第10話 犯行現場

 窓の外、白み始めた空を見上げた記憶はあった。だが、その後寝落ちしていたようで、ピピピという通知音で佐木は意識を取り戻した。

 朦朧としながらスマホを手に取ると、時刻は午前8時を過ぎたところで、通知音は野崎からのメールだった。

 長谷川萌花とその彼氏は野崎の祖母の家で二晩を過ごし、すっかり家主やその孫とも打ち解けたらしい。

 昨日は、長谷川は祖母に料理を教わったり部屋の掃除をして過ごし、彼氏の方は生活に必要なものを野崎と買い出しに出かけたそうだ。ほとんど着の身着のままで転がり込み、花師を警戒して荷物を取りに戻ることもできないため、着替えや諸々の日用品が必要だったのだ。

 彼らは野崎の言葉に素直に従っていた。長谷川は誰にもこの家にいることは報せず、外出もせずに大人しくしているという。天雲とは大違いだ。

 彼氏のほうは言えば、恋人を守るため必要なことを、野崎から懸命に学ぼうとしていた。野崎はあっという間に二人からの信頼を勝ち取ったようだ。


 佐木は、自分にはとても真似できない芸当だなと頭を掻く。そして、いくらか送金する旨を返信した。

 すると、1分もせずに野崎から電話がかかって来た。


『ザギさん、金は要らないと言ったはずです』

「勘違いすんなよ。長谷川たちにやるんだよ。色々買い物しなきゃならんから大変なんだろう? こっちに取りに来てくれ」

『そういうことなら、分かりました』


 野崎の苦笑が聞こえた。

 彼のことだから、多分自腹を切っているのだろうと佐木は思った。無報酬の上に、他人の買い物まで負担させる訳にはいかなかった。

 電話の後、再び佐木はラストサンクチュアリと巨大掲示板を監視しつつ考察を重ね、花師候補を絞る作業に没頭した。

 会員リストの、death、リッパーリッパーに×印をつける。それから低浮上な上、内容のない書き込みばかりの、血塗られの盾、アサシンにも×印。

 残るメンバーを、おしゃべりなAグループ、口数は少ないがクセの強いBグループ、低浮上とその他のCグループの3つに分けた。

 そして、過去の発言を遡り吟味して、×印を増やしてゆく。

 結果、Aの闇導師、アマデウスシンドローム、ドグマ、サイコさん、Bの屍、Poe、カレイドスコープ、Cの土方歳三郎、ピンヘッド2世の9名にまでしぼり込めた。

 疑いだせば全員が疑わしいのだが、反対に誰もピンとくるものがない。佐木はムッと眉をしかめて画面を睨むのだった。

 ピピとスマホが鳴った。野崎から、もうすぐこちらに付くという連絡だった。そして5分後にインターホンが鳴った。

 佐木はぼさぼさの頭を軽く撫でつけ、玄関へと向かう。


「よお、野崎。呼びつけてスマンな」


 くたびれた骸骨男である佐木とは正反対に、野崎は健康そのものだ。背丈は同じくらいなのだが、体重は倍以上ありそうだ。

 野崎は佐木にニコリと微笑んだ。


「いえ、大丈夫です」

「スマンついでに、ちょっと連れてって欲しいところがあるんだ。今からいいか」

「はい。どちらまで?」

「角二ビル。第4の事件現場を見てみようと思ってな」

「分かりました」


 野崎は佐木の部屋に上がることなく、自分の車に引き返すことになった。乗り込むと同時に佐木が無言で押し付けて来た封筒を、野崎は中身も見ずにスーツの内ポケットに入れた。そしてエンジンをかける。

 D区の繁華街の中でも、少し外れた通りにある角二ビルという雑居ビルに向かって走った。ビル前は道幅があまり広くない上に歩行者も多いので、路駐ではなくパーキングに停めて二人は歩いて現地に向う。

 目的地がもうすぐというところで、前方に停まっていたワゴン車がすっと動きだした。後部に書かれていた、かもめクリーニングというロゴが目に入り、佐木はなんとはなしに車を見送った。


「どうしました?」

「ああ、俺が使ってるクリーニング屋の車だなと思っただけだ」


 野崎はそうですかと軽く流して、視線でビルを示した。


「現場はワゴンが止まっていた辺りですね。1階が洋服屋になっているビルです」


 若い女性向けと思われる華やかな洋服が展示されたブティックだった。角二ビルの間口は4メートルほどで、1階店舗はブティックのみである。ビル左端にテナントの案内板と奥に続く通路が見えていた。上階への出入口だ。

 ビル内のエレベーターで上がった2階がマッサージサロン、とんで4階5階が貸事務所になっている。

 遺体遺棄現場は3階だった。現在空室なのだが、1年程前まではパワーストーンや占いの店が入っていたらしい。

 角二ビルの外観は、2階3階は全面ガラス張りで、4階5階の貸事務所部分は外壁あり、至って普通の窓に設置されている。

 2階のマッサージサロンはガラス張りといっても、店名や施術料金、イラストなどでデザインされたフィルムが全面に貼られていて内部は見えない。

 そして、3階の遺棄現場は現在ブルーシートがぴっちりと張られている。テナントが撤退してからはカーテンが閉められていたが、遺体発見時には全て外されていたらしい。


 発見者は、この角二ビルの向かいにあるスポーツ用品アウトドア用品の販売会社の従業員だ。5階にある事務所の窓を開けた時、彼は向かいの角二ビルに遺棄されていた遺体を発見してしまったのだ。

 佐木は立ち止まり、二つのビルを交互に見上げた。


「このスポーツ用品店か両隣のビルからなら、ばっちり遺体が見えるな」

「そうですね」

「カーテン閉めて、人目を忍んでじっくり。で、仕上がれば即ご開帳。……うん、ナイスロケーション」

「この辺りは昼も夜も賑やかなのに、どうして犯人の目撃情報がでないんでしょうか」

「まあ、見えていても見えないこともあるからねえ」


 一連の事件はあまりにも物的証拠や目撃証言が少ない。花師は町に自然に溶け込み、常人のフリをして、誰にも何の疑いも持たせずに凶行を重ねているのだ。ごく普通の仮面を被った、巧妙細心の悪鬼としか言いようがない。

 佐木たちはゆっくりビルに入っていく。通路を進むと右側に扉があり、さらのその奥にエレベーターがある。扉は恐らくブティックの勝手口だろう。

 エレベーターの前を通り過ぎると通路は右に曲がり、トイレと給湯スペースがあった。ブティックの背面にあたる。

 佐木はさっとトイレの入り口を覗いてから、野崎を振り返る。


「そこ、階段か?」


 ビル出入口から通路を真っ直ぐ進んだ突き当りにある鉄扉を指さす。

 野崎がその鉄扉を開けた。ガチャリと音がして、少しばかり風が吹き込んできた。


「外付けの階段がありますね」


 佐木は行ってみようと、野崎の背を押す。

 鉄製の外階段の左側には隣の建物の壁が迫っている。右側はトイレと給湯スペースが張り出していて、ダストボックスが2つ置けるだけのスペースしかない。

 鉄扉正面もまた別のビルの壁面だった。要するにこの非常階段は、四方をほぼ囲まれているのだった。


「おお、なんかいいねえ。隠れ家ぽっくって、少年心をくすぐるじゃねえか」


 佐木は階段を見上げる。

 野崎もその隣で、見えない誰かが階段を上っていくのを追うように視線を上げていった。


「見えていても見えない。人は意識的に見なければ見逃してしまったり、記憶に残らなかったりするのは分かります。でもカメラという目撃者は、事実を教えてくれます」

「ああ、近辺の防犯カメラは近藤先輩が調べてた。このビルのカメラはエレベーターだけのようだが、容疑者が映ってたなんて話はまだ聞いてないな。エレベーターで3階に行ったヤツすらいなかったのかもしれない。ってことは、この階段を使ったってことになる」


 階段の手すりに残っていたアルミニウム粉末を、佐木は手で払った。手すりから身を乗り出すと、3階へ続く階段の途中に立入禁止の黄色いテープが張られているのが見えた。


「例えば、かもめクリーニング」

「は?」

「さっき、ワゴンが停まってただろ。ここのマッサージサロンと契約してるのかも。タオルやローブなんかのクリーニングを請け負っていたとしたら、集荷用のでかい袋を台車で押してビルに入っても誰も怪しまない。仮に袋の中身が遺体だったとしても」

「まさか、クリーニング店の店員が?」

「いやいや、例えばの話さ。宅配のにーちゃんでもいいし、なんならサラリーマンでもいいんだ。仕事で荷物を運んでいる様に見せられれば、誰も気にとめないだろう?」

「でも、エレベーターを使わなかったら、通りかかった客に変に思われます。記憶にも残ります」

「大丈夫、ブティックの客はエレベーター使わないし、マッサージサロンにひっきりなしに客の出入りがあるとは思えないし、上の事務所もそうだろう。通勤時や昼休み以外は、あまり人の出入りはないんじゃないか? 俺たちだって誰にも会ってない。ビルの前の通りは人が多いけど、中は死角なんだ」

「確かに」


 今頃、警察は近辺の防犯カメラに写った大きな荷物をもった人物の探していることだろう。果たしてその中に花師はいるのか。


「でもなあ、野崎。一度で運んだとも限らないよな。バラバラに解体してるんだ、数回に分けて運んだかもしれないし、毎回変装した可能性もあるんだよなあ」

「そうだとすると、カメラから犯人の特定は難しいですね……」


 ため息をつく野崎の肩を、佐木はポンポンと叩く。そういう地道な捜査は近藤たちがしてくれるのだから、自分たちはのんびり待っていればいいのだと笑うのだった。


 角二ビルを後にし、マンションに帰る途中で、佐木は天雲のSNSをチェックした。

 わざとらしい泣きまね写真と共に『愛美、花師に狙われてるの。刑事さんが安全な秘密の場所に連れてきてくれたし、守ってくれてるんだけど……え~~ん、でもでも、怖いよう』などと呟いていた。ある程度予想はしていたが、思わずイラッとしてしまう。

 彼女は赤裸々に喋り過ぎる。早急にSNSを止めさせるように近藤に進言するべきだなとため息をつく。もっとも、とっくに注意しているのだろうが。

 赤信号で停車したスキに、野崎にスマホの画面を見せた。


「天雲のことは一通り話しただろ。これ、どう思う? まったく」

「あ、俺にはよく分からない人種なんで」

「おいおい、思考放棄すんなよ。俺だってタイプじゃねえ」


 青信号になり、野崎は苦笑しながら運転を再開する。


「まあ、注目を集めたいのかなとは思いました」

「だよな。見て欲しいんだよ、天雲は。いいや、見て欲しい奴がいるんだ。警察署から移動したことを教えて、早く自分のところに来いって煽ってるんだ」

「花師を、ですか?」

「ああ」


 天雲に花師と接触する意思があるのは、もう確実だと思った。むろん近藤たちがそんな真似はさせないだろうし、花師も警戒して簡単には近づかないと思うのだが。

 では、なぜ接触を図ろうとしているのか。


「復讐でしょうか?」

「憎む相手に会いたい理由、殺したいと思う理由として、すぐに思いつくのは、やっぱり復讐だよな。でも……」


 天雲はどの被害者とも接点が無い。もしかしたら接点があるのに隠している可能性もあるが、まだ十代の女の子が復讐のために立ち向かうには、連続殺人鬼は相手が悪すぎる。天雲とて、それが分からないバカではないだろう。


 佐木は、先ほど遺体遺棄現場となったビルを見て、花師は綿密な計画と下準備をした上で犯行に及んでいるのだという考えをさらに強くした。警察にまるで尻尾を掴ませずに殺人を重ねる、そんな相手に自分の命を囮にしてまで復讐しようとするだろうか。


「余程の怨恨でもあるのか。あの天雲からは想像し難いけどな」


 佐木は腕を組み、大きく息を吐く。もう一度、天雲からじっくり話を聞くべきだなと思うのだった。

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