【七点】赤の審判

 それは果たしてバグか。

 それは果たして何者かの意思か。

 

『――な、にが』


「んあぁ……?」


 サジタリウスの搭乗者も、彼の父も、現状に困惑の声を漏らす。

 槍が父の目前で停止していた。無意識に流れた制御によって機械は一切の慈悲も抱かず、ただただ無機質に仕様通りの動きをしていたのだ。

 搭乗者にとってそれは予想外ではあったものの、されど決して否とは言えないものだった。寧ろ本家より推奨されていて、彼女の息子を回収した後には父の息は絶えている予定だったのである。

 にも関わらず、槍は止まった。いや、その表現は正確ではない。

 搭乗者の耳に警告音が流れる。普段ならば聞くことの無い、独特で甲高い音に男の目は大きく開かれた。


 ――現在、システムは凍結中。最終決定者の命令をお待ちください。


『馬鹿な……!』


 思わず漏れた声。それを聞いた父は、困惑しながらも何かが起きたのだと悟った。

 ARは既存の資源を用いて製作されていない。五百年前からそうであるが、元通りに戻せる資源を除いた全ての品物を生産装置が生み出している。

 そこには当然、AIに関わる部分も含まれている。生産装置が置かれている施設への侵入は現状ほぼ不可能であり、手を出してバグを生み出すこともほぼ不可能。

 故に、最終決定者は最初に定められた通りに搭乗者になる。

 権利的なブロックを外に用意することは出来るが、機体の制御に関しては搭乗者側に全ての決定権があるのだ。つまり、サジタリウスの搭乗者が動かしている状況で先のような警告が流れることは有り得ない。

 

 しかし、その有り得ない事が起きている。

 外部からの干渉による搭乗者の上書き。これによってサジタリウスのパイロット情報が完全に変わってしまった。

 これでは幾度命令を発したとしても凍結は解除されない。それどころか、このままでは機体側の判断で許可の無い搭乗者の排除に入る。

 ARの暴走を回避する為のシステムは幾分か手を加えることに成功しているが、約八割は未だロック状態で解除に至れない。これのお蔭で防犯にはなっているものの、例外への対処には乗り出せないでいた。

 

『搭乗者が居る状況でARに干渉可能な方法はただ一つ! ――だが、本当にそんなことが有り得るのか!? それが有り得るのであればッ、あの子は!!』


「は、ははは。 ……嘘だろおい」


 慌てる搭乗者に対し、父は顔を動かす。

 そこに居る自身の息子に目を向け、亡くなった妻に冗談でも口にするように語り掛ける。

 なぁ、俺達の息子はやっぱりとんでもなかったよ。あいつなら、きっとお前以上に自由に生きていけるだろうぜ。

 

「――ッ、――ッ」


 視線の先、二本の足で立つ俊樹の姿。

 荒い息を吐き、土に服を汚しながらも、その顔は激情一色に染まっている。金の髪は乱れ、瞳は薪が燃えているかの如く烈火・・に変化していた。

 赤い、紅い、朱い。純粋な赤の焔は、およそ誕生直後でもなければ発生しない不自然さを伴ってそこにある。

 俊樹の目は本来灰色だ。母親譲りだとされる目は、しかし今この瞬間には完全に消失している。

 とはいえ、言ってしまえばそこまでだ。彼は立っているだけで、他に何かをしている素振りは無い。

 異常らしい異常は彼の目と動きの止まった機体だけで、そこを除けば先程の光景と変化は少なかった。


 頭が痛い。吐き気が込み上げて来る。

 俊樹の身体に平穏は無い。肉体の痛みは確かに彼の精神を削り、しかしてそれを凌駕する熱量を胸に抱いている。

 理不尽に対する憤怒だけが彼を立たせていた。その目は自然とサジタリウスに向き、噛み締めていた口を開ける。


「……なんで殺そうとするんだ」


『…………ッ』


「良いだろ、親父が生きてたって。 犯罪者である訳でも、極端に性格が破綻している訳でもない。 そりゃ顔は極悪だし、給料も裕福と言えるくらい良くはない。 どっちかと言えば貧乏寄りの生活をしているよ」


 静かだった。何故だどうしてと、泣きそうな声と共に父親についてをパイロットに語る。

 

「今日の事ももっと前から説明してくれればって思わないこともない。 後でぶん殴るのは確定として、でもきっと俺の事を考えてのことだってのは解ってるんだ。 ――そんな親父を、どうして殺す」


『触れてはいけない人に触れた。 愛してはならぬ者を愛した。 我々にとって宝も同然の人物を奪い、野に解き放ってしまった。 ……罪を問うのであれば、それこそがこの男の悪。 赦されぬ大罪に他ならない』


「親父は母さんを愛しただけだ。 そんで、母さんは親父を愛した。 それが駄目だってのか?」


『愛し合ってはならない関係もある。 特に彼女には、既に婚約者も居た』


「それは双方同意した上でのものかよ?」


『――名家が名家である以上、不自由はある』


 名家の裕福な生活の裏には、それを維持し押し上げる努力が求められる。

 例えば資質、例えば容姿。そして、協力し合う家同士による政略結婚。古めかしいとされる風習であるものの、生産装置の支配権を有する彼等は容易に外へと血を出してはならない。

 俊樹の母親である怜はそれを破った。父と結ばれ、野に子供を作った。

 悪いのは二人であるが、怜を生んだ家としては彼女に罪を着せたくはない。となれば、滅ぼすべきは父親側になる。

 父を殺し、子供を家の人間とするのが今回の目的。全ては正しき形に戻す為。

 その全てに、俊樹の両親の感情は含まれていない。――――ならば総じて、これは名家による押し付けと同義。


「ならそれは、理不尽を強いたってことじゃねぇか」


 つまりはそういうこと。

 納得せぬ形で物事を進めたのであれば、それは破棄されたとて当然だ。全ての決定権を有するのはどんな形であれ、そこに深く関わる当人同士でなければならない。

 家族であっても親とは最も身近な他人。助言をすることはあっても、決定に口を挟む真似はしてはならない。

 それをもし良しとするのであれば――俊樹もまたそれを強いるまで。

 目には目をだ。ハンムラビは何時の時代でも復讐を望む者の味方となっている。

 

 俊樹の殺意が膨れ上がった。

 ARのカメラ越しでも烈火の激情は伝わり、何かを言う前にサジタリウスは乗り手を無視して勝手に動き出す。

 死ね、くたばれ、あの世に行け。

 垂れ流される濃密な悪意は機体を汚染し、槍の矛先をゆっくりと自身の胸へと向けていく。

 槍の先に在るのはコックピット。このまま放てば、間違いなくパイロットはあの世に行くことになる。


『馬鹿な真似はよせッ。 君が私を殺したい気持ちは解るが、全ARには専用の防御壁が存在する。 そして実戦用ARには――』


「――うるせぇ。 俺が殺ると言ったからには殺る」


 原理は不明。俊樹自身、どうしてこんなことが出来るかも解っていない。

 ただ直感が告げている。お前ならばこれが出来るのだと。否、お前だからこそ全てが許されているのだと。

 遥か彼方の世界で、女神が俊樹に笑い掛けている幻覚を彼は見た。

 燃える炎が全てを掌握し、鉄の塊は即座にその目に服従する。あらゆるロックは解除され、そこには当然AR内のパイロットを守るバリアも含まれていた。

 一気に突撃を始めた槍が胸を貫く。勢いを付け過ぎた所為で槍は背中を貫通し、そのまま刺さった状態で静止する。

 断末魔すら無いまま、コックピットからは無数の血が垂れ流された。

 

「俺……」


 人を殺した。

 その事実を認識しつつも、足から力が抜ける。同時に身体全体の力も抜けていき、意識を保つことすら覚束ない。

 此処で寝てしまえばどうなるのかなど明瞭だ。だから動かなくてはならないのに、頭を既に寝ることに比重を置いていた。

 どんどんと意識が沈んでいく。深海の底にまで引きずり込まれる感覚は、普段の就寝時に感じるものではない。


『今は寝ていれば良い。 君が死ぬことは早々無いよ』


 最後の線が切れる前に、俊樹は誰かに頭を撫でられた気がした。

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