chapter.14

「ならばこれはどうだ」


 ヨウが視た光景を知る筈もなく、速度を増したオグが再度迫ってくる。対策を練っている暇はない。気を抜けば途中で容赦なく殺されてしまうだろう。


「……カタル!ジンリンを頼む!」


 空気を切り裂いて振り落とされる左の鉤爪を、ありったけの力でもって受け止め、弾き返しながら、なんとか距離的に一番近くにいるカタルへとジンリンを託す。それ以上のことは思い浮かばなかった。


 オグは自身の爪が防がれるとは微塵も思っていなかったらしく、その顔に少しの驚きを浮かべて、弾かれた反動で巨体を仰け反らせる。最も疎かになっているのはやはり足元だ。

 ヨウは、何か文句を言いながらも慌てて駆け寄ってきたカタルが、傍にいたジンリンに手を貸す姿を横目に見つつ、身を低く屈めるようにしてオグの足元を狙ってホッケースティックを振るう。地面を抉り出す程の勢いを付けてそこへ先端を叩き付けると、足裏を抉じ開けられ、バランスを失った巨体が後方へと倒れそうになる。


 ここだ。ここで相手に態勢を立て直す隙を与えてはいけない。

 予想通り、オグは瞬時の判断でホッケースティックに全体重をかけるよう強く踏み付け、崩れた態勢を立て直そうとする。その踏み台となってやる前に、手にしていたスティックを力の限り引っこ抜くと、今度こそオグはバランスを失って地に転がることになる。


「ぐぬぁ!」


 低い呻き声を上げて、地面に体を擦り付けることになったオグへ追撃をと、握り込んだホッケースティックをその鳩尾目がけて振り下ろす。

 ところが、彼の強力な武器と言える、その巨躯に釣り合わない俊敏さがまた力を発揮する。素早く横へと体を捻って転がり、ヨウの一撃を躱したかと思えば、両腕を使わず腹筋に込めた力を利用して体を立て、再び二本の足で大地に立つ。


 安定を取り戻したオグの次の動きを見る前に、今度はヨウから相手との間合いを詰める。いくら態勢を立て直したとはいえ、まだ無防備な敵の懐に一気に潜り込むのは容易い。このヨウのスピードにはオグの反応も追い付かず、渾身の力で振るわれたホッケースティックを回避することができずに、その右頬で受け止めることとなる。


 瞬間、宙に飛び散るオグの赤い血と、二、三本の黄褐色の牙が飛んでいく様が視えた。

 戦闘に集中する神経の傍らで、頭の中のどこか冷静な部分が警鐘を鳴らしていた。

 ヨウは、この先に起こることを知っている。


「アガアアアアァァァァ!!」


 オグは激痛と鮮血の色に煽られたかのように咆哮し、鼻息荒く口元から血と涎を流しながら、殺意にぎらつく双眸をヨウから更に後方へと向けた。

 振り返らずとも分かる。そこにはジンリンとカタルがいる筈だ。


「やめろ!!」


 自分ではなく仲間たちに向けられた途端、思わずそう叫んだ。オグは、視線の動きだけで思考を悟られたと感じるものの少しも臆せず、血で汚れた口元を歪めて寧ろ余裕さえ感じさせる表情で嘲笑った。

 

 そこからは、オグの方が一瞬速かった。またすべてがスローで再生され始める。

 

 今の今まで対峙していたヨウを完全に無視して、突進する勢いで駆け出した。振り返れば、カタルに肩を借りてぐったりと項垂れるジンリンの姿が、少し離れた場所に見える。

 このままではオグの鉤爪が容赦なく彼らを襲うだろう。それだけは、何としても阻止したい。


 刀を抜いたニシキが、そして変身を済ませたアルコが、ジンリンたちの方へ動き出すのが視界の端に映る。しかしそれらも間に合わないだろう。

 ヨウは両足に全速力を乗せて駆け出す。どうか間に合ってくれ。それ以外何も考えられなくなって、土埃を上げて突進する巨体を追いかけ、追い越し、彼の標的の前に立ちはだかる。


 間に合った。

 ジンリンとカタルを背に庇うように立ち、ホッケースティックをもう一度構え直す。少しの間も置かずに、威力を増した凶悪な爪が襲い掛かってくる。こいつを受け止めて次の一撃を――。



バキンッ。



 思考を次に繋げることは叶わなかった。密度の高い鉤爪から放たれる強力な一撃を、真正面から受け止めた途端、手にしていた武器が呆気なく折れてしまった。

 折れたホッケースティックごと、オグの爪は容赦なくヨウの身体を切り裂き、貫く。内蔵を裂かれ、体の内側に留めて置けなかった血液が、傷口から、そして口から溢れ出してくる。


「……ヨウ!!」


 アルコの悲痛な叫び声が聞こえたが、上手く呼吸ができない激痛が襲い来る中では、その声すらも随分と遠くで聞こえた気がした。血が失われると共に嫌な寒気がじわじわと体中を支配し始め、急速に意識が刈り取られていくが、ここで倒れる訳にはいかない。このままでは、結局仲間たちは殺されてしまう。


 ヨウは折れた武器を放り投げて、腹に刺さったままの太い片腕を両手で掴む。血に濡れて滑るのにも構わず、爪を立てる程に強く掴みかかってやると、それまで自分の勝利を確信していたオグの顔から笑みが消えた。


「っぐううううあああああ!!」


 声を上げ持てる力を振り絞ってその腕を握り込んでやると、みしみしと芯が軋む嫌な音を立て、ヨウの手の中で丸太のような腕の骨にひびが入っていく感触があった。慌ててその手を引こうとするオグの腕を、ここで逃すまいと逆に引き寄せるようにして更に力を込め、骨に入った亀裂を深めていく。その激痛に耐え切れずオグは叫ぶ。


「ガアアアアアアァァァァァ!!」


 ボキン、とその場の誰もが耳にする程の派手な音を立て、オグの右腕の骨は完全に折られた。叫びながら巨体を揺すり、手を離さそうと暴れるオグ。

 それでも尚、ヨウはその腕を離さない。視界が自身の流した血で真っ赤に染まっているが、仲間を守りたい一心で覚悟を決めれば、腹に深々と刺さった爪を勢いに任せて引き抜いてやる。


 体中から血液が抜けていくのが分かる。行き場を失った血が胃からせり上がってきて、更に口からも溢れる。不味い鉄の味。激痛で意識が遠のく。しかし、それでも。


 ヨウの怪力でされるがまま引き抜かれたオグの腕は、軸を折られてあらぬ方向に曲がっている。それにも構わず相手の腕を掴んだまま、勢いを付けて前方へ踏み込むと、自分より一回りも二回りも大きなオグの巨体を背負い、力の限り投げ飛ばす。


「おらああああああああ!!」

 

 そこでようやく腕を離せば、オグの身体が宙を飛ぶ。

 完全なる力負けに加え、腕を折られ、受け身を取ることもできずに、2メートル以上ある巨体は、鈍い音と共に容赦なく地面に叩き付けられた。

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