chapter.12

 五人が合流を果たしてから12時間以上が経過しようとしていた。

 アンプルの中身のおかげか、空腹や口渇を覚えることはないものの、疲労は別物らしい。時折休息を挟みながら足を進めていたが、一日の進行としては限界を迎えようとしていた。また、不気味な程に他ユニットの姿をみかけることがなく、突然の襲撃に遭うこともなく、拠点での出来事を思うと静かすぎる時間が、各々の緊張感を高めていた。


 不意に小さく足元が揺れると同時に、微かな地響きが靴底から伝わってきた。それにいち早く気付いたヨウがぐるりと辺りを見渡すと、数十メートル後方に巨大な石の壁がすぐに見つかる。横一列に広がるように出現した石の壁は強固な堤防のようで、その向こうを見ることも、ましてや元来た道を戻ることもできそうにない。


「禁止区域の壁やな」


ヨウの視線の先に気付いたニシキが説明する。


「戻る必要はもうないけど、映画館に戻ることはできそうにないな」

「やっぱり、あんたが言うた通り中央区域に行けってことなんとちゃうか」


 ヨウの言葉に頷いたニシキの顔にも疲労感が滲んでいる。簡単なやり取りを交わしながら、いつ来るかも分からない敵襲に備えれば、これ以上進むことは得策ではないだろうとヨウは考える。


「ねえ、あそこに何かあるかも」


 アルコの声に振り返ると、進行方向からやや東に逸れた方角に建物の影のようなものをいくつか見つけることができた。遠くからでもその形が比較的まだ保たれていると分かり、小さな街のようにも見える。

 軸となる鉄骨が剥き出しになる程に崩れ、風化した建物の跡地ばかりを見てきた中では、形がはっきりと残っている建造物を見るのは久々に思えた。


「あそこまで行ったら、長めの休息を取ろう。みんな疲れを取ってから再出発した方がいい」

「たまにはいいこと言うなぁ!俺もそう思ってたところなんだよ、そう、めちゃくちゃ疲れた……」


 心底嬉しそうに横から一方的に肩を組んで、ヨウの意見に賛成するカタルだったが、声の勢いはどんどんと萎んでいき、最終的には無遠慮に自分の体重を任せるように寄りかかって項垂れる。対してヨウは、カタルを肩に引っ掛けたまま、特に重さを感じさせることなく彼を引き摺りながら再び歩き出す。


「なんだかんだヨウは元気やなぁ。流石に自分も歩き疲れてきたところやからありがたい提案やけど」

「いつ戦闘になるか分からない。休める時に休んでおきたい」


 大きく開けた口を片手で押さえつつ欠伸で間延びした声で話し、ニシキがその後に続く。それまで足を止めて静かに皆の様子を見ていたジンリンがそれに頷けば、彼女もまた再度歩き始める。




「なに、これ……。全部コフィン……?」


 近付くにつれ明らかになってくる街の全貌は、期待から大きく外れたものだった。

そこには、数軒ある小さなビルを圧倒する程に、優に五十は超えるであろう数のコフィンが乱立していた。幾つかの黒のカプセルが無造作に転がっている中で、そこかしこに飛び散った血痕と、巨大な獣の爪で地面を抉ったような跡が目に付く。墓地と表現するにはあまりに凄惨で、荒らされた光景である。


「アンプル目当ての奪い合い……と言うよりは、一方的な略奪やろうな」


 途中、ニシキが道端に落ちていたウェストポーチを拾い上げてみると、その中身からアンプルだけが綺麗に抜き取られていることが分かる。


「そしてこれは、おそらくすべて同一犯の仕業だろう」


 感情を含まないジンリンの声が言う。規則的で静かな足音を響かせながら、多数あるコフィンの内の一つに歩み寄ると、彼女はガラス面から中身を確認する。中で眠るまだ若い女性の死体はやはり凍り付いているが、地面に刻まれた爪痕と同様の深く大きな傷が、その喉元を掻き切っている。ジンリンが一つ、二つ、と他に視線を移すに従い、そのコフィンの中身を確認してみれば、すべて同じ方法で殺されていると一目で分かる。


 その惨状を目の当たりにして、ヨウの胸の内に言い表しがたい苛立ちが募る。その感情をどこに向ければいいかも分からずに、湧き出る思いをそのまま口にした。


「ここまでやる必要ないだろ」

「やられる前にやらなあかん時もあるけど、これはどう見てもちゃうわな」


 溜息交じりに答えるニシキの声をどこか遠くで聞きながら、ヨウはあることに気が付き、あるコフィンに歩み寄っていく。

 中にはどう見積もってもまだ十代前半の小さな少年が眠っている。その少年は他と同様に喉元を惨たらしく掻き切られているが、その手足が異様に細く、死の眠りに下ろされた目蓋はひどく落ちくぼんでいる。首周りの傷も致命的ではあるが、それ以上に、餓えが彼を酷く弱らせていたのは明確だ。


「何体か、このような状態のコフィンが存在する。おそらくここの襲撃者は、放っておけば餓死していたであろう相手に対しても、容赦がなかった」


 ヨウのすぐ隣までやってきたジンリンが淡々と告げるが、振り返ってみれば表情こそ変わらないものの彼女の顔色はどこか優れない。ジンリンが指す方向を見ると、そこにも同じくまだ幼い少女が眠るコフィンがある。

 少女らしい頬の丸みは削がれ、飢えと渇きで瘦せ細った体は見ていて痛々しく、その上喉を切られて絶命している様は、ヨウに言いようのない感情を呼び起こさせた。苛立ちと言い切ってしまうには、身を切るような痛みを伴う心の動き。今、自分の内側で脈打つ心臓が、引き絞られるようなこの感覚を、どう言い表せばいいのか分からなかった。


「今は襲撃者が近くにいない……ことを……」


 傍にいたジンリンの言葉が不自然に途切れ、苦し気な呻き声が混じったところでヨウは我に返った。

 機械のような無感情さで動いていた彼女が息を切らせ、脂汗を滲ませ、いつも凛々しく伸ばされていたその背が丸められていく。慌てて彼女の元へ駆け寄り細い肩を掴むが、ついに彼女は立っていられず地面に片膝を着いてしまう。


「ジンリン?おい、ジンリン。どうしたんだ」


 意識を確かめるようジンリンの肩を軽く揺さぶり呼びかけるが、そんなヨウの声が聞こえているのかいないのか、彼女は絞り出すように浮上する記憶の断片を口にした。


「そうだ……、私には……娘がいた……」


 何かを堪えるよう片手を汗の滲む額に宛がい、ジンリンが更に何か口を開きかけた時。


「おいヨウ!ジンリン!危ない!」


 ジンリンの様子に気を取られ、カタルの声がかけられるまで、背後に迫るその巨大な影にまったく気が付かなかった。

 しかし、それでもヨウの反応速度の方が速かった。左上からだ。


 そう判断した瞬間、ジンリンを抱え上げ地面を蹴る。二人がいた場所に、巨体によって空高く振り上げられた片腕が地面に叩き付けられた。否、地面を抉り取るように獣の爪が大地を引っ掻いていった。一秒でも反応が遅れていれば、二人とも全身を裂かれていたのではないかと思わせる威力だ。


「全員殺ったと思ったが、まだ残っていたのか」


 地響きのような低い声、二メートル以上はあると思しき巨躯。何より目に付くのは、獣のような毛深さを持った両腕と、不自然な程長く伸びた鋼鉄の爪。その姿は、異様な凶悪さを持った熊と大男を無理矢理に合わせた出で立ちだった。

 男は血走った目を獲物に向け、耳障りな低音を響かせて、殺気をまき散らしながら言い放った。


「俺の名はオグだ。お前たちを殺す者の名を覚えておくがいい」

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