【十二点】前提情報
理解不能の四文字が誰しもの脳裏に流れた。
それは彼の父も一緒だ。俊樹には特別なものがあると解っていても、流石に護衛相手に一発も貰わない戦いなど出来る筈もない。
奇跡的な確率での勝利。あるいは善戦した上での敗北。
どちらかになると父は見ていて、けれど現実はそんな予想を容易く凌駕した。
過程は解らない。一瞬の交差でそれを知覚したのは、今この場では三人だけだ。
俊樹、真矢、空茂。
この三名だけは過程を含めて全てを把握している。そして、その内の二名は唖然としていた。
俊樹は自身の手を見て、なんだと内心で驚愕している。
先の攻防。相手の攻撃は投げ技であり、襟を掴んで廊下へと投げ出されると俊樹は予想していた。
それを回避する為に後ろに下がるべきだと思って、けれど反射的に肉体は俊樹の考えとはまったく異なる動きを見せた。
身体を落し、相手の足元へと滑るように移動した後の腹への攻撃。素人とは思えない精密さで腸にまで衝撃を伝播させ、真矢を倒した。
倒れた真矢は意味が解っておらず、その場で俊樹同様に唖然としている。彼女からすれば相手は素人で、動きを知覚することは出来ても逃げに徹すると思っていたからだ。
人間を殴るのは想像以上にストレスを感じる。
怒りに身を任せていれば話は別であろうが、俊樹が未だ正気であるのは明らか。我を忘れずに父と共に脱出する以上、無闇に戦闘行為をしている暇はない。
回避し、逃げ、道中で即席の時間稼ぎの術を構築する。
そう予測したというのに、相手は簡単に何年も鍛え続けた彼女の視界から逃れて一撃を叩き込んだ。
油断は無かった。間違いなく、慢心などしなかった。大事な生贄であるからこそ、手を抜いて過度に傷を与えてしまったらと寧ろ戦々恐々とした想いも抱えていた。
だというのに、結果はこれだ。
誰も彼もが訳が解っていないのである。真実を知るのは本来俊樹である筈なのに、当の本人ですらもまるで理解していない。
「……わっけ解んねぇ。 でも先ずは逃げるのが先か。 親父!」
「おう! 考えるのは後だな!!」
二人は護衛の女を飛び越え、廊下を駆け巡って庭から外に出た。
一瞬で行動していく彼等に空茂は少々呆気に取られたが、直ぐに口を引き結んで傍で震えている小百合に激を飛ばす。
「早急に人員を向けさせろ! それが終わり次第、他家へも報告だ!!」
「はッ!」
落ち着いた物腰を捨て去って駆け出す小百合の背を見やり、空茂は誰も居ない部屋の中で溜息を零す。
「あれは、なんだ。 ――あれは、誰だ」
空茂は長い間創炎と共に生きた。
経験は多く、過去の情報を読む機会にも恵まれ、他家と情報交換を行い、創炎の深層にまで手が届いている。
だからこそ創炎の限界を知っているし、出来る範囲も解っていた。これが出来てこれが出来ないと全てを推測し、そこから逸脱した者は未だ出ていない。
だが、この時に空茂は自身の予測が所詮は予測でしかないことに気付いた。
彼が見ていたのは俊樹であるが、しかして俊樹ではない。他が解らぬ領域に辿り着いている身だからこそ、俊樹に被さる形で出現した誰かを認識していた。
全身を赤のパーカーに包んだ謎の人物。薄く透明感の強い存在は、俊樹の行動を無視して一瞬だけ先に動いた。
その動きに俊樹はつられたのだ。だから素人でありながらも、彼は達人の如き動作を実現させた。
「……既存のどの能力にも属さない力。 だがあれは、もしかするならば」
ARの操作権の奪取。肉体能力の向上。
それらは他でも散見される力だ。出力に差異はあるが、全員が同一の能力を手にしている。
だが、あれは違う。能力向上でも、何かの操作権を奪った訳でもない。
言ってしまえば両方。俊樹の身体の権利を奪い、知らぬものを与えて実力を向上させている。
だがそれは有り得ないものだ。無から有が生まれ、努力を無視した結果を俊樹に与えている。――露骨な贔屓が彼にだけあるのだ。
その原因を、理屈を、空茂は謎の人物からもしやと推測する。
初代を含め、超能力者達は全員が上着を纏っていた。
装甲としての役割を有している服は、彼等を識別するある種の象徴にもなっている。彼等自身の手で純粋な服としての機能しかない物も販売されたが、仕事でその恰好をしていた彼等を見間違うことはなかったそうだ。
中でも、三人は別々の色に上着を染めていた。
白、赤、黒。
頂点とされる者だけが纏える上着は、偽物を作ることも許されなかった。それは五百年が経過した今でもそうだ。
そしてあの幻影のような人物が纏っていた上着。
赤に染まった上着は、三人の中で最も強いとされる人物が着ていた代物だ。
創炎はある程度まで調べが付いているが、やはり未だ解っていないこともある。その最たるものとして、居なくなる直前のある人物が残した言葉が当て嵌まる。
『彼は自由でなければならない。 彼は最強でなければならない。 例え死しても、その人生を穢す真似は誰にも許されない』
子孫が残した特に古い日記に書かれていた言葉だ。
日記の持ち主はそれを聞いた後、ひたすらに自身に厳しくなった。妥協を他者にも許さなくなり、甘さを捨て去ったのだ。
それが今の鳴滝家にまで繋がり、当主の条件に純粋な武の強さが含まれている。
過去が告げているのだ。あの時言われた言葉を、己は絶対に忘れてはならないと。
何故その言葉を嘗ての当主に伝えたのかは解らない。あの時分であれば彼と呼ばれた人物は死んだばかりで、まだその功績が薄れてはいなかった。
言う必要が無い。今でさえ彼――初代の輝きは四家を照らしているのだから。
「俺はもしや、創炎の力を勘違いしていたのか……?」
創炎は初代の力の一端である。血が広がったことで総量が分配され、一人一人に与えられる量には限界があると四家が結論が出ていた。
オリジナルになれないが故に炎の色が違うとされ、純粋な赤になれる者は出て来ないだろうとも言われていたのだ。
それが出て来た。出て来てしまった。
オリジナルに近い者。もしくは、オリジナルになれるかもしれない者。
いいや、そもそもが違うのだ。彼等の考えた前提が間違いで、四家に与えられる炎の量は予め決められていたのかもしれない。
本当の炎はただ一人。
それが最後に言葉を残した彼女――初代の妻の子孫であるとするならば。
彼等は超常の存在だ。生死など無視しているような映像が幾つか残されている。そんな彼等であれば、肉体が崩壊しても生きている可能性は十分に有り得た。
そして、それが真実であったのならば。
生産装置の突然の警報。流暢に話し始めたAI。これらを絡めた時、導き出される選択肢も必然的に絞られる。
「正しいかどうかは、あの場に彼を連れていけば解ること。 今は急いで確保に動くとしよう」
空茂が立ち上がり、そして歩き出す。
邸内は慌ただしくなり、普段ならば静かな家が騒音塗れになる。駆ける女中達を遠目に見て、不意に背後から気配を感じた。
「空茂様」
「どうした」
「西条家の者と早乙女家の者から言伝です。 『お前が失敗するのは解っていた。 これより介入するが、文句は無いな?』」
「あやつらめ……」
舌打ちをする。
他家に連絡をしてから協力するまでにはまだ少し時間が必要だ。それにも関わらず、既に二家は勝手に動いて鳴滝家を監視していた。
逃げた二人を何処かで見つけて女中に通信で伝えたのだろう。割り込むタイミングを狙っていたとしか言えない動きの速さであるが、今ばかりは文句を言うことも出来ない。
情報を共有するのはこの騒動が終わった後だ。そう内心で締め括り、彼もまた外へと向かっていくのだった。
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