第56話 話し合い(2)
「……大したことじゃありませんよ」
震えそうな声を必死で抑えて、平静を装う。
「私、あまり家族と上手くいってなくって」
視線を外す為にコーヒーに砂糖を落とす。
「ちょっと……家を追い出される形でこちらの使用人になったので、実家には帰りづらくて……」
――そう、口に出せば何てことはない。私はただ、『家族と仲が良くない娘』なだけだ。
「実家を追い出されたのか?」
太い眉を寄せて聞き返されて、笑って弁明する。
「元々、家を出る予定だったんですよ。だから、逆にシュヴァルツ様の元で働けることになって運が良かったです」
……それは本心だ。
私は彼に向き直って、膝におでこがつくくらい頭を下げた。
「今回のこと、本当に申し訳ありませんでした。おかしいですよね、ちょっと不仲な実家に帰れって言われたくらいで大袈裟に騒いで。シュヴァルツ様は前線でもっとずっと大変な経験をされてきたのに」
「……くだらん」
吐き捨てるシュヴァルツ様に、自虐的な笑みが零れる。
……私の悩みなんて、彼からすれば取るに足らないもの。そう思ったのに……。
顔を上げた私の目に飛び込んだのは、シュヴァルツ様の真剣な眼差し。
「自分の痛みを他人の痛みと比べるなんて愚かだ。俺が痛い思いをしたからといって、お前の痛みが減るわけではないだろう?」
言葉の出ない私に、彼は噛んで含むように続ける。
「『家族のこと』はミシェルにとって、『息ができなくなるくらい苦しいこと』なのだろう? 大したことでないわけがない。お前の痛みはお前の物だ。我慢は時に美徳だが、我慢しすぎれば誰にも気づいてもらえない。痛い時はしっかり痛がるべきだ」
「シュヴァルツ様……」
見つめる私に、彼は柔らかく目尻を下げた。
「俺は鈍いんだ。だから、痛い時は痛いと言ってくれ。ミシェルの心に添えるよう」
「……っ」
包み込むような温かい声に、堪えていた想いが溢れ出す。
「わた……し、家族に疎まれてて、家に居場所がなくて。ずっと気が利かない、役立たずって言われてきて」
止めようとしても、涙が止まらない。
「好かれようと頑張ったけど、上手く行かなくて。結局借金のかたに売られて……」
「……借金?」
彼が訝しげに眉を寄せたけど、私は止まらない。
「でも、シュヴァルツ様に出会ってこのお屋敷に来てから、何をしても認めてもらえて、小さなことでも感謝されて。やっと私が居ていい場所が見つかったって嬉しかったのに、実家に戻されると思ったら怖くなって……」
しゃくり上げながら、支離滅裂な言葉を零す。
「それに、新しい使用人を雇うって言うから、もう私はいらないのかと……」
「それは違う!」
シュヴァルツ様が焦ったように口を挟む。
「使用人の増員は、ミシェルの負担を減らそうと考えたことだ。これはこの規模の家にどれだけの従業員が必要か判らなかったから。お前が望まないのなら、今のままでいい」
「そ、そうだったんですか……」
……昨夜の話は、本当に全部私のことを慮っての提案だったのね。
安堵に息をついてから……自分の底にあるドロドロと黒いモノに吐き気が込み上げる。
「私、酷い勘違いをしてたんですね」
頭が痛い。後悔ばかりが押し寄せる。
「……私、実家に帰りたくないから、
こんな醜悪な人間、嫌われて当然だ。きっとシュヴァルツ様も失望するに違いない。
項垂れる私の肩に、不意に大きな手が置かれた。気がつくと、隣にシュヴァルツ様が座っていた。いつの間に移動したのだろう。
「ミシェル、自分を優先させることは、悪いことではないぞ」
彼は諭すように言う。
「俺はたった数里の土地を命懸けで奪い合うような世界にいたから、自分の居場所を守りたい気持ちも、奪われる危機感もよく解る。その防衛反応は正常だ。自分が一番大事なのは当たり前の本能だから、恥じることはない。お前は自分本位に生きることに罪悪感を覚えるほど、これまで抑圧されてきたのだろう」
……いいの? こんなに我儘な私でも。
キョトンとする私に、彼は続けて、
「借金がどうとか言っていたな。いくらだ? 俺が実家と話をつけよう」
「ダメです!」
私は咄嗟に金切り声を上げた。
「それはもう済んだことです。シュヴァルツ様には関係ありません!」
絶対に、シュヴァルツ様を実家に関わらせたくない。
首を横に振って拒絶する私に、彼は複雑な表情ながら解ったと同意する。
「では、ミシェルはどうしたい? 言ってくれ、お前の口から」
促されて、ゴクンと唾を飲み込む。私の願いは……。
「ここに居たいです。今まで通り、このお屋敷で、シュヴァルツ様と居たいです」
私の言葉に、彼はゆっくり瞬きをして、
「ああ。俺もそうして欲しい」
力強く宣言してくれた。
――自分の意見を述べて、相手の意見を聞いて、お互いの意思を近づけていく。それが『話し合い』だ。
結局、現状は何も変わらない。ただ私が勝手に誤解して爆発して迷走して……元の場所に戻っただけ。
余所から見れば無駄に一日費やしただけだけど。私からすれば、天地がひっくり返ったような大事件だ。
……それこそ、誰に大袈裟だと笑われようと、私が痛いと感じたのだから仕方がない。
どんなに家族に訴えても無視され続けた私の痛みに、シュヴァルツ様は向き合ってくれた。
ほっとしたらまた涙腺が緩んでしまう。
「すみません、私……」
「大丈夫、お前は悪くない」
俯く私の頭をポンポンと撫でて、それから彼は片手を広げて、
「……この前は俺が貸してもらったから」
私の肩を抱き寄せた。
わわっ!
ぶ厚い胸板に、顔が埋まる。服越しに重なった肌から、彼の心音が聴こえてくる。ドキドキするけど……すごく安心する。
「ありがとうございます、シュヴァルツ様」
力を抜いて、体を預ける。
……彼は私が泣き止むまで、ずっと背中を撫でていてくれました。
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