第170話 将軍のお見合い(9)

 ……普通の呼吸がため息になってしまう。

 日が傾きかけた頃、私はいつものように夕飯の支度を始めた。

 ガスターギュ家は休日は料理をしないことになっていて、各自勝手に食事を摂る決まりなのだけど。最近は、夕食は自然とみんなでダイニングに集まるようになった。メニューは買い出し係が見繕ってきた物や、時には庭でバーベキューとか。

 強制じゃないし、用事がある人は参加しない時もある。でも、やっぱり家に居る時はみんなの顔を見ながら食事をしたくなる。

 今日は休日。だから適当に好きな惣菜でも買って、適当に盛り付けて、好き勝手に食べちゃえばいいんだけど……。

 ……なんとなく、ちゃんと作りたい気分。

 シュヴァルツ様も夕飯は家で食べるって言ってたし。だったら出来合いの物より、私の料理を食べてもらいたい。


「……」


 気を抜くと、大きな吐息が漏れる。

 シュヴァルツ様は、今頃……。


「ミ、ミシェル!」


 慌てた声を掛けられて、私ははっと手を止めた。


「どんだけ卵割ってんだよ!」


 気がつくと私は、一抱えほどのボウルに五ダースの卵を割り入れていた。

 ……しまった。明日の朝の分まで割っちゃった。


「ちょっとぼーっとしてて……」


「ぼーっとしながら、目にも留まらぬ速さで左右同時に片手割りしてたよ? 卵割りコンテストがあったら優勝するよ、絶対」


 苦笑いする私に、呆れとも称賛ともつかない言葉をくれるアレックス。我が家は卵の消費量が半端ないので、熟練度も上がります。


「こんなに割ってどうすんの? 使い切れるの?」


 透明な白身の海に浮かぶ無数の黄色い目玉に慄く庭師少女に、私は口に出しながら献立を組む。


「大丈夫。ちゃんと使い切るよ。メインは挽肉入のキッシュにして、副菜にトマトとほうれん草の茶碗蒸しフラン。コンソメスープの具は、ふわふわ掻き卵。白身魚のフリッターの衣とパン生地にも混ぜて、デザートはプリンにすれば……ほら、足りないくらい!」


「……ミシェルって、卵料理のレパートリー広いね」


 そりゃあ、卵教徒の使用人ですから。


「なにか手伝う?」


「じゃあ、お湯を沸かして」


「へーい」


 私服にエプロンだけして、アレックスが厨房に立つ。休日だけど、私はいつものメイド服姿だ。


「シュヴァルツ様のお見合い、どうなったかな?」


 ほうれん草を茹でながら、アレックスが訊いてくる。


「さあ? トーマス様も付いてらっしゃいますし、悪いことは起きないと思うけど……」


 人参をみじん切りにしながら答える私に、彼女はむっと唇を尖らせる。


「なんでそんなに他人事なわけ? ミシェルが止めれば、シュヴァルツ様は見合いになんか行かなかったのに」


「私にそんな権限はないよ」


「権限の問題じゃなく、気持ちの問題」


 はぐらかそうとする私に、年下庭師は追及の手を緩めない。


「ミシェルはオレに両親と話し合えって言ってくれたじゃん。どんな決断でも味方してくれるって。オレ、すごく嬉しかったよ。でも、ミシェルは? ミシェルは全然オレに本心を話してくれないじゃないか!」


「そんなことは……」


「そんなことないなら、なんであんなに卵割ったのさ? 今だってため息ばっかついてるのに!」


「それは……」


 ……私だって、わからない。


「ミシェルはシュヴァルツ様のお見合い、嫌じゃなかったの? シュヴァルツ様が結婚したら、会えなくなるかもしれないのに」


「それは……」


 ……サクッ。


「「あ」」


 よく研がれたナイフの刃先が私の左手の人差し指を掠める。途端にとろりと鮮血が溢れ出す。


「ア、アレックス! 食材どけて。血がつかないように!」


「バカ! そんなことより、止血! じーさん! じーさん、ちょっと来て!!」


 ……厨房は、一瞬で阿鼻叫喚の渦に落ちました。

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