第11話 信長、祖国に攻め込む

 軍議で攻め込むルートを決めたりするかたわら、「調略」も積極的に仕掛けた。


 つまり引き抜きだ。元々、俺の弟とは距離を置いていた臣下のところに密使を送り、俺の側につくようにそそのかす。


 幸い、二国の間の国境線は山中で隔てられている。

 主要な峠道は国境警備も固めているだろうが、山中すべての国境線を見張ることはできない。密使はいくらでも送り込める。


 密使にはついでにオーウェル伯国の内情も調べさせた。


 まさかオールランド侯国と戦争することになるとは想定していなかったらしく、国内は混乱しているらしい。


 いまだに徹底抗戦を謳う派閥と、さらなる交渉を続けるべきだと主張する派閥が争っているらしい。


 さらに、二年前に俺への謀反を提案した重臣数名を処刑して、謝罪すべきだという話まで出ているという。


「とても統制がとれているとは言えませんね」


 夫婦の寝室でアメリアはあきれたように言った。寝巻き代わりの薄いローブを羽織って、ベッドに座っている。


「弱い国というのはこういうものだ。将来的にどうなるべきだとか見通しも何もないから、あたふたすることになる。はっきり言って楽勝だと思う」


 俺は感想を述べると、小テーブルに載っているグラスの水を干した。オールランド侯国は湧き水が豊富なので水が美味い。


 それと、ようやく俺は臣下としての口調を終わりにできている。それでもアメリアを主として仰いでいた時期が長いので、ぞんざいな口調で話すのは落ち着かないが。慣れるのにはもう少し時間がかかりそうだ。


「そうですね。小国家が団結もできてないなら問題はないでしょう。それはそれとして――」


 アメリアは立ち上がると、俺の服をつまんだ。


「私に手をつけようとしないのは、どういう料簡(りょうけん)ですか?」


 やはり言われたか。

 アメリアの声は明らかに批難するようなものだった。


 結婚して一週間、まだアメリアと男女の関係になったことはない。


「まさに政略結婚だったと言うんですか? 織田信長が成り上がるためと考えればしっくりは来ますが、楽しくはないですね」


「そんなことはない。ただな、天下を考えているからというのは正しい」


「話を聞きましょう」


「出産が命懸けなことは男の俺でも知っている」

 俺はアメリアのほうを向いて言った。


「まさか、私の身を第一に考えて、一切手をつけないつもりだとでも……? 到底、あの織田信長らしくない思考ですが」


 こういう時の正しさが何かわからないから、そのまま伝えることにした。


「じゃあ、信長が言いそうな答えをしてやる。今、アメリアが出産の時に死ぬようなことがあったら、オールランド侯国は宙に浮いたようになる。俺はアメリアの婿だから認められているんだ」


 成り上がり者のオールランド家と血のつながりが薄い婿なんて、妬みを買う典型のような存在だ。


 おそらく、その失点は俺がどんな政治を行っても回復できない。


「天下を獲ることだけ考えるなら、アメリアをじっと閉じ込めておきたいぐらいだ」


 アメリアはあきれてため息をついた。


「その志だけは褒めましょう。ですが、アメリア王国の君主としては到底許せはしませんが。それは私に対する侮辱と同義です。場合によってはあなたを罰することも視野に入れますよ」


 それはそうだろう。こんなことを言われてうれしいと思う人間はいない。


「だから、最大限の準備をしようとしている。魔法がかかった安産の護符を各地から集めている……」


 この世界が日本と違うところは魔法が実在する点だ。


 今のところ、戦争に使える攻撃的な魔法は敵を押し出す程度の威力のものぐらいで、殺傷能力が足りなくて火縄銃の代わりにもならない。


 それでも、傷の回復を速める治癒魔法は実用性も高い。


 そんな魔法の中に母体の生命力を強めて出産のリスクを小さくする魔法はある。

 ようは、母体が元気なまま出産させるのだ。


 真言密教の僧に修法を行わせても、ほとんど意味はないが、この世界では祈り以上の意味がある。


「一つ一つの護符の効果は小さいが、いくつも集めればだいぶ違う。そこに母体守護の高名な魔法使いを招けば、危険はずいぶん下げられるだろ……」


「つまり、魔法使いのツテがほしいわけですね。候補はあるのですか?」


「オーウェル伯国は海に面している。港を手に入れられれば、遠方からも魔法使いを招ける」


「わかりました。もう少しだけ待ちましょう」


 アメリアも納得してくれた。ただ、もう一度あきれたため息をついた。


「私のことを心配しているとだけ言えばよかったのに、どうしてそんな言い方をするんですか?」


「織田信長らしい言葉を求めたのはそっちだろ。俺だって常に合理主義だけで生きてない。でも……欲望だけで動いてはいないわけだな」


 俺はアメリアの頭に手を載せた。


「欲望に負けてたら、こんな美しい妻を前にして我慢できてないはずだ」


「ものは言いようですが、あなたが私のことを心配してくれていることはよくわかりました。あ、ありがとうございます……」


 なぜかアメリアは顔を赤くして、悔しそうな顔をした。


 けれど、すぐに俺の目をじっとにらんで、こう言った。


「言うまでもないですが、使用人に色目を使うようなことは許しませんからね。我が国の品位を傷つけた婿は追い出しますから」


「あ、ああ……それはもちろん我慢する……」


 この年で禁欲するのは少しつらいが、合戦の前の|精進潔斎(しょうじんけっさい)のようなものだと思おうか。


「では、早くあなたの祖国を滅ぼしましょう」


「そうだな。そこは遠慮なくやるつもりだ」


 早く憎らしい弟と重臣を泣かせてやることにしよう。




● ● ● ● ●




 オーウェル伯国からの反応がないため、オールランド侯国側はいよいよ兵を動かした。


 まず、峠付近の敵方の砦に一斉に火矢を放って、攻め立てた。


 五十人ほどで守る砦に千五百人の兵が押し寄せてくるのだ。敵兵は開城して逃げていった。


 アメリアは「全滅覚悟で籠もっていれば、少し持ちこたえられたものを。骨のない軍隊ですね」と辛口の評価を口にした。


「国に対する信頼感の差だよ。滅亡するかもと思っている国に尽くしても、見返りがないからな」


 峠の砦がすぐに落ちた時点で勝負はあった。


 武田が滅んだ時と同じような空気があったのだ。


 城の多くから雪崩を打ったように守備兵が脱走していく。こうなると、本拠まであっさりと敵が攻め寄せてくることになるので、逃走の勢いにそのまま流されてしまう。


 後ろを向いて戦える人間はいない。

 国が一度傾くと、もうどうしようもないのだ。




 その後、俺は先発部隊の武将として前面に出て戦った。アメリアが率いる本隊はあとからゆっくりとやってくる。

 戦ったといっても、戦闘らしい戦闘はなかったが。


 俺は配下の二百人の兵を引き連れて、二年前の自分が陣を敷いた丘に登っていた。ほかの将の兵を合わせると、すでに千を超えている。


 後ろから来る兵を合わせれば二千にはなるだろう。


 あの時は絶望的な気分だったが、今は違う。


「凱旋と言えば凱旋だが、故郷に攻め込んでるわけだから、晴れ晴れしい気分ともちょっと違うな」


 弟が攻め寄せてくる雰囲気もない。自分の本拠周辺で身を守っているんだろう。


「城の前で守っているのが五百。城の中にこもってる兵を足して七百ぐらいか。それが今のオーウェル伯国の限界だな」


 先発部隊の代表である司令官のエルハンドが、「兵がどれだけ集まってから攻め寄せるのがよいですかな」と尋ねてきた。


 多くの敵兵が外に出ている以上は籠城戦ではない。今の千の兵で攻める手もある。一方で残りの部隊が集まるまで待つのもアリだ。


 だからこそ元君主の俺に打診したわけだろう。



「この兵でも勝てるとは思いますが、残りの兵も待ちましょう」


 エルハンドは少し意外そうな顔をした。


「おや、てっきりこの千人で落とそうとおっしゃると思っていましたが」


「焦る必要はありませんからね。ここはじっくりと落としましょう。むしろ――ダメ押しの調略を仕掛けたいと思います」

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