第2話 プレゼンテーション

 駅から歩く事、約十五分。駅周辺のオフィス街から少し外れた所に、四階建ての建築物がある。ソフトウェア会社のディスクリミネーションソフト(D社)である。

 オフィス街から外れているものの、近くにはコンビニエンスストア等があり、好きな時に食べ物や文房具等を調達できるので、働くのに決して不便な環境ではない。

 D社はゲームソフトを開発する会社である。規模は決して大きくないが、これまでに何本ものゲームソフトを開発、販売してきた実績がある。

 これまでD社から発売されたソフトは、大ヒットも爆死――想定よりも大幅に売れない事――もせず、そこそこの売り上げを維持してきた。

 だが、現状をよしとせず、どのようにしたら大ヒット作を生み出せるかという事に腐心する者がいた。



 D社の四階には会議室がある。

 会議室の床にはグレーの絨毯じゅうたんが敷かれている。

 壁の色は白。片方の壁側にはスクリーンとホワイトボードがある。

 日中だが、窓側にあるブラインドとカーテンは閉められており、室内は薄暗い。

 中央には、いくつかの長い会議机があり、それらは、くっつけられた状態で置かれている。

 室内には社員と思われる何人かの人間がいる。彼らは、会議机を囲むオフィスチェアに座りながら、前方のスクリーンに注目している。

 くっつけられた複数の会議机の中央には、プロジェクターがある。

 プロジェクターはノートパソコンと接続されており、その画面をスクリーンに映している。

 スクリーンの映像はプレゼンテーション資料。

 ノートパソコン上を拠点とするかのように二つの手が動いている。ノートパソコンを操作しているのだ。

 操作している人物は二十代後半の男性。ブルーグレーのスーツを着ている。髪は七三分け。目鼻立ちの整った顔をしている。背は、やや高い。

 男性の名前は椎尾格樹しいおかくき。この会議の中心人物。現在、プレゼンテーションの真っ最中である。

「――というわけで、このゲームを発売すれば、大ヒットする事、間違いないでしょう」

 椎尾がそう言うと、室内がざわついた。

「予算、どうするんだ?」

「実現可能なのか? これ」

 室内にいる人々の口々から疑問の声が出てくるが、いずれも小さく、椎尾に面と向かって批判する者は、いなかった。


 ――さん、正気か? 去年は、このような事おっしゃらなかったぞ。

 白髪混じりの頭髪を持つ五十代くらいの男性が、額から冷や汗を垂れ流している。椎尾の上司である菊軽晃文きくかるあきふみである。

 菊軽は企画開発部の部長であり、ゲームプロデューサーの役割を担っている。

 椎尾はゲームプランナー兼ディレクターである。

 前々回の役割はプランナーのみだったが、前回からディレクターも兼ねるようになった。

 その椎尾をサポートし、導いてきた人物が菊軽である。

 菊軽は、これまでに培ってきた経験を活かし、椎尾に手本を見せたり、様々な助言を与えたりしてきた。

 前回、椎尾はディレクターとしての役目も担っていたが、そのほとんどは菊軽に教わりながらやってきたものである。

 前回のディレクターは事実上、菊軽だったと言ってもいいのかもしれない。

 こうして、前回と前々回で生み出されたゲームが、ボードゲームとカードゲームをミックスしたようなものと、数字を使ったパズルゲームである。

 どちらも見た目の派手さは無いものの、奥が深く、スルメのように楽しめるゲームだった。

 大ヒットこそしなかったものの、売り上げは、なかなかのものだった。

 けれども、今年に入ってから方針が変わった。

 社長が「今回はに全てを任せてみよう」と言い出したのである。

 菊軽としては、社長に逆らいたくないというのもあるが、さんは充分に経験を積んだし今回は全てを任せてみよう、という気持ちになったのである。

 だが、菊軽の期待は裏切られた。

 ――俺はさんを信頼していた。それなのに今のは何だ!? これまでと路線が全然違う。流石に無理なのでは?

 菊軽は動揺を隠しきれない。


 プレゼンテーションの内容は概ね次の通り。

・据え置き型ゲーム機向けソフトの新規開発

・媒体は光学ディスク

・ジャンルはアクションアドベンチャー

・多数のシナリオを自由に選んでプレイ

・著名なシナリオライターや小説家によるシナリオ

・著名な漫画家によるキャラクターデザイン

・著名なミュージシャンによるBGM

・今年のクリスマス商戦を目指す


 この内容を見た――あるいは聞いた――菊軽の顔色が、変わった。菊軽だけではなく、他の社員も同様である。顔色が変わっていないのは、社長くらいのものである。

 製品が完成してから市場に出回るまで、最低一ヶ月は欲しい。

 今年のクリスマス商戦を目指すとなると、遅くとも十一月下旬までに製品を完成させなければならない。

 今は四月だから、開発期間は八ヶ月未満に抑える必要がある。

 それにもかかわらず、話を聞く限り、規模はかなり大きいものと思われる。

 詳細を聞かなければ、開発工数の見積もりを出す事はできないが、感覚的に考えても普通なら数年はかかるものと思われる。

 D社がこれまでに開発してきたゲームは、小規模ないし中規模のものであり、大規模なものは経験が無い。

 対象となる機種も携帯ゲーム機やスマホが中心であり、据え置き型ゲーム機を対象にして開発する事は少なかった。


 ――いくら何でも無謀だ。

 菊軽は、そう思った。同じ事を考えている者は、他にもいるかもしれない。

 ――さんに言いたい事は山程ある。このプロジェクトには反対だ。工数は? 予算は?

 しかし、言う事はできなかった。

 理由は二つある。

 一つは、菊軽が社長の意見に同意して「今回はさんに一任します」と言ってしまった事。

 社訓の一つに「有言実行、二言は無い」という項目があるので、ここで意見を述べてしまったら、逆らう事になってしまう。

 もう一つは、椎尾格樹が椎尾門太しいおもんた社長の息子である事だ。

 それゆえ、菊軽は上司であるにもかかわらず、格樹に対して強く言う事ができない。それは他の社員達も同じ事。

 格樹は、いずれ社長になる。

 年齢を考えると、格樹がそうなる前に、菊軽は退職してしまうかもしれない。

 それでも菊軽は大きく歯向かう事ができない。

 社長の息子である格樹を怒らせてはいけない、そんな空気が社内に漂っている。

 なぜ、漂っているのか。

 お上に逆らってはいけない、という日本人にありがちな考え。このような考えは昔からある。

 彼らが学生時代に行っていた部活動。特に体育会系の部活動や公演系の部活動では上下関係が厳しい。上を敬い、下には厳しく指導する。チームワークと体力を要求されるからだ。

 恐らく、これらの要素によってが作られたのだろう。日本国内のあらゆる所で見られる事だ。上に弱く下に強いステレオタイプの嫌な中間管理職像は、これに由来するのかもしれない。


 今回のプロジェクトについて説明を終えた格樹は、照明のスイッチをオンにする。薄暗かった室内が、白い光に照らされて明るくなった。

「何か質問はございませんか」

 格樹の声が室内に響き渡る。

 直後に室内がざわつく。

「何か質問した方がいいでしょうか」「だったら言えよ」「貴方こそ言いたい事があるんじゃないですか」という声が、ささやかれたが、質問する者は誰もいなかった。

「無ければ、これで終わりにしたいと思います」

 格樹はノートパソコンを操作して、プレゼンテーション資料のファイルを閉じた。プロジェクターの電源も切った。


 プレゼンテーション終了後の会議室は暗い。照明が消された上、カーテンとブラインドが閉まったままだからだ。

 会議室から出てきた社員達の顔も同様に暗い。今回のプロジェクト内容を考えると、嫌な予感しかしないからだ。

 浮かない顔をした社員達も、満足そうな顔をしている椎尾親子も、各々の持ち場に戻った。


 屋外では、先程の会議なんてどこ吹く風と言わんばかりに、太陽の暖かい光が、D社を優しく照らしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る