透明人間と、不可抗力と、僕 ②

 さて。

 物事は決着が着かない限り、常に進行していく。

 悪い方向に、どんどんと。

 

 今の僕の状態を説明しなければならない。


 僕は鼻からドバドバと血を垂れ流し、手足を縛られ、車の後部座席に横たわっている。

 僕の頭の重みでへこんだ段ボールは不思議と枕に心地よく、中に敷き詰めてある缶コーヒーの硬さはあまり感じない。

 しかし、それは何の解決の糸口にもならないし、慰めにもならない。

 

 僕の鼻について。

 これは「何か」の攻撃を受けたことによる負傷だ。

 もしかすると折れているかもしれないし、折れていないかもしれない。

 鏡を見ていないから何とも言えない。バックミラーは死角に隠れている。

 それに、これまで鼻を折ったことなんてないから、この鼻が、どれだけの状態かを判断することができない。

 間違いないのは、とても痛いということだ。


 そして、それをもたらした「何か」について。これが大事だ。


 いろいろな考えを巡らせようと必死に考えているつもりだが、目の前にどんと聳える、いちばんしっくりくる可能性に、どうしても目を奪われる。


 相手は透明人間かもしれない。

 いや、きっとそうだろう。


 馬鹿馬鹿しいが、それが一番しっくりくる。

 そうでなければこれは実にリアルな夢だ。


 辺りは暗く、視界状況は悪い。でも、見間違いじゃないはずだ。

 これについても骨折と同じことがいえる。

 僕はかつて透明人間と出会った経験はない。だから、本当にこの何かが透明人間と言い切ることなんて、本来できないはずなのだ。


 それでも、だ。


 僕の受けた攻撃による痛み。

 そして、先ほど触れてしまった、その何かに触れた際の、柔らかい、あの感触。

 それらの事実が僕の頭の中で、「何か」が透明人間だということを激しく主張しているのだ。


 事の経過としては、僕を痴漢呼ばわりした透明人間の女性が僕を突き飛ばし、主に顔面を激しく殴打し、その後、勝手に車内にあった運搬用のロープで僕の手足を縛り、車に押し込んだ。


 抵抗しようにも、僕はその間何もできなかった。

 とても痛かったし、当たり前だが、透明人間を捕捉できなかったからだ。


 そうして僕は身動きできず、拘束状態となった。

 まな板の上の鯉となった僕に、解決の糸口は見えなかった。


 僕は背中で縛られた両手を外そうとする。

 固く縛られていて、全く動けない。


 どうしようもないことがわかり、脱力する。

 緩んだ指先が、先の、柔らかい感触を思い出させる。

 ふわふわとして、それでいてしっかりとした質量――。




 バタンッドン!


 突然、助手席のドアが開閉した。

 僕は馳せる思いから抜け出し、顔を上げる。

 しかし、この姿勢では視界がかなり遮られている。


 気配は、ある。

 あるように思う。


 僕が戸惑っていると、ダッシュボードが勝手に開いた。

 いや、透明人間が開けたのだ。

 中身のものがひょいひょいと宙に浮く。

 ガサゴソと中身を調べているらしい。

 お目当てのものが見当たらないのか、車検証やガムの箱が後部座席に次々と投げ込まれていく。そのうちいくつか、僕の足に当たる。


 急に動きが止まる。

 僕は目いっぱい首を伸ばし、助手席を確認する。

 そこには、束にまとめている僕の名刺が、空中で静止していた。

 じっくりと見分しているようである。


「……唐西、トウマ?」

 僕の名前を言う透明人間。

 まるでその名前が僕に相応しくないといった声色だ。

「名前、唐西トウマ?」 

 僕は頷いた。

「返事しなさいよ」

 ガンッと何かを叩く、大きい物音。

「は、はいっ!」

 僕は声と共に大きく頷く。

「これ、アンタの会社?」

 名刺がスーッと移動し、僕の顔の前に向けられる。

『街の電気店・取り付けからリサイクルまで! 何でもご相談を!』と書いてある。

「そ、その通りだけど」


 それを聞くと、透明人間はカーナビを操作し始めた。

 ピッピッと操作音が鳴る。


「ここ?」

 透明人間が確認を求める。

 僕は身を乗り出そうとする。

 しかし、手足が縛られているのでうまく動けない。


 グイッ!

 僕がじたばたしていると、急に引っ張られた。

 透明人間が僕の胸倉をつかんで引っ張り上げたのだ。

 僕の姿勢は縦となる。

 途端にくらくらとする。

 なんとか、倒れそうになるのを堪え、カーナビを確認する。

 間違いなく、会社の住所が案内されていた。


「うわ、汚い」

 僕の、こぼれた鼻血が着いた透明人間の指先が見えた。

 付着した血液が指の形をかたどり、それを指と認識される。

 透明人間は運転席のシートにそれを擦りつけ、拭う。

 ゴシゴシ。

 やがて、血の指が見えなくなる。


「……とりあえず車を出して。そうしたら後で解放してあげる」

「これは、一体どういう……」

「お願いだからイライラさせないで。早くしてよ、もうッ!」


 僕は透明人間に服を掴まれて、無理やり運転席に引きずり込まれた。頭から。

 すごい力だ。

 おでこにブレーキペダルが当たり、擦りむいた。

 尻がクラクションを鳴らした。

 靴が運転席の窓ガラスを何度も小突いた。


 そのうちにまた透明人間が僕の体をおもちゃの関節をいじくりまわすようにあちこち動かした。

 どんな過程を経ているのか僕には理解できなかったが、なんとか運転席に落ち着く格好となった。


 収まった僕。

 どうすればいいのかわからない。


 すると鈍い痛みが僕の左足を襲った。

 透明人間が僕を蹴ったのだ。

 縛られている両脚に力が加わり、ブレーキペダルを踏みこんでしまう。

 一瞬だけ、ブレーキランプが灯った。


「……このままじゃ、運転できないんですが」

「手ェ出して」

 僕は言われるがまま両手を前にかざした。


 手首には、相手を拘束するにはあまり相応しくないきれいな蝶々結びが飾られていた。

 スルスルと、ロープが引っ張られ、蝶がほどける。

 

一方で、足を見ると、とても強く固結びされていた。

「あの、足は……」

「足はそのままで運転できるでしょ? バカじゃないの?」


 両足を束ねられたまま、足をブレーキペダルとアクセルペダルに交互に乗せてみる。

 踏めないことはない。

 だが、どう考えても良くない。

 道路交通法違反になるのではないだろうか。

 しかし、両足を縛った状態での運転は実際どのような違反に該当するのか、わからなかった。


 助手席をみる。空席にしか見えない。

「何見てんのよ、早く出して」

「すみません……」


 僕は視線を逸らし、シフトレバーに手を置く。

 ドライブへ。

 ブレーキを緩める。

 ぎこちない動きで車が進みだす。




 ガッコン。

 その際に、何かに乗り上げたような手ごたえを感じた。

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