chapter.6

「そう言えばニシキが帰ってきてないね」

「結構経ってるけどあいつ何してるんだろう……。まさか、誰かに殺されたんじゃないだろうな」

「もう、すぐそういうこと言う」


 浮かんだ悪い想像をそのまま口にしてみるカタルであったが、すぐに怒ったような口調で返すアルコに、慌ててごめん、と一言謝った。ニシキというのは、この場にいない仲間の一人だ。


 ヨウとアルコがここを出発するのとほとんど同時刻、彼は別方角への探索に出かけたのだが、まだ戻ってきてはいなかった。常に曇り空で、昼も夜も存在しない薄暗いボックスヤードでは、時間経過の感覚が鈍くなるが、もう半日程は戻ってきていないことになる。

 シアタールームのスクリーンに映し出されたマップによって、中央区域の場所は明らかとなり、目的地は具体的に定まった。同時に、ニシキが向かった方角は中央区域とは反対側であり、禁止区域と分類されるエリアが存在していると分かった。禁止区域へ進入した場合、何が起こるのかは不明だが、しばらくは仲間の無事を願いながら帰りを待つことにした。


 カタルは左手首に着けていたネイビーのデジタル時計を見やった。時刻を確認しながら表面の小さなひびを親指で撫でるその仕草を見て、ヨウは訊ねる。


「今って何時なんだ?」

「もう少しで4時になるところ。昼の4時……だよな。今が何月何日なのかも分かんねえけどさ」


 うんざりと溜息交じりに答えてくれるカタルに頷きながらも、ヨウの興味は彼の手元にあった。シンプルな文字盤に、マットな質感のネイビーの腕時計。覗き込むようにしてじっとその腕時計を見詰めていると、訝しんだカタルが、ヨウの目の前で軽く手を振って見せた。


「なんだよ?」

「お前いいもの持ってるな、どこで拾ったんだ?」

「拾ってねえよ!お前とホッケースティックと一緒にするな。これは俺の大事なもんなの」


 カタルは絶対に譲らないと言わんばかりに、ヨウの視線から左手首を庇うように遠ざけて言った。



 その時だった。

 底冷えするような敵意と共に、何かがくる、とヨウは感じ取った。


「!?」


 直後、体の軸に響くような凄まじい衝撃音と共に、建物全体を震わせる揺れが、ロビーにいる三人を襲った。


「うおっ!」

「な、なに!?」


 そこかしこに降り積もっていた埃が舞うと共に、天井からぱらぱらとコンクリートの欠片が降ってくる。「SCREEN2」のシアタールームでひとり何かを調べていたジンリンが、急ぎ足でロビーへと出てくる。


「敵襲か」

「分からない。でも多分そうだ」


 ヨウが答えるや否や、二度目の轟音。今度は立っているのが困難な程の、更に強烈な揺れだ。それに伴い大きな破片や、天井を構成する鉄材までもが派手な音を立てて落下してきた。


「きゃあ!」


 反射的に頭を両腕で庇いながら悲鳴を上げてうずくまるアルコのもとへ、ジンリンが素早く駆け寄り、その身体を支える。カタルの視線が脱出までの経路を確認するように入口へと向けられた。


「外へ出よう!このままじゃ全員下敷きだ!」


 お世辞にも頑丈とは言えない廃墟だ。このまま衝撃を食らい続ければ、いつ倒壊してもおかしくないだろう。ヨウが声を張り上げ全員に呼びかけると、降ってくる破片を払い除けながらカタルが応答する。


「ああ!ジンリン、アルコは大丈夫だよな!?」

「問題ない、先に行け」


 カタルが障害物を避けながら先行し、その後にジンリンと彼女に支えられたアルコが並んで続き、最後にヨウが外へと出る。全員が外へと避難すれば、追い打ちのように三度目の衝撃が建物全体を震わせ、老朽化した映画館を更に激しく崩していった。


「出てきたなァ」


 歪んだ喜びの滲むしわがれた声が、近くで這うように響いた。立て続けの襲撃の直後だ。反応が遅れる。

 しかし、ヨウには視えていた。火の塊を手にした老人が、たった今自分達が通ってきた入り口付近で、今か今かと襲撃のチャンスを窺っていたその姿。


「伏せろ!!」


 建物が崩壊していく音に紛れてしまわないようにと、腹の底から声を張り上げ叫んだ。

 ヨウの叫び声を合図に、灰色の地面に飛び込むようにして、全員が体を地に張り付けると、老人の手から放たれた火球が、回避したにも関わらず肌や毛先を焼く近さで通り過ぎていく。


「当たらなんだか。まあいい……」


 ヨウには視えていた。これで終わりではない。すぐに二発目、三発目が放たれる筈だ。

地に伏せた体勢を皆が立て直すより先に、皺だらけの顔に嫌味な笑みを乗せた老人は、枯れ木のような手のひらを差し出し天にかざす。そこに現れた小さな火種が、ほんの数秒のうちに火の勢いを増しながら、幼児の頭程の大きさまで育っていき、禍々しく膨れ上がっていく。


 ヨウはいち早く立ち上がり老人へと向き直ったが、腰のベルトに適当に差していたホッケースティックでは、打ち返すことすらできずに焼き尽くされるだけだろう。ならば、直接あの手を止める他方法はない。

 

 再び相手がその手に携えた火球を放とうと振りかぶる動作に合わせて、地面をぐっと踏み込むが、駆け出すには至らなかった。


「……ヨウ!あたしに任せて!」


 視界を遮ったのは、彼女の炎のように赤い髪。対峙していた禍々しく焼き尽くす火とは異なる、明るく澄んだ熱の色だ。仲間全員背に庇うようにして広げられた両腕は、ルビーのような赤の鱗で隙間なく埋め尽くされていた。

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