第139話 山へ(12)

 楠のどっしりと太い幹に身体を寄せて、私とアレックスは地上を見下ろす。同じ枝に乗ると折れる可能性があるから、アレックスは私の左隣の一つ高い枝に座っている。


「どう戦うんですか? 閣下。あのイノシシの毛皮には刃物が通りませんよ」


 草むらの中で男性三人がひそひそと頭を寄せている。


「それなのだが。蹴って判ったが、あの獣、腹は比較的柔らかいぞ」


「ということは、狙うは腹ですな。鼻にも矢は通りましたから、毛のない部分は防御が弱いのかと」


 作戦が決まると、三人はそれぞれ持ち場に散っていく。

 風が梢を揺らす音しかしない山奥。不意にガサッとノイバラの茂みが動いた瞬間。

 ゼラルドさんが矢を放った!

 途端に茂みを突き破り、飛び出してきたのはミツヅノヨロイオオキバイノシシ。鼻に折れた矢が刺さったままの獣は威嚇の咆哮を上げて、正面に立っていたシュヴァルツ様に猛進した。

 頭を下げて、額の双角で将軍を貫こうとした……刹那。

 突然、イノシシがつんのめった。

 トーマス様が草むらを横断するように垂らしていたロープをピンッと引っ張っり、足をかけたのだ。古典的な罠に前脚を取られ、勢いの止まらないイノシシは逆立ちのように後ろ脚を宙に浮かせた。無防備に晒されたイノシシの腹部に、シュヴァルツ様の戦斧が横薙ぎに襲いかかる!

 しかし、凶獣は不安定ながらも体を捻って側面の硬い毛皮で凶刃を滑らせ受け流した。

 おしい!

 木の上の私が手に汗握る中、攻防は続く。

 地面にどうと倒れたイノシシは素早く立ち上がると、追撃の為に駆け寄って来ていたトーマス様に突進した。


「ぎゃっ!」


 獣に轢かれた補佐官は後方に吹っ飛ぶ。角が刺さったのだろうか、チュニックの胸が裂け、血が滲んでいるのが見える。そしてそれより、背中から地面に落ちた衝撃で身動きが取れないようだ。

 止めを刺そうと近づくイノシシとトーマス様の間にシュヴァルツ様が割り込み、敵を牽制する。


「トーマス、立てるか!?」


「ちょっと無理っす」


 振り返らずに訊く上官に、正直に答える部下。それでも這うようにして自力で戦線を離脱する。

 すぐに手当に行きたいけど、私が地上に下りても邪魔なだけなのでぐっと堪える。何も出来ない身がもどかしい。


「ミシェル……」


 不安げにアレックスが手を伸ばしてくる。私はその手をギュッと握って、人と大自然との戦いを固唾を飲んで見守った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る