最終話:どうか一生、気づかないままで

 妹のカミングアウトから一年が過ぎた。未来さんは高校を卒業し、一人暮らしを始めたらしい。それをいいことに妹は、週末になると彼女の家に泊まるようになった。


「ほんとあの子は……あれで隠してるつもりなのかな」


「隠してないんじゃないか?言わないだけで」


 両親はとっくに妹と未来さんの関係に気づいていたらしい。


「伊吹はなんか聞いてる?」


「あー……そのうち咲から話すんじゃね?」


「聞いてるんだ。私達は聞かされてないのに」


「俺に愚痴るなよ。察してんならもう本人に言え」


「そうする」


「じゃ、俺ちょっと出かけるわ」


 いつものゲーセンに向かいながら、妹に『お前がカミングアウトしないからお袋と親父が拗ねてたぞ』と送る。すると『面倒だから兄貴から言ってよ』と返ってきた。


「自分で言えよ。バーカ」


 けどまぁ、彼女の気持ちも分からなくはない。気付かれているのに改まって報告するのは何だか気恥ずかしい。


 翌日、妹は両親に自分が同性愛者であることをカミングアウトした。両親は未来さんのことを快く受け入れ、妹は恥ずかしくなったのか、お礼を言って逃げるように家を飛び出していった。


「俺もちょっと出かけてくる」


「行ってらっしゃい」


 両親はいつから気づいていたのだろうか。まぁ、あそこまで露骨だったら、よっぽど女同士だからあり得ないという偏見が強いか、鈍感でない限りは気づくだろう。昔の俺なら多分気づかなかったかも知れないが。


 電車に乗って向かった先は、蒼山大学。海菜さんの従兄が通っている。歳は俺と同い年だが、頭の作りは天と地の差がある。今日はその彼と映画を見に行く約束をしていた。


 その帰り道、駅の方へ向かっていると、重そうに荷物を二つ抱える女の子を見つけた。未来さんだ。


「重そうだな」


 声をかけるが、気づいていないのか無視されてしまう。


「持とうか?未来さん」


 名前を呼ぶとようやく顔を上げた。俺だと気づくと、ペコリと頭を下げた。そして少し悩んでから、お願いしますと俺に荷物を一つ託した。


「家どの辺?遠い?」


「……そんなに……遠くないです……」


 彼女が指差した先を見る。アパートがある。あれだろうか。だとしたら十分くらいはかかりそうだ。


「あれか。大丈夫?それも持とうか?」


 彼女はふるふると首を振った。相変わらず、声は小さくて聞こえづらい。リアクションが大きいのはその反動なのだろうか。


「そうか」


 彼女のペースに合わせて歩いていると、何処からか声が聞こえてきた。目を向けると、こちらを見ながら話す青年が数人。その中の一人が「マツさーん!」と俺のあだ名を叫びながら近づいてきた。ため息を吐いて「言っておくが俺の女じゃないからな」と、やって来た青年の方を見ずに答える。


「聞く前に速攻否定するとか逆に怪しすぎません?」


「この人は俺のじゃなくて妹の恋人なんだよ。たまたま会っただけ」


「妹の?マジで?てか、サラッと言って良いんすか?アウティングってやつじゃね?」


「本人が良いって言ってるから問題ない。以上。用が済んだら帰れ。邪魔だ」


「……マツさん、まさか妹の彼女寝取ろうと——「殺すぞ」あっ、ハイ。スミマセン。散ります」


 一睨みすると、彼はぴゅーっと逃げるように去っていった。


「悪いな」


 全く。本人の前で寝取るとか言わないでほしい。まぁ、彼女は意味分かってなさそうだが。

 ふと彼女を見ると、彼女はどこか嬉しそうな顔をしていた。


「……どうした?」


「……」


「ん?」


 声を拾うために少し距離を詰める。


「ちょっと、嬉しくて」


「嬉しい?」


「妹の恋人ってサラッと言ってもらえて……それに対して変なツッコミも入れられなくて……伊吹さんのお友達の中では、同性愛は普通なんだなって思って」


「あぁ……その辺はうちの番長みたいな人が躾けてるから」


 姐さん達に出会うまで、俺を含めて、俺たちの中では同性愛は笑いの種だった。気持ち悪いとか、あり得ないとか、当たり前のように口にしていた。そのことを思い出す度に胸が痛む。あの頃の俺が未来さんと出会っていたら、何も知らずに告白していたら、どうなっていたのだろう。


「俺も含めて、その……偏見だらけの連中だったんだけどさ……あの人に出会って、みんな価値観が変わったんだ」


 あの人に叱られたから、俺たちの価値観は変わった。別の人に叱られていたら多分、反発していただろう。姐さんだから、素直に話を聞けた。尊敬する彼女だから。


「……番長さん、どんな人ですか?」


「えっ。あー……咲の同級生だから……もしかしたら未来さんも知ってるかも」


「……もしかして月島さん?」


「そう。月島満さん。俺らはあの人より歳上の奴らがほとんどなんすけど、みんなあの人に惚れてる。あ、惚れてるっていっても、恋愛的な意味じゃないよ。中にはそういう奴もいるかもしれないけど、ほとんどは尊敬の意味です。かっけぇんすよ。あの人。性別とか、年齢とか、そんなの関係ないくらい。満さんは俺らの憧れなんです」


「……ふふ。わかる気がします。強くて、優しくて、堂々としていて……そういうところカッコいいなって、私も思います」


「でしょ!俺が出会った時、あの人はまだ中学生だったんすけど……数人の男子学生にカツアゲされてる男子学生を迷わず助けに行ってて。歳上の男だろうが物怖じしないその姿がもう、すっげぇかっこよくて。あれからずっと、彼女は俺達の憧れの的なんです」


 つい熱く語ってしまうと、彼女はクスッと笑った。冷静になり、恥ずかしくなって目を逸らす。


「すみません。姐さんの話になるとつい」


「ふふふ。伊吹さんはやっぱり、咲ちゃんのお兄さんなんですね」


 妹の名前が出て、少しだけ胸が痛んだ。


「……似てましたか?あいつに」


「そっくりです。可愛い」


 妹に似て可愛い。惚れている彼女の口かそう言われてしまうとなんとも言えない気持ちになる。可愛いも、妹に似ているも、二重で嫌味だ。彼女はそんなつもりないんだろうけど。


「可愛いって……俺、一応歳上なんだけど」


 俺がそういうと、彼女は「はっ!」と、目と口を大きく開いた。そして「ごめんなさい」と大きく頭を下げる。ほんと、彼女のこういうところが可愛くてたまらなくて……愛おしく感じると同時に、切なくなる。

 黙っているせいで怒っているのかと思ったのか、彼女は恐る恐る顔を上げた。


「別に怒ってねぇよ」


 すると彼女はホッと胸を撫で下ろした。怒ってないけど、嫌味の仕返しくらいはさせてほしい。


「てか、可愛いのは俺じゃなくてあんたの方だろ」


 すると彼女は目を丸くして、少し恥ずかしそうに頬を染めて目を逸らした。その顔がたまらなく可愛くて、愛おしくて、抱きしめてしまいたくなる衝動を抑える。俺は、知らなかったとはいえ、妹を散々傷つけた。これ以上彼女を傷つけるわけにはいかない。


「……ほんと、咲が惚れるわけだ」


「え?なんですか?」


「なんでもない」


 きっと彼女は俺の気持ちなんて知らない。知っていたら妹に似て可愛いなんて、言わないだろう。

 どうかそのまま、気づかないままでいい。気づかないでいてほしい。


「……未来さん」


「はい」


「改めて言うのもなんだけどさ、咲のこと、よろしくね。あいつ、意外と繊細だから」


「……はい」


 彼女には、妹と一緒に幸せになってほしい。俺はそれを少し離れて見守る。それで良い。むしろ、そうしたい。きっとそれが、あの頃の罪を償う唯一の方法だから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妹の彼女 三郎 @sabu_saburou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ