棄てる!
@yasnagano
棄てる!
棄てる! 小田 晃
(1)
西向きの窓から差し込む陽ざしが、薄っぺらなカーテン越しに容赦なく照りつける。まだ6月だというのに、昨今の日本の気候はどうかしていて、オレが子どもの頃の夏休みの朝の、蒸せるような暑さと同じくらい厳しい。今朝も全身汗まみれで起こされた。そう、毎朝オレは目を覚ましたくもないのに、この暑さで無理やり起こされる。全身汗だくだ。家賃3万5千円の二階建て木造アパートで、風呂は勿論ない。だいぶ歩かないと銭湯がないし、そこも経営者が爺さん婆さんの二人なので、そのうち閉まることになるだろう。玄関を入ったすぐ横に流し台とカタチだけのガスコンロがある。板間の台所兼リビングのつもりだろう空間に、小さなテーブルと椅子が二脚置いてある。オレが座るのは決まって玄関から遠い方で、もう一脚はまず誰も座らない無意味な存在だ。家具屋で一番安いテーブルを買ったら否応なく椅子が二脚ついてきただけのことだ。
流し台の水道の栓をひねり、チョロチョロと水を出す。ざーと流すと水道のメーターの上がり具合が速いと誰かから聞いて、それ以来水はチョロチョロと流すことにしている。頭から水をかぶり、顔をざっくりと洗い、タオルを濡らして上半身の汗を拭う。それからお決まりのように一つしかない6畳の和室の窓と台所の小さな窓を空けて、ぬるい空気を部屋全体に通した気分に浸る。朝飯は食わない。節約のためだ。昼近くになってからコンビニで一番安い弁当を買い、チンしてもらう。お茶は買わない。毎日ボトルのお茶や水を買うのはバカらしいので、近所のスーパーで買った一番安いお茶っ葉を前の日に煮だして、目が覚めたら冷蔵庫に入れて冷やす。ずっと昔に買った小さな魔法瓶に冷えたお茶を入れて持ち歩く。魔法瓶はオレの散歩の必須アイテムだ。
日々の日課になってしまった行動は、鴨川の歩道を散歩してみたり、時折、河原町近辺で買えもしないものをウィンドウ越しに見て満足することだ。疲れたら街中のネットカフェに入り、時間潰しに長時間マンガを読んだり、一冊100円の古本を何冊か持ち込んで読書もする。出来るだけ金は使いたくないが、ネットカフェの書棚に並んでいるのは殆どマンガ本ばかりだから仕方がない。アマゾンにアクセスして古本を結構たくさん買う。本の値段よりも送料が高くつくことの不条理性を感じるが、河原町近辺の古本屋も激減したので致し方ない。アマゾンへの登録カードは生活保護費が振り込まれるのに必要だというので、銀行に作らされたカードをアマゾンに登録しているというわけだ。まあ、これがオレの大雑把な暮らしぶりの概略。書いてみれば、何とも味気ない日常である。
(2)
オレは永野陽平といい、今年で67歳になる。世間のジャンル分けでは押しも押されもしない老人だ。
高校を出てから室町の呉服問屋に就職した。52歳まで安い給料で働いていたのに、まわりの呉服問屋は次々と倒産して、跡地はマンションになっていった。その後はホテルの建設ラッシュだ。ともかく金に目ざとい人間の動きは速い。昆虫の触覚が獲物を探るように獲物の金を得続けることに奔走している。
52歳になったときにオレの勤めている呉服問屋もご多分に漏れず倒産の憂き目に遇った。結果、オレは永年勤めてきた職場を失ったのである。ある意味、京都の限られた地域に呉服に関わる商売がこれほど永く持ち応えられたのが不思議なくらいだ。いまだに倒産せずにもち応えている呉服商は、我慢比べで己をすり減らしながら耐え抜いたのである。あるいは、呉服に纏わるあらゆるビジネスの裾野を広げていったのである。ビジネスの要とは、目利きと忍耐が勝敗を決する最も大切な要因ではないのか?とオレにだっていまはそう思えるようになった。それにしても、もはや何に対しても取り返しのつかない年齢になり、自分では何一つ創り出すことが出来ないということに、散々な目に遭いながら気づいた。オレはどこまで行っても凡庸な人間だ、と想う。本来なら、こんなことは誰にでも分かることだ。オレは頭の血の巡りの悪い分、気づくのに時間がかかり過ぎた、ということか?
会社が倒産してから、オレは何のつぶしにもならない呉服商人が落ちていく典型のように、日雇い仕事で60歳を過ぎるまで食いつないだが、62歳のときに、マンションの建設現場で三階部分の足場から落ちて腰の骨を折った。労災認定されるはずもなく、退院後のオレに出来る仕事はますます限られたものにならざるを得なかった。
52歳からオレは独りぼっちだ。会社が倒産したら、女房は子どもを連れてオレを見限って出て行ってしまったからだ。オレの両親はオレが高校を出る直前に交通事故で死んだ。大学へ行くことも出来ず、しぶしぶ高校から室町通りの、父親の知人に勧められて、ある呉服問屋に就職した。同じ呉服問屋に勤めていた女と結婚して子どもを授かったのに、その女房が呉服問屋が倒産したと同時にオレを見棄てたのである。家族が去ってからオレは人をこれまで以上に信じなくなった。人生に山あり谷ありなどと言い古された言葉だが、オレに山と云うものがあったとは思えない。オレは地を這い、地の底まで辿り着いたというわけだ。
62歳のときに工事現場で腰の骨を折った後遺症が出て、足を引きずるようになった。リハビリにも限界というものがあるようだ。半分諦め気分で社会福祉申請をしたら認定された。それ以来、オレは世の中の最低限度の生活が出来ると謳われているだけの金を支給され、社会の底辺に生きる生活者として、いまのアパートに移り住み、いじましい生活を強いられている。何度言っても言い足りないが、いまのオレは人も社会も信じていない。いくつかの不幸が重なって、さらに仕事でケガをし、社会福祉の最低限の生活をしていることで、世の中の不公平性を恨んでいるのは事実だ。
オレはそもそも人間の裡に内包されているはずの「共同性」を追い求める、という概念が理解出来ないということか?何故そう思うかと言うと、人間の「共同性」というものに大いなる虚偽と不公平性を見出し、憤っているからだ。だからこそ、オレは分かる。社会という総体、人間の集合体そのものが虚像なのだ、と。オレは社会に蔓延している偽善を心底憎む。偽善者ほど自分のことを良き人間だと信じて疑わないが、彼らの善良さ?というのは、単に世間体を気にした結果の言動であったりする。そして何よりオレの神経を逆なでするのは、善良?な人々が、己の勝手な価値観を覆すことがもし身近で起これば、それを全力で隠蔽しようとして憚らない。こういう人間はすべからく偽善者だ。彼らにとって、何より大切なものは自分。偽善者とは自己愛に溢れている!これが偽善者の真の姿だ。
(3)
オレは幼い頃から虚弱体質で、学校も休みがちだった。運動神経にも恵まれず、唯一の楽しみといえば本を読むことだけだった。というか、友達に関わったらバカにされるだけだったので、自分一人の世界に閉じこもる手段が読書だったというだけのことだ。本の中の作りものの世界の登場人物と同化することが、オレが世界の中で生きるということだったのである。一人っ子で甘やかされて喘息持ちになったのか、喘息だったから甘やかされたのかは定かではないが、ともかくオレは他者と関わると決まって喘息の発作に襲われた。だから、学生時代の友人たちは誰か?と自問しても誰ひとり思い出す顔などまるでない。
誰とも、何とも関わらなかった分、オレは本をむさぼるように読んだ。しかし、読書家という類の人間ではない。それしかすることがなかっただけのことだ。が、結果的にオレは膨大な本の内実から世界を見渡していたのかも知れない。誰にも評価されず、誰にも理解されず、それでもオレは結構な確率で世の中の矛盾の本質的で根源的な要因に辿り着けるようになっていたように思う。より正確に言うと、自分なりの思い込みの渦の中に埋もれていられたということだろう。
(4)
こんなことを言うと誰からも非難されることだろうが、そもそもオレには人間の労働の意味がよく分からないのである。生活費を捻出するために仕事をする人もいれば、自分の仕事に誇りを持って生きる糧にしている人もいる。それはよく理解している。が、歴史の大きな流れの中で、人間が仕事を創出して行っていることの殆どは無意味ではないか、と思えてならないのである。
確かに生活様式の近現代化がもたらした社会現象が、人の暮らしの利便性を高めはしたのだろうし、オレのいまの生活の糧である社会福祉の概念や制度が生まれたのも、人が仕事を重ね、社会様式が変化した結果の副産物だろう。敢えて自分の立場を無視した言い方をすれば、この世の中、「やり過ぎ」だということではなかろうか、とオレは強く思っているのである。科学技術の進歩によって人間が幸福になる、と素朴に信じていたのは、少なくともオレの場合は1970年代までだ。かの大阪万国博覧会に初めて、日本の原子力発電所からの電気が会場中を眩く照らしたときの感動は忘れないし、手塚治の「鉄腕アトム」が悪しき者たちを快刀乱麻する姿に酔いしれたことも事実だ。鉄腕アトムの胸をパカっと開ければ、そこに原子力のエネルギー発生装置があって、アトムは原子力エネルギーを注入して空を飛び、百万馬力のエネルギーを発揮し、悪党を次々になぎ倒す。そう、その当時の原子力は、人類の未来を輝かしいものにするための必須の要素だった。
しかし、21世紀の現代はどうだ?原子力開発は、劣化ウランの処理も開発しながら未来永劫使えるエネルギーとして機能するはずだった。しかし、核廃棄物の処理どころか、いまやそれをどこに棄てようか?と云う話にすり替わっている。見切り発車とはこういうことを言うのである。そう言えば鉄腕アトムの妹は、ウランだった。皮肉な話である。すでにこの世の人ではなくなっている手塚治は、いまの時代に生きていたら何と感じるだろう?
まあ、原子力開発は政治色が濃いし、政争の道具にされがちだから、オレがとやかく言ったところで意味がないだろう。いまはこの話は深堀しないでおこうか。
(5)
世の中、こぞってAIだのIOTだの、コンピュータプラットフォームをどう構築するかという議論が最先端なのだと謂わんばかりだ。デジタル化、キャッシュレス化なんていうのも当然のように、恰好よく?語られるのはどうしたことだろうか?
おかしな話が大手を振ってまかり通っていることもある。大手銀行が消費者金融に資金と大手銀行の名前貸しをし、お墨付きを与え、テレビで大宣伝だ。消費者金融は、いまや大手銀行の子会社になってしまったか?消費者金融業者が、人気タレントを巧みに使って高利貸しを正当化していることが批判的に語られなくなってしまった。人々の高利子の金を借りるための精神的垣根を低め、なおかつ殆ど無審査のカードローンを低所得者に貸し出すというわけだ。タレントはギャラを貰えればそれでいいのだろうが、借りる側は、あれで借りなくても我慢出来る金を高利子で借りてしまう、この戯画的様相はいったい世の中、どうなってしまったのだろうか?これはむしろ正当化を装った犯罪的行為と言っても言い過ぎではないだろう?それでいて、高利貸しへの過払い金を取り戻すことを主な仕事にしている弁護士事務所も儲けているのだと聞く。貧困ビジネスが闊歩しているのが現代という時代か?いや、人類の歴史そのものが貧しい人間から搾取しまくってきたわけだから、これが人間社会の暗部と言えば言えなくもない。
人口知能の発達を礼賛する人間たちは、スマホから貯蓄も振り込みも支払いも出来てしまうのだから便利この上ないと宣うが、こんな使い方が出来るのは、口座に金がたっぷりある人間だけだろう?お気軽にカードやスマホでどんどん支払いをして、後でしまった!と後悔するのは大した金のない人間だし、そういうのに限って、お支払い方法はリボ払いで!という悪魔の誘いにすぐに乗ってしまう。リボ払いも高金利の悪徳商法だからね、オレから言わせると。いまの社会システムの中で、貧乏人はますます貧乏の泥沼に落ち込んでしまうように仕上がっているわけだ。金持ちたちの金を増やす方法は、明確な脱税や限りなくそれに近いこともやりながらの、資産運用だろうし、資産は減らないどころか、増える一方なのは当然の成り行きだ。現代は所得格差の時代だって?そんなことはとっくに分かっている。所得格差を生み出している側が偽善的に格差社会を根絶しよう!などと念仏のように唱えているだけなのだ。
(6)
最近、身体が自由に動かないのでかえってスポーツに興味が湧くから不思議だ。腰の骨を折って、自由歩行に支障を来すまでの長い期間、オレはずっと運動なんかに興味のひとかけらも抱かなかったのに。そう云えば、テニス界の貴公子なんて謂われているロジャー・フェデラーはスイスの選手らしいが、昨今彼はドバイに住居を構えているという。フェデラークラスになると世界中にいくつも住居はあるだろうが、本拠地としてドバイに住まいを構えているらしい。何でなんだ?ドバイは所得税がないのだそうだ。彼みたいに年間億単位で稼ぐ人々にとっては金にものを云わせて、税金を払わない方法を実際にやってのけられる。ジョコビッチなんて、モナコ公国に住んでいるそうだ。ここも所得税はとられないらしい。が、住むには億単位の資産がなければモナコ公国の市民にはなれないそうだけど。こんなのは序の口。世界中にこの手の脱税もどきの税金対策で資産を目減りさせないように生きている大金持ちが無数にいるんだ。所得格差が無限大に広がるのも当然ではないか!
オレみたいな最底辺の生活者でなくても、年収数百万程度のサラリーマンは、がっぽりと所得税を天引きされるから逃げようがない。自営業の青色申告なんてのもあって、ここでも天引きされるサラリーマンと差がつくのに、何で天引きされるような直接税のあり方に彼らは文句をつけないのだろう?サラリーマンだって、絶対に必要なものはたくさんあるから、経費として落とせる青色申告制度にすべきだ!という人が国会前に圧し掛けないのが日本の不思議だ。
世界規模で見ると、給与所得者であっても天引きの税金のとられ方をしている国の方が少ないのではないか、とどこかで読んだことがある。それが本当なら、よほど平均的日本人は政治家たちや金持ちに従順な国民らしい。いや、権力に対して従順な国民だ。たぶん、カタチは異なっても世界中、富める者は小狡く脱税や節税の方法を考え、富から縁遠い殆どの人々は逆らいもせず税金を差し出しているのが現実なのかも知れない。と、書いてもオレは決して、かつてのオレもそうだったが、給与から所得税をむしり取られる人を気の毒だとは決して思わない。要はかつてのオレも(いまのオレも同じようなものなのかもしれないけれど)、大半の庶民は物言わぬ羊の群れそのものだ。まあ、真剣にやれば金儲けは実際しんどいからな。会社勤めをしながら上司や同僚の悪口を安酒をあおりながら吐き出すのも、チンケだが歓びの一つではあるのだろうし、これは情けないストレス発散法だけど仕方がないね。時折真面目な給与所得者が働き過ぎて過労死したり、自殺したりするのはいかにオレだって看過出来ないけれど。
(7)
古本にも結構新しいものがある。ビジネス書の類はみなそうだ。時代の変化にビジネス書の内実がついていけず、本棚に並べておくだけの価値もないから、読了したらすぐにブック・オフみたいなところに売りに出す人が多いのだ、と思う。ビジネス書の内容が本当かどうかには懐疑的であるにしろ、本の著者の見識をある程度信じると仮定して、語りたいことを彼らの言を借りて、話したいことだけを話すことにする。
オレは斜陽の呉服問屋に就職して、ズルズルと時間が経って、取り返しのつかない年齢で会社を放り出された。おまけに女房にも逃げられた。散々な人生だったと思うが、苦渋を舐めた人間にしか言えないこともある。苦渋を舐めた人間として、社会の底辺から叫び続けることにしようと云う決意は相変わらず自分の中に迷いなく在る。
オレみたいな貧乏人もたまには喫茶店に入ることがある。目的は新聞や雑誌に目を通すためだ。底辺から叫ぶにはマスコミなどは信じていないにしろ、世の中の多くの人がどんな考えにかぶれているかを知る必要があるからね。根拠のない関連性で云えば、新聞や雑誌をたくさん揃えている喫茶店ほど昔ながらのコーヒーショップという感じで、これが大抵まずいコーヒーを出す。店主の独りよがりのコーヒー豆の焙煎で煮だされたコーヒーは、オレには少々苦過ぎるし、ふくよかな香も期待出来ないのである。新聞や雑誌を読むにも忍耐が要るわけだ。
政府が今頃になって「働き方改革」と称して労働の時短を主に訴え始めた。「働き方改革」と確固をつけたのは、時短そのものを捉えても名目上それが出来るのはたんまり内部留保をため込んだ大企業だけではないのか?と単純なオレにも分かる感じがする。国会でああでもない、こうでもない、と言っている政治家たちは、本音では中小企業が大企業と同様に「働き方改革」とやらに前向きになれなんて思ってもいないだろう。「働き方改革」による労働時短で、解雇される労働者が増えるだけで、同時に倒産する中小企業がたくさん出るだろうことは素人にも分かる。所詮、消費税率を上げて、間接税で貧乏人からも満遍なく税金を巻き上げようとするような政治家たちに、物事の本質が分かるわけがない。オレの言い分―サラリーマンから巻き上げている直接税を思い切り下げよ!消費税も上げる必要はない。法人税を底の底まで下げてみよ!日本の企業は、安い法人税や労働力を求めてアジア諸国を彷徨う時代から、日本回帰する時期に来ているんだよ。タケナカヘイゾウが言い出しっぺの新自由主義なんて、貧富の差を深めるだけだ。富の再配分としてのトリクルダウン?アホか!そもそも富は上から下には還流しないんだよ。富は上で回っているだけだ。そういう経済構造を加速させるのが新自由主義の本質だ、とオレは思うけどね。タケナカヘイゾウ自身の生活は増々豊かになっていくのも偶然とは到底思えないな。
タケナカという学者がグローバライゼーションという新自由主義の積極的推進者として認識されていたことをオレは忘れないぞ!タケナカ自身がいま、なりを潜めている感があるから殆どの人たちは忘れているだけのことだろう。それにいまや政治経済界全体がタケナカヘイゾウ化しているからこそ、怖い時代なんだ。グローバライゼーションといえば何となく聞こえはいいが、これは国境を越えた、現代風の奴隷制度みたいなものではないのだろうか?安い賃金を求めて大企業がアジア諸国に生産拠点を移す。その地で賃金が上がり始めたらまた別の開発途上国へ生産地を移す。製品価格は当然安くはなるが、大企業が生産拠点を日本から海外に移すことで、日本の経済機構は圧倒的にスカスカ状態だ。現地生産して、安い賃金、安い法人税をアジア諸国に落とす。結果的に日本人の職場はなくなるし、賃金も生産工場も海外、売りつける商品も多くは海外なんだから、日本でお金がまわらなくなるのは当然のことだろう。大企業は目先の利益を求めて大もうけしているのに、日本人の社員の賃金もたいして上げないし、儲けた大枚の金は内部留保(設備投資のために必要だというレベルを遥かに超えているから、いわば銭にとりつかれた強欲な経営者たちの企業を私物化だ。企業内に貯め込んだ金は、まるで自分たちの預貯金だと謂わんばかりだ)としてたっぷりとため込んでいるんだ。日本の地方都市がますます過疎化することに拍車を駆けたね、これが。大都市に人口が集中するのは当たり前だし、そもそも働く場が東京一極なんだから、地方はさびれる一方だ。これも綺麗ごとから始まったことだから括弧つきで言わせてもらうが、「地方創生」なんて言っても企業を日本に呼び戻さなければ意味がないわけだ。田んぼだらけの、(その上、農業人口の高齢化は目を覆うばかりだ)日本の地方に生産拠点を呼び戻さないと、地方は若者が寄り付かず、年寄りばかりになってしまうのは当然ではないか!東京一極集中という現象は、地方の若者が華やかな都会に憧れることとは本質的に似て非なるものだ。これを解決出来ない政治家は、高い給与を貰う資格はないし、そもそも彼らのやっている政治とはいったい何なのか?歳費の無駄をはぶくために議員数を減らすと言っていたのはウソどころか、むしろ議員数は増えているんだから笑えるね。
煌々と光り輝く大都市と、真っ暗闇の中で人口がどんどん減っていく田舎とのコントラストはアホらし過ぎて、もはやオレなんて逆に笑うことしか出来ないんだ。誤解なく言っておくが、オレは地方をバカにしているのではないよ。こうなることがずっと前から分かっていながら大都会でノウノウと「地方創生」なんて言って政治家ヅラしているアホどもに対して、この世の中で誰が一番嘘つきか?という疑問の答えは、一も二もなく、お前ら政治家、官僚、大企業さんたちだよ、とオレは言いたいだけでね。こんなことを毒づいている人間に貼られるレッテルは左翼だとか過激派だとか危険分子だなんて云うものだけれど、この世界で最も危険な人間たちは、自分がノーマルな思想の持主で、社会のために役立っていると喧伝しているような輩たちだ。これは断言してもいい。
(8)
オレはこの歳になるまで、あまり物事を深く考えない人間だったと正直に告白すべきだと思っている。若い頃は殆ど皮膚感覚で、いやだ、おかしい、と感じていることにも言語化出来ずに結局は人から勧められるまま斜陽の呉服問屋に就職したし、上司から勧められるままに職場結婚した。紹介された女はオレには不釣り合いなほど男の欲情をそそるタイプの女だった。オレに断る理由など何一つなかった。愛を育むなんて概念も分からないまま、25歳で結婚した。
妻の理恵は二つ年上だったが、確かにオレは舞い上がった。理恵は結婚後も仕事を続けたが、オレはそれでよかった。呉服問屋の給料はよくなかったし、共働きでないと経済的な将来展望など持ちようがなかったからだ。理恵も働きたいと言っていたから、当時のオレには願ったりかなったりだったというわけだ。その頃の理恵はオレに理恵を紹介してくれた上司の中山雅樹の秘書的な仕事をするようになっていたから、しばしば中山の、呉服商仲間の寄り合いや飲み会に同行したものだ。帰りが遅くなることが結構多かった。それが自然なものだと思っていたし、何より結婚したことで、オレの京都の伝統に胡坐をかいた文化という存在に対する嫌悪感も薄らいだくらいだったから。まあ、オレは京都に限らず、伝統だとか地域の因習だとか、ベタベタの家族愛とやらの全てが大嫌いだったわけで、その意味で上司の中山には感謝するばかりだった。
(9)
誰もが当たり前に受け入れている価値観にオレが疑いを持ち始めたのは、オレの精神に頼るべき根っ子がなかったからだと思う。何が何だかも分からない社会と立ち向かわねばならないときに両親が交通事故で死んでしまった。その時からだろうな、オレが世の中の当たり前の価値観に疑いを持ち始めたのは。天涯孤独の身に18歳でなったのは、裏を返せば家族愛とか因習とか風習などに囚われない自由を手に入れたことの要因にはなったが、同時にいつも自分が孤独であり、独りぼっちで世界の只中に投げ出されたのだと思っていたのも事実である。
孤独が深すぎると涙も出なくなるし、世の中で当たり前のことが一々気に障って仕方がなかったのである。だからこそ、オレは、みんなとは違って、社会の奥底を見抜ける人間だと自覚していたが、社会の方は、オレなどまるで存在しないかのように、ただの呉服問屋の丁稚の、顔すら覚えてももらえない人間でしかなかったのだろう。少なくとも理恵と結婚するまでのオレの神経は良くも悪くも研ぎ澄まされていくばかりだったのだ。その有様を反抗の論理の先鋭化とも云えるだろうし、自分の実体のない存在を誰からも認知されない、という意味でラルフ・エリソンのように自らの存在を「見えない人間」と称してもよかった、と思う。
「見えない人間」同然だと自己定義をしたくて仕方がないが、両親を交通事故で亡くしたことを自己憐憫の道具にしている甘ちょろい日本人のおまえが何を気どってやがる!とオレが尊敬している数少ない作家のラルフ・エリソンなら、甘ちょろい奴だなと一蹴することだろう。
差別国家だった頃のアメリカ(掘り下げれば今も何一つ変わってはいないのだろうけれど)の、ラルフ・エリソンの主著と言って過言ではない「見えない人間」の一人であると認識することで、オレはこの狭い京都の伝統文化という殻の中で何とか息を詰まらせずにこれまで生き抜いてくることが出来たのだ。
しかし、理恵と結婚生活を始めた当初、オレはどこかで「見えない人間」に描かれた世界観に蓋をしたかったのかも知れない。どうにもこうにもオレは疲れ果てていたからだろうと、67歳のいまだからこそ言える。オレは離婚以来再び「見えない人間」として生きてきたが、死ぬまでこの思想を持ちながら生き抜いていくつもりだ。それこそがオレが生きてきた証だと感じられるようになったからだろうと無理やりにでもこじつけてやる!
(10)
理恵と結婚して二年後に子どもを授かった。男の子だったので和樹と名付けた。しかし、まったくオレに似た要素が和樹には発見出来なかった。とはいえ当時のオレは、和樹が妻に似ているならさぞかしいい男に育ってくれるだろう、と漠然と思いながら日々を過ごしていたのである。
しかし、この頃になると、職場の仲間も油断するようになったのか、飲み会の折などに、結婚前の理恵は誰にでも股を開く女だったということをぼかして言うようになった。オレの推測では、職場の同僚の誰一人、理恵と寝ていない男はいないと思う。オレに理恵を紹介した上司の中山自身もその中の一人だろう。それどころか、いまの理恵が中山の秘書的存在であることを思えば、中山自身が最も親密な関係にある男だということも理解出来た。理恵が仕事で遅くなる理由も想像すれば、夫の嫉妬心をかき立てるには十分だった。二人がどこでどんな男と女のネバネバとした執拗な営みをしているか、理恵のオレとのセックスを思い浮かべれば、それ以上におれ以外の男たち、特に中山との交わりの粘着質な交接のありようが分かるのだ。
結婚後の付き合いを考えれば、息子の和樹は間違いなく中山の子どもだ。同僚に理恵の性的指向をほのめかされる前に、オレは理恵にもう一人くらいは子どもがほしい、と話したことがあった。その時の彼女の反応は、子どもは一人でたくさんよ、とはねつけるように言った。あれは、オレの子どもなんてほしくはない、という宣言だったと思う。いろいろな事情が分かってきた時、オレはこれから先、ずっと中山やかつての男との妻の交接を許容しながら生きていかねばならないのかと思うと、終わりなき憂鬱に圧し潰されるように感じたものだった。やはり、オレの人生はどこまでも閉ざされているのだ。あるいは、オレの嫌いなジャンルの言葉で言えば、呪われているのだ。過去も、いまも、未来もオレはカギをかけられたドアと窓一つない部屋に閉じ込められているように感じながら生きていかねばならないのだ。薄っぺらい「地下室の手記」。ドストエフスキーはオレを見て高笑いするかも知れない。
(11)
上司の中山は抜け目のない男だったと思うが、唯一の計算違いは理恵という女を甘く見たことだろう。男と遊びまくっている女だ、オレもこの女を味わい尽くしてやろう、と欲を出したのがそもそもの間違いのもとだった。理恵という女は単なる全方位型の男狂いではなかった。彼女のゆるい股は、最もうまそうな餌を探すための有効な道具だったと断定してもよいのではなかろうか。妻子ある中山は、求めればすぐに応じてくる理恵を理想的に便利なセックス処理の対象だと錯誤したのだ。中山にしてみれば、オレのようなバカで世間知らずの部下に結婚相手として押し付けることで、危機を乗り切ったつもりでいたに違いない。しかし、理恵の食指にひっかかった最高の獲物は実は中山の方だった。
理恵がオレとの結婚を承諾したのは中山を油断させる手段だったのである。まあ、それほどにオレは間抜けて見える存在だったというわけだけれど。会社が倒産することを見抜いていた中山は、倒産の数年前から、極秘に織物と小物とのコラボ商品の開発に乗り出していたらしい。理恵がそんな中山をオレとの結婚で手放すはずがない。オレと結婚する条件として、彼女は中山の秘書として働くことを、中山との関係を続ける条件として義務づけたに違いない。オレみたいなバカに中山と自分の関係性を見破られるはずがないと彼女は見切ったのだろう。
オレは理恵が仕事と称して遅く帰宅することに文句は殆ど言わなかった。一方で、中山の正妻は彼の浮気に気づく。理恵はさりげなく中山の自宅にも秘書として出入りしている。この女が夫の相手だと中山の妻に知らせるために、だ。理恵の大股びらきは、小賢しい悪知恵で磨きがかかっていたのだろう。ジャン・コクトーの「大股びらき」という小説は、バレリーナが股を床に全開する姿態からとった題名だったと記憶しているが、そういうこととは無関係に、理恵は中山を略奪するために中山の子どもをつくり、(オレとのセックスは絶対安全な不妊時期以外は避妊具をつけることを強要したのは、そのためだ。オレはそれでも計算通りにいかずに理恵がオレの子どもを身ごもったのだと、すっかり信じ込んでいたのである)、理恵は、中山の妻が去る時を待ち、オレを棄てるときをしたたかに待っていたのだろう。
(12)
女に繰られていた、という意味ではオレも中山も同じだったが、いくら差っ引いても一方的に騙されていたのはオレの方に違いない。その頃のオレの怒りは、理恵というより中山に向けられた。煎じ詰めると中山という男は、オレを見下し、オレなら理恵を押し付けても自分の存在を疑わないと踏んだわけだから。理恵に対しては、その卑しさや計算づくの生き方に、自分とは全く違う種類の人間だという想いの方が強かった。オレはそもそも人間社会に対して、人と人との繋がりという概念に深い疑問を抱いていた人間だったから、息子として育てたはずの和樹に対する想い入れがまるでないことに、自分でも不可思議な感じがしてならなかった。嫌な言葉を使えば、息子は別にどうでもいい存在だった。
会社が倒産し、職もなくし、妻の理恵と和樹から見棄てられ、彷徨っていた。中山の方は自分の目論見通り決して大きくはないが、和装小物の業界に入り込み、いっぱしの社長気どり、理恵は社長夫人ということになっていた。時間が有り余っていたので、彼らがつくったいくつかの店舗や、市内左京区の岡崎近辺の高級マンションの最上階フロアーすべてが住まいになっているペントハウスふうの三人が住むマンションを見つけた。オレの裡に在ったのは小さな復讐心だった。中山にオレ自身の痛みの幾分かを共有させること、この想いだけしかなかったのである。中山を生かして辱めを与えるとしたらどうすればいいのかを考えた。当然オレは警察にしょっ引かれるが、そんなことはどうでもよかった。自分がかつて育てた息子の前で中山を痛い目に遭わせるわけだから心が痛むか?と自問してみたが、それがまるでないことで、改めて自分が社会不適合者でしかないことを思い知った。
中山は夜の10時には帰宅する。何日も張り込んで確かめた。今日それが外れても、明日またここにやってくればいいだけのことだ。何せオレは暇なのだ。時間だけはたっぷりある。適度な重みのある出刃包丁を買った。和食の職人が使うものだ。オレは中山の左手の小指を切り落としてやる算段だった。たいした理由はない。痛い想いをさせるなら、その後の商売がやりづらいだろうと踏んだからだ。オレの浅知恵だ。仕事の際に中山は常に自分はかたぎなのだという装いをしなければならないのがオレには痛快だったからに過ぎない。また、その度にオレのことを思い出すことだろう。この復讐はなかなかいいと自分で悦に入った。買った出刃包丁の刃先は何度か道に叩きつけて、刃こぼれさせた。切れすぎると痛みが少ない。切れない包丁でぎりぎりと中山の左小指を切って落とす。いまのオレの生きる目的である。
(13)
ある日の夜、ほろ酔い気分の中山がマンションの玄関を開けるのにそっと付き従った。包丁を彼の背中に突き立て、部屋までいくように指示したら、エレベーターの中の鏡に映った中山の顔は恐怖でひきつっていた。多分皆殺しにされるとでも思っていたのだろう。
エレベーターが開くとすぐに玄関口だ。二人でマンションの中に入った。理恵の顔も恐怖で打ち震えているように見えたが、何の感慨も浮かばなかった。和樹はすでに寝ているか自分の部屋の中にいるのだろう。むしろ顔は合わせたくないので好都合だった。
オレは理恵を買ってきたナイロンの細いロープで両手を縛り、口には粘着テープを貼った。中山には痛みのために大声で叫ばれるのを避けるために理恵と同じように口に粘着テープを念入りに貼った。オレは意識的に敢えてゆっくりと行動した。この日が来たことを実感したかったし、目的を果たせば警察に通報されようと一向に構わなかったからである。
中山の左手を、金をかけ過ぎた台所に置かれたまな板の上に置いた。オレは時間を出来るだけかけて、刃こぼれさせた包丁で中山の左手小指をギリギリと切り刻んだ。粘着テープを通して中山の動物的なうめき声が聞こえた。理恵は叫び声を上げていたように思うが、腰を抜かしてその場にへたり込み、足許には理恵が漏らした尿が流れ出ていた。数分間かけて切り落とした小指は包丁の柄の先でグチャグチャに砕いた。後で再生手術などされないためだ。さぞかし中山は自分の切り落とされた小指がカタチを失くしていくのが辛かったと見え、激痛に顔を歪めながら気を失った。そのまま警察に捕まるのもよいと思ったが、理恵の口の粘着テープを剥がし、縛ったロープを外した。ポカンとオレを見上げる理恵の表情は自分が殺されるのではないかという恐怖感でいっぱいだった。オレにはそう見えた。しかし、オレはそのままマンションからゆっくりと出て行ったのである。
ところがすぐに捕まるどころか、中山のマンションで起こしたことは事件にもならなかった。世間体を気にしたのだろう、と思う。オレが忌み嫌ってきた世間様からオレは罪を拭われたのだ。皮肉な結末だと思った。
数か月後に中山が働く姿を遠めに見たが、彼は闇の社会から足を洗うために多くの人がつけている人形のような指サックをつけていた。一見誤魔化しはつくだろうが、取引先の客には何らかの不信感を抱かせるだけのにせもの感は拭えなかっただろう。
(14)
あれから何年も経ってから、中山が展開していた店舗がすべて閉店の憂き目に遇っていたことを知った。その頃すでにオレは中山たちに関心を失ってしまっていたので、たまたま河原町をフラフラしていたら、河原町通りに面する店舗が閉まっていることに気がついた。京都市内の中山が経営する全ての店舗に行ってみたら、どの店舗も閉鎖されているか、別の店に変わってしまっていた。あの小賢しい中山なら、別の事業を新らたに立ち上げてうまくやっているのだろう、と云う想いで舌打ちしてしまったが、ともあれ岡崎のペントハウスの様子を見てやろうと足を運んでみたら、管理人の話では夜逃げ同然にマンションから立ち退いたのだ、という。中山もかつてのオレのように、理恵に棄てられるのだ。中山に対してザマを見ろという気持ちより、不思議なことに憐憫の情さえ湧いて来るのはどうしたことだろうか?
季節は蒸し暑い夏になっていた。中山の事業が失敗したことを知ってからオレの記憶の中からそのことさえ薄らぎかけた頃、オレはいつものようにトースターから焼け焦げた食パンを取り出し、マーガリンをたっぷりと塗りつけ、その上に原材料のカタチが想像だに出来ない100%ペースト状のイチゴジャムをさらに分厚く塗りたくり、やかんの熱すぎるお湯をコップの中のインスタントコーヒーに注ぎ込み、額から流れ出る汗を拭いながら質素すぎる朝食を食べていた。エアコンは中古でも買えないし、電気代もかさむだけだから夏はただただ暑さに耐える日々だ。起き抜けにリサイクルショップから買ったテレビをつけていたら、女房子どもをアパートの一室で果物ナイフで刺し殺した男が逮捕される様子が朝の情報番組に映っていた。頭から何かで覆われているらしいが、犯人の名前と殺された妻と子どもの名前が報じられると、それが中山たち家族の崩壊した姿だということが分かった。オレは心の中で中山に叫びかけていたのである。
―おい、中山、オレはお前たちに散々な想いをさせられて、お前の子どもだと分かっていて和樹を育てようとしていた。理恵とも何とか折り合いをつけながらやっていくつもりだった。会社が倒産する前からお前は用意周到に次の手を打っていた。理恵の性格からすれば、当然オレを棄てて、お前のところに行手はずを整えていただろう。会社の倒産に見舞われ、お前もあの理恵との離婚の憂き目に遇っただろうが、離婚ごときはお前にとっては痛手でも何でもなかっただろうに。男好きなのは心配だったろうが、それでも理恵は性的にお前を引き寄せて余りある女だっただろうに。和樹もオレに押し付けたお前の実の息子だ。事業の失敗で経営者としての地位も金も失った途端に理恵なら金のありそうな他の男たちを漁ったに違いない。おそらく、一度や二度ではなかっただろう。お前がすべてを終わらせようとした気持ちは分かるような気がしないではない。だからこそ、ちょっとした憐憫の情さえ抱かざるを得ないが、それにしても、殺しちゃあいかんよ。痴情のもつれなんかで人を殺してはいかん。それも子どもまで殺ったんだから、お前はもうおしまいだ。人生の舞台から降りるしかないだろうな。
人間社会、人殺しも大儀があれば正当化される。国家のため、人民のため、テロリズムを根絶せしむるため、等々。大儀とやらの定義も曖昧極まりないが、殺す側にも殺す大儀がある。政治というやっかいなものが絡んで来ると、殺す側の論理、殺される側の論理は、角度を変えればまったく違った世界観として正当化されるだろうな。しかし、痴情のもつれの果ての殺人にはどのような理屈をつけても正当化など出来ない。人間の原初的な残虐性がかえって浮き彫りになるだけだ。今日はお前に対してザマァ見やがれ!という気分には到底なれない。山中、おまえのお陰でまた憂鬱の虫にオレは蝕まれるというわけだ。今日は(今日もか?)特に嫌な一日になりそうだ。
(15)
この世界が、オレの視界の中で捉えられるくらいだから、世界像という、かつては壮大だと感じていたものも、大した存在ではないというのが今更ながらの観想だ。人類の文化・文明も、結果をオレたちは見せられているわけだから、まったく手の届かない存在などではないのかも知れない。その中でも、とりわけ人間が後生大事に伝統文化だと称しているものにひれ伏す姿はどうにもオレには納得がいかない。
虫けらとしてのこのオレが、この世界に対して否!という意思表明を突き付けることは出来ないものか?現代という時代は、かつて金閣寺を焼失させた青年のように、そして彼の詳細な調査をもとに「金閣寺」を書いた三島由紀夫の作品(オレは事件性に隠れた美文的散文は好みではないが)の本質を許容するような社会ではない。伝統を壊すことは許されないが、「滅び」の瞬間の明滅を美意識で飾る遊びごとくらいは無関心でいられるのである。要するに心のどこかでおかしい、と感じても具体的な不利益を被らないなら偽善的に何事も許容しようという精神性が蔓延っているのである。これが現代社会の、この日本の、いや、世界のありさまなのだ。
実際、ずっと以前、三島由紀夫が私的軍隊組織(盾の会)と伴に当時の自衛隊市谷駐屯所に押し入り、割腹自殺してみせた事件は、三島の独りよがりのお遊び程度に世の人々に受け止められ、葬られたではないか。庭に並ばされた自衛隊員に向かって、彼らのヤジと怒号の中で、三島の声がか弱くかき消される様をテレビで観ていた人々はどう感じたのだろうか?おそらく殆どの人々は、浮世離れしたお坊ちゃん小説家の自死の演出だと認識したのではなかろうか?
オレは心の底から三島由紀夫という自意識過剰なエリート右翼作家のことが嫌いで仕方がない。華奢な身体をボディビルと剣道で鍛え上げて、見せかけの逞しさに自己陶酔していた感覚が手にとるように分かるからだ。三島の「憂国」は、三島由紀夫という人間性の概念そのものだ、とオレは思う。はっきりと言っておくが、オレの政治姿勢は、左翼でも右翼でも中道でもない。むしろ政治にはある決まった政治思想などたいして役立たないという考え方の方が現実感があると思っているだけなのである。
政治家というのは、選挙用に国民に対して、開かれた政治を創る!などと宣うが、実際、彼らは政治姿勢の色合いは変わっても、秘密がお好きだ。秘密裡に話を進め、自分たちの思惑に沿ったカタチを政治的成果だと喧伝して、自らの政治的成果だと言い張るのだ。だからと言って、政治的折衝の過程の全てをつまびらかにしたところで、国民とやらは政治的交渉事などにはすぐに飽きるし、本当のところは大した関心もない。自分より贅沢が出来る人間を羨ましがり、そのうち羨望すら無意味だと無理やり納得し、自分の生業を認めることで自分の惨めさから目を背けてしまう。それが庶民といい、大衆という生き方そのものではないか?あるいは、これが大衆という原像、あるいは大衆という幻像ではないのだろうか?オレの生きてきたプロセスを含めて改めてこれがどのような政治体制であっても、その中に暮らす大衆の生き方の枠組みというか、リアルな思考の構造ではないか、と思いながら自分を納得させている毎日なのである。
ホセ・オルテガ・イ・ガゼットの「大衆の反逆」しかり、自然死を待ち切れず、自死した西部邁も「大衆への反逆」を書いて人間が集団化した大衆の原像の醜悪さと偽善を彼らは見抜き、絶望の淵から自らの、むしろ貴族的とも云える思想を構築したのである。オレはどちらかというと、この二人の思想家のことは認める。何故なら、人間集団としての大衆、あるいは国民というものに社会変革のためのいかなる幻想も抱かなかったという点において、この二人は孤独に自己の思想を構築した勇気ある人間だとオレは勝手に思っているものだから。
(16)
少々、深く考えすぎた。深く考えると腹が減るから困ったものだ。コンビニのおにぎりを一つ余計に買わなければならないのは、オレには経済的に厳しい。まあ、いい。今日は鴨川の出町柳あたりの橋の下のベンチで日よけしながら、昼飯といくか。
金もなく、歯医者にも行けず、残り少なくなった歯も殆ど虫歯になって奥歯の一つに大きな穴が開いてしまってから、やっと歯の有難さに気づいた。ともかく歯は大事だ。おにぎりの米粒が特に奥歯の虫歯の穴に入るとかなりやっかいだ。シーシーと吸い込んだ息で詰った米粒を取り出そうとしてもうまくいかない。指を使ってもこそぎ落せない。最近のコンビニはオレが買うくらいの量ではなかなか割りばしもくれないし、割りばしの透明な袋の中に爪楊枝も入っていないので困る。その上、女とは無縁の生活がこれから先もずっと続くのか、と思うと全てを諦めたオレだって時折は寂しくはなる。自分のイチモツを手でしごくなんて、この歳になるともはやしんどくて出来やしないのである。それでも躰の奥底で女を求めるモヤモヤが常に在る。どうかしている、と自嘲的に笑ってしまうこともあるが、これだけは致し方ない。解決策も見当たらない。オレみたいなすでに高齢者になってしまった、生活困窮者の男に振り向いてくれる女は100%いない。世の中にはオレくらいの歳でも金さえあれば、若い女を抱ける男がいっぱいいるだろうに。(まあ、こういうのも寂しいか。)
要するに、金や地位や名声や、それらが総合的に創り上げるセンス、謂わば、フリンジに女は吸い寄せられるのだ。逆もしかり、だ。男だって、フリンジが創り出す女に色気を感じて吸い寄せられるのだ。まったく、そのことがよく分かるだけに余計に腹が立つ昨今である。生活保護に身を委ねるようになってから、一度だけ寂しさに耐えきれず、風俗に行ったことがある。それが心の慰めになるとは思わなかったが、とにかく女の躰の暖かみが懐かしかったからだ。性の機械化とオレは性風俗のことを呼ぶことにしたのは、性の放出までの過程は、きっちりとマニュアル化されていて、効率よく男の欲情を頂点にまで導かせる、非常にシステマティックなものだからだ。あろうことか、その時オレは生活保護費の殆どをたった一回の射精に費やしたというわけだ。その後の数か月は無審査同然の高利のカードローンで生活費を補填して凌ぐことになった。生活の質は極限にまで落ちた。食うや食わずのどん底だった。これが一回分の射精に要する負の見返りだった。オレは自分の躰に教えられたのだ。それはこうだ。貧乏人ほど道を踏み外すことなど出来ず、真面目な生活を強いられる。そうしなければ、行き着く果ては野垂れ死にしかない。日々の正確なルーティーンに従って生きること。これがオレの信条になった。
(17)
オレは自分の卑近な経験則から、恐らく世界を支配している実体が何であるのかということに気がついたのである。
世界はすでに機械化されていると言っても過言ではない。我々がこの世界に存在したいと願うなら、機械化された世界の構造の中に身を委ね、時折は不満タラタラでよいが、適度なところで自分に「世の中こんなものだ」などと言い聞かせ、不満の炎(ほむら)に自ら水をかけるのである。こういう自動機械論も思想の一片には違いないが、思想にはそもそもある考え方から別の考え方へと変化・変節していくエネルギーが内包されている。しかし、自動機械論にはそういう意味のダイナミズムは微塵もない。また、大多数の人々を支配する自動機械論は常に体制に歯向かうことがない。日常語でいうと、世の中の決まり事に対する無批判な盲従や世間様に対する見栄の保持など、「いま、目の前に現に在る」ことに対する疑義など持てないのである。それが機械論的思想の真に迫った姿ではないか、とオレは思っているわけである。誤解なきように言い添えておくが、オレがここで述べている自動機械論は、フェリックス・ガタリの「闘争機械」とは真逆の、のっぺらとしている、平坦な世界観のことだ。それに比して、ガタリの「闘争機械」という思考は、世界に対するこれでもか!と言わんばかりの、多面的視点からの考察で満ち溢れている。というようにガタリを褒めちぎっているのだが、オレは決してガタリのようなフランスの教養主義的左翼主義者では毛頭ない。そもそも思想などには興味はないし、政治にも何も期待などしていないわけだから。ただ、こんなことを性懲りもなく考えているのは、過去に読んだ読書体験のカケラのごときものがオレの脳髄の片隅にへばりついて、何らかのエネルギーに変換されているからなのだろうか?
(18)
最近、妙に体調が悪い。いつも身体のどこかが痛むし、油断すると倦怠感が身体中に沁みわたって、布団から起き上がることさえ面倒になる。オレが子どもの頃は、9月に入れば少しは涼しい風が窓から入り込んできたものだが、いまどきは9月になっても真夏のままだ。いったい、日本の四季はどこへ消え失せたのか?日本は亜熱帯に位置する国とたいして変わらない。下着にへばりつくような湿気とエアコンの室外機から漏れ出る生ぬるい空気が、鴨川べりですら感じるのが今日の日本の現況だ。おかしなことになった。政治家たちは地球温暖化のせいだ、と声を揃えて言っているが、果たしてそれだけが原因か?もっと深刻な問題がひたひたと忍び寄って来ているように思われてならないが、オレにその正体を証明する術などないことは自明の理だから、人さまに理路整然と語る資格もないので黙って耐えるしかない。あくまで、オレの内心の声に過ぎないが、いまのエコ志向なんかで地球温暖化に対処出来るとは思えないだけだ。オレに言えることは、事実を知らされなければ、その事実そのものが存在しないのと同じことだ、というくらいか?その意味では、オレが生きてきた長きにわたる年月の間にも、一大衆としてのオレなんかには想像も出来ないことが数えきれないほど起こって来ただろうことには、確信がある。
倦怠感の只中で観るテレビ番組は、どれもこれも同じように見えるから不思議だ。あるいは、テレビ番組自体がつまらないものになり果ててしまったのか?大衆娯楽の代表格としてのテレビが娯楽でも何でもなくなって、オレのような何をするでもない孤独な人間にとっては、テレビ画面の向こうから誰かに見張られているように感じられてならない。オレたちはバラエティ番組や連続ドラマを観ているようでいて、何にも観ていず、むしろテレビの向こうからただ観られているのではなかろうか?という幻想?に捉われる。体調が悪く倦怠感が強いほど、この傾向は強くなるのはどうしたことか?
世の中は犯罪防止と云う名目のもと、監視カメラだらけだし、ちょっとした悪さも見逃されることは稀になった。何かの事件が起きて、犯人が忘れた頃に報道されるのは、警察組織が証拠固めに時間を割いているからに過ぎないのだ。ならば、テレビ画面の中に監視カメラごときものがテレビの生産時点から仕掛けられて売られていても不思議ではない。
ジョージ・オーウェルが予言した世界は確実に現代社会に具現化されている。オレは少なくともそう思っているのである。その一方で個人情報保護がどれだけ大切か、という風潮があるが、それらはジョージ・オーウェルが「1984年」の小説世界で描いた監視社会が確実に世界中に浸透していて、個人情報保護などは監視社会の合わせ鏡のようなものだ、とオレには思える。つまり、オレたちには、そもそもプライバシーというものはないのだ。オレみたいな世の中にとってどうっていうことのない存在には監視する価値もないだろうが、余計なことを敢えて言っておくと、秘密がお好きな政治家たちの守るべき秘密そのものが果たしてあり得るのか?秘密主義が横行すればするほど、秘密を暴く社会システムが強固に構築されるのは必然だ。そうであれば、世界政治の現況とはいったいどうなっているのだろう?職業的政治家や官僚や評論家等々、国家の考え方を決定づけているものは、彼らの使う小難しい言葉や、反対に選挙向けの、大衆をバカだと信じて疑わないとしか思えない陳腐な言葉の裏で、政治のありようが大体は決まっているような気がするのはオレだけか?政治体制の如何を問わず、大衆に見えている世界と、大衆の指導者たち(と本意ではないが、一応言っておく)の世界の像はまるで違っているように思えてしまう。しかし、善良な?大衆はオレを被害妄想者の戯言(ざれごと)ばかりを垂れ流していると断じて、平和な日常を生きていればいいのだ。
(19)
オレはしばしば人間が直面してきた危機、それはカタストロフィーという類の危機のことだが、人類史をざっと眺めてみても数えきれないカタストロフィーを人間は経験してきたのだ、とつくづく想うのである。そして、カタストロフィーの捉え方は、人の立ち位置によってその判断が真逆にすら感得されてしまう。オレが、世界史の中に立ち入って、その一つ一つを見返すことなど出来ないし、何よりオレの中の倦怠感が、それはおまえの役回りではないだろう、と自虐的に囁きかけてくるし、自分でもそんなことで葛藤すること自体、バカか、おまえは!と囁きかけてくるのでやめておく。繰り返しになるが、人間社会のどこをとっても、「知らなければ、どのようなことも存在しないことと同じになる」というのが世の中なのだ。むしろオレみたいな厭世的な人間にはこの種の真理を胸に刻むことが自分の小さな役割なのかも知れない、と思って日々をやり過ごしているというわけだ。
(20)
AIだとかIOTだとか、それに伴うデジタル時代の到来によって、ロボットが人間の仕事を奪う、という恐怖感と多くの人々は闘っているのだそうだ。ぼんやり眺めているテレビ報道や討論番組の論調は、ほぼ同じように時代が変わり、仕事の質量も変わるというような感じだ。しかし、そういうことをテレビ番組の司会者や多くの論者たちは、事の本質を伝えている側であるからこそ、自分たちは安泰だと云う顔をしているのを観ると、オレはついつい吹き出しそうになる。
何故って、この時代、誰もが例外にはなれないということだからね。
特に激変をまともに食らうのは、大学を出て、就職活動をして職を得た中間層の人間たちだと云うことは当然のことだとオレは思う。だって、彼らの事務仕事や営業の仕事等々こそがAIの得意な分野ではないか!事務仕事をコンピュータを操って効率的にこなしていると思い込んでいる人々そのものの仕事がAIにとって代わられる。ロボットは単純労働を人間の代わりにこなしてくれるのではなく、自分の仕事が高度だと認識している人間の仕事そのものをロボットがやり抜くわけだろう?人間の創造性がAIを創ったわけだから、特に先端技術の研究者を始めとした知識階級だけはどこまでもこの社会に必要であるはずだ、と思いたがるのは心情的にはよく分かる。
ロボットに人間が支配されるなんて、マンガっぽい未来社会を描いた映画の世界でしょう?という反論が聞こえてきそうだ。映画の世界さながらにロボットが人間の支配者になるかどうかは別にして、大した能力も持たないのに人並み以上の生活をしてきた人間こそが、頭を柔らかにして、自分たちの仕事を創り出さなければならない時代に突入した、と思うのが当然の論理的帰結だとは思うね。
まあ、変化は気づいた時には変化そのものが加速度的に速度を上げて起こる、という真理をオレは信じているが、多くの人間が右往左往している頃にはとっくにオレはこの世にいない。孤独な老人の孤独死の後のことだ。その意味でオレは幸福な?ことに逃げ切り世代だね。こんなことを考えると、常に襲い来る自己憐憫も少しは和らぐ。ともあれ、自分は大した自己中人間だと思う。オレみたいな精神的な根っ子のない人間は、どこか卑屈だということで、偶然にもこんな駄文に遭遇した人たちの怒りの鞘を納めてもらう他ないな。
(21)
オレの日課は、暑すぎたり、寒すぎたりする自分のアパートから抜け出すことが行動の動機になっている。が、それにしてもむさくるしいアパートを一歩出ると、心も少しは軽やかになることは事実だ。コンビニ弁当を鴨川べりで食す。夏は橋の下のベンチで涼やかさを味わえるが、冬の寒さが川の水が身体の芯まで冷やしてしまう。それでもやはりアパート以外の場所にいたい、と想う。アパートはどこまでも自分の憂鬱を深めるだけで、何の発見もない。その意味で、オレはドストエフスキーが「地下室の手記」を書いた精神性には全くかなわないことに対して自覚的なのだ。そもそもオレのやることなすこと、独自性なんて一切ないし、思いつきと真似事だけの行為なんだから。本当ならば金のかからない屋内は整っているし、実際には粗末と云えど、オレのアパートがオレ自身の「地下室」だが、弱気がオレを大切な場所から引き離してしまいがちだ。平たく言えば、必要以上に老人の散歩で気を紛らわしているということだ。
最近は主に市営の図書館の食堂でささやかな飯を食い、食べ終わったらロビー前のカウンターの司書のおねえさんのところに本を借りに行く。本を借り出さない場合は、勝手に書棚から気に入った本を取り出して、読書机で読めばいい。が、オレはあくまで借り出しを装う。何時間かを図書室で過ごした後、もう読み終わりましたと称して、再びカウンターに向かう。目的はオレたちのような金も人生の目的もない老いぼれの無目的な生き方からすると、若い女に出会えることが人生最大級の幸福だからだ。少なくともオレにとってはそうだ。オレたちの場合、もし、街中で、きれいな若い女に声をかけでもしたら、いきなり警察の取り調べ対象者だ。だからこそ、市民サービスを仕事にしている、事務的な声、心の籠ってもいないカタチだけの対応から得られる異性の空気を思い切り味わうのだ。オレは人と心を通じ合わせることをとっくに諦めた人間として言うが、そもそも人と人とが心を通わせているなんていうのが幻想ではないかと、この歳にして改めて想うのである。
(22)
ある日のことだ。オレが市民図書館でカウンターの向こうの若い女性司書とたわいもない話をしていると、さりげなく40代後半の色気たっぷりの、おそらくは水商売上がりの女がオレの隣にいる。その女は、探している本の場所を司書に聞いているというさまである。自然に耳に入って来る書名はたいしたものではない。渡辺淳一の「失楽園」がどこの棚にあるのか?ということだった。小説の棚のところに行けば確実に見つかるような、オレにはライトノベルの部類に入る、無理やり書いた感のある恋愛小説?(と言えるだろうか?)だから、その女を目的の本が並んでいる書棚のところまで連れて行ってやったのである。
これがこの女とその裏でこの女を操っている詐欺のプロ集団だったということを後で知って、人の欲望の果てることなきことにむしろ感嘆させられた。「振り込め詐欺」にはじまり、この手の詐欺の手口はどんどん巧妙になっていくのをテレビで観たことがある。勿論、この時、この女が詐欺の仲間とは見抜けなかった。というよりも、見抜きたくなかったのである。すでに自分の生活が最底辺であることに嫌というほど慣れきってしまっていた。そんなオレが詐欺に遭うということなどあり得ない、という自分なりの冷静な判断があったし、何より、もう人を疑ってかかる生き方はとっくに卒業してしまった、と思っていたのである。
女は不自然なほど馴れ馴れしかった。オレの本好きを話題にしてどんどん距離を詰めてきた。軽い話題から、彼女の人生の物語(と敢えて言っておこう。作り話であることは話の辻褄が合い過ぎていることから分かるものだ)を語り出すまでに一週間とかからなかった。10日後には彼女はオレのアパートに出入りするようになっていた。
オレはかつて風俗で金を使い果たした経験があった。性の放出だけならあらかじめ立てた予算で済みもしたが、あの時は、見え透いた風俗嬢の小芝居のような喘ぎ声で、何度も萎えてしまったせいで時間延長を数回強いられるハメになり、なけなしの金が底をついたのだった。その後のことはカードローンの自転車操業地獄のループの中から永らく逃れることが出来なかった。このことが自分の頭の底にへばりついている。
この女の色気が、何某かの目的を持ったものであることは、いかに鈍いオレにも感じとれた。そうでもなければ、オレみたいな男にこんなに不自然な近づき方はしてこない。彼女だったら気の緩みを誘うためなら、確実にオレと寝る。そう思った。同時に、彼女はオレみたいな小遣い銭にもならない厚生年金と生活保護受給の小金を狙っているのか?と想像を巡らせると、何となく気の毒にもなってしまう自分がどこかにいる。風俗のヘタな演技じみた喘ぎ声と同様、この種の雑念は、オレの雄の欲求を萎えさせるのだ。そして遂にオレは彼女と寝ることはなかった。中途半端に勃起したペニスをなだめながら、理性の声が聞こえるのを待っていると、客観的な自分の像が感じられて、彼女とは適度な距離を保ち続けた。1カ月もすると彼女は姿を現さなくなった。図書館にもどこにも彼女の痕跡すらなくなってしまった。
(23)
図書館で何となく口をきくようになった老人仲間から、彼女の噂を聞くハメになった。彼女は世の中から相手にもされなくなった独居老人の年金狙いのために、躰を開いて安心させ、性的な悦楽から永らく遠ざかっているために、貧相な性の放出の後はすぐに寝入ってしまう老人たちの預金通帳とハンコと保険証を盗んでいた。貧困ビジネスと云えども、数で稼げばかなりの儲けが期待出来るのだろう。裏にはこの手の詐欺グループがいて、通帳の解約係が身分を偽って通帳解約ですばやく現金化するというシステムだったらしい。今どきの金融機関のコンプライアンスの隙間を縫ってやり遂げる詐欺なのだろう。
貧困ビジネスというか、貧困詐欺は孤独な老人が失った過去の、豊かだった(と自分で思いたいだけのことなのだが)自分の姿を思い起こさせてくれる心情をくすぐられれば、多分大抵の老人は詐欺の罠に落ちると思う。その上、熟した肉体を差し出されれば、成功率はほぼ100%だっただろう。オレが被害を免れたのは、過去の苦い体験があったからに過ぎない。オレたち老人に、しかも地位も金も名誉もない人間に近づいてくれる女たちはいない、と思い知る方がいい。酷な話かも知れないが、オレたち、死にゆく老人が直面すべき現実を受け入れる時期だと、認識を新たにしなければならないのだ。
死を前にして平静に振舞うことをオレたちの世代はもはや強いられているのだ。もし、オレたちと同年代かそれ以上で、金や地位や名誉に恵まれた人間がいて、男女を問わずちやほやされることの意味をわきまえず、勘違いした老年を過ごしている人間たちがいるとしたら、そいつらは畢竟、人生の何たるかを知らずに生を閉じるバカだとオレは思う。奴らなら助かるものなら命乞いさえするだろう。太古の昔からあらゆる栄華を手に入れた一握りの人間たちが行き着く果ては、「不老長寿」だからだ。
所謂成功者と呼ばれる人間の中には、もともと恵まれた環境に生まれた人間もいるだろうし、苦難の中から這い上がった人間もいるだろうが、成功者こそが自らの生と死の意味を独自の視点で捉えて、この世界を去る時に心に残る言葉を発するべきだ、とオレは思うね。そもそも彼らは社会的影響力を得た人間たちだ。これからの若者たちに対して、どのようなカタチであれ、意義あるメッセージとなることを遺す義務があると確信を持って言える。まあ、自分に出来ないことを言うのが人間の本性だ。オレの呟きも「神さま」「仏さま」がいればにっこりと微笑んで許してくださるだろう。
(24)
AIやIOTによって、従来の退屈極まりないルーティーンワークを、人間の代わりになって、人間以上に効率的にやってくれることになるのは必然だし、そのことによって、ロボットに人間がとって替わられるなんて怖れているようではダメだ。そんな思考回路ではイギリスで起こった産業革命時のラッダイト運動と本質はまるで変わらない。幸いと云おうか、政府統計によれば人口減少はますます進むらしい。令和という元号になってから、日本の出生率が過去最低なのだそうだ。まあ、世の中の仕組みが激変してきているのである。政府統計なんかそのまま信じるほど素朴ではないが、人口減少がAIやIOTと帆走するようにして、これからの日本は発展していく方法を見出すのが、知恵の意義ではないか!オレは、これまでのような単純労働も含めて、知的労働だと認識している分野にデジタル技術がとって替わり、浮いた時間を人間が何をしたら、楽しい世界になるのか、という視点で物事を決めていけばいいだけのことではないのか、と心底思う。女性の社会進出がとりださされているけれど、男性の給料が下がって、女性も非正規労働者として働かなければ結婚生活も成り立たないというのだから、そもそも子どもなんて増えやしない。不妊治療の保険適用もやるに越したことはないけれど、それよりも男性の給料も上げて、女性が働きたいのであれば、正規雇用で能力に応じた給料を出せばいい。政治家の考えることはどこか非現実的で実効性がないね。
もう引退した人間に無責任なことは言われたくはない、と現役世代は主張するに違いないが、オレが懲りることなく言いたいのは、もはやオレたち旧世代の価値観に惑わされるなということだ。これからの現役世代は、思考のベクトルを変えるべきだし、これまでの世界のパラダイムそのものを変えるべきなのである。そういう意味ではオレたち旧世代の人間は、永くオレたちよりも旧世代が創り上げた価値観やパラダイムを引きずって生きて来た怠け者ぞろいだ。だからこそ、これからの世界を背負って立つ君たちに必要以上の変化に対する恐怖感を抱かせているのだ。いまの政治家たちを信じちゃいけないし、特に各分野の論客と言われている人々の言うことも俄然無視すべきだ。彼らの主張はどこまでもオレたち旧世代のパラダイムをどう守り、都合よくどう変えるか、という視点しか持っていないからだ。濁った水の中から清水が湧き出て来るはずがないことを肝に銘じるべきなのだよ、現役世代諸君!
(25)
またもや偉そうなことを言ったが、オレの今日に至るまでの生き方は人さまにとやかく言える立場ではないし、誇るべき何ものも残し得なかった。第一、オレは明確な犯罪者だ。かつての中山雅樹と元妻の理恵、中山の子どもの和樹を自分の息子として育てようとしていた矢先にすべてを中山に奪われた。
中山の岡崎の瀟洒なマンションに忍び入り、中山の小指を新品の包丁を刃こぼれさせて、切れない包丁で中山の小指をギリギリと切り落とし、再生手術されないように切り落とした小指を入念に包丁の柄でこれでもかというほどに叩き潰して、美しすぎるキッチンのごみ箱の中に棄ててやったのである。いくつも罪名がつく行為をして警察に捕まってやるつもりだったが、彼らは自分たちの体面を保つために警察を呼ぶことはなかった。オレが警察の調書で喋ることを怖れたのだろう。ほんとにつまらない奴らだが、そういう奴らを相手にしたオレ自身が一番つまらない人間だ。いまとなってはそれが身に沁みてよく分かる。
さて、もう十分に生きた。オレの人生は両親の交通事故死と共にとっくに終わっていたのかも知れない。オレに出来ることをいろいろと考え尽くした。幸い、本だけはたくさん読んだ。思想というものが、既成の思想をさまざまに組み合わせ、壊し、再構築することで生成されるとすれば、オレなりの思想はそれなりに出来上がって来ているのだ。そしてそれは、実践されてこそ意味があるものだったことがやっと分かったのだ。オレがこの駄文を死の寸前まで書き続けることで、オレのような凡庸な人間にも非凡めいたことが書き留められるのかも知れない。それがいまのオレの唯一の関心事だ。さらに言うならば、オレにとっての死の寸前とは、自然死の直前まで、というわけではない。オレは老化の果てに死を待つことを望んではいないのだ。人の死は唐突に訪れるにしても、それは両親の死が交通事故死という、死の唐突さとするなら、残されたオレは、自らの意思で生を中断する側にいなければならないという考えが、ある種の強迫観念のように心の底に滓のように溜まっている。では、オレにとっての自死とはどのようなものであるべきなのか?
(26)
人は生きるために食べるのか、食べるために生きるのか、という修辞的な言辞は、人間にだけ許された抽象的概念が導き出す自死のあり方だろう。
オレには瞬時に死を迎えることに意味を見出せなかった。どれほど死の意味を考えても、来世があるとは到底思えなかった。ならば、唐突に命がなくなるような方法をとってしまったら、それは単なる生の断絶に過ぎなくなってしまうではないか。そんなことは到底受け入れられない。
少なくともオレには人にとって、人に限らず生物すべてにとって、食することほど本能に忠実なことはない、と思えるのだ。ならば、オレは生きとし、生きけるものにとっての食を絶つことで、徐々に生命が滅していく過程で人は、いやオレは何を見、何を感じるのか?それを命果てる寸前まで書き続けたいのである。これが自然死ではない死を選ぼうと考えてはじめて以来、オレが辿り着いた結論なのだ。いまそのために具体的に何を準備すべきかを列挙するように具体的に考えなければならない。それが現在のオレの大事な仕事になった。
(27)
即身仏になることを志した僧侶は何人もいたのはよく聞き及んでいる。彼らは仏教教義の行き着く果てまで行き着いて、自らが地中に身を封じ込み、地上に通じる小さな空気穴から呼吸をし、永い断食の果てに体内の不浄なものを出来る限り排出した上で、息絶えるまで念仏をとなえながら、狭い地下に身を据えるのである。彼ら自身が仏そのものになるのだそうだ。オレには単なる苦行の果ての自死と変わらないと感じるが、自らが仏になるという幻想を持てるのだから自分の死に意味を付与させる特別感のある死に方ではないか、と思えるだけだ。
誰にでも出来ることではないが、オレにはどうも即身仏という仏教的教義の実践(と敢えて呼ぼう)には、己の死と引き換えにして名誉が与えられるという意味で、どうも心に引っかかりがある。尋常でない修行の結果、人間を超えた何ものかになり得るという約束事の上に成立している、大仰な即身仏になるまでの過程に、オレは大いなる宗教的欺瞞を感じてならないのだ。自分の死後、凡庸な人間たちからの崇めがついてまわる。それ自体が精神世界の行き着く果ての、欲動の姿の一つではないのだろうか?オレにはそう思えて仕方がなく、当然のことながら即身仏制度に異議申し立てをしたいのである。
宗教の如何に関わらず、オレには信じるに足るものがない以上、オレの死は犬死に同然の、餓死が最も似つかわしい。それを覚悟した上で、息絶えるまで、オレがこの世に生まれてから絶命するに至る過程で、感じ、書き遺したい、と想うことを存分に書き綴ろうと心に誓った。それがオレのような世界から取り残された人間に相応しい死にざまなのであって、死んだオレを発見した人には迷惑な話だが、その人には、オレの死は、書き散らしたノートと、息絶えるまで座椅子に座ったままの、独居老人のおかしな孤独死として認識されることだろう。それでよいし、また、それがオレに相応しいと想う。そして、さらに言っておくなら、オレの書き遺したものが単なる孤独な老人の戯言であって、部屋の後始末業者が、オレの命をかけて書き遺したノートをパラっとめくり、そのまま死者の所有物として廃棄されてしまうことも覚悟しておかねばならない。ある意味、それが妥当な結末なのだろうか、とも想っている。表現出来る言葉を持ちながら、絶望の果てに単なる自死を実行するよりは少しはマシか、と思い切るしかないだろう。
さて、明日からオレの孤独死に必要なものを整えるために時間を費やそう。誰の助けもない。オレひとりでやるしかないし、オレひとりがやるべきことだ。金の心配ももうしなくて済む。必要なものだけを買えればよいのだから。
(28)
まず必要なものは、エアコンだ。家電量販店で一番安いのを買おう。それからペットボトルの水を箱買いしておこう。最小限の食べ物として、ノンカロリーのコンニャクゼリーをかなりな量確保しておく必要がある。味つけの人工甘味料が心を少しは宥めてくれる。身体を出来るだけ永くかけて徐々に弱らせながら死に至らしめることで明晰な思考力を保ち、書き続けることを目指す。これがオレなりの餓死のあり方を考えた結果である。また、死後の状態の醜悪さを少しでも回避するために、エアコンを最低温度に設定してかけ続ける。電気代はオレの残りの預金通帳に残った金で支払えるだろう。さて、後は強烈な下剤で腸内の消化物を排泄し尽くし、体力があるうちは自分でトイレで用を足すが、いよいよ足も萎えてしまったら、後は介護用のおむつに頼ることにする。これも自分で取り換える気力があるうちは役には立つだろう。自分が考えていることを生きた証として書き遺し、身体のどこかの動脈を切ったり、飛び降りたりして、一瞬にしてこの世界から去るのも死に方としてはいいのだが、それでは肝心の死の淵にいる自分の思考がどうなるのか、そのことを気力を振り絞って書いたとき、どのような風景を見ることになるのか、というオレの最も大事な目的は達せられないのだ。オレの死に方はやはりこれしかない!
地中に埋められて即身仏になろうとする僧侶は、何も食さず水も飲まず、意識が薄れる直前まで念仏をとなえるだけだから、たいした計画も要らないだろう。しかし、オレは時間をかけて餓死する必要がある。出来る限り最小限度に少なく食べること、給水を抑えながら、死の淵を彷徨いつつ、オレの自死の証としての思索を永く書き続けることが必須事項だ。いま強く想うことは、所詮才能などとは無縁の最期の抗いとしてのオレの思索にも、何ほどかの清廉さが加わることを期待したい、と心からそう願うばかりである。
(29)
死への旅路に向かう準備をすべて整わせるまでにいくつか計算違いの出来事があった。下剤を大量に呑んで全てを出し切ろうとするが、どこまでが全てなのかが分からないのである。いくら排便しても便の色はあくまで便の色をしていて、オレが漠然と考えていた透明に近い色にはならないのだ。それに加えて、予期せぬ腹痛が何度も襲ってきた。耐えがたいほどの痛みだが、これを耐えずして死には向かえないと覚悟して何とか耐えている。いまだに腹痛は残ったままだ。苦しい!服装は一つしかない上下のスエット。こたつ机に原稿用紙を数百枚用意した。部屋の温度は18度に設定したので、インクが固まってボールペンが書けなくなることもないだろうが、念のためにボールペンを10本ほどと、両側を削った鉛筆を1ダース、シャープペンシルも何本かは用意しておいた。オレはエアコンの真正面に陣取った。座椅子と体重が削げ落ちて座ることが苦痛になると、そのことに気をとられかねないので、分厚い座布団の上に座った。さて、これで準備万端である。死に至るまで何日もつか、ということと、限られた時間内にどれだけのことが書けるのか、ということがともすると矛盾点として頭の中を飛び交ったので、死の淵を彷徨しながら絞り出すオレの最期の思考を書き留めるのだ、というテーゼを何度も再認識しなければならなかった。オレにとって、最も情けなかったのは、いま、ここに至っても自分に課した本来の目的を何度となく言い聞かせなければならなかったことである。
(30)
どれほどの時間が経過したのか、もはやわからない。書くペースが徐々に鈍り始めてきてから、数日間はまったりとしたペースで書き綴ってきたのだろう。時折頭の中が空白になり、自分がいったいいま何をしているのか?ということを思い起こすのに時間がかかるようになってきた。こんな状態でも息絶えるまであと1週間はもつだろうと予測してみるが、そのことに何の根拠もない。漠然とそう思うだけだ。
想い起せば、幼い頃の自分のことは、両親の言うことを事実と認識するしか自分を知る方法がない。自意識が芽生えるのは幼児期を過ぎたずっと後のことだからだ。両親が語るオレの幼児期像によれば、オレは疳の虫が強く、何かと手がかかったらしい。夜も寝つきが悪く、夜泣きの日々だったそうだ。オレは幼児の頃からずいぶんと神経過敏で扱いにくい子どもだったらしい。自意識が芽生えた4,5歳くらいの頃から、オレは人が嫌いだとはっきりと認識していた、と想う。両親は人見知りがきつかったと言うだけだが、それはオレが他者を受け入れがたいほど人間嫌いだったからに他ならない。同時にオレは、オレ自身のことが最も嫌いだった、とも思うのである。両親が交通事故で亡くなって、自分の中の父親像や母親像が明確にならないのは、たぶん、オレは両親のことさえ嫌いだった、と断ぜざるを得ない。オレはそもそも最も原初的な人間関係である家族をすら嫌悪していたわけである。いまこうしてオレなりの「死者の書」を書いている自分が誰からも認められず、誰をも認めようとせず、これ以上の自分の生の存続そのものに意味を見出せず、命を中断させようと試みているのは当然の帰結なのだろうと認める。両親が生きていたところで、つまらない大学に進学し、ありふれた職業について全く違う家族をもうけたにしても、やはり家族は崩壊し、同じような今日を迎えていることと推察出来る。その意味で、いま死の淵に立ってこれを書いていることにどのような意味においても何の後悔もないのは当然のことかも知れない。
両親のことについても幼い記憶を辿りながら思い起こせることがある。オレには父と母が和やかな家庭という空気の中で生きていたとは思えない。子どもながらに、二人はあまり仲がよくないに違いない、と密かに怖れていたことが記憶の断片として残っている。特に父親には子どもとして可愛がってもらった記憶がまるでないのが不思議なくらいである。オレたちの時代にはよくあった光景だが、父子がキャッチボールをするという経験も一切ない。あるいは家族旅行にも行った記憶がない。両親の交通事故死は、父の運転する車が真夜中のだだっ広い堀川通りの電柱に激突し、車は大破して、二人は即死状態で搬送先の病院で息をひきとった、と近所の人から聞いた。
父は平凡なサラリーマンだったが、上司との折り合いが常に悪く、家では常にむっつりと押し黙っている存在だった。彼の気持ちは容易に想像出来る。自分が職場の無能な上司たちの言動や命令に耐えているのは、ひとえに家庭があるために耐えざるを得ないという、強い怒りの中に身を置いていたのだと思う。不機嫌な空気が支配する空気の中で、両親の関係性も劣悪だった。そんな環境下で育つ子どもが頼るべきところは家庭の中にないのは当然だが、大げさに云えば、世界の中のどこにも存在しないのも同然だった、と想う。母親も母性の薄い女だった。愛せない夫の子どもは、たとえ自分が産んだにせよ、彼女の場合は愛せなかったのではなかろうか。少なくとも彼女はそういうタイプの女だったと皮膚感覚で覚えている。
離婚する、しない、という喧嘩腰の言葉が飛び交うことはしばしばあった。その時のオレの偽らざる気持ちは、離婚しないでくれ、という想いなどすでになく、二人が離婚したらオレはどちらの側にひきとられるのだろうか?という憂鬱な疑問の只中にいたのである。正直に告白すれば、オレはどちら側であれ、片方とだけで暮らすのは御免だという気持ちでいっぱいだった。父、母に別れてほしくなかったのは、二人の冷たい気持ちが夫婦のままで分散されている方がまだましだ、という意味合いだけだった。
両親の交通事故死は、明らかな証拠はないが、オレには漠然とはしているが何ほどかの確信があった。両親の死を聞かされた瞬時に感じたことは、二人の死は無理心中ではないかということだった。いまの状況に立ち至るまでは言葉にさえしたこともなかったが、ここに確たる証拠はないにしても、オレの洞察として書き遺しておくことにする。
死の直前、父は自暴自棄だった。自分の将来に一条の光さえ見えない状態だったと、父の言動からオレは中学生ながらも心の深いところで諒解していたのである。両親が何故真夜中に車で出かけたのか、その理由はまったく分からない。が、真夜中に車で出かけると言い張る父が何をしでかすか?何となく母には分かっていたのだろうか、愛の消え失せた夫婦の間にも、二人にしか分かり得ない心的領域があったものと思われる。母は愛や心配のためというよりも、父が他人を巻き込むようなことをしないかと心配していたのかも知れない。二人の車の中の会話を想像しようとしても、短すぎる対話しか思い浮かばない。それはオレの想像の中では多分こうだ。
―オレが独りでドライブに行くと言っているのに、何でお前が助手席に乗り込んでくる?
―理由なんてない。でもあなた一人で行かせる気にならなかっただけよ。あなたを押しとどめようなんて思ってもいないわ。
―・・・・・・・・・・(父に言葉はない)
―私、つくづく思ったの。もうあなたとやっていくのは限界だって。だから、思い切り二人で話し合うには車の中がいい。それに真夜中でもあるし、ドライブしているなら大声を出しても誰にも聞かれないから。
―オレは独りきりで逝くつもりだった。しかし、おまえの言葉を聞いて心が定まった。残念だよ。死ぬ前にお前からそんな言葉を聞かされるとは思わなかったからな。お前にもオレの死につき合ってもらう。
その言葉を聞いたときの母の表情は想像に難くない。怖れで顔は痙攣し、硬直さえしていただろう。思い切り踏み込んだアクセルで車の速度は最高速になり、父はそのまま電柱の方目掛けて急ハンドルを切った。大破し、ガソリンが燃料タンクから漏れて車は炎につつまれた。
警察から事故(オレには無理心中だ、と分かっていたが、そのことを示す証拠など何もない。それにこのいきさつもオレの洞察が生み出した物語に過ぎないのかも知れないのだ)の知らせを受け、死体安置書に連れていかれたが、係の警察官はオレが部屋に入るのを止めた。担当警察官のいたわりだったのか?焼け焦げた両親の死骸を中学生のオレが見なくても、オレのDNA採取と家に残っている遺留品の数々から両親の身元は簡単に証明出来たからでもあるだろう。両親ともに親兄弟のいない人間だった。両親の無理心中の日からオレは文字通り天涯孤独の身になった。その後から今日に至るまでの道程はすでに書いたとおりだ。生きてきた足取りだけを追ってみると、いかにも何もない人生だったと心底想う。
(31)
1週間も経過すると、いよいよ身体に異変が生じてきた。空腹感はとっくに感じなくなっている。ここに来て、驚いたことに目に異変が起こってきたのである。まず、視界がぼやけることからはじまり、焦点が定まらなくなり、視野が極端に狭くなってしまった。まあ、オレにとっては、あともう少し原稿用紙に書き遺すことが出来ればそれでいいので、死を前にすれば身体の状態はこんなものか、とすぐに現状を受け入れた。さて、これからだ。すでにこんな歳になってしまった自分が、自らの個人的体験と意識の中から一般化出来ることを拾い出し、書き遺そうと想う。かなり急ぎ足で書かなければ、自分に残された時間が尽きると実感出来るだけの崖淵まで来てしまった感があるからである。まだ、自分でトイレまで這って用はたせる。四つん這いで動くだけで頭がボーとなるが、トイレからもどると、コンニャクゼリーを一つとペットボトルの水を口に入れる。まだ、くたばれない!
(32)
オレのテーマは、「人間が認識する世界とはなんぞや?」ということをオレの主観を通して一般化してやろうという試みだ。一般化という概念が客観性を持たねばならないものなのに、オレの目論見はむしろ真逆の側―主観―から世界を一般化してやるのだ。普遍化とはさすがに言いづらいが、ボキャブラリー上は同じカテゴリーに属するものだろう。取りあえずは、オレが考えやすい方が「一般化」だったというだけのことだ。
改めて「人は世界に投げ出された存在である」と定義づけたい、と想う。その意味で人はこの世界に生まれ出た瞬間から孤独であり、孤立無援である。祖父母がいて、父、母がおり、兄、弟、姉、妹、それにかなりな数にのぼる親族がいる中に、現象的には守られて生まれて来ると思い込まされている。が、それはたいしたまやかしである。そういう幻想に包まれることで、この世界に孤独に投げ出された自分の存在そのものに耐えられない。耐えられないから人は幻想の中で生きようとする。大抵人は、自=他という他者との信頼関係や絆を拠り所として世界に立ち向かう。いや立ち向かえると信じたい、と云う方が正確だろう。お前の家族が特殊だったからだろう、とすぐに反論しようとする人々はいるだろうが、オレの家族の特殊性こそが、オレと世界の関わりのあり方の全容を考えるきっかけを与えてくれたのだ。
自分は家族や親戚や子どもや友人、知人、仕事仲間などによって、自分の立ち位置がきちんと定められているのだ、と素朴に信じているのなら、それでもよい。いずれ自分が如何に一個の人間として、世界に投げ出されているかが分かる時が来るだけのことなのだ。それは個人の時間差だけの問題である。何故ならオレがいま書いていることには敢えて云うが一般性・普遍性があるとオレは自分の生から学んだからである。そして、学びの中から気づいたのだ。人生の深遠さは、必ず孤独を伴ってやって来るものだということを。それに気づける時期が人によってさまざまだ、ということも。
人間とはこの世に生を受けた瞬間から世界に投げ出された存在であるとオレは言った。しかし、たとえ投げ出されて生まれて来ても、自分を取り巻く世界には必ず自分を受け入れてくれる「場」がある、と信じ込める人々は幸いでもあり、同時に物事の真相に気づこうとしない、という点で不幸である。
なぜわざわざこんなことを言うかと云えば、人間は例外なく自分が安全なところにいるという幻想は、必ず剥がされるときが来るからである。この種の幻想に気づくこともなく、生涯を閉じる人はオレの感性からすると不幸な人々である。理由は簡単である。真実に生涯一度として向き合うことなく、人間社会という虚偽的共同体に騙されて生きて、死んで行った人々だからだ。それでいいじゃないか、と居直る人々は多いが、こういう人々は生の一断面からしか自己の人生を見なかった人だと思う。そうであれば、オレから言わせれば、この人々は幸福も不幸も本当のところは知らずにこの世界から去っていくことになる。こんな残念なことはないのではないか?いま、死を前にして、こうしてお節介過ぎることを呟き、書き記している自分がそれほど嫌ではない。自己のことをこれほど肯定的に感じたことは殆どない。
自分のことをある意味肯定的に捉えるときが、餓死という自殺の過程で訪れるとは人生はなんと皮肉なものか、と思わざるを得ない。
特に思春期を迎えた頃から、オレは年齢に見合わぬ本の世界に埋没するようになった。日本の作家で云えば、白樺派の作家たちの優雅な人生観や恋愛観の虜になった。それ例外には太宰治の一連の作品から、生まれの良さを無理に退廃させようとするデカダンスの魔力が醸し出す魅力に夢中になった。想えば、オレに内包されたかのような日常への退屈感は、太宰治の作品から受けたデカダンスの影響が強いのではないか、と今更ながら想う。実際のところ、オレはデカダンスに目覚めてから、毎日が退屈で仕方がない、と感じるようになった。この頃、すでに平凡な毎日をいかにすればメランコリックなものになるのか、ということばかりを考えていた。おかしな少年だったと想うし、これを書き終わろうとしているいまもそうなのだから、オレの頽落への憧れは並みではなかった、と言えるのではなかろうか。
フランス語なんて出来なかったから、フランスものは翻訳に頼らざるを得なかったが、堀口大学訳のボードレールの詩集はすばらしかった。「パリの憂愁」は、まさにオレ自身の心象風景にすり替わったと言っても過言ではない。とはいえ、ボードレールに惹かれる度合いが深くなればなるほど、オレ自身の頽落への憧憬や日常生活の退屈さは、深まるばかりだったのである。
高校生になると同時に、アルベール・カミュを発見した。カミュの諸作品から、「反抗の論理」の本質を垣間見る想いがしたのである。まるで低次元の抗いだったにせよ、オレは世の中の不条理やオレ自身の日常との折り合いのつかなさに対する対抗措置として、カミュに頼った記憶が強く残っている。神に反抗しながら、終わりなき苦役を強いられるシジフォスの強靭な精神性を自分の中に取り込もうとしたが、その副作用のようにオレはますます気難しい人間になってしまったように想う。だいたいは、自分の能力に見合わないものを模倣しても必ず失敗するし、その反動は予測し難い状態で自分を苦しめる結果になるということだけはここに書きおきたい。
(リアルにオレ自身の最期を迎えるにあたって)
そろそろ2週間が過ぎようとしている。死期が近づくにつれ、水分だけは補ってきたが、買い置いた水はまだずいぶんと残っている。空腹をごまかすためのコンニャクゼリーはすでに尽きたが、幸いと云うか、空腹はまったく感じない。体内の細胞という細胞から、生命を維持するための栄養素が染み出していくようだ。そのためか、身体は痩せ細っている。体内の力は殆ど残ってはいないが、不思議なことにトイレには何とか行ける。四つん這いになってではあるけれども、下の世話は出来ているのはオレにとっては幸いである。死後の身体の腐敗を抑えるためにエアコンを18度に設定しているために身体は急速に冷えて来ている。しかし、寒さを感じることはない。もはや生命を維持するための身体の機能そのものが消失しているに違いない。死後の自分の始末や部屋の整理については出来る限りやり尽くしたつもりであるが、そもそもオレの人生のすべての出来事が中途半端であったから、綺麗な終り方にはならないに違いないが、それは許していただこう、と想う。
意識が朦朧としてきたようだ。ペンを持つ力ももはや殆ど残っていない。最後に書いておく。重複することかも知れないが、それでも書いておきたいことだと感じるからである。
オレがすでに書いたこととは矛盾しているように見えるかも知れないが、人間は生まれた瞬間から世界に投げ出された存在でありながらも、同時にオレの裡なる人間存在における本質的な在り方と相矛盾するように、人は他者との絆を求め、現実に人間の絆はあると錯誤するのだが、そのことがそもそも人間の不幸の根源だ、というオレなりの生の解釈に誤りはない、と確信する。
もっと書きたいことがあるとオレは想っていた。が、こうして、死の準備をしながら、自分の脳髄を絞り出すように書いてみると、オレの考えていることなど本当にタカがしれていると思い知った。たぶん、これが、オレが書き遺す最後の記述になるのだろう。
目は開けているが、目の前は真っ暗だ。電気はついているのに何も見えない。寒さは感じないが、自分の手足に血が通っているとは思えないほど身体は冷たい。意識が薄れてきたのが分かる。人は死に際にしばしば過去の出来事の断片が走馬灯のように駆け巡ると言う。たぶん、オレも例外ではないと思っていたが、どうやらオレはやはり例外だと感じざるを得ないのである。オレに見えるのは、見えるというのは矛盾かも知れないが、「闇」そのものだ。真っ暗闇という甘い概念ではない漆黒の「闇」である。これがオレに相応しい最期の原風景だろう。オレは漆黒の「闇」から生まれ、漆黒の闇の中に帰る・・・・・
完
棄てる! @yasnagano
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