【十一点】血の到達点

「……っは、これは驚かされたな」


 赤眼で睨む俊樹に対し、空茂は驚愕から戻ってきた口調で素直に述べる。

 だが僅かに手は震え、心臓は未だ五月蠅く鼓動を刻む。彼等が願った者がまさかこのタイミングで見ることになるとはと、信じられない気持ちの方が強い。

 五百年。

 その長い間で四家は創炎を発現した者を代々当主としたが、彼等の瞳に映る色は総じて赤ではなかった。

 緑、金、紫、果ては虹や白。数限りない色が浮かび、それらは発現した瞬間から様々な力を四家に与えた。

 その最も大きい部分は生産装置の使用であるが、肉体面でも大幅な能力向上が行われている。

 これが出た時点で余程元々の才能が低くない限り、同じ創炎を発現した者以外には勝てない。


 とはいえ、それは所詮人間としての限界。ARが台頭した現在では如何な創炎発現者でも簡単には勝てない。

 ARの始まりもまた四家からであり、その本来の目的は抑止力。四家だけが天下を握ったところで叛逆されるのは目に見えている。

 限られた人員で無双するにはやはり体力的問題を抱えていて、生産装置すら守れるかどうかも定かではなかった。

 故に、四家自身が血族の暴走を阻止する目的でARを作ったのだ。勝利のカードを一枚喪失することになったが、生産装置のお蔭で依然として優位は変わらない。


「その眼を見てしまえば、誰もお前が子孫ではないとは思うまい」


「どうでもいい」


 全ては四家――そして初代にまで通じている。

 空茂は確信を抱いた。彼こそが、初代の正式な子孫であると。条件は不明であるものの、そんなことは些事だ。

 彼が生産装置内のAIに接触すれば、その時点で引継ぎは行われるのだろう。

 西条が利権の全てを掌握し、彼を当主とした新しい体制を作り上げる。もしくは、彼を装置の一部として優遇させながら飼い殺しにする。

 後者の方が確率は高い。というより、現在の西条家であれば後者の方を選択する。

 だからこそ、此処で彼が爆発する現状は避けるべきだ。今の彼を誤って過度に傷付ければ、それ即ち鳴滝家の責任になりかねない。


「話を聞いて解った。 西条も、他の三家も揃って屑だ。 こんな家に生まれなくて俺は運が良かった」


「だが、お前はあの家で生まれなかったからこそ何も知らずにいる。 そして、今も己の力で何とかなると思っているだろう?」


 赤眼に対して空茂は真正面から彼の深奥を言い当てる。

 それは果たして、確かに正解だった。理由が解らずとも、胸の奥底から奇妙な全能感が溢れ出している。

 今ならば出来ないことなどない。仮に彼等を相手にしたとて、負けはしないと思えるだけの自信があった。

 

「それは創炎を初めて発現した者特有の錯覚だ。 確かに並の人間を凌駕した力を手にすることは出来るが、一人の人間が限界を突き詰めたところで数の前には総じて無駄だ」


「知るかよ。 色々御託を並べてはいるが、俺が言いたいのはただ一つ。 ――さっさと家に帰らせろ」


 全ては空虚なものに過ぎない。実際に彼が強くなったとて、制圧は殊の外難しい訳ではないのだ。

 だがそれは、彼等にとっての都合である。俊樹からすれば、そんな言葉はまったくもって意味の無い戯言だ。馬鹿な話をしている集団を冷めた目で見ているようなもので、自分には興味など無い。

 俊樹が望むのは平穏だ。その為に帰ることを希望すると、室内に鋭利な気配が流れ込んでくる。

 発生源は外で待機している護衛の女だ。彼女は未だ外で背を向けたままだが、全身から濃密な殺意を滾らせている。

 憤怒に身を任せていた。もしくは、殺意に支配されかかっていた。


「興味が無いんだよ、知りたくもないんだよ。 人を無理矢理此処まで運び込んで、血筋の話だとか妙な異能についてを説明して、そんで結局お前等は俺を家に縛り付けて甘い蜜だけを啜りたいんだろ?」


「啜るつもりはない。 我々がしたいのは、生産装置の使用者を限定させることだ」


「その為に俺を縛るなら、断固として断る。 あんた等の希望なんて知るか」


 いきなり襲撃を受けた。聞きたくもない説明を受けた。

 母を知れたことだけが唯一の僥倖ではあったものの、ただ母が哀れであった事を知っただけだ。

 知らない方が良かったのかもしれない。父が口を噤んでくれた意味を、もっとよく考えておけば良かったのかもしれない。

 真実は常に良いものばかりを運んでくる訳ではないのだ。良いものも、悪いものも運び、人に選択を突き付ける。

 忘れるなかれ、忘れるなかれ、忘れるなかれ。

 人は選択する生き物だ。生まれは選べず、容姿を選べず、けれど生き方は選ぶことが出来る。ならば、俊樹が選ぶのは自由ある生だ。


 正座から立ち上がる。

 彼のこの判断を人は無謀だと嘲笑うだろう。出来もしないことをと、きっと四家の人間の誰もが考えている筈だ。

 父もまた、現実的に考えれば不可能だと解っている。それでも彼の親として、息子を否定することは間違っているとも理解していた。

 最後の最後まで子供を信じるのも親の責務だ。怠るようであれば、それは親として失格と断じられても仕方がない。


「親父」


「あいよ。 出来ればもう少しゆっくり寝てたかったんだがな」


 父はまるで怪我など無かったように身体を起き上がらせた。 

 衣服は元の物と異なり、白い薄手の着物。オールバックの髪も崩れ、前に垂れた姿は早朝時の彼を想起させられる。

 痛みはなくはない。全身を巡る鈍痛は健在で、父の言葉は本音ではあったろう。

 それでも、今この瞬間しかないとも彼は解っている。この瞬間であれば他の家の人間は居らず、比較的容易に突破可能だ。

 問題があるとすれば、そもそもの戦力差が絶望的であることか。無闇に徒手空拳を始めれば、直ちに護衛によって制圧されるだろう。


「俺達は帰る。 帰って、何時も通りの生活に戻る。 邪魔なんてするなよ」


「出来ると思っているのか。 もうお前達に、平穏無事な生活など無い。 我々が守ってこそ、お前達は生きていけるのだ」


「……はぁ。 それはそっちの勝手だろ」


 護衛の女の殺意に鋭さが宿る。

 逃げ始めた瞬間に捕まえるつもりなのは瞭然で、そこでふと俊樹は気付いた。

 彼に武の心得は無い。技術も、基礎的な能力もまるで整っていない凡百だ。そんな彼が誰かの気配を察することなど出来る筈もなく、しかして現状はそれが出来ている。

 これが普通ではないのは明らかだ。

 今の自分に何が出来るかは解らないが、これが能力向上の結果であるのなら有難いものだと皮肉気に笑う。


「じゃあな」


「解らん奴だ――真矢まや、過度に傷付けるなよ」


 御意に。

 静かに、その声は室内に侵入した。

 俊樹は直ぐには解らず、解った時に既に遅い。瞬きの後には彼の目の前に護衛の女である真矢が現れ、服の襟を掴もうと手を伸ばしている。

 殺しは許されてはいない。彼がそうであるかもしれないとされている以上、どれだけ殺したくとも殺せない。

 だが、相手は碌な経験も無い素人だ。負ける道理がそもそも無かった。

 慢心などはしない。その目に橙の輝きを灯し、刹那俊樹の目が一際強まった。


「――は」


 それは一体誰の言葉だったか。

 誰一人の言葉だったかもしれないし、全員が零した言葉だったのかもしれない。

 刹那の時間だった。何かを認識して思考するには、その時間はあまりにも短い。先に行動した方が有効打となる状況で、真矢は明らかな有利を取っていた。

 なのに、これは、どういうことだろうか。

 意味が解らない。道理が通らない。酷く単純な常識が、音を立てて破壊された。

 

「俺を止めるな」


 短くも強い俊樹の言葉。

 真矢は彼の足元に倒れていた。掴もうとしていた腕二本があらぬ方向に折れたまま。

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