chapter.8
アルコの活躍によって拠点への襲撃は終わったと、その場の空気が安堵に緩んだその時、しばらくの間止んでいた轟音が鳴り響き、再び廃墟を突き崩し始めた。欠けていた屋根が更に落ち込み、壁が次々と崩壊していくのに、傍らで倒れたままの老人の身体は大きな瓦礫で覆われ、あっという間に見えなくなってしまった。
「じいさん一人じゃなかったのかよ……!」
カタルが舌打ちをする。もうもうと立ち上る土煙が視界を霞ませ、老人の生死は完全に分からなくなってしまった。
直に次の衝撃がくるに違いないと各々が身構える。しかし、次第に土煙が収まり、崩れ落ちる瓦礫の音が収まっても、一向に次は来なかった。代わりに何かを殴りつける鈍い音が響き、次いでほとんど半壊した映画館の陰で、大柄な男が砂袋を落としたような重い音を立てて倒れたのが見えた。だらしなく伸びた両手には鉄製のナックルダスターが嵌められていた。
「まったく、詰めが甘いんとちゃう」
呆れたような声が言う。見知らぬ男の巨体を跨ぐようにして現れた細身の青年は、最後の仲間の一人であるニシキだった。どうやら鞘に納めたままの刀で、建物を揺らしていた犯人を殴りつけたらしく、慣れた手付きで飾りのように腰回りに巻き付けた革のベルトに納めつつ歩み寄ってくる。今度こそ敵の襲撃は終わったらしい。
「ニシキ、帰ってきたのか」
「帰ってきたら大男がバカスカ壁殴っててえらいことになってたけどな。……そうや、自分もそんな感じやったのに、ほんまなんか変わってもうたな」
「お前も帰ってくるのがおっせーんだよ!こっちは火の球打ってくる変なじいさんに襲われてめちゃくちゃ大変だったんだからな!?」
「うるさ……。はいはい、こっちはもう色々変わってもうた後やな」
ジンリンに声を掛けられ何かを考えるよう顎先に片手をやったのも束の間、勢いよく文句を飛ばし詰め寄るカタルを適当にあしらって、ニシキは重めの前髪からヨウに視線を向ける。
「なあ、あんたら。変な耳鳴りしたか?」
突然の問いに、ジンリンを除くそれぞれが不思議そうな顔をするが、あの強烈な耳鳴りを忘れる筈もなく、心当たりのあったヨウが応える。
「ああ。アルコと探索してる途中にいきなり」
「あの時ヨウもしてたんだ、あのひどい耳鳴り」
ヨウと同じタイミングでアルコも同じ経験をしていたらしく、呟くように言った。
「どういうことだ」
その隣からすかさずジンリンが訊ねる。
「お前たちの情緒が不安定な状態にあるのと、何か関係があるのか」
「不安定か?カタルはともかく、自分はこっちの方が安定してるし、自然なような気がしてるけどな……。まあええわ」
「おい」
わざとらしく肩を軽く竦めてニシキは応え、何か言いたげに口を挟むカタルを完全に無視して、先を続ける。
「ヨウが言うてるみたいに、自分も探索中にえらいひどい耳鳴りに襲われてな。そこからなんでここにおるんか、何が目的で『扉』を目指してるんか、気になって仕方なくなってもうた」
「『扉』を目指すことが目的だろう」
最初からずっと変わらない調子でジンリンが言葉を返すが、ニシキはそれに対して首を横に振った。
「いいや、『扉』は目的やのうて手段や。理由のない目的なんか普通はあらへんやろ」
「……分からないな。我々に明示された目的として、最初から分かっていた筈だ」
「まあ、自分も知らんけど」
ニシキ自身にも分かっていないのか、はたまたこれ以上の説明は無意味と感じたのか、『扉』に関する問答を終わらせるようにひらりと適当に手を振った。
ほとんど半壊して中に入れなくなった映画館の傍ら、しばらくは互いに得た情報を共有することにした。
また、騒ぎが収まり互いに話し合ってしばらくして、丁度老人が倒れていたあたりに、瓦礫の隙間から黒のコフィンが覗いていることに気が付く。近付いてみなければはっきりとは分からないが、中には落下物から守られるようにして老人の死体が収まっているだろう。
「コフィン『システム』ねえ……」
突如として映画館のスクリーンに映し出されていた文章の内容――中央区域や禁止区域の更新、マップの開示、アンプルの支給停止、コフィンシステムの存在。一通りをニシキに伝えると、彼は細長い両腕を組んで、瓦礫の一部と化した老人のコフィンへと視線を移す。
「わざわざ作られたシステムといい、『観測者』といい、何らかの目的を持った誰かがおって、ずっと観察されて操作されてるんちゃうかと思えてくるな」
一方でニシキが得た情報である『観測者』の存在や、オグという名の男、禁止区域の壁の出現について知ったアルコが、不気味そうにそれに応える。
「言われてみるとそうかも。禁止区域の壁だって、まるであたしたちを誘導してるみたい」
「誘導ってどこに?」
アルコの言葉にカタルが不安そうに問いかけるが、困ったように言葉を詰まらせた彼女に代わって、ヨウが横から答える。
「中央区域に誘導しているんじゃないか」
アルコ、カタルの視線を同時に浴びながら、ホッケースティックを腰から抜くと、それを使って地面に簡単な地図を描き始める。歪な楕円形のそれは、映画館内で見たボックスヤード全域のマップだ。
「これが言うてたマップか」
「ああ。俺たちがいるのはこのあたりで、ほとんどの禁止区域がこの外側の方にあって……、逃げられないようになってるように見える」
点や線を描き込みながらヨウが話すと、ホッケースティックの切っ先が描く地図を見下ろしながらニシキが頷く。
「なるほどな。他のことはなんも分からんくせに、中央区域にある『扉』を目指せってことだけは分かってたんや。誰かここに向かわせたい奴が、自分らを逃がさんようにしてそうさせてる……って考えてもおかしくないわな」
「いずれにせよ、中央区域および『扉』が目的地であることに、変わりはないのだろう」
機械のように同じことを繰り返すだけのジンリンの声が、皮肉にもニシキの推測の背中を押すようだった。少しの間落ちた沈黙の後、ニシキが変わらず飄々とした調子で続けた。
「まあ、ジンリンの言う通り行ってみな何も分からへん。アンプルの数にも限りがあるし、アルコの親御さんのことかて分かるかもしれへんって言うなら、尚更な」
持ち寄った情報から導き出したものは、顔も存在も分からない誰かの意図。しかし今はそれに従う他、道はなさそうだ。その場にいる全員がニシキの言葉に頷いた。
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