第293話 春の兆し(2)
――このお屋敷に来てすぐの頃。
私はシュヴァルツ様に人材派遣ギルドの契約書を見せてもらった。
そこに書かれていたのは、一年の雇用契約と報酬の先払いと別途の支度金の額。正直、一介の使用人に支払われるにしてはかなり高額だった。
この人材派遣ギルドは貴族御用達とのことで一般の使用人より契約金の相場が高いらしいし、紹介者のトーマス様曰く、
『急募だったから支度金にかなり色を付けたんですよ。それにほら、王都に来たばかりのガスターギュ閣下の評判はアレでしたし』
請け負う人材が見つからないことを見越して、最初から高額で求人募集したみたいです。それに父が飛びついたと。
因みに、この人材派遣ギルドは実績のある至極まっとうな職業斡旋団体です。常識的な手数料で、雇いたい人と働きたい人の橋渡しをしています。
ただ、家長が一家の全権を握るこの国の体系として、父が勝手に私の雇用契約を結び、支度金も契約金も懐に入れちゃって、私が無一文でガスターギュ家に放り込まれただけです。
……つまり、まっとうじゃないのは我が父だけということで……。
「私、あの家では本当にただの道具だったのね」
いいように使われて、目先のお金のためにほいほい売られて。
もし奉公先がシュヴァルツ様の家じゃなかったらと思うと身体が震える。そのことだけには、父にも感謝したいくらいだ。
そして、もうじき一年が経つ。
契約書には、期間満了の際はギルドを通して再契約してもいいし、直接雇用に移行してもいいと書かれていた。
二人で契約書を確認した時から、シュヴァルツ様は私を直接雇用する意向だ。そうなれば、実家に払った契約金の他に直接お給金をもらうなんて心苦しい二重取りの生活も終わり、もっと充実感を持って仕事に打ち込める。
……でも。
「もうすぐ、一年」
私は膝に乗ってきたルニエを優しく抱きしめる。
……あの父が金蔓を逃すとは思えない。
庶民ならよほどの無茶をしなければ一年暮らせるだけの契約金が手に入ったからといって、あのプライドだけは高い浪費家族が今日まで私に接触して来なかったのも気に掛かる。
奇跡的に私の存在を忘れてくれた……なんてことはないよね?
派遣ギルドとの契約を解除しようとすれば、収入源を失った父がきっと乗り込んで来るだろう。最悪の場合、転職先を見つけてくるかもしれない。そうなるとシュヴァルツ様を巻き込むことになる。
……それはもっとも私が避けたかったこと。
これまで何度も回避方法を考えてきたけど、いつもこの壁に当たって前に進めなくなる。
私が
考えたくなくて顔を背けていた事態が、目の前まで迫っている。
……契約期限までは、あと少し。
その時が来たら、私は自分の居場所を護る為に父に抗わなくてはならない。
最後にされた仕打ちを思い出すと、指先が冷たくなるほど怖い。だけど、
「私、ここから離れたくないよ」
日向の匂いの黒茶の毛並みに顔を埋める。落ち込んだ時、ルニエはいつも傍に居てくれるね。
……このまま時間が止まればいいのに。
叶わない夢を願う。
でも……。
私と父との再会は、想像より早く……予想外の形で訪れることになる。
***
この物語はファンタジーで、制度や常識はあくまでこの架空の国限定のこととご承知おき下さい。
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