第7話 旅鳥の大樹に寄るは
朝陽が荒野に色をもたらす。
長らく纏った闇が足元から這い出す頃、ズクゥは陽に瞳孔を点に縮め、キーリェを見上げた。
「悪いが仮眠をとりたい」
「あぁ構わない」
キーリェは心積もり──相手は夜に生きる
合間に視線を投げれば、彼の白髪交じりの茶髪は汗でしとど、雫が連なり垂れる。半ば
「使うと好い」
「恩に、着る」
地を切り取った影に半ば崩れる如く、ズクゥは片膝を突いた。ウゥ、と低く息を漏らす。丈も肩幅も合わぬ土色の外套を脱げば、砂の上に荒く横たわった。
陽を遮ることに注力した天幕は垂れ布が寸足らず、影は広くとも身を隠せる代物では無い。吹き抜ける熱風が天幕を揶揄えば、伏した彼に砂埃を降りかけ去る。
キーリェは彼の強いトリの特徴──頬に大きく避けたような唇と腕を覆う羽毛に似た体毛。幼く見えても毛艶からして初老か──を盗み見、荒野ではさぞ生きづらかろう、と目を逸らした。
ズクゥは
だが、初対面の者の前で無防備に寝入る、その疲労は如何ばかりか。
彼女も酷い疲れを感じ、日陰へ進んだ。
警戒するに越すことは無し、と装束を解かぬままに座り込む。脱水と飢餓の懸念がなくとも、気が休まらぬ、と脚も伸ばさぬまま。
知らず胡座で寝入ったキーリェは、重く目蓋を上げた。玉の汗に目眩、干上がった喉でゴクリ、唾を飲み込む。
「……嬢さん暑かろう。安心して薄着になりなさい」
唐突、
伏していたはず、とキーリェは己の迂闊さに舌打ちした。髪覆いの隙間から明瞭とした
「俺は男だ」
反応の遅れに内心で歯噛みし、キーリェは低く唸った。同時、相手の身を起こす動作に湾刃の柄を鳴らす。
「男ならば尚更、と謂うには君は美しすぎる」
「フンッ」
キーリェは盛大に鼻を鳴らした。知性は間に合わず悪態が口を衝く。
「莫迦か!」
彼女は今すぐ髪覆いを外し、蒸れた長髪を掻き毟りたい衝動に駆られた。だが頬から項から赤く染まった自覚に、それも叶わぬ。
「君が倒れれば、私も困る。その外套くらい脱いではどうか」
ズクゥは彼女の返答を待たず、荷を探り水袋を
「……荷を奪わぬ君の良心に、感謝を」
キーリェは未だ覚めぬ熱を誤魔化すよう、水袋を引ったくった。
「私は旅鳥。北の山を越えて此の地に戻った」
充分な水にキーリェの情緒が地に着いたのを見計らい、ズクゥは微笑みらしき表情──口が裂け、瞳孔が小さい為、少々不気味な趣──で語り始めた。
覆いの垂らし布を捲り上げ、その緑の双眸を晒した彼女は、北の山、と薄紅の唇を震わせた。
「山の向こうから、何故」
「旅を棲み家とせよ、往けと。私の中のトリが騒ぐ。大樹を目指し、羽が無ければ歩き続けよ、と」
キーリェは驚きを隠しもせず、目を瞠った。老
「貴方はトリを、知っているのか」
「勿論。我々の祖先であり、今は絶えた哀れなる種」
知らずに生きられようか、とズクゥは己の肌を撫でる。その労りの滲む──厭わしさの一切無い眼差しに、彼女は困惑した。自然、伏せた先は青い血管の浮く皮膚のおぞましさ。
「では何故、私を頼った。天幕を持つからか」
彼女は、抗えぬ苛立ちに声を震わせた。彼を生きづらかろう、と哀れんだ己の傲慢に、だ。
ズクゥは己の左足の裾を、長靴から引き出した。自嘲を唇に含ませ、羽毛に覆われる左足を彼女に晒した。
「毒蛇に」
捲り上げた瞬間、傷の爛れ化膿する臭いが立ち昇った。キーリェは咄嗟に鼻を手で覆い数瞬、彼への無作法を恥じ、手を離した。折り好い風が臭気を攫えど、それも一時のこと。
布切れをきつく巻いた
脚の乱れはこれか、と彼女は気づかなかった己に罵りの言葉を呟く。
「水で……手当を、ズクゥ」
しかしズクゥは破顔した。
如何にも嬉し気に目を細め、裂けた唇を大きく
「私の旅は此の地で終わりだ、嬢さん。美しき良心すら持ち合わせた君との出会いを、私は春楡に感謝せねば。どうかこのまま同行を願いたい」
続く
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