第9話 信長、最大級の武功を上げる

 戦局はこちらが持ち直してきていた。


 無数の敵兵がアメリアに殺到して、対処しきれないというわけではない。このままなら、敵の兵力が尽きて俺達の勝ちだ。


 だが、だからこそ敵も大きな博打に出るらしい。


 毛並みのいい黒毛の馬に乗った騎士がこちらに向かってくるのが見えた。


「あれは叔父のビスキル・オールランドです!」


 アメリアが驚いたように叫んだ。

 大将同士の一騎打ちに来たってことか。


 ビスキルは「アメリア、覚悟しろ!」と|大音声(だいおんじょう)を上げて、こちらとの距離を詰めてくる。


 俺はアメリアの前に立つ。


「ご安心ください。信長の若い頃の血が騒ぎます」


 後年、大大名になってからは当然、最前線に出るなどという愚かな真似はしなくなったが、若い頃の信長は自分一人で馬に乗って出て、あわてて家臣が追いかけるということもあった。


 そうしないと、家臣がついてこないからだ。

 戦に怯えるような姿を見せては忠節を尽くす気にはなれない。


 俺は一度だけ、ちらっと後ろを向いた。

「叔父上を討ち取ったら、たくさんの恩賞をお願いいたしますね」


「当然です。約束しましょう」


 アメリアも笑って言ってくれた。


 なら、全力でやるまでだ。




 俺の槍のほうが長い。


 ハーヴァーと信長がやってきたことを信じろ。


 ビスキル・オールランドが迫るところに全神経を集中する。


「邪魔だ! 小僧!」


 ビスキルも血眼でこっちに向かってくる。


「うおおおおおおおおっ! かかってきやがれっ!」


 俺は絶叫と共に槍を前に高々と突き出す。



 その槍がビスキルの首を貫いた。



 そのまま、ビスキルは力なく落馬した。すでに絶命した。


「ビスキル・オールランドを討ち取ったぞーっ!」


 俺は天を轟かすような声を上げてやった。


 この声が一人でも多くの兵に聞こえれば、それだけ早く戦は終わるからな。


 俺の声が合図になったみたいに敵兵の動きは弱くなり、もう、本陣が危機にさらされることもなくなった。


 ビスキルの死をもって、アメリアに盾突く勢力も消滅したのだ。


 敵からの危険が消えたことで、俺は騎士の礼をとって、アメリアの前に片膝をついた。


「アメリア様、ハーヴァー・オーウェルがお守りいたしました」


「ありがとう、本当に素晴らしい勇姿でした」




● ● ● ● ●




 戦のあと、俺は英雄として祭り上げられた。

 主君を守って、しかも敵の総大将を殺したのだから、それも自然な反応だろう。


 俺のために城下町ナフスタでのパレードも行われたぐらいだ。


 けれど、俺の素性はまだ明らかにはされなかった。


 この場合の素性は織田信長のほうじゃない。そっちを明らかにしても大半の人間は意味がわからないだろう。


 俺がハーヴァー・オーウェルだということだ。


 その名前を公言すると、弟が治めているオーウェル伯国との関係が微妙になるおそれがある。


 オーウェル伯国に今のこの国が負けるとは思えないが、大きな戦争の直後にまた戦争になるのは困る。最低でも少しは間を空けたほうがよかった。



 もっとも、これは俺が一人で立ててる目算じゃない。


 今はアメリアも一緒だ。




 戦のあと、俺はアメリアと二人で話をする機会が増えた。

 俺がアメリアを守った武功はオールランド侯国中に知れ渡っていたから、別におかしく思われることはなかった。


 中には、アメリア様が騎士に惚れたのだと思っている者もいるようだし、そんな噂も立っているが、そういう甘酸っぱい話はしていない。



「では、戦争から半年が過ぎたら、ハーヴァー・オーウェルだということを発表することにしましょう。それだけ期間が空けば、兵も民もそれなりの休養ができるでしょう。仮にあなたの母国がすぐに兵を動かしてきても対処できます」


 淡々とした調子で、アメリアは俺に計画を伝える。


 戦場で見せた笑みはやっぱり奇跡みたいなもののようで、あれから目にしたことはない。


 臣下の俺が笑ってくださいと言うのも失礼だから、そのままでいる。


「そうですね。もっとも、オーウェル伯国はすぐには動けないと思いますが。あの国は重臣が権力を分け合っている状態ですから。つまり、兵を出すにしても何度も軍議を重ねるはずです」


 権力が分散しているなら、素早い対応もできない。


「それに、オーウェル伯国が攻めてくるより先に、アメリア様のほうが攻め込むつもりでしょう?」


「九割方そうなるでしょうね。私はハーヴァー・オーウェル伯の恩義に報いるために、当主復権のために全力で兵を送り込みますよ」


 アメリアはこう言いたいのだ。


 俺の復権のために兵を出して、そのままオーウェル伯国を接収すると。


 こんなにあっさりと隣国を吸収できるのにやらない手はない。俺も賛成だ。


 ついでに俺を裏切った連中にも自分が何をしでかしたか、しっかり教え込んでやらないとな。


 隣国と国境付近で一度や二度戦争が起きたからといって、それで隣国を恨んだりはしない。それは戦乱の多い時代には日常茶飯事だ。


 信長時代の俺だって、親父の代に美濃の斎藤道三に大敗したことがあるからといって、斎藤道三を憎んだりはしなかった。道三は立派な美濃の国主だったし、義理の父でもあったしな。


 しかし、味方になっていながら裏切る奴は別だ。


 もちろん、戦乱の時代だから権謀術数が必要だというのはわかる。信長時代の俺も伊勢の北畠氏一族を大量に粛清したことがある。北畠の婿となっていた息子の信雄(のぶかつ)の支配を完全なものにするためだった。


 ただ、失敗したらその時は覚悟をしておけというだけのことだ。


 元々、オーウェル伯国とオールランド侯国では国力の規模が違う。


 長らくオールランド侯国の君主権力が弱かったから、他国へ侵略するようなことも少なかったが、今はアメリアが国内の敵対勢力を消滅させた直後で、その権力は大幅に強くなっている。


 今のオールランド侯国がオーウェル伯国に兵を出せば、勝負にならないだろう。


 というわけで、俺達は国を獲る話をしているのだ。



 それと、織田信長が朝倉を滅ぼしたあとに何をしたのかを俺はアメリアに話した。


「やっぱり本願寺に悩まされたのですね。しかし、まさか武田がそうもあっさり滅ぶとは、何度聞いても信じられません……」


 アメリアは興味深く俺の話を聞いていた。

 俺も朝倉が滅んだ十年後には死んでいるから、話せる範囲は知れているが、十年とは思えないほどに激変したことが多いのも事実だ。


「本当に光秀が裏切ったりさえしなければ、ほぼ天下静謐(せいひつ)は確定的でした。おそらく、当面、各地で小競り合いは起こったでしょうが、基本的には安定した時代になったでしょうね」


「ですね。しかし、信長が死んでもその子供は何人もいたはずでしょう。すぐに日本が乱れるとは限らないのではなくて?」


 俺は首を横に振った。


 悲しいが、おそらく、それはない。


「あの時、嫡男の信忠(のぶただ)も京都にいましたから、光秀は確実に殺しているでしょう。残りの息子の信雄(のぶかつ)や信孝(のぶたか)では無理です。そもそも、嫡男ではないから権限も知れていましたし」


「なるほど。一門衆の権力が弱いと、当主の権力も確立しやすい反面、当主が死ぬと瓦解の危険も高くなるということですね」


 やっぱりアメリアは利発だと思う。


 当時の日本では特殊なケースを除いて、女子が君主になることは少なかったが、アメリアがもっと早くに生まれて、朝倉の家を継いでいたら、俺もはるかに苦戦したかもしれない。


「あら、どうかしましたか?」


 少しぼうっとしていたので、アメリアに指摘された。


「いえ、アメリア様が前世で敵として立ちはだかることがなくてよかったなと思っていたんですよ」


「戦国大名朝倉氏の初代は応仁・文明の大乱の中で権力を確立して、越前一国を手に入れた存在です。新規に興った大名としては相模の北条と並んでかなり早いはず。その血が流れていれば、おかしなことはないでしょう」


 やっぱり弁が立つなと俺は思う。


「それで……半年後となると、あなたももう十八歳になられるんでしたかしら」


 ノブナガと呼ぶべきか、ハーヴァーと呼ぶべきか悩ましいので、アメリアは俺を「あなた」と呼ぶことが増えていた。


 人前でハーヴァーと呼んでしまうと危なっかしいしな。


「はい、そうですが、それが何か?」


 別に十八歳になるとやらないといけない通過儀礼など、オールランド侯国にもないはずだが。


「その頃には私も十六です。それで……また縁談の話をされることも増えると思います……」


 アメリアは手を伸ばして、テーブルの上の俺の手の甲に重ねた。



「私の……婿として、この国を支えていただけませんか……?」


 そう、つぶやくようにアメリアは言った。


「あなたとの共同統治ということでけっこうです……。オーウェル伯だったのなら、家格としても問題ありませんし……その……オーウェル伯国併合の大義名分にもなります……」


 政略結婚は前世で慣れていたが、こんなふうに気持ちを込めて告白まがいのことを言われるのは珍しかった。


 理由を重ねられても、アメリアの気持ちが政略上のものじゃないことぐらい、すぐにわかった。


 俺はアメリアの手を握った。


「はい、喜んで。夫として、アメリア様のために尽くします」


 俺も素直にうれしい。


 アメリアが妻になるのなら、俺が君主として領土を広げようとアメリアを裏切ったりすることもせずにすむ。


「夫となるのなら、そんなふうに家臣のように答えるのはおかしいですよ」


 顔を赤らめて、アメリアはうつむいた。


「正直、アメリア様が照れたりすることなどないと思っていたので……意外でした」


「だから、夫となるというのなら、家臣のように呼ぶのはおかしいでしょう」


「しかし、今日、婚約を発表するわけでもないのですから。アメリアと呼んでいるのを誰かに聞かれるのもまずいでしょう。もう少しお待ちください」


「……ですね。これに関してはあなたのほうが理にかなっています」


「それと、俺のほうからも一つお願いしてよいですか?」


「なんですか……? 話だけなら聞きましょう」


「笑っていただけませんか。婚約が成ったわけですから」


 アメリアは今日初めて、俺に笑いかけてくれた。






 君主の地位を追われてから二年弱で、どうやら俺はまた君主に返り咲けるらしい。


 以前よりはるかに強大な国の君主として。

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