第295話 川へ(2)
べったん、べったん。
夜の厨房に、調理台にパン生地を打ち付ける音が響く。
休前日。私は明日の貝拾いの準備に、お弁当用のパンの仕込みをしていた。
夜の気温がしっかり下がる秋の終わりから春先まではパン生地の低温発酵ができるので、夜のうちに捏ねておくことにしている。一晩寝かせたら翌朝成形して焼くだけだ。
一纏めにした生地をボウルに入れていると、
「まだ起きていたのか」
ドアからシュヴァルツ様が顔を出す。
「明日のお弁当の準備をしてまして」
「そうか。俺はもう寝る。遅くならないようにな」
「はい、おやすみなさいませ」
私は頭を下げてから、ふと思い出して踵を返した将軍の背中を呼び止める。
「あの、お弁当たくさん作りますので、シュヴァルツ様のお昼ごはんもご用意しておきますね」
怪訝そうに振り返った彼に、私は更に気づいて、
「あ! でも明日はシュヴァルツ様も外出なさるのですよね? それなら、お食事は外で済ませますよね」
貝拾いを断ったのだから、彼にも予定があるのだろう。だったら昼食の用意は必要ない。発言を撤回する私に、シュヴァルツ様はバツの悪い顔で目を泳がせ、
「……いや、出掛ける用事はない。昼食を置いていってくれるなら助かる」
頬を掻きながらぼそっと呟く。
へ? 用事がないの?
「はい、勿論お作りしますが……でも、ご予定がないのなら、なぜ貝拾いに来られないのですか?」
深追いするのは失礼かもしれないけど、どうしても気になって理由を尋ねてしまう。シュヴァルツ様は益々言いにくそうに、
「最近、俺の都合でお前達を連れ回すことが多かったからな」
重い息を吐き出す。
「ただでさえ、寝食を共にしているんだ。休日ぐらい
……。
……遠慮! シュヴァルツ様、今回のお出掛けを遠慮したんだ!?
解明された真実に、私は驚愕する。
確かに、栗拾いはシュヴァルツ様の主催だったし、星巡りの祝祭期間から今日まで何かと『ガスターギュ家としてのイベント』が多くて個々で休日を過ごすことがあまりなかった。
この家では、当主であるシュヴァルツ様が頂点で、私とアレックスとゼラルドさんは(細かい役割は抜きにして)一律に従業員だ。
今回の貝拾いはアレックスが言い出したこと。同じ立場の
……私も実家にいた頃は、父と継母姉の興味のない買い物に付き合わされるのは苦痛だったけど……。でも、
「そんなことないです!」
私は力強く断言する。
「私、お出掛けするならシュヴァルツ様も一緒の方が楽しいです。発案者のアレックスだって最初からシュヴァルツ様も入れて計画を立てていましたし、ゼラルドさんもそのつもりでした。個人の都合を大切にすることも素敵ですが、みんなで過ごすのも嬉しいことですよ。だから、予定がないのなら是非シュヴァルツ様にも来て欲しいです!」
一気に捲し立てた私に、シュヴァルツ様は驚いたように黒い目を見開いてから……柔らかく細めた。
「納屋に釣り竿があったな。山奥の砦にいた頃、食糧調達に渓流釣りをしたことがあるが、腕が
はにかむ彼に、私は微笑みを返した。
――明日は晴れますように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。