第160話 命名
冷たい空気を胸いっぱい吸い込むと、身体の中から眠気が抜けて、シャキッと気が引き締まる。
一日の始まりは朝食作りから。井戸の水を瓶に移したり、竈に火を入れたり、食材を刻んだり。
調理台で卵を割っていると、するりと柔らかいものが足首を撫でた。
「おはよう、ルニエ」
昨夜から我が家の一員になった彼に、私は茹でたささみを進呈する。
人の多い王都には、猫も犬もたくさんいる。でも、実家では飼ったことがなかったから、動物と一緒に暮らせるのは嬉しいな。
「君は素敵な柄をしているね」
私はしゃがみこんで、はぐはぐと懸命に肉を咀嚼する猫を観察する。黒と茶色が複雑に混じり合った、この辺りではちょっと見かけたことのない毛色は、
「サビ猫ですな」
厨房に入ってきたゼラルドさんが答えを教えてくれる。
「その美しい模様は
べっこうって、たしか海亀の甲羅の加工品よね。なるほど、色合いが似ている。
「海の恩恵を受けていた我が祖国では、幸運の猫と呼ばれていました」
「それはますます素敵ですね」
ゼラルドさんは、かつてフォルメーア王国の南にあった島国の出身だ。
そういえば、母もべっこうの櫛を持っていたなぁ。……継母に盗られちゃったけど。
感心する私の横で、老執事は食事を終えた黒茶模様の猫をひょいと抱き上げ、不敵な笑みを閃かせる。
「しかもサビ猫のオスは大変珍しい。個性の強い当屋敷にぴったりですな」
……その強い個性の中には、私も含まれているのでしょうか?
「ところで、この子の名前は決まったのですかな?」
「はい。昨夜、寝る前に――」
――額の傷を治療しながら、シュヴァルツ様に命名してもらったのですが。言い終える前にアレックスが飛び込んできた。
「おはよー! あ、いたいた。お化けの正体!」
彼女は猫を見つけるやいなや、わしゃわしゃと顎を撫でる。猫もまんざらでもなさそうに目を細め、ゴロゴロ喉を鳴らしている。仲が良くてなによりです。
「ね、もう名前決めたの? なんて名前?」
撫でる手を止めずに上目遣いで訊いてくるアレックスに、私は満を持して披露した。
「『ルニエ』です。シュヴァルツ様が付けてくださいました」
「へぇ、綺麗な響きの名前じゃん。シュヴァルツ様の元カノの名前だったりして!」
揶揄するアレックスをゼラルドさんが「こら!」と肘で突くけど……。
「いえ、『
「……」
私の言葉に、二人は三秒ほど黙って目を見合わせる。それから、
「実にシュヴァルツ様らしいですな」
ゼラルドさんが正直な感想を述べた。
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