第2話 辞令
その夜、ガッキーショック相場に恐れをなした賢治は、比較的早めに仮想通貨の上昇相場に乗っていたので、仮想通貨取引所からのロスカットは免れた。
しかし、かなりの下落相場を初めて体験したので、「逃げるは恥だが役に立つ」の格言に則って仮想通貨投資からの退場を考えていたが、一夜を過ぎて下落が止まると、今度はこの下降局面での底値を拾おうと、副業で得た資金を愛着のあるイーサリアムに更につぎ込む行動に出た。
賢治は気分が移ろいやすく、両極端な感情を持つ傾向があるがその感情は数時間しか保たない
「今の俺には結局イーサしかないんだ。どいつもこいつも俺のことを見放してる。だから万年課長で部長にも上がれない。だれも俺に心を開かないし、俺も心を許さない。ノアまでも俺には懐かない。」
ノアは賢治が飼っているまもなく18歳になる御老体のトイプードルだ。
今までノアも合わせて3匹のトイプードルを飼ってきたが、どの犬も賢治には懐かなかった。
賢治は、極度に独りにされることを恐れる。高校は九州でも有数の進学高校に進み、多感な時期に一部屋10人というプライベートも何もない生活を3年間強いられ、人との付き合いを心底嫌ってる。だからランチは独りで済ませる。コロナになった今ならむしろ推奨されることだが、パンデミックになる前の前時代的な昼飯風景<ランチの時間になったら仕事も出来なくやることもない、心から軽蔑する上司からランチに誘われて、メシを食いながら、その相手の上司の心から聴くに値しない話に半強制的に相槌をうち、みんなで爪楊枝で歯をシーシーしながら定食屋から会社に戻る光景>
が死ぬほど嫌だった。
「こんなに仕事が出来なくて、部下の仕事を手伝うこともないアホ上司の相手をなんで俺がせんといかんのや。早飯するか外に営業に出たついでにコンビニで弁当買って食べとこ。」
賢治はいつも自分のことを過大評価しているので、他人と同じ行動を取らないといけない強制的な状況を嫌う。その結果極度の他人嫌いになるのだ。
その反面、見捨てられうことへの恐れが人一倍強く、その対象に対して怒りを表現することで自分を見捨てないで欲しいという本心を表現する。
ガッキーショックの翌々日、賢治が勤める福岡県の放送局の異動辞令が出た。
またもや部長になれず、今度は途中入社の同年齢の部下になった。
しかも勤務地は本社がある福岡市ではなく、指定暴力団員が街中を闊歩する「修羅の街」として名を馳せた北九州市だった。
一年に一度の異動で、昨年異動したばかりの部署から昇格での異動ではなく、スライド異動だった。
賢治はひどく狼狽し、直属の女性取締役に抗議に出向いた。
「一体この人事異動はなんなんでしょうか?
私は昨年今の部署に異動させられたばかりですよ。
しかも今度は同年齢ですけど、中途採用でしかも出社拒否をしたこともある奴の部下になるなんて到底納得できません。
どうゆう評価基準をしているのか教えてもらえますか!」
「中野さん、あなたは報道、北九州支社の営業部、新ビジネス開発部と経験されてきて、北九州支社になくてはならない人材なんです。
ご存知のようにテレビもラジオもかつてのメディアパワーはなくなり、そこにきてこのコロナ禍でうちの売上は危機的な状況です。中野さんの力で是非北九州支社の売上をV字回復させて欲しいのです。」
女性取締役は、駄々っ子を諭すように自己肯定感の強い賢治を持ち上げた。
その言葉を聞いて、賢治は内心「そうやろ。そうやろ。」と
独り満足気に振る舞う。
自尊心ばかり強い賢治は、完全に取締役の術中に嵌っていった。
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