chapter.15
全身を強打した衝撃で、体中の空気を吐き出すような奇妙な呻き声を上げたきり、オグは動かなくなった。ヨウは、肩で息をしながらも倒れた巨体を凝視してしばらく身構えているが、相手は気を失っているらしく、オグが起き上がってくる気配はない。
敵が確かに倒れたと知った数秒後、途端に全身を支えていた糸が切れたように、ヨウはその場に崩れ落ちる。
「おいヨウ!?生きてるよな!?ヨウ!」
視界の端に酷く慌てた様子のカタルが映った。彼と、その隣で座り込んでいるジンリンの無事を知り、安堵に包まれるような気がした。駆け寄って来る仲間たちの足音と、それぞれに自分の名前を呼ぶ声が遠くで聞こえる。血を失い過ぎたせいか、体の震えが止まらず、急速に意識が暗闇の中へと飲み込まれていきそうになる。
「ヨウ!死なないで!お願い!」
いち早く寄ってきてくれたアルコに肩を揺さぶられ、なんとか意識が繋ぎ止められた。雨の降らないボックスヤードで、頬濡らす雫が数滴降ってくるのに、それがアルコの涙だと気付いた。
一拍遅れて場に駆け付けたニシキが、血を含んで重くなった服の上から、的確に傷口を捉えて強く押さえる。押さえられている感覚はあるにも関わらず、痛みはあまり感じなかった。
「ナイスガッツて言うてやりたいけどなぁ、腹にこんな穴開けて女の子泣かせとったらあかんわ、……クソッ、止まらん!」
心臓の拍動が直に腹へと響き、その度に止血を試みるニシキの指の隙間から、じわじわと血が流れ出ていってしまう。
「グ……」
その時、獣が喉を鳴らすような音に、まさか、とヨウ以外の全員の視線がそちらへと向く。
気を失っていた筈のオグが、折れた腕をだらしなく肩から提げた格好で、その場に仁王立ちでいた。
「お、おい。どうすんだよ!」
「こっちは死にかけやってのに、最悪なタイミングで復活してきよって……!」
血塗れの手を離せないまま焦ったようにニシキが悪態を吐く。ニシキが、狼狽えるカタルに止血を代わるよう伝える前に、アルコが涙を拭って慌てて立ち上がる。しかし、立ち向かおうとする彼女を片手で制したのはジンリンだった。
「ジンリン……?」
心配そうなアルコの声に、大丈夫、と一言その場に言い残してオグの元へ向かっていく背中は、いつものようにまっすぐに伸びていた。
「やはり、よく分からないな」
いつもの調子を取り戻したジンリンの静かな声が響く。だがそこには以前のような機械的な冷たさはなく、静かな怒気と、僅かな苛立ちが含まれていた。
「殺してやるッ!まとめて全員嬲り殺してやるッ!!」
一方、オグは鼻息荒く殺意を剥き出しにして、また襲い掛かってくる。自由に動く腕を振り回し、周囲のコフィンを薙ぎ倒しては地面を抉り取り、その勢いで岩のような体ごと突進してくる。
「こんな相手でも、殺したくないというのか。ヨウ」
オグが大きく左手を振りかぶり、今ジンリンを巨大な鉤爪で捕えようかというところで、彼女がそれを掌底で受け流す。すると同時に、丸太のような腕がいとも簡単に吹き飛んでいく。
瞬時の出来事、片腕を失ったことが理解できず、オグの視線が千切れた肘の先を向くと、そこはどす黒く変色して切り口は腐り落ちている。少し遅れて、ぼとり、と鈍く歪な音を立て、捩じ切られた肉の塊が地面に落ちる。
「ギァアアアアアアアアッ何をした女ァァッ!!」
失った肘の先から腐った黒い血を流しながら、鼓膜をつんざくような激しい叫び声をあげるオグ。片手を失ったことでバランスを保つことができず、片膝を地に着く。
対するジンリンは彼の叫びなどものともせず、両手ともに使い物にならなくなったオグのもとへ、悠然と歩み寄っていく。そして、片手を彼の太い喉元へまっすぐ伸ばすと、細く白い指を強く食い込ませ、そのまま締め上げた。オグの力であれば簡単に振り払える筈の手が、触れたそばから首周りの皮膚を変色させ、徐々に腐敗させていく。
「だが私はこいつが許せない。だから殺す、いいな。ヨウ」
痛みにもがき苦しみながら、オグは上体を暴れさせてジンリンの細い腕を振り払う。特に抵抗することもせず、ジンリンは手を離すが、彼女が返事のない会話を進める間にも、オグの首周りの皮膚は着実に腐り落ちていく。そして、ついに喉元を潰されてしまえば、苦痛に声を出すことも叶わなくなる。
「グッ……ガッ……!!」
侵食は皮膚に留まらず、内へ内へと腐敗を進めていき、次第に喉に穴が開くこととなる。呼吸すら十分にできなくなったオグが、喉元に手をやることもできず、ただ地面に転がりもがき苦しむ様子を、ジンリンは一歩退いたところから冷たく見下ろすのみだ。
あとはオグのこと切れる瞬間を待つのみ、とでも言うように、ジンリンはそれ以上何もしない。
不意に、地に転がるオグの身体を冷気の煙が勢いよく覆った。腐敗した肘の先から、折れて腫れあがった片腕から、見る見る内に霜が降りて白く凍り付いていく。
オグの死の瞬間を静かに待っていたジンリンが驚いたように数歩後退するが、一方ニシキには見覚えがあった。これはコフィンが生まれる瞬間だ。
何もない空中からスライドさせるように、黒の物質が出現したかと思えば、次々にオグの周囲を埋め尽くしていく。自然界には存在しない整った長方形が、煉瓦のように規則的に重なり合っては、凍り付いて身動きが取れなくなったオグを中心に、繭を形成するように覆っていく。
それは彼の死を決定付けるようにも見えるが、これ以上の攻撃から彼を守っているようにも見えた。
やがて数秒も経たない内に、ひとつの巨大なコフィンが完成する。声も上げられず苦悶の表情のまま全身氷漬けとなったオグが、その中に納められた。
少しの間、全員が歪で超自然的なその光景を何も言わずに見詰めていたが、思い出したようにアルコが声を上げた。
「ねえニシキ。ヨウ、ヨウは大丈夫なの?」
「あ、ああ。せやった、なんとか止血せんとえらいことに――」
現実に引き戻されたニシキが応え、慌てて自身の手元を確認するといつの間にか血は止まっていた。その場に血だまりが出来る程の出血にも関わらず、ヨウの呼吸は安定しており、ニシキが恐る恐る手を退けてみると、貫かれた跡に沿って肉芽が盛り上がっており、痛々しい傷跡を残しながらも完全に血は止まっていた。
「……治りかけているな」
信じられないという顔をするカタルの横から、戻ってきたジンリンが傷の様子を見て一言呟いた。
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