chapter.7
敵との間に割り込んできた華奢な背中は、まるでヨウの考えを見抜き、捨て身など許さないと語っているようだった。その優しい背中がざわざわと波打つ様に、Tシャツ越しでも彼女の身体が硬質な鱗に覆われているのだと分かる。
桜貝のように愛らしい形をしていた短めの爪は、今、分厚く長い鉤爪となり、老いた土色の手が放った火の塊を薙ぎ払い、いとも簡単に掻き消してしまった。
女の子らしく丸みを帯びていた細い四肢が、赤い鱗に覆われたまま太く筋肉質に成長していく。彼女が肩で呼吸をする度に、硬く変性した唇の隙間から、蜥蜴の舌先のように炎が噴き出ていた。
仲間を守るため敵の前に立つ彼女の姿は、伝説上の生き物であるサラマンダーを彷彿とさせるような姿だった。爬虫類特有の縦に割れた瞳孔が、突然の襲撃者を捉える。
「なんじゃ……この化け物め!」
アルコの変化した姿に驚き怯んだのも束の間、相手を罵りながら今度は両方の手に火種を出現させる。老人は唸りながら火種を手のひらの上で練り上げ、一瞬浮かんだ敗北のイメージを掻き消さんと憤怒を纏わせ、先程よりも威力を上げた火球を作り上げていく。
「逃げるなら今のうちよ」
「舐めるなよ小娘ェ!」
虚勢を張るようしゃがれた声で叫び、一目で持てる力を最大限まで引き出して練り出したと分かる熱塊が、老人の深いしわまでも焦がすような勢いで燃え盛っている。
一方、忠告の返事を聞くや否やアルコは駆け出し、真正面から大胆に突進していく。
「アルコ!」
「あんなの食らったら……!」
ヨウは思わず呼び止めるように彼女の名前を呼ぶが、アルコの脚は止まらない。地面に腰を付けたまま起き上がれずにいるカタルも、目の前で繰り広げられる超自然的な戦いの光景に悲鳴じみた声を上げた。
老人は奇怪な声を上げて渾身の力を振り絞り、まずは右の手にあった火の球を解き放つ。
「キエエエエエ!!」
渦巻く炎は、重力やエネルギーの法則を完全に無視して、勢いよく燃え盛り空気を裂きながら、鈍色の大地を駆けるアルコ目掛けて一直線に放たれる。
しかし、彼女は少しも怯むことなく頑丈な鱗に覆われた両腕を前へと構え、全身のバネを活かしながらボールをキャッチする要領で受け止め、そのまま火球の勢いを相殺してしまう。アルコの手の中に収まった炎の塊は、そのまま彼女の両方の手のひらの中に吸い込まれるように、押し潰され消えてしまった。
その間も、アルコは老人へと接近する脚を止めない。
老人の左手から二発目の炎が放たれるより先に、アルコの全身を使ったタックルが相手に入り、小柄な老体を弾き飛ばす。しなやかな筋肉と硬い鱗に覆われた彼女の身体によって、老いた体は軽々と廃墟の壁へと叩き付けられる。
「ガホァッ!」
コンクリートに叩き付けられた勢いで、肺の中の空気を全て吐き出させるような衝撃が老体を襲う。左手の上で保たれていた火の塊は、渦巻くばかりで行き先を失いこぼれ落ちた。
瞬間、制御を失った炎は、アルコと老人の周囲の空気を燃やし尽くすよう爆炎を広げるが、彼女のルビーの肌を少しも焦がすことはなかった。爆風ではためくアルコの赤いポニーテールが、次第にその場で彷徨うようにして虚空へ消え去っていく炎と同化し、彼女自身が炎を吸収したかのようにも見えた。
壁に張り付きながら地面に崩れ落ちた敵は、呆気なく気を失ったらしい。
白目を剥いて口を開けたまま倒れている老人のもとまで歩み寄り、もう襲い掛かってくることはないだろうと確かめたアルコは、徐々に元の姿へと戻っていく。全身を覆っていた赤い鱗が小さくなって波のように引いて消えていくのに従い、元の白い肌が露わになっていく。
「あたし、少しだけ思い出したことがあるの」
先程までの異様な逞しさを少しも感じさせない、健康的な少女の姿を取り戻したアルコが、少し離れたところからヨウを含め仲間達を振り返る。その表情は穏やかだ。
「パパとママがいて、学校に行って、友達も何人かいて、もうちょっとで卒業で……。本当に普通の家庭で暮らしてたと思う。こんなことできるなんて夢にも思わなかった」
ヨウはアルコが何を言っているのか分からなかったが、その言葉の先を待った。カタルと、ジンリンも、彼女の言葉の先を待つように口を閉ざしている。
「あたし、生まれつき首の後ろのところにね、ザラザラしたウロコみたいなものがあったの。トカゲみたいで気持ち悪いって言われたことがあって……、それがずっとコンプレックスだった」
豊かなポニーテールの陰になる自身のうなじに触れて、未だ曖昧な記憶の断片を懸命に搔き集めながら、アルコは話を続ける。
「それでも、パパもママもあたしのことを大切に育ててくれた。あたしがどんなに自分のことを嫌いでも……。あたし、どうすればいいか分からないけど、パパとママに会いたい……」
少しずつアルコの声が頼りなく小さくなっていく。視線を地に落とし、両親とはぐれてしまった幼い迷子のようで、つい先程まで姿を変えて勇ましく戦っていた彼女とは思えない。
話す内に俯いてしまった彼女の視線を、最初に取り戻したのはカタルだった。
「じゃあ、やっぱり『扉』を目指さねえとな」
彼は衣服の埃を払いながらようやくその場から立ち上がれば、意外そうに再び顔を上げたアルコに向けて明るい調子で話を続けた。ヨウと、ジンリンの視線もカタルに向けられる。
「何があんのか全然分かってねえけどさ、何も分かってないってことは、そこに何か手がかりがあってもおかしくないってことだろ。それに、今みたいな強さがあれば、他ユニットの奴らが襲ってきても余裕っしょ?」
彼なりにアルコを励まそうとしているのだろう。誰よりもこの状況を嘆いていた筈のカタルが、明るく話すその調子に少しおかしくなって、ヨウは感じたままに笑って言った。
「お前、ビビってたのにいいこと言うんだな」
「なんでお前はいちいち一言余計なんだよ」
ヨウの言葉に嘲りの色が一切なかったからだろう。カタルは文句を言いながらも照れ隠しのようにヨウを肘で軽く小突いた。
「だが、カタルの言う通りだ」
一連のやりとりを静かに聞いていたジンリンが口を開く。
「我々の目的が、中央区域の『扉』にあることは、理由こそ明示されていないが、初期から分かっていたことだ。ボックスヤードにいる者たちにとって、そこに重要な何かがあると考えてもいい」
無機質に頷き同意を示すジンリンに、カタルが得意げになる。
「ありがとう、みんな。ワガママかもって思ったんだけど、あたしがんばるから」
仲間のもとへどこか嬉しそうに駆け寄り戻ってきたアルコが、ヨウの目の前で立ち止まる。
「ありがとな、アルコ。おかげで助かった」
「ヨウも助けてくれたでしょ。それに、あたし頑丈だから。……でもね、もっと自分を大切にしなきゃだめだよ」
優しい口調でそう諭され、ヨウは思わず問い返す。
それは、はじめて聞く内容に思えた。
「自分を大切に?」
彼女が、今は気絶している老人と対峙した時のことを言っているのだろうと、すぐに理解できたが、自分で自分を大切にするとはどういうことだろうか。仲間を助けようとするのに、正しい方法があるのだろうか。
アルコの言葉をきっかけにヨウの胸の内に新たな疑問が湧いてくるが、何から訊ねればいいか分からなかった。
「そう。パパとママが私によく言ってくれたこと」
アルコは少しだけ首を傾げ、どこか寂し気に眉を下げてそれだけを答えた。
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