第159話 怪談、その後(4)

 屋根裏部屋は隙間風が吹き抜けて、下の客室より温度が低い。

 私はストールの前を掻き合わせ、暗闇に目を凝らした。

 明かり取りの窓からは、血を吸ったような紅い月が虚ろに私達を照らしている。

 ……いかにも雰囲気ですね。私、ちょっともう泣きそうですよ。

 夜の静寂に、シュヴァルツ様と私の呼吸音だけが響く。

 シュヴァルツ様が滑るような足運びで室内を散策する。普段は堂々と靴の踵を鳴らして歩いているけど、足音を立てない歩き方もできるんだ。

 妙なところで感心していると、奥まで行った彼が戻ってくる。


「何もないな」


「そうですか。ありがとうござ……」


 私が安堵のため息をついた……瞬間。

 カタッ。

 ベッドの下で何かが動いた。


「むっ!?」


 シュヴァルツ様は咄嗟に振り返って――


 ゴンッ!!


 ――派手な音と共に膝から崩れ落ちた。


「シュ、シュヴァルツ様! どうされました!?」


 お屋敷が揺れるほどの衝撃だったけど、何か攻撃を受けたの!?

 慌てて駆け寄る私に、彼は片手で額を押さえながら、


「仔細ない。ただ……梁に頭をぶつけた」


 屋根裏部屋の天井は低く、屋根の形に合わせて傾斜がついている。私には部屋の端以外は普通に立てる高さだけど、シュヴァルツ様は常に腰を屈めた状態だ。まっすぐ背を伸ばしただけで、ダメージを受けるなんて!


「大丈夫ですか? 何か冷やす物を……きゃ!?」


 階下に走ろうとした私の足元を温かい物体が掠った。


「ミシェル、そっちだ!」


「え? えぇ!? あ、シュヴァルツ様の方に!」


「む、速いぞ!」


 狭く雑然とした室内を、黒い影がちょこまかと走り回る。


「もー! 夜中にうるさいなー!」


「もうし、非常事態ですかな!?」


 騒ぎを聞きつけたアレックスとゼラルドさんも駆けつける。


「二人共、手伝って!」


「へ?」


 私の叫びにキョトンとするアレックス。彼女の前に、勢いよく金色の二つの光が飛び出して……!


「うぎゃあ!?」


 ……顔面にぶつかる寸前。シュヴァルツ様の大きな手を広げ、それを受け止めた。


「捕獲したぞ」


 掌を上にし、主はそれを見せた。使用人達は囲うようにしてそれを眺める。

 ゼラルドさんが差し向けたランプの灯りの中で、ガブガブと遠慮なく大将軍の指に齧りついているのは――


「猫」


 ――でした。

 生後半年経たないくらいかな? まだあどけなさの残る金眼のしなやかな獣は、茶色と黒が混じった複雑な毛色をしている。

 ……か、可愛い!


「だ……だっこしていいですか?」


 あまりの愛らしさに挙動不審になりながら手を伸ばすと、シュヴァルツ様がそっと渡してくれる。

 わっ、ふわふわ。つやつや。日向の匂いがする。


「こいつが幽霊の正体か。屋根から入り込んだのか? やるじゃん、お前」


 私の腕の中の猫の顎をアレックスが撫でる。

 天井の隙間から見えていたのは、この子の金色の瞳だったのだ。……こんな可愛いお化けなら大歓迎です。


「やれやれ、一件落着ですな。これでミシェル殿も安心して眠れましょう」


 口髭をなぞりながら話を締めようとするゼラルドさん。

 ……確かに、大団円なのですが……。


「シュヴァルツ様。……この子、どうしましょう?」


 ゴロゴロと喉を鳴らす子猫を抱いたまま、上目遣いに伺うと、


「うちの厳重な警備をすり抜けてきた手練れだろう? 重鎮として迎えよう」


 粋な計らいに私とアレックスは思わずハイタッチする。


「ほら、もう寝ろ。明日になってしまうぞ」


 ご主人様の解散命令に、アレックスとゼラルドさんは部屋に戻っていく。

 私はというと、


「シュヴァルツ様、おでこの手当てをしないと」


「今更傷が一つくらい増えても気にならん」


「私が気にします」


 シュヴァルツ様と一緒に一階まで下りていく。猫さんに水と食べる物も用意しないとね。


「ありがとうございます、シュヴァルツ様。信じてくれて」


 私の荒唐無稽な話を。

 独り言のような囁きに、彼は前を向いたまま尊大に笑う。


「俺は人を見る目があると言っているだろう」


 ……あなたの自信が、私の自信になります。

 くわっと顎が外れるくらい大きなあくびをする猫の額を優しく撫でる。

 ガスターギュ邸に、新しい家族が増えました。

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