第6話 暗い過去は笑いで過去に飛ばせ

 今晩は、五年ぶりに、両親と笑香と家族水入らずで夕食である。

 おかんは、父さんの過去を聞かなかった。父さんも話したがらない。

 今更、過去をほじくり出して何になる、すべて終わったこと。

 人生は一度きりの片道切符でしかない。

 昨日どころか、一分前に戻ることもできず、へベル(束の間)のとき、一瞬の積み重ねを生きるしかないのだ。

 この事実だけは、生まれながらの能力や環境とは別に、人間皆同じである。

 今晩が、笑香一家の家族設立記念日となる。

 久しぶりにおかんは、父さんの好物だった魚チヂミを焼き始めた。

 魚の缶詰と刻み葱と、山芋すりおろしとマヨネーズと片栗粉を混ぜて、フライパンで焼くだけの簡素な料理だが、余った野菜や肉を入れても美味しい。

 父さんはこれに、大根おろしとポン酢をつけて食べるのが好きだった。

 笑香はさっそく、大根をすりおろし、ポン酢を控えめに入れた。

「さあ、久しぶりに我が家の味をどうぞ」

とお盆にお茶と小鉢を乗せて、父さんに差し出した途端、スマホが鳴った。

「もしもし、野田むつみです。私は今、笑香さんの家の三軒隣のカフェまで来てるの。ぜひ話したいことがあるので、来てほしいな。もちろん私のおごりでね」

 急に切羽詰まったような口調である。

 両親には、夫婦水入らずを味わってもらうことにし、三軒隣のカフェに行くと、むつみが手を振った。

「改めてお詫びします。いろいろご迷惑をかけて申し訳ございません」

 むつみは、いきなり四人掛けテーブルの上で、三つ指をついた。

「今日は、私の身の上話を聞いてほしい、いや一度聞いた時点で、聞き捨ててほしいの。ずいぶん勝手なお願いだけど、どうしても笑香には伝えておきたいと思ったのよ。もちろんお涙頂戴話でも、同情憐み話でもない。事実を語るわ」

 そう言ってむつみは、一方的に話し始めた。

「私はね、小学校五年のとき、家が火事にあい、大やけどしたの。今でもやけどの跡が残ってるのよ。それ以来、いろいろあって両親は離婚し、私は父方に引き取られたんだけどね。父が再婚してからは、ほったらかしになっちゃった」

 淋しい人生だな、笑香は思った。


「父は、飲食店を始めたけどね、借金を抱えるようになってしまい、サラ金の利子増えて私は風俗店で働くことになってしまったの。

 はじめは、エステ店だと言われたけど、だまされたのよ。でも、そのサラ金会社は、父に前払い金を渡していたから、私は逃れることができなかったの。

 それからは、麻薬には手を出さなかったけど、睡眠薬や精神安定剤とかが手放せなくなって、気がつくと悪い仲間に入り、恐喝に手を染めるようになったのよ」

 笑香は、むつみの過去に衝撃と憐みを感じた。

 ひょっとして私だったら、もっと荒れてたかもしれない。しかし女も含めて若者は損だ。

 麻薬、アウトロー、アダルトビデオ、風俗、これらはすべて一本の線でつながっていて、一歩間違えれば自分もその地獄に堕ちるのだ。

 しかし、いくらむつみの過去が悲惨だといっても、それが原因で人を恐喝する罪は許されるものではない。実際、風俗体験を生かして、女性の下着メーカーや女性専門の大人のおもちゃの店を開業した人もいるくらいである。

 その人の生き方によって、人生が決まるのだ。


 笑香は、やはり一度罪に堕ちた人を更生させるということは、一筋縄ではいかない大変なことだと思った。

 今や犯罪は、対岸の火事ではないのだ。いつ自分も犯罪被害者、または加害者の家族になるとは限らないのだから。犯罪自体も時代によって移り変わっていく。

 笑香は柏原牧師と共に、神への道を歩んでいこうと決心した。


 ふとスマホのベルが鳴った。

「笑香さん、私ウォーターずのマネージャーだけど、笑香の知り合いで、肉まんレスラーなどという風変わりなのがいるんだって。一度見てみたいな。平凡な美人でないところが個性的だよ」

「あの、その肉まんレスラーと一緒にいるんです。かわりましょうか?」

 笑香は、むつみにスマホを渡した。

「只今ご紹介に預かりました、肉まんレスラーこと野田むつみです。初の女性はたかれ役を目指している、巨大メタボリック体型のお笑い志望です。何とぞ、よろしくお見知りおきを」

「ねえ、黒豚、お前のそのド面を見てみたい。あっ、今の怒った?」

「とんでもございません。ご主人様、わたくしも一度お会いしとうございます」

「はい、今のこの答え七十五点。これはツッコミのテストだよ。これで怒ったり、落ち込んだりしているようじゃあ、お笑い失格だよ」

 マネージャーは真剣な口調になった。

「笑香にかわって下さい。ねえ笑香、野田むつみって結構面白いじゃない。今度、三人で顔見世しようか」

 笑香とむつみは、もちろんOKサインを出した。

 これが、二人を光の方向へと導く、細い道筋のような気がした。

 人間、生きてさえいればきっといいことがあるさ。

 私は「私は主にふれられて新しく変えられた」の讃美歌のフレーズを口ずさみながら、希望のともしびが未来への道標べへとつながっていくような気がした。


 END(完結)

 

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☆許しが未来の世を創造する すどう零 @kisamatuma

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