第22話 信長の妻、体調を崩す

 領国が急に広くなったので、また俺とアメリアは政治に忙殺されることになった。


 また検地もしないといけないな。反発する奴も出てくるかもしれないが、反乱が起きても俺のほうが負けることはないからいいだろう。


 もっとも、アメリアにあまり任せられない事態が起きてしまった。



 ある日、俺とアメリアは謁見の仕事をしていた。人と会うのも大事な仕事だ。


 だが、その日、顔色の悪かったアメリアがいきなり咳き込んだのだ。


「アメリア、大丈夫か!」


 謁見は中止になり、俺は自分でアメリアを抱えた。すぐに医師をアメリアの部屋にまで呼んだ。


 医師が来るまで俺はずっとアメリアに扇子で風を送っていた。

「どうだ? 気持ちはマシになったか? 何か症状があったら隠さず言うんだぞ」


「だ、大丈夫だから……。あなたのほうが気が動転してるじゃない……」


「動転だってする。お前がこんなふうに体調を崩すのは初めてなんだ!」


 やけに時間がかかって医師が来た気がしたが、俺の体内時間がおかしいだけで、時計はさほど進んでいなかった。


 そして医師は、なぜか俺に向かって「おめでとうございます」と言った。


「ご懐妊されていらっしゃいます」


 こんな素晴らしいことがほかにあるだろうか?


 だが、喜ぶのはまだ早い。

 俺はすぐに母体守護で名高い魔法使いを集めるよう、臣下に命令した。


 この世界では男親もなす術なく見守るだけでなく、母子を守るために動くことができる。


 ならば、そのために全力を尽くそう。



 ちょうど大規模な戦争が終わった直後だし、この国も俺の家族も次の大きな変化に備えて、今はゆっくり休む時なのかもしれない。






 だが、俺の立場が変わったことで、俺を頼ってくる者も増えたらしい。


 現皇帝の甥が首都ナフスタを訪ねてきた。

 逃げこんできたと言ってもいい。


 早速、俺とアメリアはこの皇帝の甥であるハスカと対面した。


 ハスカはまだ十三か十四といったところだろうか。日本でなら元服するかどうかといった年頃だ。こちらの世界でも成人とみなすには、少し早いかもしれない。


「これまで私は父や母とともに、所領で平穏に暮らしていたつもりでした……。しかし、悪しき皇帝により突然兵を差し向けられ、父親と兄は殺され、母は捕縛され、僕だけはかろうじて逃げてきたのです……」


 それぐらいのことは俺もアメリアもすでに聞き知っていたが、そのまま話を続けさせた。


「これまで関わりの深い寺院などに匿われてきましたが、そこも安全ではなく、オールランド侯国の威勢を頼り、やってきた次第です……」


 ハスカの父親は有力な皇位継承者候補だったから、このハスカも巻き添えを食ったのだろう。


 それにしても血がつながっている者ほど怖いものはないな。この世界も信長がいた世界も、お家騒動がなかった一族などほとんどいないはずだ。


 信玄は親父を追放し、政治対立の激しくなった嫡男を死に追いやった。


 謙信は兄に圧力をかけて当主の座についた。


 家康は自分の嫡男を殺してもいいか、一応俺に伺いを立ててきたので認めた。


 義元も母親は違うが兄を殺して当主になったな。


 ……改めて考えると、本当に親族で争いがないほうが珍しいんだな。


「あなた、上の空になっていませんか?」


 余計なことを考えているのがバレて、アメリアにたしなめられた。


「戦乱が続く世の中は不幸なものだと考えていたんだ。私も君も親族に裏切られてきただろう。ハスカ殿の経験も他人事ではない」


 その「他人事ではない」という言葉にハスカは希望を抱いたらしい。


「では、父や兄の仇を討つお力添えをしていただけないでしょうか!」


 俺はその言葉を聞いて、上手い具合に表現するなと思った。


 仇を討つということは、皇帝を倒すということだ。

 つまり自分が帝位につくということだ。


 皇帝になるお力添えをしていただけないでしょうか? そう言うと強欲に聞こえるから、あくまで敵討ちを強調した。


 皇帝を補佐する立場というのは大義名分として強いし、それは魅力的ではある。多くの場合、それは実質的な天下人だからだ。


 しかし、それを素直に受け入れがたくもある。


 前世で自分が将軍につけた奴に裏切られたことがあるからな……。


 あの時、俺はかなり危機的ではあった。信玄が攻めてくることが現実的になって、織田信長はひょっとすると滅ぶのではという憶測が流れだしていた。


 そしたら将軍義昭は俺を見捨てる方向に舵を切った。


 明智光秀はその態度にあきれて、義昭と俺への両属という立場から俺だけの家臣となることを選んだんだった。


 その光秀に裏切られるんだから、なんとも多難な人生だったな……という気もするが。


 また、横道にそれたことを考えていたが、今度はアメリアも咎めなかった。

 間を空けるのが自然な話だったからだ。


 ここですぐに仇討ちに尽力しますとは言えない。それは今の皇帝勢力への宣戦布告と同じになる。


 俺が黙っているので、アメリアのほうが先を続けた。


「ハスカ様、お気持ちは私もよくわかります。ですが、まだまだ不安定なこの国が皇帝陛下に盾突けばあっさり滅亡してしまいます。私達も国の民を守らねばならないことをご理解ください」


 珍しく、アメリアがはっきりと微笑んでいる。

 相手を安心させるためにそれが最善と感じたからだろう。


「ですが、このまま流浪の身を続けさせることもできません。領内の寺院にて、しばらく身を潜めていただけませんか? これまでの潜伏先よりははるかに安全なはずです。情勢は刻一刻と変化します。時が来たら私達も必ず協力いたしますから」


 ハスカの顔が赤くなっているので、イラッとした。人妻を見て照れるな。


「わかりました。立ち上がる機を待ちたいと思います」





 ハスカが退出したあと、俺はアメリアに愚痴を言った。


「いっそ、今のうちに『将来皇帝になっても絶対に裏切りません』と宣誓書でも書かせるべきだったかもな」


「あなた、将軍様に裏切られたこと、本当に根に持っているんですね」


「当たり前だ。俺は自分から義昭を見捨てる真似をしたことは一度もない。政治対立はあったが、それは俺が庇護者だったから苦言を呈するのも仕事のうちと思ったまでだ」


 義昭の顔が頭に浮かんできやがった。前世の記憶がはっきりしてるのも考え物だな。


「アメリアなら信じてくれると思うが、俺は最初から自分が日本の支配者になろうと考えたりなんてしてない。義昭が京都にいて、それを俺が支えていればいいと信じていた。というか、それ以外の選択肢なんてとれないだろうが」


「そうですね。将軍を自分から追放すれば、あなたには何の大義名分もなかった。むしろ滅ぼすべき敵と認定されて確実に滅亡していたと思います」


「そういうことだ。俺が日本の半分以上を支配していれば、強引に事を押し進めることもできただろうが、そうでなきゃ四面楚歌になって滅ぶだけだ。そもそもすべての大名が義昭に平伏すれば、庇護者の俺もそいつらを滅ぼす理由はないから、領地も増えない」


「けど、そうはならなかった。周辺の勢力――たとえば私が生まれた朝倉も信長と対立した」


 アメリアはさばさばした口調で言った。

 前世の彼女が幼いうちに死んだのは、俺の恨みが大きくならないという点ではよかったんだろうか。


「敵対勢力と戦っているうちに領地が広がって、ついには自分が将軍になってもいいぐらいの位階をもらっていた――それが俺の真相だ。生まれた時から国を統一すると思っていたら異常だからな」


「だけど、今のあなたはすでに国を統一するというつもりでいますね。そこが織田信長との決定的な差だと思いますよ」


 そう言って、アメリアは俺の後ろから抱きついた。俺のおなかのほうにまでアメリアの手が回る。


 本当にアメリアは知的だ。

 あの戦国時代との違いが何か、的確に見抜いている。


「アメリア、君を妻にして本当によかった」


「それは私もですよ。あなたがいなかったら、私はきっとこの世にはいないはずです。あなたの覇道のお手伝い、手伝ってあげますよ」


「あなたの覇道じゃない。二人の覇道だ」

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