だ。ネット情報の精査は人に任せられるが、こちらは自分で足を運ばずにはいられなかった。
出島は、初めは単なる来夢の一ファンであった。しかし次第に熱は高まり、熱狂的になっていった。自分が一番のファンなのだからと他のファンを見下すようになり、小さなトラブルをしょっちゅう起こすようになった。
物販の際に大量にグッズを買って、彼女とおしゃべりしたり握手したりする権利を独占していたうちはまだ許せたのだが、そのうち付きまといを始め、家の前で出待ちするようになってしまったのだ。
清水は、来夢に泣きつかれ、警察に相談したそうだ。
記録を調べると、確かに被害届が出されており、警察が対応していた。出島としては、来夢が変質者に襲われないように、ボディーガードをしているつもりだったというのだから、呆れた話だった。
ナビに導かれて古いアパートに到着すると、近藤と鳥居は外付けの階段を上り、出島が居住する2階の廊下を進んだ。目指す部屋は廊下の突き当りにある。
インターホンを何度が鳴らしたが、応答はなかった。
「留守か」
「出島柊人はいくつかアルバイトを掛け持ちしているようなので、仕事に行っているのかもしれませんね」
「ったく、いつ戻ってくるやら……」
近藤が大きく溜息すると、カツカツと階段を上って来る足音が聞こえた。振り返ると、スマホを熱心に見つめたままの男が廊下に現れた。俯いているので顔は良く見えなかった。
男はすぐに立ち止まったので、出島の隣の部屋の住人であるのかと思い、近藤は彼に出島のことを知っているか尋ねようと近づいていく。
「あの、突然すみませんが」
「ひっ!」
すっかりスマホに気を取られていた男は、近藤らに気づくとひどく驚きたたらを踏んだ。
近藤の目が、顔を上げた男の特徴を素早く捉える。少しやせ気味で背は低い。肩程の髪は後ろで束ね、陰気そうな眼つきと黒ぶちの眼鏡、そして左の頬に少し赤みのある十円玉大の痣がある。出島の容姿に合致していた。
待ちぼうけにならずにすんで良かったと、内心ほくそ笑む。
「出島柊人さんですね。私は」
「ええ! な、なんで! うわあぁぁ!」
出島の驚き方は過剰だった。文字通り飛び上がり、近藤が名乗る前に回れ右をして階段を駆け降りていったのだ。
突然逃げだした出島を追って、近藤も走る。逃がしてなるものかと、声を張り上げ、階段を飛び降りていった。
「こらぁあ! 止まれ! 出島ぁ!」
出島の行動には確かに面食らったが、これはいけると、近藤の胸は逸っていた。これは、ただ話しかけられただけで示す反応ではない。叩けばきっと何か出てくるはずだ。
猛烈なダッシュで出島に追いつき、道路に出てすぐのところで、近藤は出島を取り押さえた。後ろ手に腕を捻り上げると、出島は悲鳴をあげた。
「助けて! 助けて! 警察を呼んでくれぇ!」
何を思ったか、出島はたまたま通りかかった女性に大声で助けを求めた。自分を捕まえた相手が、その警察だとは全く気づいていないのだ。
目の前で突然、大男が小男を取り押さえる場面を目撃してしまった女性は、たじろぎ、ずるずると後退っていく。ボブカットの髪を揺らしながら、スマホを握り締めた。
「御心配なく! 我々は警察です!」
少し遅れて追って来た鳥居が、慌てて女性に向けて言った。そして身分証も見せ、女性を納得させたのだった。彼女は後が気になる様子だったが、ゆっくりと去っていった。
その時には、出島はもう抵抗していなかった。
「ほ、本当に警察……?」
近藤も自分の身分証を見せ、呆れた声をあげた。
「おい、お前、俺たちを誰だと思ったんだ?」
「本物なんすよね? 騙してないっすね?」
「ああ、本物の刑事だよ」
「よ、良かった……殺されるかと……」
近藤には何が何やら分からなかったが、出島は警察以外のものを恐れて逃走を図ったようだ。ホッとしたのか、力の抜けた出島は道路に座りこんでしまった。
「誰に殺されると思ったのですか、出島さん。あなた、出島柊人さんでらっしゃいますよね?」
鳥居が問いかけると、出島が青白い顔をのっそりと顔を上げた。
「あ、はい出島です。あの、その、殺されるっていうか、違うかもだけど、俺が勝手にそう思っただけなんだけど、でも、なんか、ヤバいって、マジでヤバいって、来夢ちゃんも心配だし……」
出島の話は全く要領が得なかったが、来夢という名に2人の刑事は目を見合わせ小さく頷き合う。
署でゆっくり話を聞こうと、近藤は彼を立たせた。
その時、出島が落としてしまったスマホがブルブルと振動し、止まった。持ち主である出島は、ビクリとして俯き固まってしまった。手に取るのを躊躇しているようだった。
「どうした? メールか? お前が怖がっている相手からか?」
近藤が出島の顔を覗き込むと、哀れな程に怯えきりカタカタと歯を鳴らしていた。その尋常ではない様子を確認し、近藤は内心これは大当たりだと興奮していた。
正直、出島の線は薄いと思っていた。deathは天雲のことを書き込んだだけ、他には何も知らないという、面白くない結果になることも十分にあり得たのだ。だが、確実に出島は何かを知っている。
鳥居はスマホを拾い、出島へと差し出した。
「お話を聞かせていただけますか。大丈夫です、我々を信用してください」
出島を宥めながら、車へと乗り込んだ。
鳥居が運転席に座り、近藤は出島と共に後部座席に座った。
警察署に向けて車が動き出すと、近藤は努めて穏やかに話しかけた。
「さっきはすまなかったな。腕、痛かっただろう。突然、逃げ出すもんだから、ついな。職業病ってやつだ」
「あ、いえ、大丈夫です」
「あんた、ラストサンクチュアリってサイト、知ってるだろう?」
出島の肩がビクンと跳ねた。
ラストサンクチュアリの書き込みから、出島にたどり着いた経緯を簡単に説明し、再び質問を繰り返した。
「誰が訪ねてきたんだと思ったんだ。何を怖がっている?」
「あの、見せます。俺、もう怖くて。見て下さい、その方が早いから。俺、脅されてるんす……」
スマホでSNSの画面を開き、近藤にも見えるように水平に持つ。
DMが来ているようだ。
出島は震える指で、画面をタップする。
画像が送られていた。
そこには腕が映っていた。腕だけが。
「えっ! 嘘だろ……来夢ちゃんが……?」
「貸せ!」
近藤は出島からスマホをひったくり、画像を凝視する。嫌な汗が背を濡らしていた。
ブルーシートの上に置かれた切り離された腕の画像。その数分前には、一方的なメッセージがいくつも連なっていた。
近藤はそれらのメッセージを、新しいものから遡って目を走らせてゆく。
『死ねば?』
『やらないのか』
『君がやるべきだよ』
『屍くんに先を越されてもいいのかい』
『愛する者を美しい花にするのは、最高の愛情表現だと思わないかい』
『さあ、始めようじゃないか』
出島はガタガタと震えていた。
先ほどマンションの廊下でスマホに気を取られていたのは、これらのメッセージのせいだったらしい。
「おい、出島。これは、花師からなのか?」
「わ、分からない。でも、多分そうなんじゃないかって思って。来夢ちゃんを殺せって……。俺、そんなこと出来ないっすよ! 助けて下さい! 来夢ちゃんが……!」
正体不明のアカウントは、確かに出島に殺人を強要していた。
『分かる者にだけ分かればいいと思っていたんだけどね。察しのいい子が手を挙げてくれたし。でもね、やっぱり天雲愛美の件は許せないんだよ。だから、代わりの花を所望する。生けるのは君だよ、deathくん。分かるよね? 君の花は来夢っていうんだろう?』
目を見開き、怒りに拳を振るわせる近藤の隣で、出島はわんわんと泣きじゃくっていた。
「泣くな! 来夢の家はどこだ! 今から確認にいくから案内しろ!」
出島を怒鳴りつけ、近藤は鳥居に目的地の変更を告げた。
*
「ちっ、くっせぇなぁ……」
不快気な呟きは男のものだった。あたりは暗闇で、その姿は闇に紛れて判然としない。
そこは雑木林の中だった。普段のこの時刻なら、虫の音や葉擦れの音くらいしかしないであろう場所で、先程からガサガサと下草を踏む足音や荒い呼吸音が続いている。ここは林道から分け入った山の斜面で、人が行き来するような場所ではない。だが、低木の枝葉を少々払ってできたスペースにその男はいた。
すんすんと鼻を鳴らし、舌打ちをする。
手をこすり合わせるような音の後、ゆっくりと大きく呼吸をし、これで少しはましかと呟く。
そして唐突に暗闇が裂かれ、閃光が瞬いた。
カシャカシャカシャと高速でシャッターを切る音が鳴り、一瞬だけ可憐な花が強い光に照らし出された。
男はスマホのライトで、つい今しがた撮った被写体を照らしてしばし眺め、愛おしむように撫でた。そして、素早くスマホでいくつかの操作をし、その後電源を切って地面に放った。
光量を絞った懐中電灯を点けると、クルリと背を向け林道の方へと歩き出した。
自分以外の者が発する光が見えない事を確認してから、駐車していた車へと乗り込む。そしてゆっくりと坂道を下っていった。
その車が何事も無かったかのように、遠く街の明かりの中に紛れた頃、ネットでは花師の5人目の被害者が出たと大騒ぎになっていた。
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