吹奏楽部において楽器は命!覚えておけ!
午後最後の授業が終わり、ホームルームが始まる。もう時期テストが始まるこの時期に何かイベントごとがあるわけでもない。ゆえにホームルームは別にやらなくてもいいほどだ。それが他の人間も思っているのか、クラスはもうすでに帰宅の準備を始めている人間が多かった。そしてそれは俺も例外ではない。
「少し静かにしてください!ほら、すぐ終わるから話を聞く!」
プンプンと可愛らしく教壇で怒っている女性こそ我らクラスの担任である。名前は栂渚(つがなぎさ)、身長は158㎝正直俺たちの身長を考慮するとあまり高くないと言えるが、女性のことを考えるとまぁ普通なのではないだろうか。肩にかかるほどの赤い髪が特徴で、日頃から手入れは欠かさないのその髪は実に整えられていた。ちなみになかなかの胸の持ち主、思春期男子の一部は下心満載な視線を向けていた。
しかしこの先生は日頃からしっかりと生徒とコミュニケーションをとり、中を深めていった経緯から親しみを込めた視線の方が多い。下心のある視線を向けるのは少数派である。
今も栂先生が怒っている様子を微笑ましそうにクラスの連中らが見つめている。まぁ結果的に先生の目的は達成されたのだから、その視線に少々不満げな顔をしているが、すぐにホームルームに取り掛かった。
栂先生の宣言通り、ホームルームはものの数分で終わった。連絡事項が風紀委員などに伝えることしかないからそれは当然だろう。
「さあ行こうぜ俊!」
元気に俺にそう促す潤。だが申し訳ないが俺には少し用事があった。
「すまん先に言っててくれ、今の時間は舞がいるからお前らならすぐ入れてくれるだろうしな」
「何か用があるのか?」
「あぁ、少し先輩のところにな」
俺は別に隠すこともないから素直に告げる。すると蒼太は実に悪そうな顔でこちらをみる。どうやら俺を茶化したいのだろうな。
「どうせお前がいなかったら始まらなさそうだし、俺もついて言っていいか?なに遠くから見ているだけだよ。別に何かしようというわけではない」
ニヤニヤしながら俺にそう告げる。確かにこの男はあまり失礼なことをするようなことはしない。初対面である奏さんに何かするわけもない。
だが遠目で覗かれて、その後俺がそれはもう嫌という程いじられる可能性があるとなるとそれはムカつく話だ。
「いや、気にするな、すぐに終わることだから先行けよ」
なっと潤に蒼太を連れてさっさと行けという視線を送る。すると潤はそれを理解したのか、ぐっと親指を立てながら告げる。
「俺もついて行っていいか?」
「……」
どうやらこの男には俺の意図が通じなかったらしい。非常に残念である。その表情に俺は己の拳は顔面にたたきつけたい衝動に駆られたが、ここでそれをやるのは八つ当たりに近いことでもあるからやめておいた。俺は理性ある、道徳的行動をとることもできる男だ。
「変なことはするなよ」
この2人がするとは思えないが、一応注意しておく。2人はそれに素直に応じ、俺の後をついてきた。……下手に話をせずさっさと用を済ませよう。俺は心でそう誓った。
2人と会話していたせいで少し時間が経ってしまった。もしかしたらもうすでに奏さんは待っているかもしれない。だとするとそれは申し訳ない。自分はあまり待たされるということは好きでない。だから相手にも極力待たせてはいけないというのが俺のルールである。そのルールに乗っ取り、俺は急足で待ち合わせ場所、いつも2人で過ごしていた空き教室に向かう。
この学校はあまり部活に力入れているとは言えない。だが、やはり中には部活を自主的に熱心に取り組む生徒もいる。そしてそのような生徒はすぐに放課後部室まで行き、すぐに準備を整え練習に取り掛かる。急ぎ足ながらやはりグラウンドでは1人でサッカー部、野球部の部員らしき人物が必死に練習している。そして遠くから聞こえてくるのは吹奏楽部だろう。比較的準備がすぐ終わるトランペット、トロンボーンなどの金管楽器を中心に、後からクラリネットやフルートの音色が聞こえてくる。しかし一斉に吹き始めるものだからなかなかうるさい。トランペットさん音外してますよ!
他の人を気にする事なく一人一人個人でやっているから音が混じり合ってなんの曲をやっているのかわかりずらいが、よくよく聞いているとわかってくる。
「宝島か……」
蒼太がそう呟く。宝島、吹奏楽をやっていたら演奏したことがなくとも、どこか演奏会に聞きに行けば耳にするであろうメジャーな曲だ。実にリズミカルでサックスのソロがかっこいい。曲を知らなくとも楽しめる曲だ。だからこそ演奏会でもよく取り扱われるのだろう。
しかしこの曲をやるということは近く演奏会があるのだろうか?夏も近いことだし、コンクールの練習はいいのだろうか?
などと疑問を浮かべながらも足を止めることなくマッスグ向かう。走ろうかとも悩んだが、教師が近くにいること、後ろの友人がニヤニヤしながらからかってくることを考慮して辞めておいた。
そしてようやくいつもの教室までたどり着いた。蒼太たちは「ここで待ってるよ」と言っていたので、廊下に待たせることにした。そして俺はいつものように年季の入ったドアの取っ手を持ち、ドアを開ける。滑りが悪くいつも途中で引っかかるが、俺が入るには十分のスペースはできるのでそのまま俺は中に入る。そしてドアを閉める。この動作も実に自然だ。
そしてその教室内には1人窓の外を眺めながら微笑んでいる奏さんがいた。一体何を考えているのだろうか。という疑問が生じた。なぜ生じたか俺にはわからない。別にただ気まぐれで窓の外を眺めていただけかもしれないというのに。または、俺のように授業中窓の外を眺めながらまるでこのあと起こる悲劇を食い止める主人公のようにカッコつけているだけかもしれない。いや、それはないな。潤ならともかく奏さんはそのようなタイプではないな。イケないイケない。
冗談はさておき、空を眺める奏さんは実に悲しい表情、懐かしむ表情を浮かべている。何か過去について思い出し、その暖かな過去で心を安らがせているのと同時に、それがもうその手にはなくなってしまっていることを悲しいんでいるのではないか俺はふとそう思ったのだ。
暖かな過去とは?それは恐らく家族のことだろう。そう奏さんのお父さんがまだご存命であった時の話であろう。
「あっ、やっときた」
にっこりと俺の方を向き微笑む。まだその表情には影が少しばかり残っていた。
「ええ、お待たせしてしまいましたかね?」
だが俺はそれを問いかけるようなことはしなかった。変に家庭の事情に介入することが幅枯れたのだ。
「さっき来たばっかりだから大丈夫」
ちらりと俺は乱雑に置かれた机の上にある奏さんの荷物を見る。そこには一冊の本が無造作に置かれ、水分補給のための水筒があった。そして3年生はホームルームが他学年以上に早く終わることが多いことを考慮すると結構待っていたのではないだろうか?それでも純度100%で本心からそう言えるこの人はとても心が清らかな人だと改めて思えた。俺なら冗談ながら嫌味の一つ言っている自信がある。
そう思うと自身の行動になかなか恥じてしまう。うんこれから少し、俺の脳が覚えていたら頑張ろう!
「奏さん、これ休日に借りてた漫画です。ありがとうございました」
しっかりと礼を言った上で俺は漫画を奏さんに手渡す。
「もう読んだの?」
「漫画なのですからすぐに読み終わりますよ。小説だってものにもよりますが、1時間で読めるでしょ?」
「確かに。俊君のいう通りかもね」
「ええ、ですのでその漫画も3週はして大体の内容は覚えてしまいました」
ちなみに俺は漫画を一度ザッと読んだ後また何度も読んでいくタイプだ。すると一度目には気づかなかった部分が発見できたりとなかなか楽しいものだ。
「ところでさっきから後ろにいる人は誰なの?」
疑問を浮かべながら奏さんは後ろを指差す。俺はそれにつられて後ろを振り向くが、正直振り向くまでもなくその人物の答えを出せたのだが、人というのは時に反射的に行動にうつしてしまうもので、今回の俺もそれだ。
「あぁ、俺の友人ですよ。今日家で勉強するぞと約束してたので」
俺は溜息を吐きながら事実を伝える。
「あ、友達いたんだ」
「……」
どうやら俺のことをまるで友達がいない人間だと思っていたようだ。一応それなりに親しい関係を築いているつもりなのだが
「いや多くはないですが、そりゃいますよ」
勝手な意見だが、友達おろか話す相手もまるでいないという人物の方が少数派ではないだろうか。それこそ意図的にそう振る舞わない限り。俗にいう陰気キャだと言われようが、そのコミュニティの中で案外仲良くできるし、それ以外の人間ともまぁ向こうも基本敵意なんか向けてこないし、いちいち仲を悪くしてもお互いメリットもないのだから案外普通に過ごそうと思えば過ごせるものだ。まぁこれはイジメがないという前提だが……
幸いなことにこの学校はいちいちそんな頭の悪い、何も価値を生み出さない行動を取る愚か者はほぼいないし、そんなことをすれば進路に影響を及ぼす。何よりこの学校ではそんな暇があるなら他にやることがあるだろという価値観が強いように思える。そんな中でイジメをしようものならそいつらが白い目で見られる。同調圧力というのは俺は好まないが、ことこの学校におけるいじめに対する作用としては良い方向に作用していると思える。
話は逸れたが、詰まる所友達が全くいない、会話する人も皆無というのはあまりいないのではないということだ。俺のような性格でも友達がいるのが何よりの証拠である!
「そっか、少し羨ましい。私は仲がいい人はいないから」
「俺は違うのですか?」
ショボンとそう呟く奏さんだが、俺はこの学校の中でも親しい関係だと思っている。
「それもそうね。訂正同学年に親しい人はいないの」
少しその表情は明るくなったようだ。
「さて、俊くんこれから勉強会でしょ?じゃあそろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」
確かにかれこれもう結構時間が経ったように思える。おそらく廊下で待っている2人は待ちくたびれているんじゃないだろうか?
「そうですね。それじゃあ俺はこれで」
「うん。また空き教室で」
奏さんの別れの挨拶を聞いて思わず頰が緩みそうになる。『また空き教室で』か……
また明日も会おうという意味が含まれているだけに、仲が良いという証明にも思える。だから俺はこうも嬉しく思ったのだろう。
運動部の元気な声をBGMに俺たちは荷物を背中に背負いながら駐輪所を目指す。俺と潤は正直徒歩なため行く必要はないのだが、蒼太がチャリ通なのでついて行くことにした。駐輪所はだだっ広いグラウンドの東側にある。そこは乱雑にチャリがまだ多く残っていた。まだ部活中だ、帰宅部以外はだいたい残っているのだからある意味当然だろう。
その駐輪所に女性がいた。帰宅する人ではない。なにせその人物はその駐輪所にあるレンガでできた高さ1mほどの花壇に置かれたメトロノームに集中していたからだ。
まぁ察するに吹奏楽部だろう。そしてその手に持っているのは黒く、長い棒状の楽器であった。これだけだとクラリネットだろうと思うが、その音色はクラリネットのものではなかった。
「お、オーボエか」
蒼太は少し嬉しそうに言う。
「そういえばお前中学は吹奏楽部だったもんな」
そうこの男はもともと吹奏楽部でクラリネットをしていた。なかなか上手だったと聞いている。いまでも家で時折吹いているそうだ。
「なかなかに綺麗な音を出すな。テンポもズレている様子もない」
オーボエやサックス、クラリネットはリードというものをマウスにつけて演奏する楽器である。その中でもオーボエやファゴットはダブルリードと言われ、とりわけ音を出すことすら難しい楽器である。
「見た所一年生だろう。にも関わらずこの時期にここまでできるとなると経験者それもかなり実力のある子なのだろうな」
嬉しそうに蒼太は語るが、潤はあまり興味が無いようだ。
「そろそろ行こうぜ」
「それもそうだな」
潤の一言で蒼太は自分の自転車を探し始める。こういうときたまに勝手に移動させられている時があるから困るそうだ。
そうしているとさきほどまで熱心に個人練をしていた女性は時計を見ていそいそと撤収の準備を始めた。おそらく合奏か何かあるのだろう。しかし急ぎすぎたのか、その右手にはオーボエを持ち左手に譜面台脇にメトロノームとなかなかに大丈夫かなと少し心配したくなる持ち運びをするもんだから案の定体制を崩す。
「あっ!」
とっさに声が出てしまったのだろう。しかしもうすでに遅く体は地面に向かって行っている。だかその瞬間その子の目には強い意志があった。なぜこの瞬間にそのような目をするかおおよそ理解できないが……
その子は譜面もメトロノームも犠牲にし、体を左に回転させ、背中から落ちるように姿勢を変えたのだ。なぜそうしたのか俺にはわからない。
「おっと」
だが地面に背中を打つ前に蒼太がサッとキャッチをする。あらやだイケメン
おそらくその後は、そのクールな笑みを浮かべながら、クサい言葉でも吐いてラブコメ展開に入るのだろう。
「大丈夫だったか?楽器は?」
本当に心配そうに蒼太はそう尋ねる。だが俺たちは少々理解が及ばなかった。「ここは怪我はない?じゃないか」と潤がツッコミを入れているが俺も同意見だった。
「はい大丈夫です。楽器は無事でした!」
しかしその少女も心の底からホッとした様子でそう告げる。
「リードもかけてないか?」
「はい大丈夫です!」
……おそらく俺と潤の認識とあの2人の認識にはズレがあるということなのだろう。
そうすると蒼太は脛についた砂を払い落とすと、サッと譜面が入っているだろうファイルを取り女子に渡すと、「ありがとうございます」などと言い受け取る。すると再び急いでいることを思い出したのか、パタパタとしかし注意しながら用意をして最後にペコリと蒼太に頭を下げていってしまった。
蒼太はそれを見届けると、すでに見つけてあった自転車を手に取りこちらに向かってきた。
「さぁ行こうか」
奴の一言を受け、俺の家に向かい始める。
もう錆びてしまい開けるのに少々力が入りそうな校門を通り越し、さっさと俺の家に向かう。もう結構時間が経ってしまっているこの様子だと勉強できる時間は限られてくる。
「そういやなんであんなに楽器を心配してんだ?あそこはラノベの主人公みたいに女子を心配するところじゃね?」
潤は蒼太に問いかけると、蒼太は分かっていないなという表情をする。
「いいか?吹部にとっては楽器は非常に大切なものなんだ。楽器を落とすもんならあたりに静寂が流れこいつやったなみたいな視線を向けられるんだぞ。ゆえにみんな楽器を大切にするし、いざという時は己の体を犠牲にしても守るんだよ。しかもオーボエはかなり高価、さらにリードも一本数千円する。しかも当たり外れがあるからリードも大切なんだよ」
それを聞いてなるほどと納得する。どうやらこれが吹奏楽部にある共通認識ということであろう。ならばかつてその集団にいた者と現在進行形でいる者があのような言葉を交わすというのも納得である。
「結構吹奏楽部も面白そうなあるあるがありそうだな」
潤が面白半分にそう言うと、蒼太はいかにもとでも言いたげな表情でニヤリとする。
自分がいたコミュニティや興味ごとを聞かれると人は饒舌になるが、どうやらこの男も例外ではないようだ。
俺たちは蒼太の吹奏楽部の話を聞きながら家に向かったのだ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます