【八点】起き抜けの景色

「――んぁ?」


 意識が戻った。

 落ちていた思考が繋がっていき、現実へと帰還を果たす。

 僅かに微睡んだ頭は、深夜に起きた出来事の記憶によって一気に活性化した。跳び起きるように立ち上がり、しかし身体中に走る激痛にその場で呻く。

 痛む身体を無視して周りを見渡せば、風景は深夜の景色から一変していた。

 畳張りの和室。広い室内は人間は五人が転がれそうで、その中央で彼は布団の上に寝かされている。

 閉じられた障子越しに陽の光が差し込み、開けてみると小さな庭が広がっていた。

 芸術性の高い庭は合理的生活を良しとする者にとっては甚だ理解がし難いが、昔日を想起させられる風景に郷愁の念を思わず抱いてしまう。


「――お目覚めになられましたか」


「ッ」


 目を細めて眺めていた横から声を掛けられた。

 反射的に顔を動かすと、一人の着物姿の女性がその場に居る。少女と呼んでも良い年齢の人物は、短く切られた黒髪を揺らして静々と歩み寄った。

 愛想の無い真一文字に引き結ばれた口。表情も無を貫き、黒目にはおよそ感情を浮かばせない。

 若い年齢と比較して何処か達観したような表情。大人びたと表現しても良い顔に、嫌でも警戒感を湧き起こさせる。

 少女とは反対方向に一歩足を退いた。それで何がどう変わる訳でもないが、されど少女は足を止める。


「此処は何処だ」


「鳴滝家の本邸になります。 気絶しておられた御二方と死亡した兄を回収し、此処まで運びました」


「運んだ? ……じゃあ親父は」


「既にお目覚めになられ、御当主様とお話になられています」


 鳴滝家。

 その名は既に聞いた家だ。俊樹を攫い、父を殺そうとしたサジタリウスの搭乗者の家。その人物は記憶の通りであれば死に、殺したのは俊樹だ。

 少女から視線を落とし、自身の手を見る。あの時起きた出来事は不可思議で、異常と呼ぶべき状況だった。

 停滞したAR。そして、俊樹の意思のままに行動するAR。

 全てが全て、彼の思う通りに終わった。そこに一切の邪魔は入らず、何等かの妨害をあの搭乗者が企てても無駄になったろう。

 殺した際に人は罪悪を覚える。最もやってはならぬ行動の一つに手を染め、誰かの人生を奪ったのだから。


 彼にもまた人生があった。

 その人物にも家族が居れば、死ぬまで残った者達に恨まれ続ける。

 肉を破壊する感触は無かった。もっと言えば、誰かを殺した事実に対して罪悪感を覚えることも無かった。

 あるのは因果応報。お前が殺そうとしたのだから、俺が殺したところで何の問題も無い。

 根底にある怒りは今も存在していた。自覚すればする程、此処に居る不安も郷愁の念も押し流されていく。

 

「随分冷静なんだな。 兄が死んだってのに」


「元より期待はされておりませんでした。 ARの資質は有りましたが、大事な資質に欠けておりましたので」


「……そうかい」


「身体の御加減はいかがですか。 歩くのも辛いようでしたら、御当主様が自ら向かうと仰せですが」


「いや、案内してくれ。 出来れば親父と一緒の部屋で頼む」


「解りました。 では、此方へ」


 身体の痛みは酷いが、今は他に優先すべきことがある。

 少女の案内に従いながら付いて行き、その間に周りの構造に意識を向けた。そこに彼女が酷く冷めていることや、これから自分がどうなるのかなどの意識は無い。

 道を覚え、脳内に地図を描き、なるべく親と共に居る。このまま此処に居るのは拙いと理性は囁き、俊樹自身納得もしていた。

 そう容易く逃げられるとも思えないが、人間である限り隙はある。それに、可能な限り俊樹の望みを通すだけの材料を本人は持っていた。

 先導される過程で俊樹は様々な人間と擦れ違う。スーツ姿の男達や、女中と思わしき簡素な和服に身を包んだ女達。

 少女に対して皆は頭を下げ、この家での地位の差を明らかにしている。

 黒に白百合が刺繍された和服を着た少女は、それら全てを悉く無視して俊樹を一室へと誘った。


 閉じられた障子からは男同士の声が聞こえる。内容までは聞こえないまでも、静かな様子から喧嘩にまでは発展していないと俊樹は一先ずの安堵を得た。

 右脇に居る一房に結わえた黒髪の女は、改造された動きやすい着物を身に着けてそこに立ったままだ。

 目だけが二人を捉えていて、俊樹にだけ警戒を滲ませている。護衛という役職が一番似合う人物だった。

 

「御当主様に御会いに来ました」


「少々お待ちください、小百合様」


 通りの良い涼やかな声に対し、護衛の女は若干低い声で応える。

 そのまま障子の木枠部分を二度叩くと、中から入りなさいと力強い声が俊樹達に届く。

 そして護衛は脇に退き、小百合は音を立てずに障子を開けた。

 内部は俊樹が寝ていた部屋と変わらない。彼等が寝ていた場所は客室だったようで、庭を除けば違いはそこに居る人物だろう。

 布団で横になったままの父と、傍らで胡坐を掻く巨漢の男。

 白髭を生やし、着物の上からでも解る筋肉が威圧感を醸し出している様は威厳に満ち溢れている。黒の瞳は入って来た二人を見つめ、特に俊樹に視線を集中させていた。

 小百合は小さく頭を下げ、当主の男の反対側で正座となる。

 俊樹も場の流れから同様に正座をするも、そんな姿に父が噴き出した。


「似合わねぇな、お前」


「うっさい」


「――ほう、敵地でそこまでの余裕があるか」


 父はあちらこちらにガーゼや包帯が巻かれていた。

 確りと手当てはされているようで、少なくとも横になっている限りは父が痛みに眉を顰めることもないだろう。

 無駄に煽れるのだから、そう直ぐに死ぬこともあるまい。

 俊樹は判断を下し、威厳ある巨漢に目を向ける。視線だけで重厚な圧を掛けてくる人物は、どう見ても機嫌が良いとは言えなかった。


「先に自己紹介を済ませよう。 鳴滝家当主、鳴滝・空茂なるたき むなしげだ」


「俺達の挨拶は必要ねぇだろ」


「生意気な口調だ。 だが、それでこそだな。 確かにお前達二人の紹介なぞ不要だ。 知るべき事は全て周知されている」


 空茂は高圧的だった。立場的にも年齢的にも確かに上であるが、そこに他者を慮る感情は無い。

 故に俊樹も丁寧には接しない。相手は加害者側であるのだから、下手に出た方が寧ろ不味い事態に進展してしまう。


「此処まで運ばれた経緯は小百合からは聞いているだろう」


「ああ。 手当をしてくれた件については感謝するよ、マッチポンプだけどな」


「大人しく捕まっておれば良かったものを。 過度に暴れねばそこの男が死んだだけで済んだというのに」


「不審者にむざむざ捕まる事を良しとするのかよ? 相当な花畑だな、アンタ」


 酷く。そう、酷く残念そうに呟く空茂に対して俊樹は口角を釣り上げて攻撃的に煽る。

 外では殺気が立ち上ったが、どうせ周りは全員敵だ。怯んでどうにかなる話でもない。退いた分だけ不利になるのなら、逆に攻め立てるのが俊樹なりの正答である。

 

「お前はまだ何もかもを知らない。 あそこで大人しく捕まっているだけであれば、他の家を不必要に警戒させることもなかった」


「いや、そっちの都合なんざどうでもいいだろ。 赤の他人が一々指図するのかよ」


「赤の他人? ――お前自身、もうある程度勘付いているのではないか? お前が決して赤の他人ではないことを」


 空茂の指摘に俊樹は口を閉ざす。

 あの夜の会話から、確かに敵対する家との間に血縁があることはもう察していた。父は普通の人間で、そして母が本来あちら側の家の人間だったのだろう。

 それが全ての始まりになっているのは承知済みだ。けれど、それについて彼は両親を責めるつもりはない。

 何度言われようと変えることはないが、悪いのは真の純愛を妨げる側だ。口を挟む輩なぞ死ねば良いと彼は考えている。

 

「あの夜、俺の息子が一人死んだ。 それも自爆の形でだ。 自身に乗っているARが搭乗者を殺すことなど有り得ないとされているのに、それでもARは自身の搭乗者を殺した。 これが全ての家に周知され、直ぐに各当主は同様の原因に行き当たった」


 空茂は腕を組み、直後彼の右目に変化が訪れる。

 黒かった目が徐々に徐々にと薄暗い緑に変わった。その変化に俊樹は若干ながら目を見開き、相手は彼の驚きを気にせずに言葉を並べる。


「四家のみに伝わる血が覚醒した。 創炎そうえんは確かにお前にも継承されているのだ」

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