第106話 海からの客(1)
――再会は、突然やってくる。
「じゃあ、また明日な!」
「うん、気をつけて」
夕日が赤く庭を染める頃。植物の手入れを終えたアレックスが帰っていく。
ガスターギュ邸の菜園は種蒔きも済み、あとは芽吹くのを待つだけです。しゃがみ込んでまだ平らな畝を眺めているだけで、ワクワクと胸が躍る。
葉物は来週には芽が出るから、一回目の間引きをするそうです。間引いた若葉も食べられるらしいから、楽しみ。
早く発芽してねと心でお願いしつつ、そろそろ夕食の準備をせねばと立ち上がると――
「……もし」
――門扉の方から声を掛けられた。
私は逆光に目を凝らす。黄昏にぼんやりと溶けた人影は、細くしなやかな柳の木に見えた。
「もし、こちらはシュヴァルツ・ガスターギュ将軍閣下のお屋敷でございましょうか?」
深く落ち着きのある声は、どこかで聴いた響きを持っている。
「はい。左様でございます」
私はメイド服のスカートの泥をさり気なく払い、門に近づいていく。相手の靄がかかったような顔が徐々にはっきりとした輪郭を浮かび上がらせる。
襟のついたかっちりとした上着を着込み、踵を揃えて直立した初老の紳士は、半ば白い口ひげに隠れた唇を開いた。
「
灰色の瞳と視線が合った瞬間、私は「あっ!」と声を上げていた。
「あなたは、海の……」
あの時、岩場に打ち上げられていた人だ!
「ご無事だったのですね! 心配していました。怪我の具合はいかがですか?」
門の格子越しに顔を寄せた私に、初老の彼は驚いたように白い眉を跳ね上げて、
「……ミシェル様ですか?」
へ? 私、名乗りましたっけ?
というか。何故、あなたがシュヴァルツ様の名前も家も知っているの??
「先日はありがとうございました。お陰でこうして生きてこの地に辿り着けました」
折り目正しく頭を下げる彼は、誠意の塊のようだ。
「ガスターギュ閣下にも是非お礼を申し上げたいのですが」
「生憎当主は不在でして」
「では、再度伺います。いつ頃お戻りに?」
「それは……」
もうじきです。と答える前に、ぬっと闇が彼の頭に降り注いだ。金色に染まる風景を一部だけ真っ黒な影に切り取ったのは、言わずと知れた……。
「シュヴァルツ様!」
将軍は来訪者の真後ろに立ち、その頭部を見下ろしている。彼もそこそこ長身なのに、シュヴァルツ様と並ぶと小柄にさえ感じてしまう。
「うちに何の用だ?」
訪問販売とでも思ったのだろうか、いきなり剣呑な唸りを上げるシュヴァルツ様。
……正直、慣れている私でも怖いです。こんな感じで何度か怪しい業者を追い払ってくれたお陰で、我が家には行商人が寄りつきません。
しかし、白ヒゲの彼は臆することなく将軍を振り返ると、真っ直ぐに目を見てから、膝につくほど深々と頭を下げた。
「突然お伺いした無礼をお許しください。某はゼラルド・オブライエンと申します。先日は大変お世話になりました。ガスターギュ閣下」
「先日?」
訝しむシュヴァルツ様に、私は門扉越しに「海!」と口パクで教える。
「ああ、あの時の行き倒れか」
表現がストレート過ぎます。
得心したシュヴァルツ様は、私に門を開くよう指示を出す。
「立ち話もなんだ、とりあえず家に入れ」
鷹揚に客を招き入れるガスターギュ家当主。
「では、お言葉に甘えて」
慇懃に挨拶をして、彼は門を潜る。
これが……後に家令となるゼラルド・オブライエンさんが、ガスターギュ家に足を踏み入れた最初の瞬間でした。
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