chapter.5

 ヨウたちがアンプルの残数を確認し合っていたその頃、その映画館より数キロ離れた場所で、複数のコフィンがほとんど同時に出現したところだった。そして、その傍らで、一人の男が呆然と立っていた。


「なんや、今の耳鳴り……」


 ひどい耳鳴りは脳髄に不快な痺れを残していったような気さえする。振り払うように軽く頭を振ってみれば、数秒前まで感じていたこの世界の空気、見えている光景、何もかもが変化したように感じた。

 いや、変化したのは自分の方か。男はどこか冷静な頭でそう理解する。


 ふと息を吐きだし振り返ってみれば、そこには皆一様の形をした黒のオブジェが十数体立ち並んでいる。そのどれもが中に死んだ人間が収めている。今し方、自分が手にかけた他ユニットの者たちだ。



 仲間たちから離れて一人で探索を続けていたところ、禁止区域の境界線まで来てしまったらしく、目の前で突如出現した大きな壁に行く先を阻まれてしまった。瓦礫だらけの単調な荒れ地が続くのみであったが、地面を無理矢理に引き延ばすようにして現れた壁は、意図的に、それ以上の進入を拒んでいた。

 さて、どうしたものか。来た道を引き返し、禁止区域に関する僅かな情報を仲間たちのもとへ持ち帰ろうか、と悩んだその僅かな隙を突かれた。一人に対しては十分すぎる程の人数で、壁と挟み込み取り囲むようにして襲われたのだった。


 すべての相手に致命傷を与えた途端、その命が尽きる瞬間を目撃するより先に、彼らは足元から白い蒸気を上げて見る見る内に凍り付いていった。勢いのある突然の冷気に次の敵襲かと身構えれば、何もない空間から現れた黒のパーツが耳障りな金属音を立てながら、次々と組み立てられていき、たちまち幾つもの棺を完成させてしまった。

 あまりに不自然な現象を目の当たりにして、複数人に襲われた時にも感じなかった、名状しがたい悪寒を覚えた。次の瞬間、立っている場所すら曖昧になる程の強烈な耳鳴りが男を襲った。

そして今に至る。


 目の前で起こった現象は理解の範疇を超えていたが、このボックスヤードにおける実質的な死であることは直感で分かった。これまで、少なくとも数か月分の記憶ははっきりと残っているが、このような現象は目にしたことがなかった。

 そもそも『死』という概念があっただろうか。考えても分からない。



「……それにしても、使い勝手が良いんか悪いんか分からん武器やわ。自分、こんなん使ってたんか」


 今になって初めて、自分が両手に握っていたものが日本刀とその鞘であることをはっきりと認識する。

 ひとり呟きながら一振り、少し離れたところにある瓦礫の山に向かって振るえば、空を切るばかりでその刃は届いていないというのに、刀の影が一拍程度遅れて動き出し、その山を切り崩していった。

 同時にどこからか「ひっ」と息を飲む音が聞こえた。


「誰かおるんか」


 刀をその白い鞘に納めず振り返り、わざと足音を立てて歩く。すると、敵の接近に怯えたように何かを引きずる物音が聞こえる。その方向へと歩みを進めれば、左胸を一突きされた死体が収まったコフィンの陰に、若い男が腰を抜かして転がっていた。


「こ、殺さないでくれ」

「あんた、他の奴らとちゃうな。耳鳴りしたか?」


 男の懇願を無視して脅すように刀の切っ先を向けて訊ねると、彼は何度も首を縦に振った。何がきっかけとなって起こっているのかは分からないが、やはり先程の耳鳴りが何かのトリガーとなって、自分たちに変化をもたらしたということは間違いなさそうだ。


「なあ、ボックスヤードってなんや?」

「わ……、わ、分からない」

「中央区域と『扉』はどこにある?」


 腰を抜かしたまま下半身を引きずり、距離を開けようとする男に一歩、二歩と近付いてその分の距離を詰める。その間、刀を下ろすことなく問いを重ねる。


「分からねえんだよ。で、でも、この世界に『観測者』がいるって話は聞いたことがある」

「なんや、『観測者』?」


 収穫はないかと思われたその時、意外にも新たな情報が出されたことに思わず足を止める。自分に向けられていた殺気が緩められ、刀の先が地へと向けられたことにチャンスとばかりに、男は早口で話を付け加えた。そこに命乞いの意図は見え隠れしても、嘘や罠の色はない。


「詳しいことは分からねえが、このボックスヤードで俺たちのことを見張ってる奴らが何人かいるらしい。禁止区域の管理もそいつらがしてるって話だ。」


「それは誰から聞いた話や」


 自分が何者かも分からないこの世界で、何者であるか説明できる存在がいる。また、その存在が自分たちを何かの対象として、『観測』しているというならば、それは大きなヒントのように思える。


「オグって名前の男だ。見たところ五、六人のユニットのリーダー格だろう。話しているところを偶然盗み聞きしたんだ」

「その男は今どこにおる?」


 シンプルな問いかけと共に、再び刃の先端を突き付けてやれば、男は怯えと焦りの混じった様子で両手を上げ、慌てて答える。


「そ、そこまでは分からねえよ。つい最近の話だが、見るからにカタギじゃなさそうな大男相手に、正面からケンカをふっかける程、俺たちもバカじゃなかったからな」


 これ以上、この男から得られる有益な情報はなさそうだ。しかし、探索の結果としては上々だろう。何もかもが分からない世界で、分かっていること、そして予測の鍵となる情報が存在することは非常に重要であると思えた。

 ボックスヤードで目覚めた時に、成り行きに任せて結んだ曖昧な協力関係ではあるものの、今裏切る理由もない。これらのことを仲間たちに知らせた方が良いだろう。

そう判断して、用は済んだと刀を鞘に納めて、その場を立ち去ろうとしたその時。


「……死ね!!」


 腰を抜かしていた男が、先程までの態度と打って変わって殺意を剥き出しにして叫ぶと同時に、踵を返したその背を目掛けて小型のナイフを投げ付ける。振り向きざまに再び抜刀すると共に刀を振るえば、金属同士がかち合う音が響き渡り、あっけなく投げナイフは弾かれる。

 その斬撃の後を追うようにして、一拍遅れて鋭い刀の影がうねって男の首を捕える。


「あ」


 何か声を発するより先に、喉元を横一線に斬り付けられて、相手が中途半端な母音だけの声をあげる。瞬間、切り口から鮮血が噴き出すより先に、その首が刎ねられるより先に、先程と同じような現象――システムが発動する。

 砂埃を巻き上げる程の冷気を発しながら、足先から頭の頂きまで、髪の一本も残さずに凍り付いた男は、両眼を見開いたまま暗闇に飲み込まれるようにして、虚空から現れた黒い棺の中へと収められていった。それを見届け、地面に転がったコフィンを見下ろしながら、今度こそ刀を鞘へと完全に納める。


「大人しくしとったらええもんを……。まあ、こんな状況じゃ無理な話か」


 影の刃を操り一度に十人以上を相手にした先程よりも、湧き起こる少しの同情を名前も知らない男に寄せた。しかし後悔はなく、これ以上その場に留まっている理由もなく、そこかしこに無造作にコフィンが設置された地を去ることにした。

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