第107話 海からの客(2)

「どうぞ」


 テーブルに置かれた紅茶に、ゼラルドさんは「かたじけない」と頭を下げる。慇懃で時代がかった口調の方だ。

 帰宅後のシュヴァルツ様が身支度を整えている間、私はゼラルドさんを応接室に案内した。お茶をお出しする私を、ロマンスグレーの紳士がまじまじと見つめてくる。


「……あの、何か?」


「いえ、失礼しました」


 いたたまれずに聞き返すと、彼はバツが悪そうに視線を逸した。


「海辺でお会いした時には、てっきりご夫婦かと思っていたもので」


 ……その勘違い、ごく最近もされました。私が使用人メイド服だったのに驚かれたのですね。


「私は一介の使用人です」


 変な噂が立つと独身のシュヴァルツ様の今後に影響が出かねないので、しっかり否定しておく。


「そうですか。では……」


 ゼラルドさんが何か続けようとしたその時、応接室のドアが開き、シュヴァルツ様が入ってきた。


「それで、何の用だ?」


 挨拶もせずに、将軍は来訪者の対面のソファにどっかり腰を下ろす。私はすかさず主のカップに紅茶を注ぎ、一礼して部屋を辞そうとしたけど――


「ミシェルもここに居ろ」


 ――シュヴァルツ様に呼び止められた。

 お客様とのお話を聞いちゃっていいのかな?

 躊躇いながらも部屋の隅に置物のように佇む私に、ご主人様は再度声を掛ける。


「こっちに座れ」


 手招きされたのは、二人掛けソファの空いてる左側。

 ちょっ! お客様の前で、使用人に当主の隣に座れと申しますか!?

 半ばパニック状態な私だけど、シュヴァルツ様は主張を譲りそうにないので諦め気味に端っこに腰を下ろす。

 うぅ、お客様ゼラルドさんにどう思われただろう?

 でも、ここで私が騒いでも話が進まないので、なるべく空気になってお二人を見守ります。


「で、どうして俺の名を知っている? 何故、家に来た?」


 もう一度シュヴァルツ様が尋ねると、初老の紳士は居住まいを正し、深々と頭を下げた。


「先日は命を助けて頂きありがとうございました。どうしてもお顔を見て感謝を伝えたく、失礼ながらお二人が海辺で呼び合っていたお名前を頼りに探し当てました」


 ……あの時、海岸で私はシュヴァルツ様の名前を呼んでたっけ? 文字通り瀕死の状態でよく周りの会話を覚えていましたね。

 それにしても、シュヴァルツ様は祖国の英雄だから、お名前と風貌から身元が判明してもおかしくはないかもしれないけど……。お屋敷まで特定するのはなかなかのリサーチ力だ。ちょっと怖い。


「あなた方の適切な処置のお陰で、それがしは生き延びることができ、そして……本懐を遂げることができました」


 適切って……ジュッて焼いてましたけど、ジュッて。


「つきましては、あの時のお礼をさせて頂きたくここまで参りました。何か某にして欲しいことはございますか? この身一つではありますが、出来得る限りのご要望を叶えます」


 助けたお礼に願いを叶えるなんて、童話の魔法使いみたいな人だ。


「例えば?」


 聞き返すシュヴァルツ様に、ゼラルドさんはすっと目を細め、


「何かお困りごとがありましたら、その原因から排除致しましょう」


 冷たい眼差しは、まるで鋭利な刃物のようだ。困りごとを解消するって、便利屋さんみたいなものかしら?

 シュヴァルツ様は足を組み、ふむと顎を撫でるとこう提案した。


「では、お前のことを話せ」


「……は?」


 不思議顔の来訪者に、屋敷の主は重ねて、


「本懐を遂げたと言っていたな? 何があって怪我をし、どうやってここまで辿り着いたかを話せ。それを礼代わりに受け取る」


 シュヴァルツ様の言葉に、初老の彼は戸惑うように目を見開いたが……やがて諦観のため息をついた。


「解りました。お話致しましょう、某の愚かな半生を」

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