8月

 夏本番。

 地獄のような暑さが続いていた。

 連日のように猛暑日を記録し、コンクリートジャングルのオフィス街は、体温を超えるほどの気温だそうだ。


 私の所属する部署は内勤が基本だが、おつかいで外に出なければならない用事ができることがある。

 部署内の社員が持ち回りでそのおつかいをこなしていたのだが、いよいよ私の番がきてしまった。

 日焼け止めを塗り直し、顔にはミストタイプの日焼け止めスプレーをふりかけ、手袋にサングラス、日傘。

 いつもの装備に身を包み、会社を出た。


 サングラス越しでもわかる、猛烈な日差し。

 そして、むわりと、アスファルトに陽炎をゆらめかせる、強烈な蒸し暑さ。


 遮光だけでなく、遮熱効果もある日傘を購入してよかったと心底思ったが、そこから少しでも腕をはみ出そうものなら、容赦なく日差しが黒い手袋を焼く。

 また、地面から立ち上る蒸し暑さがもう、たまらなく息苦しい。

 背中を、だらだらと汗が伝うのがわかる。

 会社を出てものの数分でこの有様だ。

 書類と資料のやりとりをしている取引先まで、15分ほどの距離とはいえ、この時期は少々の外出でも地獄を見る。


 一応、塗り直し用に日焼け止めは持ってきてはいるから、書類のやりとりが済んだら、取引先のビルのトイレで塗り直すとして。この間にも顔の日焼け止めが汗で流れ落ちてやしないだろうか。取引先に顔を出す前に化粧も直した方がいいかもしれない。手袋が汗を吸って重い。水を吸ったらUVカット効果が薄まったりしないだろうか。だってシャツも濡れたら透けたりするし。それにしても。


「あつい…」


 熱で暴走しかけた頭に、青信号の間の抜けたメロディが響いた。


 下を向いているとアスファルトの熱を直に受けて、まるで炙られているようだった。

 顔を上げて、交差点を歩く。


 真夏の陽炎に揺れながら、街並と、交差点を渡る人々が見えた。


 すると。


 きっちり長袖に手袋をつけて帽子をかぶり、自転車に乗っている主婦も。

 顔まで覆うタイプのサンバイザーをつけて歩いている老婦人も。

 肩で電話を受け、歩きながらあせあせと日焼け止めを取り出しているOLも。

 私を含めて、そこにいる女性たちが、みな、一様に滝のような汗をかいて、この暑さと戦うように、しっかりと歩いていた。


 これは勝手な解釈かもしれない。

 だけど、そう思いたかった。


 この重くて暑い手袋も脱ぎ捨ててしまえば、幾分かは開放感を味わえる。

 遮熱だろうが遮光だろうが、この傘も、煩わしければ投げ捨てて、直に風を浴びればいい。


 日焼け止めはどろどろと汗で溶け落ち、何度塗り直しても意味を成さないんじゃないかと思う。


 しかし、私が、いや、この灼熱の交差点を今まさに渡っている私たちがそれをしないのは。


 夏に、自分の肌をかけて、勝ちたいからだ。



 交差点を渡りきると、不思議と気持ちが少しクールダウンしたようだった。

 いや、不思議でもなんでもない。ただ照りつける陽光の下から、ビルの影に入ったからちょっと涼しくなっただけだ。

 このまま通りを突っ切れば、取引先まではもうすぐ。


 遮熱の日傘をくるりと回してみた。

 必死なのは、多分私だけじゃない。

 少しだけそう思えた、交差点での数秒間であった。

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