生きてるカレンダー
熊山賢二
本編
カレンダーにはいくつか種類がある。大ざっぱに一年全ての月日を記載したものや、紙のようなアナログではなくデジタルのものもある。ちなみに、日本のカレンダーはグレゴリオ暦だ。紙のカレンダーでも日ごと、週ごと、月ごとに紙をめくるタイプがある。デジタルカレンダーも、日ごとに表示されるものもあれば週や月ごとに表示されるものもある。どこの家にもあるものだ。
そして、紙のカレンダーに共通しているものはいつかは終わりがあるということだ。
朝一番にカレンダーをめくるのが僕の日課だ。うちにあるのは一カ月ごとに紙をめくるようなタイプのカレンダーではなくて、日ごとに紙をめくる日めくりカレンダーだ。僕がその異常に気付いたのは朝のことだ。いつものように朝起きてすぐにカレンダーをはがすと、今日の日付が出てきた。いつもと変わらない。そのはずなのに、なんだか違和感を感じる。うちのカレンダーてこんな感じだったっけ。ジロジロ見ていて気がついた。厚いんだ、昨日よりも明らかに。少しだけだが厚くなっている。
めくってもめくっても終わらない。今年だけのカレンダーなのに来年の分もある。怖くなったが、仕事にいかなくては行けなかったから、とりあえず考えるのは後にして奇妙なカレンダーをそのままに家を出た。
家を出て、電車に揺れれながら今朝のカレンダーについて考えた。仕事の合間に、昼休みに、帰りの電車の中も考えた。結論としてはそのままにすることにした。特に害があるわけでもなし。新しいカレンダーを買うのも、もったいないしこのまま使い続けよう。我ながら危機感がないかなって思ったけども、あれをそのままにしてたらどうなるか気になったし、捨てたら捨てたでなにか呪いみたいなものがあっても怖いし、現状維持が一番だと思ったのだ。
そのまま使い続けたカレンダーは特に変わった様子はなかった。どんどん先の月日ができているのを除けば、ほかに変化はなかった。
さらにそれからしばらく経つと、カレンダーの元気がないように見えてきた。紙がしおれて水分がなくなっているようだ。それは日に日に酷くなっていったので、ためしに水をあげてみたら、とたんに元気になった。新品のように紙がピンピンになった。それからは毎日水をあげるようにした。生き生きとしたカレンダーは芽が生えた。青々したその葉は植物と同じように光を求めているようだったから、部屋のなかでも一番日に当たる壁にカレンダーを移した。さらに元気になった。紙の束はかなり分厚くなった。
そうして月日が過ぎ、カレンダーの残りが薄くなってきた。今まではどんなに月日が過ぎて、紙を何枚もはがしてきたけども、いつのまにか紙の量が増えて厚くなっていた。
水をあげても紙は増えず、なんだか元気もないような気がする。植物の栄養剤をかけたりもしてみたがなにも変わらなかった。
紙をはがすのをやめてみても、毎日自然に紙が自然に落ちるのだ。そういえばこいつは日めくりカレンダーだった。それが役目で使命なのだ。どんどん薄くなっていく。
そして、その日は訪れた。最後の一枚が落ちたのだ。一月一日。一年の最後の日までカレンダーは記していたのだ。もはやはがす紙がなくなった日めくりカレンダーは、しおれて枯れ木のようになっていた。
カレンダーがないと不便なので、随分とひさしぶりに新しいカレンダーを買った。前のカレンダーと同じ位置に掛けたが、なんだかしっくりこなかった。前に勝ったものと同じ日めくりカレンダーだが、このカレンダーは成長するのだろうか。
それから何カ月か経ったけども、新しく買ったカレンダーはただのカレンダーだった。紙をめくれば減るし、水をかければ濡れるだけ。なんだか少し寂しい気分だ。今日は仕事の帰りにホームセンターに行って、なにか植物を買ってこよう。今度はもっと長い月日を共にできるやつがいいな。
生きてるカレンダー 熊山賢二 @kumayamakenji
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