第3話
「ただいまー」
「お兄ちゃんお帰りぃ~」
自転車にチェーンを掛けて停め、重い鞄を片手で持ちながら扉を開くと、弾んだ楽しそうな声を出しながら満悦感で一杯の表情の花恋に、靴を脱ぐ暇も無く家に入った途端に抱き付かれる。
「花恋は可愛いなぁ~ 」
「えへへ~ 花恋は可愛いからもっと撫でるのだよ。」
細くスラッとしながらも、どこか女性らしい滑らかな曲線を描く肢体。
黄褐色のパッチリとした目に、取れ立てのトマトのように艶のある紅色をし、瑞々しいことが一目で分かる唇。
しっかりと手入れのされている、髪の毛一つ一つに艶があり絹を想像させるような滑らかで繊細な褐色の髪。
自分の胸元で甘えるように目を細めながらそう言う花恋の言う通りに、幻馬は花恋の艶のある髪を中心にほんのり肉の付いた柔らかい背中などを撫でていく。擦る度にふんわりと感じる果物を想像させる甘い匂いに幻馬自身ほっとさせながら、幻馬の丁寧な手付きに花恋もほっとし、その心地良さから幻馬の胸から感じてくる生き生きとした鼓動に合わせるように、体をゆったりと揺さぶっていた。
「そういえばお兄ちゃん。パンケーキ作ったんだよ? 作ったばっかりだから、冷めない内に食べよ?」
「……急いで手を洗ってくる。」
「パンケーキ用意して待ってるね。」
抱き付いて来た花恋を一度離し、急いだ様子で洗面所に向かう幻馬。
花恋に対しての愛情が深い幻馬だが、それは花恋も同じ。
友達の居ない分、幻馬の強い愛情を全て一人で幼い頃から受けていた花恋も、その愛情から幻馬に対してかなり強い愛情を持っているのだ。パンケーキなどの料理を作り始めたのも、幻馬に自分の料理を食べさせたかったからであって、最近では幻馬が高校に持っていく弁当も夏海に代わって花恋が作っている。
手を擦らせる音と共に、水が出た音が聞こえたと思えば一瞬で消える水の音。その後、また水が出た音がするかと思えば、ガラガラと喉の方で音がし、時間を競うように素早く洗面台に水を口から出す。
すると、花恋の入っていったリビングの方に急いで向かった。
「それじゃあ、召し上がれ。」
「ありがとう花恋。見るだけで美味しそうだよ。」
「花恋が作ったから当たり前なのだよ。」
少し大きめな皿に乗っかるパンケーキは、美味しそうな茶色の焼き目が付いていて、パンケーキの上に掛けられている蜂蜜から甘い匂いが漂っている。
週に一度のペースで花恋はこのパンケーキを作ってくれるが、本当に美味しい。しかも、パンケーキには蜂蜜でハートが大きく描かれていて、それを見ると愛されているのだと俺は嬉しくなる。
花恋の愛情に俺は胸が暖かくなっていると、俺の手が花恋引っ張られ花恋は俺の手を花恋の頭の上に乗せる。……撫でて欲しいということなのだろう。
甘えてきた花恋に答えるように、俺は優しく髪を痛めない程度に優しく撫でる。
撫でる度に幸せそうに笑う花恋を見ると撫でるのが中々辞められない。
このままずっと撫でても良いのだが、パンケーキが冷めると困るので撫でるのを一度辞める。
「……もう撫でるの辞めちゃうの?」
「折角作ってくれたパンケーキが冷めちゃうからね。……よいしょ。」
「えへへ。温かいのだよ。」
しゅんと、萎んだ花のように気を落とす花恋を抱き上げて、自分の膝の上に優しく乗せる。花恋は一応今年から中学二年生でとっくに成長期に入った筈なのだが、全然手に力を入れなくても持ち上げられる程軽い。ちゃんと食べている筈だが、何故こんなにも軽いのだろうか。
そんな花恋の体に疑問を持ちながらパンケーキを口に進めていると、膝の上でパンケーキを指していたので、少し小さめに切って食べやすくしたパンケーキを花恋の口にそっと入れた。すると、膝の上で小刻みにリズムを作り、上機嫌に鼻歌を小さくしながら横に揺れ始める。……花恋はやはり可愛い。
パンケーキが冷めると分かっても、花恋の上機嫌な姿を見ると自然に手が花恋のことを撫でている。花恋のことを撫で終わった頃には、パンケーキはもう冷めていた。
「ごちそうさま。美味しかったよ花恋。作ってくれてありがとね。」
「お兄ちゃんの為なら、何時でも作るから言ってね。」
「花恋は可愛いなぁ~」
嬉しそうに頭を伸ばしてくる花恋を撫でながら、花恋の反応を見て楽しむ。
しかし、同時に俺の心は痛んでいた。
だって、こんな言葉を言われたら惚れてしまいそうになるからだ。
こんな言葉を言ってくれるのは、世の中でも花恋とお母さんくらいだろう。
人類から嫌われ者として扱われる俺に、そのような言葉を掛けてくれるのは。お母さんに対してはそのような感情を持つことは無いが、花恋に対しては……
花恋のことを撫でるのを続けながら、そんな感情を花恋に抱いてはいけないと、必死に自分の心の奥でそのような感情が芽生えるのを抑える。花恋のことを家族愛以外で好きと思うのは兄妹なのだから論理的にあり得ない感情だし、花恋と恋人関係になるようなことは万が一でもあってはならない。
もし俺が花恋と恋人関係になったとしたら、この世の中の人類は花恋を俺と同じように非難するだろう。少なくとも、俺に対していじめなどを行う学校の奴等は、恋人となった花恋を面白可笑しく苛める筈だ。それに、俺は自分が苛められていることを花恋に伝えていない。そんなことを伝えたら、俺にこんなに甘えている花恋が何をするか分からないからだ。
花恋に俺がこのような感情を持ちそうになっていることに気付かれないように、テレビを付けて少しでも感情が薄れるように色々なことを話した。
「本当に二人は仲が良いわね。ただいま。」
「おかえりなさい。お母さん。」
「おかえりなのだよお母さん。」
花恋とテレビに出ている芸人などについて話していると、そっと扉が開いて聞きなれた声が部屋中に響く。
買い物袋を両手にぶら下げて帰ってきたお母さんに、俺と花恋は自然と頬を緩めながらお母さんに言葉を返す。気付けば、膝の上に居た花恋はお母さんに俺が帰ってきた時と同じように抱き付いている。
「ふふっ、花恋は中学二年生になっても変からないわね。」
「花恋はいつまでも花恋なのだよ。」
「そうね。」
そう優しく微笑みながら、抱き付いて来た花恋を買い物袋を持ちながらも花恋に当たらないように、優しく包み込むように撫でる。自然と、この二人が抱き合っている様子を見ると頬が緩む。俺に優しくしてくれる二人が家族の愛情を確かめる姿は、見てて心地良いのだ。
「今日は、親子丼にしましょ? 親子丼の為の鶏肉や玉葱買ってきたから。」
「花恋が親子丼作ってもいい?」
「花恋が親子丼作るの? ……それじゃあ任せようかしら。お母さん手を洗ってくるから少し待っててね。」
そう言うと、お母さんは買い物袋をその場に置いて洗面台に向かう。お母さんが洗面台に向かうと同時に、花恋も俺の膝の上に戻った。
■■■
「あれ? 何か喉がーー」
花恋が親子丼を作り始めたので一人になった為、一度部屋に帰って今日出された宿題をやっていた。そして丁度一区切り宿題が着いたとこで腕を上に伸ばし一度体を伸ばそうとすると、突如喉の辺りで何かが突っ掛かる。
トゲトゲしたような物や角ばった物ではなく、どちらかと言えばまんまるとした球体のような物。
空気の通り道である喉に何か分からない球体の物が突っ掛かった為、呼吸をすることが出来ない。急に出来なくなった呼吸に俺はパニックになると、どうにかしてこの球体を気管から外そうと首を出来る限り上下左右様々な角度に動かす。
「ぶ、ぶ、ぶへぇ!! ……何だこれ。」
様々な角度に首を動かしたことが功を成したのか、喉から上に上がってきた丸いどんぐりのような黄緑色をした木の実のようなものが口から出てくる。呼吸を取り戻したことで空気を精一杯肺に送ると、食べた覚えのない黄緑色をした緑色の木の実に、俺は首を傾げた。
「何で俺はこんな木の実みたいな奴にに殺されかけたんだ? ……にしても、これは何の木の実だ?」
少し湿っている黄緑色をする木の実を見ながらそう呟く。少なくとも最近はこんな木の実を口に含んだ記憶も無いし、これと同じような見た目の木の実を見たことがない。幼いくらいの記憶まで遡ると流石に何とも言えないが、幼稚園生辺りに含んだ木の実が今頃出てくるなんて考えずらい。というか、これは木の実なのだろうか。……それにしても、どうして口の中にこんなものが。ネットで調べてみるか。
ポケットのスマホに手を掛けた瞬間、花恋の甲高い『親子丼出来たよー』という声が聞こえてくる。今はこの木の実について調べたかったが、花恋に拗ねられても困るので俺は電源を付けたスマホの電源を再び落とし、台所のある一階に向かった。
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