小さな嫉妬って良いよね!ただし人によります
奏さんについて行きたどり着いた場所は映画館からさほど遠い距離ではなく、ものの数分歩いた場所にあった。場所が場所だけにその外装もそう悪いものではなかった。だが、このような場所では良くある作りなので特段述べるものもなかった。外光を取り入れるために、そして中が広々とした印象を与えるためにつけられた大きな窓。そして入り口付近に置かれた植物。そしてその向かいに置かれた小さな木目のボートには可愛らしい、恐らくイケてる店員が書いたものであろう『本日のおすすめ☆』から以下なかなか美味そうなメニューが書かれている。だが、近づくにつれて美味しそうな匂いが漂ってくる。時間帯が時間帯であるがゆえ混雑している様子はあまり見られなかった。だがそれでも人はそこそこいることからそれなりの人気を勝ち取っているのだろうことがうかがえた。
「それでは入りましょうか」
俺はそう言って木でできたドアを開ける。その際、小さくギイィと音が心地よくなる。そしてドアをしっかりと開き俺は奏さんに先に入るよう促したあと俺も続くように中に入った。
「いらっしゃいませ。2名さまでよろしいでしょうか?」
にこやかにこちらに笑みを見せる店員。ふんわりとした灰色のミニチェックにローズマダーのサロンエプロン。可愛らしい女性であることからおそらく人気がある店員なのだろう。その証拠にその笑みは人を不快にさせるものでもない実に良い笑みであった。こういうバイトで、このような接客ができる人を俺は尊敬する。理由は単純明快俺がまず無理だからだ。自分ができないことをできるのを見ると尊敬するものだ。
「ええ、そうです」
俺もその気持ちの良い接客に非礼がないようにできる限りにこやかに返答する。
「かしこまりました。ではご案内します」
慣れたように女性の店員は俺たちを案内する。
そして案内された場所は他の客ともそれなりに距離が置かれた場所であった。そこにはダークブランの机にそれに反する白い椅子にそこに敷かれた黒いクッション。そしてテーブルの上には一切余分なものは置かれていないシンプルなものであった。やはりできることなら周りに客がいるのは避けたいことだからこれは嬉しいものであった。そしてこの作りも俺の好みであった。やはりシンプルなのは良いと感じてしまう。そして色も3色ぐらいがちょうどいい。
「それではこちらがメニューとなっております。本日のおすすめはパスタランチとなっております。こちらボロネーゼとジェノベーゼの二種類から選べ、前菜としてカルパッチョとタリアータから選べますので。食後にはコーヒーがついております」
その可愛らしい店員のお勧めを聞いて、俺もそのメニューをみる。ふむ確かにうまそうである。俺自身パスタは好きだし、前菜がついているのもポイントが高い。値段は1500円、さほど高いものでもない。高校生からすれば高いのかもしれないが、普段ほとんど外食もしないのだからこういう時にケチる必要もない。
「奏さんはどうします?俺はこのランチにしようかと」
「私もそれにするわ」
「ではこのパスタランチを二つ。一つはジェノベーゼにタリアータを」
「もう一つはボロネーゼに前菜は同じくタリアータを」
「かしこまりました。それではしばしお待ちください」
店員は俺たちから注文を受けたらすぐにその場を後にした。
「良い場所ですね」
「ええそうね。店員さんも可愛らしかったしね。俊君も少し照れてたように見えるし……」
少し非難めいた視線を送られるが、それは勘違いであり、俺はそのような事実があったわけではない。
「してませんよ」
「そう。それならいいのだけど」
未だ少しむすっとした表情を見せる奏さん。
……これはまさか、嫉妬していらっしゃる?
勘違いなら実に恥ずかしいことであるので、口には出さないが、そう思うとなかなか可愛らしく見える。うん口元が緩んじゃう!
「……どうして、そんなにニヤニヤしてるの?」
奏さんが怪訝な表情でこちらを見つめている。どうやらなかなか俺の顔面がよろしくないことになっているようだ。いけない。いけない。ここはひとつまず己の呼吸に集中して、心を落ち着かせるとしよう。ゆっくり息を吸って、吐いて。それを二、三回繰り返すといつものクールな土師ノ里俊にもどってくる。
「いえ、なんでもないですよ」
そして何事もなかったかのように振る舞う。
「なんかとても不名誉なことを考えられていたように思えるけど」
「さて?なんのことやら」
「ふ〜ん」
それから少しの間奏さんと小競り合いをしていると「お待たせしました!」という可愛らしく元気な声が聞こえてきた。おかげで俺たちの注意はその声の方へと向かった。その声の主はやはり先ほどの店員であった。その店員はテキパキと料理を俺たちの前に運ぶ。俺の前にはジェノベーゼを奏さんの前にはボロネーゼを特にこちらが促したわけでもないが、しっかりとおかれた。どうやらしっかりと注文内容を覚えていたようだ。他にも注文を受けていたのに大したワーキングメモリである。そして最後にそれぞれ前菜となるタリアータを運んだ。お堅い店ではないからか前菜=サラダ的な意味なのだろう。俺はマナー講師でもなければ、そもそも複雑なマナーなど不要と考える身としては特に気になるところではない。
「それではごゆっくり」
一礼して店員は去っていった。
俺たちも軽く一礼し、店員が去るのを確認したが、俺たちの注目はすぐに目の前にある実に良い匂いを漂わせる料理にクギづけられていた。
「それでは早速いただきましょうか」
「ええそうね。わたしもお腹がすいて仕方がなかったの」
「「いただきます」」
俺たちは声を揃えて食事の前に感謝の言葉を述べ、俺は早速前菜のタリアータを口に運ぶ。
タリアータ。イタリア語では「切った」という意味を持つらしいローストビーフに近いバルサミコ酢とともにいただく肉料理だ。俺自身初めて食べるものだ。
口に運ばれた薄い牛肉はほんのり赤ワインだろうか?風味が広がり、その後にソースと牛肉の味が見事にマッチする。
「うまい」
ただ一言俺は呟く。こういううまいものを食った時はその一言で十分である。
「おいしい」
どうやら奏さんも同意見のようだ。
「確かにうまいですね。これでもうここに来て正解だと思ってますよ」
「そうね。人気なわけね」
「ですが、判断を下すにはまだ早いですよ。メインのパスタを食べてからでは」
俺はそう言ってジェノベーゼを口に運ぶ。
するとオリーブオイルとバジルの香りが口の周りで広がる。そこに砕かれたナッツがマッチして良いアクセントだ。
おそらくジェノベーゼパスタに使われたソースもしっかりと手作りなのだろう。これだけ美味しいパスタに前菜もついてこの値段であれば俺は出す価値があると断言できる。美味しいものは多少値が張っても仕方のない。安くてあまり美味しくないものを食べるなら俺は断然こっちを選ぶね!少々高校生には高いが……
それから俺たちは少しの間無言で目の前にある料理を楽しんだ。
「美味しかったね」
満足そうに笑みをこぼす奏さん。
「食後のコーヒーでも注文しましょうか?」
「いいね。そうしましょう」
俺はすぐに注文ボタンを押した。すると先ほどの店員さんが笑顔でこちらに近寄ってきた。なんとも迅速な行動だ。時給高いのかな?
「コーヒーを二つ」
「コーヒーと二つですね!かしこまりました!」
そして流れるように注文を受け取り、次の客の方へと向かっていく。相変わらず機敏な動きだが、これ以上見ていると隣にいつ奏さんにジト目で見られてしまう。まぁそれはそれでとは思うが、ここはやめておこう。
「さっきの映画はどうでしたか?」
「とても感動したわ。また見たいと思えるほど」
俺の問いに、満足そうに答える。本当に感動したのだろう。
「……どうして、あの映画にしたのですか?」
「えっ……?」
戸惑った様子を見せる奏さん。俺の質問の意図がいまいち掴めなかったせいだろう。だが、俺は映画を見ていながら考えていた解を知りたかったのだ。だから俺はその質問を引き下げるつもりはなかった。
「……」
奏さんは少しの間無言であった。そしてわずかに微笑んだ。それは俺の意図を理解した上で、おかしいと思ったのか。またはそれ以外の理由から来る感情なのかは俺には判断できなかった。
「それはなんとなくわかっているんじゃない?」
「まぁ。なんとなくですが……」
やはり自分との境遇が似ていたがゆえに、自分自身と重ね合わせていたのだ。だから映画のとき他のどの視聴者よりもその映画を真剣に見て、いろいろなことを考えていたのだろう。
「やっぱり、同じような状況のものを見るとついつい感情移入しちゃうね。どうしてあんな態度を取るのだろうとか、言語化できない感情を少しでもわかりたいのかもしれないわね」
「それは少しだけわかりますよ。今自分自身に降りかかっている問題。それがどう解決したらいいのかわからない。それに起因している感情が自分自身でもわからないとき少しでも参考になればと思い、本などから答えを探すこともありますからね」
「でも、それはそのときその場合の答えだから、完全な答えではないのが辛いところだけどね」
その事実には完全に同意だ。何か答えを欲しているとき、探しに探した答えは完全な解ではない。数学で言えば、難問に対する解き方が書かれている。だがその難問は俺たちに降り注ぐ時はその形通りでは決して現れない。姿形を変え現れる。だから俺たちは探し得た答えを道標に、己自身で考え、本当にそうなのかと問いかけながら答えを出さなくてはならない。だがそれは普通の人にとってとても労力がかかる作業だ。そして失敗した時とても精神的にくるものだ。
「完璧な答えでなくても、それでも道が示されているから、俺はそれでいいと思いますよ」
「そうね。私も同意。だからあの映画が気になって仕方がなかったの」
奏さんは少し困ったような笑顔を見せながら俺に答えてくれた。するとそこに「失礼します」という声がかかった。どうやらコーヒーが運ばれてきたようだ。俺はその運ばれたコーヒーを一口、口に含みその香りを少しばかり味わった後、改めて奏さんの方へ視線を向けた。
「それで何かありましたか?道標が」
「う〜ん…。どうだろう?わからないわ」
「わからないですか……」
「うん。わからないの。なんとなく漠然と今のままではダメだとはわかっているんだけど、どうするのかわからないの。映画を見て、自分の感情はなんとなくわかったの。でも道標はわからない」
本当に悩んでいる様子であった。色々なことが頭を巡ってしまっているのだろう。
「俺に何かできることは……」
俺が何か言おうとすると奏さんはその綺麗な人差し指を俺の口にくっつくどうかどうかのギリギリまで近寄せて、俺の言葉を遮った。
「ありがとう。気持ちは嬉しいけどそれは大丈夫。こうして話を聞いてくれるだけで楽になれるのだから。これ以上首を突っ込むと大変よ?家族の話に入り込むと俊くんもつらいわよ?だから大丈夫。それにもう直ぐテストよ?先にそっちの方に集中しなくちゃ」
俺はそれに対して何も言えなかった。事実俺は映画でそのことを考えていたのだから。家族の問題に不用意に土足で入り込んでいいはずがないということは俺はわかっていたからだ。だから入り込むようなことではないと心では思っているのだ。それに奏さんの母はひどい人に思えたかというとそういうわけでもない。きっと奏さんたちのことをすごく大切に思っている。俺は間違いなく確信している。だから余計に入り込むことではないと思っているのだ。だけど――――
「さぁそろそろ出ましょう。帰って夕飯の支度をしなくちゃいけないから」
「え、ええそうですね」
――――だけど、俺は何も言えなかった自分がどうしても情けないように思えてしまった。なぜそう思っているのかは俺自身わからない。分からないけど情けないと自分を批判したくなる気分だった。
だから俺は残っている香りがもう飛んでしまった心なしかいつもより苦いコーヒーを流し込み、その気分を紛らわすのであった。
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