最終決戦
熊山賢二
本編
交差する拳。お互いに相手の頬を突き刺す。振るった上段蹴りはぶつかり合い、空気が振動し、見えない空気の爆発を生む。
すでに武器などなんの役にも立たない。己の肉体こそ最大の武器。弾薬は生命の咆哮。精神で構え、引き金を引く。
東京タワーは半ばでへし折れ、ビル群は軒並み倒れ、道路のアスファルトは砕けて、その下に眠っていた大地がむき出しになっている。
この戦いこそ最終決戦。予選はあきるほど戦い、味方も力尽き、残るは一人だけ。しかしそれはどちらも同じこと。
目の前のこの男を倒すために多くの血が流れた。一緒に戦ってきた仲間の、罪なき民衆の、何物にも代えがたい尊き血が流れた。絶対に許すわけにはいかない。ここで必ず終わらせる。
時空爆発を起こし、宇宙そのものを消滅させることを企てた男がいた。そいつは、人間を愛していた。地球を愛していた。世界の全てが好きだった。だから、もっとより良い世界にしたいと思った。人類の全てが平和に暮らせるように。全ての生命が生を謳歌できるように。宇宙の遍く全てが大河のように正常に、美しく流れていけるように。
高潔な目的だったのだろう。崇高な使命があったのだろう。しかしそれは歪んでいった。
男には姉がいた。誰からも好かれ、清い心を持ち、どんな苦難や障害にも負けない強い人だった。いずれはこの世界になくてはならないひとかどの人物になっていただろうと誰もが思っていた。男もそう思っていた。
しかし死んだ。殺されたのだ。大悪に殺されたのならば、立ち向かうだけだ。いつの世も、正義は強大な悪と戦う運命にある。それ故、犠牲もある。アニメや特撮のヒーローのように完全完璧な勝利はないのだ。
姉を殺したのはただのチンピラだ。突然いなくなっても誰も気に留めないような木っ端な存在だ。そんなものに殺されたのだ。怒りは沸かなかった。ただ茫然とした。犯人は司法の裁きを受けて塀の向こうにいる。
男は心の整理をするために旅に出た。自分探しの旅だとか、そういうものだった。国を飛び出し、行く先々で困った人を見かければ手を差し出した。紛争地域や被災地にも足を運び、ボランティア活動に従事し、過激な政治活動をしている知人ができた時は、その話に耳を傾けてその主張や思想を知り、見聞を深めたりもした。挙句の果てには、社会の裏に潜む巨大な組織の中枢に潜り込んだりもした。悪も善も数えきれないほど見てきた。自然公園で仕事をして大自然にも触れた。男は一つの答えを導き出した。
国に帰った男は、姉を殺したチンピラを殺した。まだ服役中だったが、誰にも気づかれず、証拠を残すことなく殺せた。
ここからが男の始まりだ。
異常な数の奇形の動物を見た。動物だけじゃない。普通では考えられない植物が群生していた。自然は狂い始めていた。
人間は本来持つはずのない狂気に駆られ、もはやどうやっても歯止めはきかない。人類はおかしな流れに乗ってしまっている。
やり直すしかない。この星だけじゃない。この世界、宇宙が初めからやり直すしかない。それほどの異常事態。そしてゼロから始めるのだ。この世界を。正常な流れに乗って、人類がたどり着くべき場所へ向かうのだ。
「私が先導するしかない。心配することはない、必ず導く。人類がたどり着くべき場所へ!」
男から威圧が飛んでくる。対峙する少年はとてつもない狂気を感じた。臆することはなかった。彼の背には、多くのものがへばりついていた。犠牲になった仲間たちが、男に葬られた名も知らぬ命たちが、その背から叫ぶのだ。目の前にいる男を討ってくれ、と。同時に温かさも感じていた。仲間たちからは力をもらった。
――もう、自分たちに戦う力は残ってない。ここで戦えないなら、この戦いが最後になるのなら、力を失ってしまってもかまわない。持っていってくれ。
覚悟の言葉とともに託された力は、超人である男と互角に戦えるまでにしてくれた。
「まあ、困った時は声かけろ。俺にできる範囲で助けてやるよ」「君ならできるさ、なんだってね」「僕はいつだって君の味方だよ」「あんた、さっさと帰ってきなさいよ。あったかいコーンスープ作って待ってるから」「せっかく助けたんだ、何が何でも生きろよ、約束だぜ」「君は君が思っているよりも、多くの人たちにとって大切な存在なんだ。それを努々忘れないように」
かつて背にかけられた言葉がよみがえる。そのひとつひとつが彼に立ち向かう勇気をくれる。折れそうな心を支えてくれる。
多くのものを背負った。背負いきれずに引きずるものもある。負担になって押しつぶされそうにもなる。その重みがここで踏ん張る力になる。
「ダメだ。正直、あんたの言ってることはよくわからない。もしかしたら正しいのかもしれない。でも、誰かを不幸にして成し遂げられるものが、正しくなんかないってことはわかるんだ」
ただ託されたというだけじゃない。彼は自分自身の意思でここにいる。
「分からず屋だな。やはり、お前を排除するしかないな。なに、正義ための必要な犠牲だ」
男が踏み込んだ瞬間、地面が爆ぜる。同時に彼に肉薄する。繰り出された正拳突きはその勢いをもって、鋭く突き刺さる。それを彼は右ひじで受け止めた。踏ん張りきかず、少し後ろに下がる。その隙は逃がされず、蹴りが放たれる。彼は足で受け止め、そのまま飛んだ。空中で体勢を立て直し、両手と両足で着地する。
体から光が滲む。滲んだ光は空に昇り、着地した姿勢のまま、背中の上の空中で収束していく。
光が夜空に浮かぶ一等星のように強く輝きだし、光速の矢となって放たれた。それはまっすぐに男に向かい突き刺さる。
光の矢は男に突き刺さるとすぐに消えてなくなり、後には傷跡だけが残る。
うめき声をあげてひるんだ男は、倒れることはなくその体から黒い粒子を立ち昇らせた。煙のように上がったそれは、彼の光と同じように固まり、収束し、放たれた!
それは闇の塊。光を呑み込み、食い尽くす黒。これに呑まれた仲間たちは散っていった。
迫る闇。彼は逃げない。光は闇の呑まれるものだが、闇を切り裂くのもまた光! 彼は迎えうった!
彼の右手から光が溢れ出し、収まりきらずに零れ落ちる。大きく膨らむ。周りの闇を押しのける。
彼は右手を振りかぶらず、拳を握ることもなく、ゆっくりと男に向かって掲げた。光は今もなお、溢れ続けている。零れ、溢れ、光が膨らむ。闇の中にあった小さな点が広がっていく。男の発した闇はもう届かない。届くものか。この光こそ彼が、彼らが危険を顧みず戦い続けた希望の正体だ。命の輝きの具現だ。託し、紡いできた願いだ。それが負けることなど決してない。平時は特に意味を見出せられることがない昼行燈だが、一寸の先も見えない暗闇の中にあっては、人々はこれを求め、集まり、光は大きくなる。なれば、これにて終幕。世界の闇はこれで晴れる。
男は次々と攻撃を繰り出すが光の壁に阻まれて彼には通らない。壁は迫り、もう目前まできている。男は引かない。引けない。ここで引いてしまえば負ける。全てが無駄になる。そんな確信があった。
光がついに男と接触する。強い光の奔流に抗うが、少し拮抗してすぐに飲まれた。
体が徐々に崩れる。本来は人間の体に害のあるものではない。男はすでに、人間ではなくなっていたのだ。その精神は黒く染まり、肉体は人とは違うなにかへと変容していた。光は道を外れた、もはや生命とは呼べなくなった者を存在を許しはしなかった。
男は灰になり風に乗って世界に溶けていった。ようやく昇ってきた朝陽の差し込む中で、跡形もなく消え去った。
残されたのは彼一人。周囲は瓦礫の山。世界を襲った未曽有の嵐は過ぎた。
彼は荒れた街で静かに勝利の喜びに浸り、一つだけ涙を落とした。
最終決戦 熊山賢二 @kumayamakenji
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