第4話
「行ってらっしゃい。嫌なことがあったら直ぐに帰ってくるのよ。」
「早く帰ってきてね。お兄ちゃん。」
「分かってるよ。それじゃあ、行ってくるね。」
何処か心配そうな表情でこちらを見つめながら手を振る母さんに、朝から疲れないのかと疑う程元気良く腕を振って俺を見送る花恋。そんな二人に俺も手を振り、少ししたとこでそっと扉を閉める。
母さんにも花恋のように元気良く見送られたいところだが、母さんは花恋とは違って俺が学校で苛められていることを知っている為、あまり俺が学校に行くことに乗り気でないのだろう。
俺が苛められていなければ元気良く見送ってくれるのかと、そんなことを考えながらバイクヘルメットを被ると、自転車籠に宿題などを含めた学校で使う教科書の入っている鞄を入れて、自転車に鍵を挿しこむ。奴等に落書きをされたり、蹴りや踏みつけを何度も受けているというのに、未だに問題無く動いてくれる自転車には本当に感謝しかない。
問題無く動く自転車に感謝しながら俺は誇ると、自転車を強めに漕いで学校へ向かう。
学校に行くまでの残った少しの時間なので、歌でも歌いながらのんびり行きたいところだが、奴等が何をしてくるか分からないので、奴等よりも早く学校に着くために学校へ急がなければならない。
別に奴等に何かされて嫌という訳ではないが、机などが教室の外に出されると戻すのが面倒臭いのだ。学校で奴等と一緒に生活するだけでも疲れるというのに、朝から机をわざわざ元の場所に戻したりするのは、一日くらいならいいが毎日のように続くと、流石に面倒臭いし負担になる。
面倒臭いことにならない為にも、自転車を俺は更に強目に漕ぐ。
そういえば、昨日俺の口から出てきた黄緑色の木の実をネットで調べて見たが、一件もヒットしなかった。某知恵袋さんに質問を乗せてみても、変色したどんぐりという答えが返ってきただけ。……あれは本当に黄緑色に変色したどんぐりなのだろうか。
春の暖かい風を感じながら、小鳥の鳴き声をBGMに自転車を漕いでいると気が付けば見慣れた高校の門が見えてきた。門の近くには阪歩高校と大きく彫られている岩があり、青緑色をした青かびが表面に所々付着している。
いつ何をされてもいいように神経を使っていると、気が付かなくてもいいところまで目が行くようになってしまった。
自転車を急いで停め、急ぎ足で靴箱のある場所に向かうと、四人程学校に来ていることが分かった。
しかも名前を見てみると、俺を苛めてる中でもリーダーシップを取っている三人が居ることが分かった。
一人三崎賢幻という男子で、残り二人は鷹橋雪と真畑桜という女子。三人とも同じダンス部に所属していて、同じダンス部ということもあってか仲がとても良い。三人とも美男美女という訳でもないがそこそこ顔が整っており、俺を苛める際のリーダーシップを取っているだけあって結構頭が良く、運動神経が優れているカースト上位の生徒だ。
まだ何かされているのを見た訳ではないが、嫌な予感しかしない。
奴等が早く来るといったら、俺の机を教室の外に放り出したり、俺の机に落書きをする為に来るといった面倒臭いことをする為だ。奴等だって、朝早くに学校に来るのは面倒な筈なのにどうしてこんなことをするのだろうか。
もう少し早く学校に来るべきだったと、俺は少しでも被害を押さえる為に急いで教室へ向かう。
ーー未だに何もされていないのか?
教室の前に机が出ていないことにまだ実行前なのかと、ほんの少しの希望を持ちながら扉の前に立つ。連中の気持ち悪い笑い声が中から聞こえるので、何かしらのことはしてそうだが。
扉を開いて、自分の机がある位置へと目を向ける。
俺の机の位置は意図されて調整されているのか、先生の真正面且つ一番前の席だ。これは中学から今の高校生活まで一緒で、学校が変わろうとこの席から外れることはなかった。
そんな俺の席に居るのは、何やら丸い円状の物に一本の針のような物が付いている金属性の物を持った連中三人。そしてもう一人の髪を目まで伸ばした暗い雰囲気の女子は、遠くからその光景を眺めるようにして本を読んでいた。
「……は、初めまして。な、名前教えて貰ってもいいですか?」
「ちょっ!? ずるいよ抜け駆けなんて。私は、真畑桜っていいます。さくらって気ままに呼んで下さい。もしかして、転校生ですか?」
「わ、私は鷹橋雪っていいます。ゆきって呼んで下さい。」
教室に入った途端、画鋲を人の椅子に貼り付けていた二人が顔を紅潮させながら、上目遣いでこちらを誘惑するような表情で俺の席を離れ俺に近付いてくる。
まるで俺に惚れているかのような仕草をする二人に、俺の頭は一瞬混乱する。しかし、直ぐに状況を整理した俺はその行動が新しい苛めによる物だと理解した。
「……新しい苛めか?」
俺がそう言葉を返すと、まるで氷山の氷で固まったかのようにその場でぴたりと動くのを止める二人。俺の言葉を頭で理解出来なかったのか、二人の表情は喜怒哀楽のどれにも当てはまらないような放心状態に陥った表情をしていた。そして、俺の席で未だに椅子に画鋲を貼り付けていた賢幻も、二人のようにその場で画鋲を持ったままぴたりとも動かないで固まっている。
ぴたりと固まった二人は、歯車を回転させる頭のオイルが潤滑になり始めたのか、見たことのないおどおどした様子で、口を震わせながら夏海が不安定な声で俺に尋ねた。
「……もしかして、幻馬? 」
「ーー苛めていた張本人の名前も知らないのか?」
「いやいやそういう訳じゃなくて……本当に幻馬なんだよね? なんだぁ~幻馬だったのか。もう苛めるのはやめるから、代わりに仲良くしない? 今なら私達のグループに入れてあげてもいいよ?」
「ーーは?」
本当に俺のことを幻馬と分かっていなかったのか、何やらホッとしたような表情を浮かべると、俺の手を握り始める桜。
手にのりでも塗り付けてあるのだろうか。
他の二人も、俺が幻馬だと分かっていなかったのか、何度も俺を見返すように見ると、いつものチャラさを取り戻す賢幻に、何やら夏海の方を睨みながら握られていない余った方の手を桜のように握る雪。
俺を仲間に入れてあげるという発言や、急に手を掴まれたことから、俺は咄嗟に言葉を返してしまった。
「『は? 』って何? 幻馬なんでしょ? いつも通り私達の言う通りに従いなよ。従えばもう、苛めるようなことはしないからさ。」
「そうそう。だから、私達と仲直りしよう?」
「…嫌だけど?」
ここが戦国時代だとして、敵だった武将が急に『仲良くなろうよ。』と言って、仲良くなるバカはいるのだろうか。流石にいないだろう。戦国時代のように兵と兵がぶつかり合い、互いに壮大な被害をもたらしたと言うのなら争いを止める為に和平を結んだり、互いの目的の為に協力するというのなら仲良くするのならまだ分かる。むしろ、戦国武将に例えるなら四方八方を敵兵に囲まれて毎日俺は一方的に攻勢を仕掛けられるようなものだ。急に仲良くなろうとか言われても信じないのが当たり前だろう。敵の作戦だと疑うのが普通だ。
それに、こいつらは従っていると言うが俺は従っていない。
日直などの面倒臭い仕事がこいつらに回ってきた時、決まってこいつらは俺にその仕事を任せ、その仕事を俺が何も反抗せずにやっていたから、従っているとこいつらは勘違いしたのだろうか。それとも、悪口を言われても俺がその対応に面倒臭いからと反抗しないから、従っていると思ったのだろうか。
どちらにせよ、俺はこいつらに従ったつもりもないし、従う義理はない。
「……嫌とか幻馬には言う権利ないから。言うこと聞いて私達と友達になろ?」
「そうだよ。仲良くしよ。友達になってくれれば従ってくれなくてもいいからさ。」
「……」
今までこんなに話すことが無かったので仕方なくこいつらとの話に付き合ってきたが、流石に面倒臭いので無視をすることにする。
最初からこうすればよかった。
こいつらは俺に無視をされても文句は言えない。
謎に握られた手を振りほどき、画鋲を取り除く。椅子の表面を出来るだけ短時間で元に戻し、持ってきた鞄を机の横に掛ける。
俺が無視をしたことに、こいつらは唸るような大声を出しながら反抗したが、そんな大声を出すのは馬鹿というものだ。
次第に人が集まり始めている教室の人々は、いつも俺に向ける人間として存在することを否定されているような冷たい視線を、こいつらに向けていた。ざまぁみろと言ってやりたい。状況はよくわからないが、いつも苛めてきた奴が痛い目に合うのは嬉しい。
周りからの視線を感じ、流石のこいつらでも教室に居ずらくなったのか、教室を出て廊下を走り何処かへ走っていく二人。そんな二人を、賢馬は追い掛けるように付いていった。
気が付けば彼奴らは居なくなり、俺の平穏は自然と確保される。
つくづく、今のように反抗しとけばよかったと思う。こうしておけば、もっと俺の読書の時間を増やすことが出来た。……にしても、今日は何かが可笑しい。彼奴らがまるで俺のことを俺だと認識していなかったり、視線がいつもの何倍も向けられている気がする。
後ろを向いてみれば、俺から視線を逸らそうと八割の人間が気まずそうな顔で友達の方を向いたり下を向いたりする。残り二割の人間は課題などに取り組んでいて俺に気付く様子はないが、八割の人間はまるで兵隊を指揮しているかのように一瞬で横や下を向くので、何だか見ていて面白い。
あまりの面白さに何度か俺はそれを繰り返したが、やっている内に少しずつ冷静になり、何をやっているんだとその行動を止めた。
何か申し訳ない気分になった俺は鞄から小説を手に取り、俺はパラパラと読み進めたページの部分までページを捲る。俺が文字が好きということもあるが、このパラパラと紙を捲る時に出る地味でありながら何処か落ち着くこの音は本を読む上で欠かせないと思う。電子書籍が主流な世界になったとしても、俺は紙の小説を読み続けるだろう。
後ろから多く向けられる視線を感じながらも、俺は自分の想像した世界に入り浸っていった。
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