第108話 海からの客(3)

「これはあなた方が生まれるずっと前、それがしがあなた方より若かった頃からの話です」


 ゼラルド・オブライエンは我が国フォルメーア王国の南海に位置する小さな島国で生まれた。

 オブライエン家は軍人家系で、ゼラルド自身も十代前半から軍務に就き、君主の信頼も厚かったという。

 しかし、彼が成人を迎える頃に内戦が勃発し国は崩壊。仕えるべき国も人も家族さえ亡くした彼は、単身この国に渡ってきた。

 金銭も身分証も持たない彼が異国で安定した暮らしを送るのは難しい。ゼラルドは傭兵として王国各地を点々としていた。

 それから十年も過ぎた頃、彼はとある地方の盗賊団退治に雇われた縁で、その土地の領主と知り合った。

 領主はゼラルドの性格と働きぶりを大層気に入り、自分の屋敷に住まわせることにしたという。


「領主と申しましても、領地は田舎の村を三つほど束ねただけの小さな土地。それでも某にとっては大切な場所でした」


 ゼラルドさんは懐かしげに遠くを見つめる。海に近いその領地は、今は亡き祖国を思い出させた。

 フォルメーア王国は広い。そして貴族も多い。名鑑に載っている世襲貴族だけで1000家はある。公爵侯爵クラスは流石に名が知れているが、伯爵以下は数が多すぎる上に新興と没落を繰り返しているので全てを把握するのは至難の業。……私の実家も、最新版の貴族名鑑に名前があるかは疑わしいくらいだ。

 そんな幾多の貴族家の一つに、異国から流れ着いた軍人は安住の地を見つけた。


「我が主は誠実な方で、家族にも領民にも同じ様に尽くし、常に領地の発展に努めていました。あの方にお仕えできたことは、今でも某の誇りです」


 門番兼警備担当として雇われた彼がやがて従僕となり、執事にまで出世した頃には、祖国を離れて四十年以上の歳月が流れていた。

 高齢の領主が天寿を全うすると、ゼラルドは喪が明けるのを待ち屋敷を出ることにした。領地の隅に居を構え、ひっそりと引退生活を送るつもりだった。


 ――あの報せが届くまでは。


「某が隠居したすぐ後、領主の後を継いだ先代のご子息家族が亡くなったのです」


 表向きは海難事故とのことだったが、謀殺は明らかだった。

 次の領主になったのは、先代の甥。

 ゼラルドは新領主の悪事を暴くために単身調査を始め……。


「その過程でお二人にお会いし、その後は……表向きには、何も起こっておりません。ただ、また領主が代わったとだけ」


 話し終えて、微かに肩の力を抜くゼラルドさん。

 私はいつの間にかカラカラになっていた喉を、冷めた紅茶で潤した。

 ……何ていうか、壮絶です。小説にしたら10巻にはなりそうな、波乱万丈の半生でした。

 眉間にシワを寄せて黙って聞いていたシュヴァルツ様は、「なるほど」と一つ頷くと、徐に席を立った。


「ミシェル、客人が帰るぞ。玄関まで案内しろ」


「……え?」


「なんと!」


 私が聞き返す声に、ゼラルドさんの驚愕の声が被った。


「どういうことでしょう? 某、何か閣下に粗相を致しましたか?」


「いや、別に。話を聞き終えたから帰っていいぞ」


「よくありません!」


 にべもないシュヴァルツ様に、ゼラルドさんが食い下がる。


「あなた方へのお礼が済まぬ内は帰れません!」


「お前の話を礼代わりに受け取ると言っただろう」


「そんなもの、何の足しにもなりませぬ。某はもっと具体的なお礼をしたく……」


「ミシェル、飯の用意をしてくれ」


 詰め寄る老紳士を無視して、シュヴァルツ様が私に指示を出す。


「閣下、何卒! このままでは某の気がすみませぬ!」


 必死で訴えるゼラルドさんを、将軍は一瞥し、


「俺は腹が減ってるんだ」


「……は?」


「これ以上続けるなら、飯を食いながらだ。俺の飯を邪魔すると、この屋敷いえに来たことを後悔する結果になるぞ」


 ……すごい脅し文句ですね。

 ずんずんと食堂へと向かうシュヴァルツ様の背中を呆然と見つめるゼラルドさん。


「あの、よろしければご一緒にお食事はいかがでしょう?」


 シュヴァルツ様がと言ったのは、ゼラルドさんを誘ったってことよね。

 食堂へと促す私に、ゼラルドさんは逡巡し……、


「お言葉に甘えて」 


 ……こくりと頷いた。



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108話目にしてようやく国名が出た!

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